蚊帳の外
ネイクーン王城の貴族院館では、竜人の来訪、水の精霊の契約更新に続いてもたらされた、皇帝崩御の知らせに、場が騒然となっていた。
ネイクーン
そして、従属国は皇国と共に皇帝の喪に服す為、年明けの慶事として国民の期待を受けていた、王太子エルノートの即位式が行えない事になる。
勿論、メイマナ王女との結婚式もだ。
貴族院一同、落胆の様相だった。
懸念事項は多くあるが、皇帝崩御に関わる事柄は、フルブレスカ魔法皇国から使者が戻り、正式な親書を受け取ってからのことだ。
まずは先に、確定した水の精霊の契約更新により、年が明けてから何がどう変わるのかを確認しなければならない。
「水の精霊よ」
目の前に置かれた銀の水盆に、王が声を掛ける。
小さな水柱が立ち上がり、淡く光を帯びた水の精霊の
昨夜の通信で、以前の姿に戻っているとは聞いていたが、その硬質な姿に、王は内心驚いた。
まるで、フォグマ山で眠る以前のようだ。
彼女は静かに宙を見つめ、これからの懸念を貴族院に質問されるままに、淡々と答えていった。
「王子! 飛ばし過ぎです! 中継点までに馬が走れなくなります!」
ラードに大声で言われて、カウティスは我に返って手綱を緩めた。
「……すまない、気が
速度を緩めて、後ろからマルクとハルミアンが追い付くのを待つ。
カウティス達四人は、王城へ戻る為、日の出の鐘と共にイサイ村を出て、街道を駆けていた。
セルフィーネは既に、貴族院の緊急招集の場に呼び出された。
カウティスも、午後から参席するように命じられている。
急いで行ったところで、何が変わるわけでもないことは分かっていたが、今セルフィーネが一人水盆に佇み、貴族院の質問や追求に
「緊張してるんですか?」
馬を乗り換える為に町に寄り、小休憩で水分を取っていると、ハルミアンに聞かれた。
「している」
カウティスは溜め息をついた。
「私はずっと社交界から離れて、剣を振って生きてきた。剣術は得意だったし、辺境での兵士生活は性に合っていた。王城に戻って、兄上の近衛騎士になっても、その延長で生きて行けると思っていたのだ」
カウティスはぐっと水筒を握る。
「……しかし、もうそれだけでは、きっとセルフィーネを守れない」
「そうですね、剣の力だけでは駄目です。ですが、王子の力は、今はもう剣だけではありません」
ラードが新しい馬を引いて来て言った。
マルクも頷く。
「私達も、王子の力になります。それに、他にも、王子や水の精霊様の助けになりたいと願う者はたくさんいます」
カウティスは、騎士服の上から、ガラスの小瓶を握る。
自分は一人ではないのだと思える仲間がいる。
仲間の力強い言葉に、カウティスは手綱を取って頷いた。
「行こう」
午前の講義過程を終え、メイマナは廊下を歩いていた。
ネイクーン王城は、一昨日の竜人の来訪から落ち着かないというのに、王太子の婚約者である自分は、予定通り明日から王妃教育が開始される。
今日は、その内容を軽く確認しただけだ。
勤勉なメイマナは、フルデルデ王国での淑女教育は勿論、既に王族の妃になる為の教育も受けている。
しかし、国が変われば様々な違いがあるので、ネイクーン王国の王妃教育が、一通り行われることになっていた。
当然の事とはいえ、国の有事で慌ただしく動いている中で、完全に蚊帳の外で平時通りに過ごせと言われると、溜め息が出た。
王太子の支えになりたいのに、まだネイクーン王国の一員ですらない。
主の
「メイマナ様、内庭園のお花が美しいです。少し散歩なさっては?」
正式に婚約者となったメイマナは、王族の居住区の一角に居所を構えた。
内庭園を始め、居住区全域と王城の後域は殆ど自由に行き来出来る。
「……そうね。行ってみようかしら」
婚約式を終えてから、まだゆっくり庭園の散策もしていなかった事に気付き、メイマナは花の香りがする方へ足を向けた。
内庭園に下りて、中へ進む。
庭園は、この時期でも良く手入れされていて、大振りな花が多く咲いている。
甘く濃い香りが辺りに漂い、温室でもないのに、こころなしかここだけ温かいような気さえした。
奥へ進むと、以前エルノートとお茶をした長椅子の近くで、セイジェが鋏を持って作業をしているのが見えた。
側には高齢の庭師らしき男がいて、セイジェに何やら指示を出している。
セイジェの前の垣根には、白い蕾がたくさん付いている。
どうやら
少し離れて立っていた侍従がメイマナに気付き、セイジェに伝えた。
「申し訳ありません。今日のような日は、誰も来ないだろうと思っていたもので」
長いマントを外し、上着を脱いで腕捲くりしたセイジェが、恥ずかしそうに笑う。
既に引退した熟練の庭師に、
内庭園は彼好みの場所とは知っていたが、そのような事までするのかと、メイマナは内心驚いた。
「ご婚約、おめでとうございます、メイマナ王女殿下。エルノート様がお幸せそうで、私共も嬉しゅうございます」
老庭師がニコニコと笑いながら言った。
「セブ爺、メイマナ様が一緒だと、兄上は今朝食事を摂られたそうだぞ」
「何と!」
セイジェが楽し気に言うと、セブと呼ばれた老庭師は目を大きく開いて手を叩いた。
「……あ、あの?」
メイマナは、一体何をそんなに喜ばれているのか分からず、ハルタと顔を見合わせるが、セブは安堵の表情で言った。
「今日のような日は、終日ろくに召し上がられまいかと、皆で案じておりましたのです」
「終日!?」
メイマナは錆茶色の眉を寄せる。
「申し上げたでしょう? 兄上は寝食を忘れてしまわれるのです。生きるのに最低限必要なだけ、食べて寝ていれば良いと思われているのかもしれません」
セイジェが心底困ったように首を振った。
今朝のエルノートと侍従の様子を思い出し、メイマナは更に眉を寄せた。
何と危ういのだろう。
寝食を
これからも、注意して見ておかねばならない。
「メイマナ王女には、本当に感謝しかありません。兄を掬い上げ、支えて下さっている」
セイジェが佇まいを正して言った。
「メイマナ王女が側にいて下されば、これからも兄は民に愛される王太子で、王で在れると思います。お礼申し上げます」
メイマナは
「私はまだ、そのように仰って頂けるような働きは出来ていないのです。まだ他国人の、ただの婚約者です。こんな有事の際にも、蚊帳の外で、何も出来ない……」
悔しさを滲ませて言うメイマナに、セイジェは不思議そうな顔をした。
「蚊帳の外?……メイマナ王女は、王妃となられるのですよね? それならば、蚊帳の外こそが居場所では?」
メイマナは、目を瞬く。
セイジェは、
「この内庭園は、亡くなった王妃である、母が好きな場所だったのです。母はいつも言っていました。『陛下が公務でお疲れになったら、癒やして差し上げるのが王妃の務め』だと」
昼は王と二人で花を愛でて庭園を散策し、夜はバルコニーから星を眺めた。
王の話を聞き、共感し、励まし、時に
常に王が公務に集中出来るよう、後宮と王城に勤める者達を管理し、その信頼を得ていた。
「王の場所が蚊帳の“内”であるなら、ザクバラ国の王配となる私も、ネイクーンの王妃となられるメイマナ王女も、蚊帳の“外”がその役割の場所なのではないでしょうか」
セイジェの話を聞いて、メイマナは白い肌を赤く染めた。
自分の
父である王配を思い出した。
妻である女王が、常に国政に集中出来るよう、それ以外の事は当たり前のように引き受けていた。
自分が目指すべきはそこだったはずなのに、エルノート王太子を支えたいと思うあまり、自分の役割を放り出し、分不相応な場所に立とうと藻掻いた。
「私……、王太子様に馬鹿なことを申しました……」
メイマナが激しく後悔しながら、告白する。
「馬鹿なこと? 何と言われたのですか?」
「……王太子様に、“血の誓い”をすると」
メイマナの言葉に、セイジェも侍従も呆気にとられた。
「メイマナ王女、それは、我が国では禁止されている魔術です」
「……失念しておりましたの」
“血の誓い”は、ネイクーン王国では禁止されている魔術の一つだ。
血を使って忠誠を誓う、いわゆる服従の魔術で、昔は大陸全土で、主に騎士が主君に忠誠を誓う時によく使われた。
己の命を賭けて、主君に忠誠を誓う。
主君の命に背いた時、主君が亡くなった時、その命を取られる。
別名“血の契約”とも呼ばれ、魔法でいえば、契約魔法に当たる。
だが、主君がその誓いを解く前に不慮の事故等で亡くなると、誓いを立てた騎士達が一斉に亡くなるという、不毛な事態が頻発し、多くの国で使用が禁止となっていった。
フルデルデ王国では、主従の意思確認ができる場合、王族の立ち会いの下でのみ、現在も使用を許可されている。
それ故に、口にしてしまった。
「皇帝の崩御で喪に服すれば、当分は婚儀は出来ません。他国人の私が、本当にネイクーン王族と認められるには……、真にネイクーン王国の人間として王太子様の隣に立つには、“血の誓い”しかないと思ったのです……」
でも、そもそも立ち位置を見誤っていた。
メイマナは赤い顔で、口を
「兄上は、何と?」
「何も仰いませんでしたが、……おそらく、怒っておいででした」
あの後、何か言いたげだったが、エルノートは黙って貴族院館へ向かってしまった。
「私が間違っていました。王太子様に、謝らなくては」
しゅんとして小さくなるメイマナに、セイジェは蜂蜜色の眉を下げて言った。
「兄上は、多分怒っていた訳ではないと思いますけどね」
女性の気持ちに気を
兄がどう応えるのか少し楽しみで、セイジェはこっそりと一人笑った。
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