罪悪感
カウティス達が王城に戻ったのは、午前の二の鐘半を過ぎた頃だった。
馬を預け、その足で貴族院館へ向かう。
「王子の召喚は午後からですが」
「分かっている。様子を見に行くだけだ」
ラードの言葉にそう返して、足早に石畳を進む。
カウティスは貴族院館へ入り、大会議室へ向かう。
正面の扉が開き、ちょうど会議を終えて出てくる貴族達と出くわした。
彼等はカウティスに気付き、立礼して去る。
午後からカウティスが参席することを知っているので、特に今何かを問い詰めるつもりはないようだった。
「王太子殿下の即位を間近にして、ようもこのような問題を起こされるものだ」
「今だからこそだ。我が国の国力を削ぐおつもりなのであろう。何せ、第二王子はザクバラの血を引いておる」
擦れ違った後で聞こえる
カウティスは黙って息を吐いた。
こんな事には慣れている。
水の精霊の加護を持つカウティスに好意的な者もいれば、ザクバラの血を引く王子を煙たがる者もいる。
そんな事よりも、人の少なくなった大会議室の中を覗く。
王の席の前の水盆には、既にセルフィーネの姿はなかった。
「戻ったか、カウティス」
会議室を出て来たエルノートが、カウティスに気付き近付いた。
「竜人と立ち回りをしたと聞いたが、怪我は?」
「ありません。……セルフィーネが癒やしました」
「そうか」
身体の事を聞いただけで、セルフィーネの契約更新について言及しない兄に、カウティスのささくれた心は静まる。
「セルフィーネは、どんな様子でしたか?」
「ガラス人形に逆戻りしておったぞ」
エルノートに続いて出て来た王が、溜め息混じりに言った。
「一体どうしてこうなったのか、部屋で話を聞こう」
カウティスは頷いて、ラードと共に王の執務室に向かった。
セルフィーネは会議の間、以前の調子で何処かを見つめたまま、微動だにせず佇んでいたらしい。
聞かれたことを、客観的に淡々と答えるだけで、感情らしきものは全く見えなかったという。
「新しい姿は、人間で言えば重症という傷を負いました。おそらく心の方も相当傷付いて……、今はあの
言いながらカウティスは拳を握る。
セルフィーネは、変化したことを後悔しているのかもしれない。
王は額に手をやる。
「ハルミアンから状況説明はされたが、まさかそれ程酷いことになっていたとは」
ハルミアンはセルフィーネが眠っている事は話したが、身体の状態までは説明しなかったらしい。
「今後もあのままか?」
「分かりません」
エルノートの問いに、カウティスは首を振った。
皇帝崩御の正式な知らせを受け、王城には、昼過ぎにフルブレスカ魔法皇国の皇国旗と共に弔旗が掲げられた。
早ければ明日、使者は王城に到着するだろう。
その頃には、ネイクーン王国領土にも、多くの弔旗が上がることになる。
午後の一の鐘半に、貴族院館で午後の会議が始まった。
「水の精霊よ」
王の呼び掛けに応えて、磨かれた銀の水盆に小さな水柱が立つ。
光を集めるように、セルフィーネがガラス人形のような
どこを見るでもなく、硬質な瞳で宙を見つめている。
エルノートの隣に座ったカウティスは、セルフィーネのその姿に胸が痛んだ。
彼女はまるで、何も感じないように殻を閉じてしまったように見えた。
会議が始まり、午前に続いて貴族院達が意見を述べるのを耳にして、カウティスは次第に苛立ちを募らせた。
真の契約主だと竜人が出てきて所有権を主張されては、そこに盾付ける者はいない。
そうすると、彼等の懸念は、ネイクーンの恩恵が、今後
三国共有になれば、どこまで二国に奪われることになるのか、ネイクーンを主国として扱うことは出来ないのか、そういう利権に関することを、セルフィーネの前で平然と尋ねるのだ。
セルフィーネは尋ねられると、答えられることは客観的に答えるが、「分からない」と答えることが多かった。
三国の水源を守ったことなどないのだから、当然のことだ。
「三国共有になるくらいならば、多少魔力の質が落ちようとも、三国で分けた方が良かったのではないか」
そんな意見が出た時、黙って耐えていたカウティスが、思わずキリと音が立つ程に歯軋りした。
その音に、近くの貴族がカウティスを冷たい目で見た。
「エルフの御仁が言われるには、水の精霊様ご自身が三国共有の物になると宣言されたとか。大体、カウティス第二王子は、水の精霊様から過分に加護を受けておいでなのに、なぜ止められなかったのか」
「個人で恩恵を受けるのではなく、国に対して施すよう、水の精霊様を
“水の精霊様”と言いながらも、敬うのはその恩恵のみの態度に、カウティスの腹から怒りが込み上げる。
“カウティス”という響きが耳に響いて、セルフィーネは初めて瞬きした。
ゆっくりと首を動かして、カウティスがこの場にいた事をようやく確認し、その瞳が揺れた。
「精霊とは、元々人間の意志で
王がカウティスを擁護すれば、更に別の者が声を上げる。
「そうでしょうか? 十四年前も、今回も、カウティス王子が関わって事が大きくなったのでは?」
エルノートが目を細めた。
「卿の言い様は、まるで……」
「カウティスを傷付けないで」
水盆から声が響き、王族と魔術師長ミルガン、記録を録る為に同席していた魔術士達が、一斉に水盆を見た。
水盆に佇んだセルフィーネの表情が、苦しく歪んでいる。
発言していた貴族には水の精霊の声は聞こえず、エルノートの言葉が途切れたので、尚も畳み掛けた。
「そもそも、第二王子が
「やめて!」
会議室中の水差しに、幾つもピシとヒビが入って、貴族達が驚いて椅子を引いた。
「セルフィーネ!」
水が波打って溢れる水盆に、カウティスは駆け寄る。
「カウティスを傷付けないで!」
「落ち着け! 俺は平気だ」
セルフィーネは顔を両手で覆う。
「カウティスは少しも悪くないのに、どうしてカウティスが非難される? 悪いのは私だ! 皆、私を責めれば良い!」
「違う、そなたのせいではない!」
セルフィーネは強く首を振る。
全てを拒絶するかのように、水色の長い髪が広がった。
「私が変わったからだ。精霊の私が、私がカウティスを好きになったから……っ、私のせいで……カウティスが傷付く……!」
「そうではない!」
カウティスが、セルフィーネに手を添えようとした時、セルフィーネの姿は消えた。
ミルガンは水の精霊の魔力を追って、視線を上にやった。
パシャと水柱が水盆に落ちた。
セルフィーネは上空に姿を消し、その日はもう、何処にも水柱は立たなかった。
「どうやら、自分が進化を進めたせいで、カウティス王子が傷付く結果になったと思ってるみたいですね」
今日の貴族院での事を聞いて、ハルミアンが唇を歪めてそう言った。
「きっと、それで無意識に退化しようとしてるんじゃないかな」
カウティスは目を閉じて唇を噛む。
イサイ村で目覚めてから、セルフィーネはずっと不安気に見えた。
カウティスが生きていることを確認し、傷付いていないか心配してばかりだった。
「そなたが竜人と立ち回りしたのを、見ていたのだろう? 尚更、怖くなったのであろうな」
王が革張りの椅子に凭れて、低く言った。
「怖い?」
「セルフィーネは、長い長い時をずっと一人で存在してきた。我々のように、生まれた時から誰かが側にいて、当たり前に
王がカウティスを見て、眉を下げた。
「そなたという存在を得て、逆に孤独を知ってしまったのだ。……自分のせいで傷付けて、失うのが怖いのだ」
誰もが感じたことのあることかもしれない。
大切な存在を得ると感じる、幸福感。
それと同時に生まれるのが、これを失くしたらどうなってしまうのかという、恐怖だ。
考えてみれば、セルフィーネは以前から、カウティスが傷付く事を極端に嫌がった。
血を嫌う為かと思っていたが、もしかしたら、失うことを恐れていたのかもしれない。
「どうする、カウティス。貴族院は言いたいことを全部言わせた後に、
隣に立つエルノートが、カウティスを
カウティスは拳を握る。
すべき事は、もう決まっている。
「父上、兄上、明日の貴族院会議で、私に演説の許可を」
「そなたが? 珍しい。あの者達に、何を主張するつもりだ?」
王が興味津々に身を乗り出した。
カウティスは大きく一つ息を吐くと、決意を込めて顔を上げる。
「水の精霊に頼らない、ネイクーン王国の在り方を」
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