一緒に

午前の会議が終わった。


午後の会議には、地方領地に戻っていて、まだ参加出来ていない貴族院の顔ぶれが揃い、本格的な議論が始まる予定だ。




「ラード、マルク、ミルガン、よく間に合わせてくれた。感謝する」

貴族達が退室する中、カウティスが三人に礼を述べる。


昨日帰城してから、今日配った資料を制作する為に、皆それぞれに奔走していた。


ラードは、故郷南部エスクト領の助けを得て、城下の傭兵ギルドと魔術士ギルドで、各地域のギルドとの連携を再確認していた。

マルクはミルガンと共に、魔術士館で資料を纏めた。

昨日の会議で水の精霊の叫びを聞いた魔術士達が、率先して協力を申し出たらしい。

平民出のマルクに不満を持つ魔術士も多いが、エルフのハルミアンが関わっているのを見て、手伝う者も少なからずいたという。


いつかは必要になることだと、以前から少しずつ準備してきた事だったが、多くの人々の協力で、今日のカウティスの演説に間に合ったのだった。

実現に向けてはまだ詰めることも多く、これから問題も出てくるだろうが、先ずは王太子とカウティスの思い描く、新しい国への指針は示せた。



「そなた達も、良くやってくれた」

資料を纏める手助けをした文官達に、カウティスが声を掛けていると、マルクが声を掛けた。

「王子、皆をねぎらうのは後で大丈夫ですから、あちらを先に」

マルクに促され、カウティスは銀の水盆に目を向ける。


会議が終わっても、水盆にはセルフィーネが佇んだままだった。

彼女は紫水晶の瞳を揺らして、カウティスを見つめている。


「セルフィーネ、おいで」

カウティスが手を伸ばして微笑むと、彼女は水盆から駆けるようにして姿を消し、カウティスの左胸に小さな姿を現した。

騎士服を握るようにして、その身体を胸に添わせる。

魔術士達は、カウティスの左胸に飛び込むように移動した水の精霊魔力を見て、ホッと安堵の息を吐く。


「皆、感謝する。父上、セルフィーネを連れて行きます」

言って踵を返すカウティスに、王は苦笑して掌を一振りした。


「まったく、落ち着きがない」

ラードが器用に灰色の片眉を上げて言うと、いつの間にか側に来ていた王太子が口を挟む。

「カウティスが落ち着いていると、そなたが落ち着なかいだろう」

「……まあ、そうですね」

二人は、足早に去って行くカウティスの後ろ姿を見て、軽く笑い合った。





カウティスは貴族院館を出て、泉の庭園に向かった。

あそこならば、昼間でもセルフィーネが姿を現せる。


出来るだけ人通りの少ない外縁を選び、走った。

温室の横に出て、大樹の脇を通り花壇の小道を抜けると、石畳を踏んで泉に近寄る。

セルフィーネは、カウティスの胸に添ったままだった。

「セルフィーネ、そなたの顔が見たい。泉に立ってくれないか」 

昨夜も今日の早朝も、ここに来て呼んでみたが、セルフィーネは姿を現さなかった。


セルフィーネは小さな目を瞬いて、躊躇ためらいがちに泉に水柱を立てた。

そして、淡く輝く人形ひとがたを現す。


カウティスが伸ばした手が頬に添えられると、セルフィーネの瞳が揺れ、口を開いた。

「……いつからあんなことを?」

「アナリナと南部に向かう前かな。そなたが南部に行くのを嫌がった時、そなたの魔力に頼らない国造りを目指そうと、兄上と意志を確認し合った」


考えるだけなら、もっと前から考えていた。


セルフィーネが眠っていた十三年半、ネイクーンという国が、水の精霊にどれだけの恩恵を受けて暮らしていたのか思い知らされた。

我等は、この恩恵を当たり前に感じていたのではないか。

もっと自分達の力で、出来ることがあるのではないのか。


カウティスの考えを肯定するように、人々は必要にかられ、人間の力で火の精霊の影響を抑え、より良く暮らす術を模索し始めた。


そうしてこの国の人々は、十三年半を生きてきた。

水の精霊が戻ったからといって、それをやめてしまう必要はない。

むしろ、そのままの努力を続けることが、ネイクーン王国を、さらなる発展に導くはずだ。



「そなたの姿が進化した時、もっと動かなければと思ったが、一人でどうして良いか分からなかった。それで、ラードやマルクに話したのだ。そうしたら、どんどん繋がった」

「……繋がった?」

「ああ。同じように感じていた者は、他にも大勢いたのだ」


直接、水の精霊の魔力を感じてきた魔術士達。

魔獣の討伐にあたってきた、辺境警備隊。

砂漠の拡大に対処してきた南部の領主達。

ベリウム川に接する、北部、西部の民。


「そなたの姿が進化した時言ったろう? 人間も変わったと。自分達でネイクーン王国自分達の国を守る力を育てて来たと。それがあったから、今日の会議に資料が間に合った」

カウティスは、もう一方の手を伸ばし、セルフィーネの両頬を包んだ。


「皆、水の精霊の加護に感謝し、自国を、水の精霊を自分達の力で守りたいと考えている。……そなたも、私も、一人ではないのだな」

カウティスが微笑むと、セルフィーネの瞳が大きく揺れた。




薄い唇を震わせたまま、何も言わないセルフィーネを、カウティスはそっと抱きしめる。


「セルフィーネ、俺は……。俺も、そなたを失うのが怖いよ」

セルフィーネの身体が、ビクリと震えた。 

「俺の側からそなたがいなくなるのを想像すると、怖くて堪らない。……だから、足掻あがくよ。何が何でも。そなたが俺の側にいられるようにする為なら、苦しくても、いくら傷付いても構わない」

セルフィーネが弾かれたように顔を上げ、小さく首を振る。

「いや! カウティスが傷付くのは、嫌」


「俺はそなたと一緒にいられない事の方が、余程苦しい!」


カウティスは、セルフィーネの瞳を覗き込むようにして言った。

「傷付かずに生きて行けても、そこにセルフィーネがいないなら意味が無い! 苦しくても、痛くても、そなたが一緒にいる人生が俺の幸せなのだ!」

セルフィーネが大きく目を見開いた。

「そなたもそうだろう? そなたが一人で三国を請け負ったのは、分けられる痛みを怖がったのではなく、俺といたかったからだろう? これは俺の自惚うぬぼれか?」



カウティスは、セルフィーネの揺れる紫水晶の瞳から目を逸らさずに言った。

「セルフィーネ、そなたはどんなに傷付いても、俺といることを選んでくれたのだろう?」



セルフィーネの瞳が潤み、切な気に眉を寄せる。

そして、そっと小さく頷く。

「ずっと一緒にいると、約束した。どうしても……カウティスと一緒にいたかった」

カウティスは、セルフィーネを再び抱きしめた。

「それなら、一緒に足掻あがこう、セルフィーネ。失うのを怖がって閉じ籠もるな。これからも、俺と共に行こう」

「………………一緒に?」

「そうだ。ずっと、一緒にだ」



セルフィーネの内で、縮こまっていた心が揺れる。

喉の奥から熱いものが込み上げて、とうとう彼女は嗚咽おえつを漏らした。

「……ふっ……、う……」

紫水晶の瞳から大粒の涙が溢れ、頬を伝い、キラキラと輝いて顎から落ちていく。

「……セルフィーネ」

「……夢を見た……、カウティスが……カウティスが竜人に、炎で……」

セルフィーネはしゃくり上げて肩を揺らす。

「カウティスが死んでしまったのかと、怖くてっ……」


カウティスは彼女の髪を撫でる。

「そうか、とても怖かったのだな。……でも、夢だ。セルフィーネ、俺は生きてる」

カウティスは噛みしめるように、ゆっくりとセルフィーネの耳元で言った。

「俺は、ここにいる。ずっと、そなたと一緒にいるよ」


わっ、とせきを切ったようにセルフィーネは泣いた。

カウティスは彼女が泣き止むまで、ずっと抱きしめていた。

風の季節で、水柱の水は随分と冷たかったが、離さずに立っていた。

泣き虫のセルフィーネが、ずっとずっと我慢していたのだろうと思うと、思う存分泣かせてやりたかった。



どれ程そうしていたのだろうか。


ふと、右手で撫でていたセルフィーネの髪に、薄紫色が滲んでいることに気付いた。

左手にも、胸にも、僅かに触れているような感触があって、目を見開いてセルフィーネを覗き込む。

太陽光の下、輝く涙に頬を濡らしたセルフィーネは、再び進化した姿に戻っていた。

陶器のような温かな色合いの頬には、まだ僅かに傷があった。



「……痛むか?」

胸にも、大きく引きれたような傷があって、カウティスは軽く顔をしかめて聞いた。

「平気だ。……でも、カウティスには、見ないで欲しい」

カウティスが僅かに顔をしかめたのを見て、セルフィーネは白い手と腕で、頬と胸を隠す。


「そなたは、いつだって綺麗だ」

カウティスは彼女の手を外させると、頬の傷に口付ける。

涙の流れた跡を伝い、顎、鎖骨へ続き、胸の真ん中の傷にも口付けた。


朝露のような蒼い香りを濃く感じて、ふと、顔を上げる。

サァとセルフィーネの白い肌が、鎖骨の辺りまで桃色に色付いて、初めてカウティスは、自分が今した行為に気付く。

「す、すまない。べ、別に、何かを考えていた訳ではないのだ。ただ、その、傷があってもそなたは綺麗だと言いたかっただけでっ」

耳の上まで真っ赤になったカウティスが、さっと離れて、しどろもどろに説明するのを見て、セルフィーネはパチパチと瞬きした。

溜まっていた涙が溢れる。


「……ふふっ」

笑いが込み上げて、思わずセルフィーネの口から小さな声が出た。



涙はまだ止まっていなかったが、三日ぶりに見たセルフィーネの笑顔に、カウティスは心底ホッとした。




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