切迫感
「……保たないって、何だ……」
カウティスは机の所から、カウチソファまで大股で進んで、ハルミアンの肩を掴もうとしたが、
「ハルミアン!」
ハルミアンは形の良い眉をひそめる。
「セルフィーネは……、水の精霊は元々、世界に広がる水の精霊から、ネイクーン王国の火の精霊の影響を抑え、水源を保つのに必要な量を切り取られたんですよ。長い長い年月を経て、その魔力は大きくなってネイクーン王国を護っていますが、三国を支えるには、足りないんです」
カウティスは息を呑んだ。
国土の広さでいえば、ネイクーン王国とザクバラ国は、あまり変わらない。
しかし、フルデルデ王国は二倍弱だ。
セルフィーネの魔力が
「待って、ハルミアン。まだ二国の水源の検証だって終わってないし、向こうの魔術士達の協力を得られれば、状況は変わってくる」
マルクがハルミアンの隣に立ち、カウティスを気遣いながら言うが、ハルミアンは軽く鼻で笑う。
「フルデルデ王国はともかく、ザクバラ国が協力するかなぁ。逆にザクバラ国は、ネイクーン王国に痛手を与える為に、実は水の精霊を消したいのかもしれないじゃない?」
「ハルミアン!」
マルクがハルミアンの腕を引いた。
「それでは、竜人族は何の為に契約更新をした!?」
カウティスが声を荒らげる。
「最初から、セルフィーネを消すつもりだったというのかっ!?」
「王子、声を落として下さい」
ラードがカウティスを止める。
ラードが居る時、カウティスは側に侍従も護衛騎士も連れないとはいえ、廊下を誰が通るかも分からない。
「竜人は精霊の変化を
ネイクーン王国を覆っている清浄な護りも、火の精霊の影響を抑え、人々の生活に添った細やかな心配りも、全てが失われる。
全ての力を、三国の水源を保つ事だけに注いで、ようやく足りる。
ハルミアンは、はあ、と一度息を吐いた。
「三国共有のものになったら、魔力を最大限引き出されて、セルフィーネはきっと物言わぬ精霊に戻ってしまう。もしかしたら、それこそが竜人の望むものだったのかも」
は、とカウティスは短く息を吐いた。
「…………何だ、それは……」
憎々し気に声を絞り出す。
『 竜人に言われるがまま、三国共有で、ただ水源を保つだけのものになりたくない。泣いて小さくなっているのは、もう、嫌だ 』
マントを掻き合せ、決意を込めてカウティスを見上げたセルフィーネの姿が、脳裏を
精霊は、何故使われるだけの存在でいなければならない。
意識の奥底で、黒いものが湧き出る。
心臓の音が、ザクザクと耳に脈打ち始め、膨れ上がる怒りが身体を内から圧迫する。
その熱さに喉が焼け、息が詰まりそうになった。
「王子? 大丈夫ですか!?」
様子のおかしいカウティスに気付き、ラードが側で声を掛けた。
しかし、カウティスの耳には届かない。
マルクとハルミアンが眉を寄せた。
「……何故だ……何なんだっ!」
憎しみに、力の限りに握り締める右拳が震えた時、掌がチリと僅かに焼けた気がして、カウティスは反射的に皮手袋の右手を開く。
同時に、その掌に何処からか青白い光の粒が舞って、素早く
「カウティス、どうした?」
彼女は、右手で藍色のマントを掻き合せたまま、左手でカウティスの手を握り、心配そうに見上げる。
その登場に、カウティスの方が面食らい、毒気を抜かれて瞬きした。
セルフィーネは昨夜泉で会ってから、西部に戻っていたはずだった。
「…………セルフィーネ……、そなたこそ、どうして……」
呆然と呟くカウティスに、セルフィーネがふるふると首を振り、カウティスの首に抱きついた。
パサリとマントが彼女の足元に落ちる。
「カウティス、どうしてそんなに苦しんでいる? 何に怒っている?」
耳元で言われて、自分がどれだけ力んでいたのか気付いた。
筋肉が
「カウティス、カウティス……」
震えるような声で名を呼ばれ、カウティスは、側にラード達がいようと構うものかとセルフィーネを抱きしめた。
魔力干渉中でもなく、マントもなく、力一杯抱きしめられない事がもどかしい。
彼女を離さないまま、カウティスはゆっくりと口を開く。
「……進化を進めるには、どうしたら良い?」
セルフィーネは目を瞬いて、首に
「教えてくれ、ハルミアン! セルフィーネの進化を進めるには、どうすれば良い!?」
困惑したセルフィーネが、思い詰めた顔をしているカウティスを見上げる。
ハルミアンは研究者の顔で、深緑の瞳を輝かせる。
「“考究の森”での研究記録によれば、“ドワーフが実体化する前には、五感と感情表現を備えた”とあります。実体化に先ず必要なのは、それだと思われます」
「五感と感情……」
カウティスは、セルフィーネの足元に落ちた、藍色のマントを見る。
子供の頃、初めて泉で出会った時、セルフィーネは既に視覚と聴覚は持っていた。
そこから、カウティスと過ごす内に、様々な感情を持ち始め、魔力干渉で触覚を得た。
そして、昨日。
『 ……カウティスの匂いだ 』
カウティスの藍色のマントを握って、セルフィーネは確かに笑って言った。
嗅覚を、手に入れたのだ。
「残るは味覚……」
確認するように、カウティスが呟く。
「セルフィーネが進化の過程を踏むのは、カウティス王子に関わっている時だけです。王子なら、セルフィーネの進化を促せるはず」
ハルミアンが、カウチソファから上目に二人を見た。
セルフィーネはハルミアンの視線を受け、きつく眉を寄せた。
カウティスは、セルフィーネの頬に手を伸ばして言う。
「セルフィーネ、俺は、そなたの実体を望む」
セルフィーネは驚きに目を見張る。
「そなたも強く望んでくれ。実体を手に入れて、俺の側にいたいと」
セルフィーネを見つめる青空色の瞳が、固く暗い光を宿していた。
深夜、魔術士館の一室で、ミルガンとマルク、ハルミアン、そして数人の緑ローブの魔術士達が、南部の砂漠化を抑えるための取り組みについて話していた。
話が大方纏まり、続きは明日にしようと魔術士達が退室する。
それを見計らって、青白い光を散らして、セルフィーネが姿を現した。
その身体には、今もカウティスの藍色のマントが巻かれたままだ。
ミルガンとマルクは驚きながら立礼し、ハルミアンは嬉しそうに立ち上がった。
「セルフィーネ、どうしたの? カウティス王子と一緒にいたんじゃないの?」
笑って近寄るハルミアンを、セルフィーネは静かに
「……カウティスに何故あんなことを?」
「あんなことって?」
「何故、追い詰めた?」
ハルミアンは一つ息を吐いて離れた。
椅子に座って頬杖をつき、セルフィーネを眺める。
「追い詰めたって言うけど、進化を急がないと、年が明ければ君は保たないって教えてあげただけだよ」
ミルガンが顔を曇らせ、マルクが唇を噛んだ。
だが、セルフィーネは少しも動じずにハルミアンを見つめている。
「やっぱりセルフィーネも、年が明ければどうなるか、自分で分かっていたんだね」
ハルミアンは首を傾げた。
「じゃあ、カウティス王子が君の進化を望んでる理由は分かるでしょ。なのに、何故そんなに悲しそうなの?」
セルフィーネは静かに
セルフィーネは、藍色のマントを固く握り締め、暫く黙ってハルミアンを見つめていた。
「ハルミアン、私と共に、西部へ戻ろう」
セルフィーネが口を開いて出たのは、そんな言葉だった。
ハルミアンは、薄く貼り付けていた笑顔を消す。
「私を案じて、多くを手助けしてくれたことは、とても感謝している。だが、もう、この王城にそなたはいるべきではない。私と共に西部へ戻ろう」
「……意味が分からない。君が進化をしようって時に、何故僕等だけ西部へ?」
ハルミアンが僅かに眉を寄せた。
「ここはネイクーン王国だ。これから
「興味本位だって? 僕は、カウティス王子とセルフィーネに良かれと思って、進化を早めるように勧めたんだ」
頬杖を外し、不満気な顔をするハルミアンを、セルフィーネは何処か悲しそうな目をして見る。
「本当にそれだけか? 精霊の進化を、最後まで見たかったのではなく?」
「それは……」
ハルミアンはそのまま言葉を飲み込む。
「私のことを、良く思ってくれているのかもしれない。だが、何故カウティスを煽る? カウティスでなければ、私の進化を促せないと思ったからだろう?」
「そなたも竜人族と同じだ、ハルミアン」
ガタンと椅子を鳴らして、ハルミアンが立ち上がった。
「何で僕が、あんな
「精霊の変化を許せず無理やり戻そうとするのと、思うように進化を早めたいのと、何が違う?」
セルフィーネの紫水晶の瞳は、硬質の輝きを放つ。
「どちらも結局、
ハルミアンは息を呑んだ。
マルクの方へ顔を向け、セルフィーネは薄く笑む。
「私も西部の
「待って下さい、水の精霊様」
セルフィーネはマントを掻き合せて、口元まで持っていく。
「……カウティスに、あんな目をさせてはいけない。進化のことは忘れて、ネイクーン王国の王子として役割を果たすよう、伝えて欲しい」
「水の精霊様!」
セルフィーネは長いまつ毛を揺らして目を伏せると、姿を消した。
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