婚約式 (後編)

イスタークは、後ろで一括りにした焦げ茶色の髪を揺らし、慇懃いんぎんに立礼する。

後ろの入口近くには聖騎士エンバーも立っていて、同様に立礼した。


戸惑いながらも、皆が儀礼的に挨拶を返し、王が尋ねる。

「なぜ猊下がここに?」

「本国の大規模な人事異動で、この度ネイクーン王国に派遣されることになりました。二日前に城下に着いたばかりです」

イスタークは、やや目尻の下がった、焦げ茶色の大きな瞳を細めて微笑み、ちらりとカウティスを見た。

「聖堂建築に携わる為、城下で引き継ぎを終えれば、西部の神殿に駐在することになります」


カウティスは内心眉を寄せる。

この前ラードが言っていた、新しい司祭が西部に来るというのが、イスターク司教のことなのだろうか。


「司教が他国に駐在するなど、初めて聞きますが」

エルノートがイスタークの表情をうかがえば、司教はにこやかに笑んだまま頷く。

「ええ、初めての事です。それ程に聖堂建築は特別だという事でしょう。携われるのは光栄なことです」

イスタークは、首に掛かった金の珠を掌をで握り込み、間延びしたようなゆっくりとした口調で続ける。

「城下に着いたのが王太子殿下の婚約式前だったのも、縁あっての事でしょう。それもまた、光栄です。お二人の誓いが神に届くよう、誠意を込めて式を執り行わせて頂きます」

彼は高位聖職者の風格漂う佇まいで、再び立礼した。





メイマナは控室の椅子に座って、高鳴る胸を押さえていた。

立会人である父は、先に式場に入った。

今は、付き添いの侍女ハルタと、エルノートが迎えに来てくれるのを待っている。



メイマナはとても緊張していた。

勢いでここまできた。

勿論それに関して後悔などない。

ただ、待っているこの時間、今までふわふわとしていたものに、急に現実が追い付いて来たようで、緊張が高揚感に勝ってしまった。


「…………ハルタ、心臓が口から飛び出しそうよ」

「心配しなくても、どうやっても心臓は口から出ませんよ、メイマナ様」

主の緊張を解そうと、ハルタは水差しからグラスに水を注いで渡す。

受け取ろうとするメイマナの指が震えている。


ハルタは膝をついて、メイマナの顔を覗き込んだ。

「……もうすぐ、王太子様が迎えにいらっしゃいます。一緒に生きたいと思える方が見つかって、良かったですね。その方に想われて、幸せですね、メイマナ様」

震えるメイマナの手を、グラスごと両手で包んで、ハルタは微笑む。

「……なぜハルタが泣くの」

「だって、もう、嬉しいのです」

ハルタが微笑みながら涙を浮かべるので、メイマナまで涙が滲んできた。


ハルタは、メイマナの成人前から専属侍女として付いていたので、婚約破棄となった辛い時期も全部見てきた。

何より、この大らかで憎めない可愛らしさを持った、心優しい主人が大好きなのだ。


「ハルタァ……」

「メイマナ様〜」

二人が瞳をうるうるとさせて見つめ合っているところで、入口近くから吹き出すような声が聞こえた。


二人がそちらを向くと、笑いを堪えているカウティスと、堪えきれていないエルノートが立っていた。

「お、王太子様!」

二人が急いで立ち上がる。

「……申し訳ない。声は掛けたのだが……」

エルノートが手で口元を覆ったまま言った。

どうやら二人の世界に入っていて、ノックも声掛けも気付かなかったらしい。

侍従が後ろで申し訳なさそうにしている。

「この分では、結婚式では号泣ですね」

カウティスが小声でエルノートに言った。


エルノートはまだ手を下ろせないままで、二人の側まで近寄る。

「ハルタ、まだ婚約式だ。泣くには早すぎる。そなたはこの先も、私がメイマナ王女を幸せに出来るか、ずっと目を光らせていてもらわねばならないのだから」

「は、はい、王太子殿下」

ハルタは王太子が自分の名を覚えていた事に驚き、恐縮して頭を下げる。


エルノートは手を下ろして微笑む。

薄青の瞳はとても優しい色だ。

「笑って申し訳ない。貴女の姿を見たら、緊張が緩んでしまった」

「王太子様も、緊張なさっておりましたの?」

涙が滲んだ目尻をハンカチで押さえ、メイマナが聞く。

「ええ、とても」

エルノートはメイマナに右手を差し出す。

「行きましょう。……これからは、ずっと共に」

メイマナが輝く笑顔でその手を取った。





式場となる離宮の広間には、祭事用の祭壇が設置されている。

祭壇の前に、イスターク司教が立った。

袖や裾に金糸の縁取り、背中に太陽神の聖紋を刺繍された、白い祭服を着ている。

頭には、司祭の物よりも背の高い、筒状の帽子を被り、首からは金の珠を下げる。



大扉の外に、エルノートとメイマナが立つと、侍女達が二人の衣装の裾を直す。

エルノートが隣のメイマナを見下ろし、目元を緩ませた。

目線に気付いたメイマナが見上げると、そっと囁かれる。

「今日の貴女は、特別美しい」

心臓が止まりそうになって、思わずパカッと口が開いたメイマナを、裾を直していたハルタが赤くなって小突いた。


後方の大扉が開かれ、王太子エルノートと、何故か顔の赤いメイマナ王女が入場する。

カウティスとメイマナの護衛騎士は、数歩分離れて後ろに付き従い、二人が祭壇まで辿り着くと横へ控えた。



イスタークが祭壇の上の鈴を鳴らす。

清涼な音色が頭上を通り抜け、婚約式が始まった。


イスタークは、聖典の神話の中から、兄妹神によって人間が創造された部分を暗唱した。

その後、自らの言葉で、人間同士が助け合い、寄り添って生きていく事の尊さを説く。

低い声で、ややゆっくりと抑揚の付いた喋り口に、参列した人々は引き込まれた。


司教の説教が終わり、この日の為に用意された新しい金の杯と銀の杯を、エルノートとメイマナが聖水で清める。

それぞれの杯から、立会人である王と王配が、中指の指先を聖水に浸す。

王がエルノートの、王配がメイマナの額に中指を添えた。


杯を清めた二人の手を、司教がそれぞれ取ると、そっと重ね合わせた。

「出会いをお導きになった兄妹神に感謝を捧げ、お二人の縁に、多幸をお祈り致します」


式場に参列した人々から、拍手と歓声が上がった。




婚約式は祭事のみである為、式後の宴はない。

貴族院などの主要貴族とは、後日顔合わせになる。


エルノートとメイマナは揃って控室に戻った。

部屋に戻ると、エルノートが手を振って人払いしたことにも気付かず、緊張が解けたメイマナは目を閉じてゆっくりと大きく息を吐いた。

目を開けて、間近にエルノートの顔があって、ドキリとする。


冷たくも見える薄青の瞳が、心なしか熱を帯びていて、メイマナは息をするのも忘れた。


婚約成立今日まで待った。……口付けしても?」

メイマナは返事をする代わりに、エルノートの頬を両手で包んで、勢いよく口付けた。




婚約式が無事行われたことを、魔術士達が通信で各地に伝える。

今日中にはネイクーン王国全ての地域で、王太子エルノートの婚約が成立したことが知れるだろう。

又、公式な婚約として、ネイクーン王国とフルデルデ王国に繋がりを持つ国々にも伝えられることになる。




式場となった離宮の広間では、祭壇の神具を神官達が片付けている。

側で、帽子を脱いだイスタークと王が話をしていた。


王は改めてイスタークに礼を述べた。

司教が婚約式を執り行ったことで、式の格式が上がり、喜びと祝いの様相が高まった。

王太子の離縁の印象も薄れたかもしれないと、王は内心で安堵していた。


「聖職者の役割を果たしただけですが、お役に立てたのなら、幸いです」

イスタークが微笑んで言った。

そうしている司教を見ていると、ひと月前に管理官を連れて来た時の事は、何かの間違いであったようにさえ感じた。



カウティスが離れてこちらをうかがっているのに気付き、イスタークが笑みを深めた。

「カウティス王子。今日は、水の精霊は一緒ではないのですか?」

イスタークが祭服の自分の左胸を指す。

声を掛けられたので、カウティスが近付いて一礼する。

「……常に一緒というわけではありません」

「そうですか。……ああ、そのように警戒しないで下さい。水の精霊に神聖力はないことが証明されてしまったのですから、もう手出しはしません」

イスタークが焦げ茶色の太い眉を下げた。

「あの時は冷静さを欠いてしまい、今思えばとても失礼な振る舞いをしました。私もまだまだ精進が足りないようです。改めて、お詫び申し上げます」


再び会った時には、どんな手でセルフィーネを手に入れようとするのかと警戒し続けていたカウティスは、肩透かしを食らったようだった。

無表情を心掛けていたのに、思わず眉根が寄る。

「……水の精霊に神聖力がないと、認めて下さるのですか?」

その質問に、王もイスタークをうかがう。


「正直申し上げれば、私は今でも水の精霊は神聖力を持っていると思っています。ですが、管理官は“在らず”と判断を下しましたし、いくら待っても本国に神託が降りないのですから、私にこれ以上出来ることはありません」

イスタークは、神官が片付け終わった神具を運び出すのを目で追う。

「私には、聖堂建築の計画を進める、大事な務めがあります。いつまでも水の精霊にだけ、こだわっている訳にはいかないのです」



片付けが終わると、聖職者達は神殿に帰る。

聖騎士エンバーが呼びに来て、イスタークと共に王とカウティスに立礼し、広間の出口へ向かう。


カウティスの横を通る時、思い出したように立ち止まり、イスタークが言った。

「それに、落ち着いたら思い出したのですよ。本当に神聖力を持っていれば、誰であろうと、その役割からは逃れられないのだと」


イスタークの視線は上を向く。

離宮の中では、高い天井しか見えなかったが、彼の目には、更にその上の空が見えているかのようだった。


「私が何かしなくても、いつかは水の精霊も役割を果たす時が来るのでしょう」




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