召喚

風の季節後期月、一週二日。



早朝鍛練を終えたカウティスが、いつものように袖で汗を拭く。

「汗を流すか?」

泉に立って、カウティスが剣を振るのを見ていたセルフィーネが、楽しそうに指を立てた。

カウティスが笑いながら鼻の上にシワを寄せる。

「よせよせ、さすがに冷水は寒い」


セルフィーネが汗を洗い流してくれるのは手っ取り早いが、常に冷水なのだ。

火の季節にはとても気持ち良いが、今の季節には向かない。

鍛練後に身体が熱くなっているとはいえ、一瞬で全身を冷やされると心臓に悪そうだ。


それに、今朝は珍しく、やけに冷えた。


「温度を変えられないだろうか……」

セルフィーネが真剣に考えるようにしながら指を揺らすが、トプンと泉から持ち上がった水球の温度が変わっているのか、見ただけでは分からない。

「温かくなっているのか?」

「カウティスが確かめて」

セルフィーネが、ふよふよと浮いている水球を寄せて来たので、指を入れてみようかとカウティスは腕を上げた。

途端に、水球からパシャと顔に水飛沫が飛ばされる。

「つっ、冷たっ!」

氷のような冷たさに、一気に鳥肌が立った。


ふふと、セルフィーネが細い指で口を押さえた。

手首のバングルも、楽しそうに揺れる。

「わざとだな!」

カウティスが顔を袖で拭いて、軽く睨んだ。

「温かくしたとは言っていない」

セルフィーネは紫水晶の瞳を細め、絹糸の髪を弾ませて肩を揺らす。

いたずらをして、楽しくて堪らない風で笑っている姿は、まるで光を散らしているように見えて、カウティスは思わず目を細める。


最近のセルフィーネは、ますます感情豊かになって、その笑顔は輝いている。

そんな姿を見る度に、カウティスは幸せな気持ちで満たされる。

そして同時に、胸を掴まれて苦しくなるのだった。




昨夜はここで、二人で王太子と王女の婚約式の話をした。

これから添い合って、共に国を導いていく二人。

皆に祝福され、幸せそうに微笑んでいた。

上空からセルフィーネも見ていたようで、『良い式だったな』と笑っていた。


カウティスは、イスターク司教がセルフィーネを諦めたようだった事も伝えたが、それについては薄く微笑んだだけだった。

聖職者に対しての警戒心は解かない方が良い。

カウティスと同様に、セルフィーネもそう思っているのだろう。




「先に西部に戻る」

セルフィーネが言って、腰掛けていた泉の縁から立ち上がる。

カウティスも午後に王城を出て、日の入りの鐘までには拠点に戻る予定だ。


カウティスはセルフィーネの手を取った。

何となく離れ難い気がして、手を離さず彼女を見つめた。


セルフィーネはすり抜けられるが、自分からは手を離さず、軽く首を傾げ、幸せそうに微笑んだ。

「どうかしたか?」

カウティスは、彼女の輝くような笑顔に息が詰まった。

逡巡して、ようやく手を離す。

「……また、拠点でな」

一言絞り出すのに、何故か苦労した。


セルフィーネが光の粉を散らすように、姿を消した。

カウティスは、無意識に騎士服の胸を力一杯握っていたことに気付いて、眉根を寄せた。

何故こんなに胸がざわつくのだろう。


セルフィーネと離れてはいけなかったような、そんな気がした。





婚約式を無事に見届け、フルデルデ王国の王配が帰国する。

メイマナは、王太子エルノートの婚約者としてネイクーン王国に残り、王妃教育にあたることになっている。



「父上、皆にもよろしくお伝え下さい。これから寒くなりますから、お身体にも気を付けて」

馬車に乗り込む王配に、メイマナが何度目かの声を掛ける。

しかし、彼はうんうんと頷くばかりで、娘の両手を掴んで離さない。

「……もう、いい加減になさいませ! いつまでも出発出来ないではありませんか!」

さすがに周りに呆れたような雰囲気が漂い始めたので、メイマナが王配の両手を剥がした。


「道中お気を付けて」

隣からエルノートが笑い含みに言うと、王配は恨めしそうに彼を見上げた。

「娘をよろしく頼みましたよ……っ、くっ!」

一言の後、王配はエルノートの唇を見て、泣きそうな顔で馬車に乗り込んだ。



門を出て行く馬車の列を見送って、メイマナは隣に立つエルノートをちらと見上げる。

彼の下唇には、昨日メイマナが勢い余って付けてしまった傷があった。

それ程目立つものではないと思ったのに、婚約式の直後に付けられた王太子の唇の傷に気付き、侍従や侍女、今朝には王までも、メイマナを何とも言えない生温い微笑みで見てくれるのだ。

もう、恥ずかしさで倒れそうだ。


当のエルノートはといえば、普段通りの涼し気な様子で、誰の視線が唇に注がれても、まるで気にした様子はなかった。  

気を揉んでいるのは自分だけのようで、更に恥ずかしい。


メイマナの視線に気付いたのか、エルノートがこちらを向いて僅かに笑む。

隣に立っている自分に、今更ながら婚約が成ったのだと実感して、恥ずかしさは横に置いておいて、メイマナは微笑みを返した。





王城を出る前に、カウティスはラードと共に王の執務室にいた。


「イスターク司教が西部に派遣されるのは、間違いないようです。ですが、ネイクーンの神殿を統轄する訳ではなく、西部の聖堂建築を推し進める為のようですね」

昨日、城下に降りていたラードが報告する。


ネイクーン王国内だけでなく、他国も含め、聖職者達の異動が行われているようだ。

イスターク司教の言った、『オルセールス神聖王国の大規模な人事異動』というのは、本当の事らしい。


「では、懸念していたような、聖職者の数が減るということではないのだな?」

王が言うと、宰相セシウムが手元の報告資料を見て頷く。

「こちらに上がってきている諜者の報告でも、今のところ聖職者の数は、ほぼ変わらずのようです」


以前、オルセールス神聖王国からの親書にあった、『聖堂建築に協力すれば、今後も本国から安定した聖職者の派遣が出来るだろう』という一文を、王は何より案じていた。

派遣される聖職者の数が減らされる事は、民の生活基盤に即影響する。



「ですが、今後の事は分かりません」

ラードが言えば、エルノートが腕を組んで頷く。

「猊下が西部に駐在となれば、聖堂建築をのんびりさせてくれるとは思えないからな」


聖堂建築は、元々イスタークが進言したことだ。

今はオルセールス神聖王国から正式な要請が出されたが、イスタークがネイクーンに派遣された以上、彼が聖堂建築事案の中心になっているのだろう。


「今後ネイクーン我が国が協力姿勢を見せなければ、聖職者の数を減らす可能性もあるだろう……。カウティス、ラード、猊下の西部での動きに注視しておいてくれ」

「はい、兄上」

カウティスはラードと共に頷いた。





夕の鐘が鳴る前、西部では居住の広間で、書類整理していた手を止めたマルクが、セルフィーネと話をしていた。



「婚約式が無事に終わって良かったです。メイマナ王女が西部から嵐のように去られた時は、どう収まるのかと、ちょっと心配していましたから」

マルクが笑う。


昨日、通信で公式に婚約が成立したと聞いていたが、婚約式の様子を王城の上空から見ていたというセルフィーネに、その時の様子を聞いていた。

「平民の婚約式以外は見たことがないので、新鮮です」

「そんなに違うのか?」

マルクが感心したように言うので、セルフィーネが聞いた。

「平民は神殿では行いません。式用の聖典の写しと聖水を買って来て、自宅で行います。結婚式は神殿で季節毎の合同式ですね」


セルフィーネが城下の神殿や、他の街で見たことがあるのは、合同式だったらしい。

今まで興味を持って見たことがないので、知らなかった。

「何、何? 何の話をしてるの?」

広間に入って来たハルミアンが、楽しそうに近寄った。



「へえ。人間は互いの瞳の色を身に着けるんだ。それは知らなかった」

セルフィーネ同様、今まで興味を持ったことがなかったらしいハルミアンが言った。

「エルフは違うの?」

マルクの方は興味津々だ。

「エルフは婚約式なんてしないしね。そもそも、濃淡の差はあっても、エルフはみーんな金髪に緑眼だもん。同じ色ばっかりだよ」

ハルミアンが両肩を上げて笑うと、セルフィーネが首を傾げる。

「では、ザクバラ国は黒ばかりか?」

生粋のザクバラ国民は黒髪に黒眼だ。

「そういえば、そうですね。今度、現場で聞いてみますね」

ザクバラの代表貴族がやや大人しくなって、作業員同士は、それなりに交流が復活しているらしい。



「セルフィーネとカウティス王子だったら、紫と青空色かな」

不意にハルミアンが言った言葉に、虚を突かれたセルフィーネが、目を見張った。

直後にサァと頬に桃色が広がり、緩んだ瞳が逸らされる。

「……私とカウティスは、婚約式など出来ない」

「良いじゃないか、想像するくらい。ね、セルフィーネなら、王子の瞳の色をどこに身に着けたい?」

ハルミアンが深緑の瞳を輝かせて、セルフィーネの顔を覗き込む。


セルフィーネは、尚も頬を赤く染めた。

「ほら、想像してみて? セルフィーネは白いドレスかなぁ。青空色を、どこに入れる?」

ハルミアンの言葉に、セルフィーネの長いまつ毛がふるふると揺れる。



カウティスの瞳の色。

大好きな、澄んだ青空色。



セルフィーネは、恥じらうように口を開き、小声で言う。

「………………ここに」

彼女は白く細い指で、胸の真ん中を押さえた。

その顔に、幸せそうな笑みが浮かぶ。


「そっか。いいね!」

薄紫の滲む細い絹糸の髪を、ハルミアンが嬉しそうに微笑んで、優しくく。



セルフィーネの輝く笑顔に、マルクは胸がドキドキして、ほうと息を吐いた。

何だか幸せを分けて貰ってるようで、自分まで嬉しくなる。

カウティス王子が戻ったら、教えてあげよう。

王子との式を想像して、水の精霊がどれ程幸せそうな顔をしていたか。



マルクがそう考えた瞬間だった。




「は……っ、あっ」

突然、セルフィーネが押さえていた胸を掻いてあえいだ。


巨大な何かに掴まれたように、不自然に身体を縮こまらせると、そのまま引き上げられるように姿を消す。

周囲に青白い光の粉が散った。


「水の精霊様!?」

マルクが立ち上がると同時に、ハルミアンが呆然と言った。

「魔法で召喚された……」

「魔法!?」


契約に縛られている水の精霊を召喚できるのは、その契約魔法だけだ。

ハルミアンが顔を歪ませて立ち上がる。


「竜人族だ!」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る