婚約式 (前編)

風の季節前期月。

最終日の日の入りの鐘が鳴る前、太陽は出ているが既に薄闇の中、カウティスとラードは王城の門に滑り込んだ。


「どうなることかと思いましたが、なんとか間に合いましたね」

ラードが安堵の息を吐いて馬を降りる。

カウティスは無言で、物凄く疲れた様子で馬を降りた。




拠点で午後の一の鐘が聞こえた時、出発の時刻ギリギリまで待ったラードが、苦渋の思いでカウティスに声を掛ける為に扉を開けると、目覚めた水の精霊とカウティスが寝台で抱擁していた。

見てしまったラードは、半眼で盛大に咳払いし、マルクは目を逸らして苦笑いだった。


拠点の業務をマルクに任せ、カウティスはラードと王城を目指した。

小休憩で馬を降りると、ラードが不意に頭を下げる。

「王子、申し訳ありません。私があおるような事を言った為に、こんな事態に。王子には、王子の速度があったはずなのに……」

「よせ。そなたのせいではない。私がただ迂闊うかつなだけだ……。そのように頭を下げられると居た堪れない。叱ってくれた方が、ずっと楽だ」

カウティスが苦々しく言うと、ラードがケロリとした様子で顔を上げた。

「そうでしょう。ならば、そうします」

「……は?」


その後はなぜか、小休憩の度にラードに散々小言を言われ、何とか目が利く内に王城に辿り着いたというわけだ。

精神的に非常に疲れた。

これでラードの小突き攻撃から逃れられると思うと、カウティスの口から安堵の溜め息が漏れた。




「随分遅かったな。何かあったか?」

王の執務室に入るなり、カウティスは王にそう聞かれる。

「いえ、業務が立て込んでいただけです。兄上、本当に最速で婚約が成立しましたね」

カウティスは、まだ休む気配のない兄を見る。


婚約式の履行により、メイマナ王女はエルノートの公式な婚約者となる。

想いの通じ合った相手との婚姻が決まる、その気持ちはどんなものなのだろう。


「メイマナ王女の行動力の高さがよく分かったな」

エルノートは軽く笑って答えた。

その様子は普段通りで、明日への緊張や期待感は感じられない。

二度目だからなのだろうか。

それとも、結婚式はともかく、婚約式までは緊張したりしないものなのだろうか。

自分だったら緊張しそうだと思い、カウティスはセルフィーネと共に婚約式に立つ、自分の姿を想像した。


「セルフィーネの様子はどうだ?」

「ええ? あ、……はい。ハルミアンの協力もあって、新しい姿に馴染んできているようです」

有り得ない未来を想像してしまった途端、セルフィーネの名前を出されて、声が裏返ってしまった。

王がいぶかしげに片眉を上げたが、カウティスは視線を逸らした。


「……実は、フルデルデ王国の王配殿下から、ザクバラ国とフルデルデ王国に授けられるという、水の精霊の話を聞いたのだ」

“水の精霊”と聞き、カウティスの表情が一変する。

既に話を聞いているのであろうエルノートが、隣で重く息を吐くのを感じ、カウティスは警戒心を強めた。





日の入りの鐘から二刻ほど経って、カウティスは泉の庭園に足を踏み入れる。


今夜は薄雲が掛かり、朧月が暗闇の空に浮かぶ。

通い慣れた小道も、明かりなしでは歩けそうになく、魔術ランプをかざして歩いた。



泉には、暗闇の中、淡く光を放つセルフィーネが立っていた。

殆ど降りてこない月光を残さず吸い込もうとしているように、空に向かって顔を上げ、目を閉じていた。


「やっぱりここに来ていたな」

彼女はこちらを見て、細い絹糸の髪を揺らして微笑む。

カウティスは泉に近付くと、支柱にランプを掛ける。

黄味がかった光で、支柱の蔦と葉の彫刻が影を付け、噴水が光の粒を散らす。

セルフィーネの左腕のバングルも、光を弾いて鈍く輝いた。


「……具合は?」

「具合?……ふふ、もう平気だ。熱くもなくなった」

何故か嬉しそうに笑うセルフィーネに、カウティスが怪訝けげんそうな顔をした。

「なぜ嬉しそうなのだ」

人形ひとがたの頃から、カウティスは私の事を心配してくれる。それが嬉しい」


セルフィーネが泉の縁から足を出し、石畳に降りた。

「……心臓が止まるかと思ったのだぞ」

眉をひそめて側に寄り、カウティスはおそるおそる彼女の頬に手を添える。

「すまない。魔力干渉も以前と違って、加減が分からなかった。カウティスが触れたところが、あんなに熱くなるとは思わなくて……」

そう言うセルフィーネの長いまつ毛が揺れ、瞳が潤んで逸らされる。


カウティスが手を添えた頬が仄かに染まっているのを見て、また熱が上がるのかと焦って手を引いた。

セルフィーネが、何故か不満気にその手を見た。


「いや、俺が悪かったのだ。そなたに触れられるのが嬉しくて、……強引過ぎた。すまない」

触れようか、触れまいか、逡巡して手を握っては開くカウティスの目に、美しい魔力の層が見え始める。

セルフィーネは驚くカウティスの左手を取り、自分の滑らかな頬に当てた。

手首を絹糸の髪が撫でる。

「セルフィーネ、待て。また熱が……」

「試してみなければ、加減が分からないままだ。それともカウティスは、私に触れるのがもう怖くなってしまったか?」

セルフィーネは、潤んだ紫水晶の瞳でカウティスを見上げた。


「…………違う」

カウティスは震える熱い胸で、深呼吸する。

怖いのは、気を抜くと理性が飛びそうな自分自身だ。

己の忍耐力を試されている気分で、セルフィーネに顔を寄せた。




短い魔力干渉を終え、二人は泉の縁に腰掛けている。

「眠っている時に、初めて夢というものを見た」

カウティスの胸に頭を寄せて、まだ頬を桃色に染めたままのセルフィーネが言った。

「夢? どんな?」

「……ネイクーン王国に、降ろされた時の事を」


世界から、同胞から、ある日突然切り離され、痛みと共に地上に落とされた。

その瞬間から見える世界が変わり、重りを付けられたように自由に飛べなくなった。


「あの時は、痛くて。ただ痛くて……。だが、今なら分かる。あの痛みは、悲しいということだったのだな」

セルフィーネは身体を起こし、カウティスを見上げる。

「夢から覚めたら、目の前にカウティスがいて、安心した。……ありがとう、カウティス」

薄く微笑むセルフィーネを、カウティスはそっと抱きしめる。


セルフィーネの細い肩を抱いたまま、執務室で王から聞いた話を思い出す。


ザクバラ国とフルデルデ王国は、フルブレスカ魔法皇国にセルフィーネを“分け与える”よう申し出たのだという。

カウティスははらわたが煮えくり返る思いだった。

ふざけた話だ。

精霊に対する認識がネイクーンとは違うのだとか、他国の事情など知ったことではない。

ただただ、腹が立った。

セルフィーネの口から、ネイクーンへ落とされた時の話が出て、その痛みや悲しみが如何いかほどだったのかと想像すれば、更に怒りが増した。


皇国が与える“水の精霊”がどういうものか分からないままだというが、フルデルデ王国は嘆願を取り下げるという。

そうなったら、皇国はどうするつもりなのか。

何故ネイクーンには何も知らされないのか。

そして、ザクバラ国は。


カウティスは不穏な気配を感じたまま、セルフィーネには気付かれないよう、優しく肩を抱いていた。





風の季節後期月、初日。

ネイクーン王国では、朝から王城だけでなく、城下でも祝いの雰囲気に溢れていた。


王太子エルノートは、国民から王以上の人気を誇る。

フェリシア皇女と離縁した時には、皇国の後ろ楯を失くすのではと懸念されたが、皇帝からの擁護は変わることはないようだった。


今回、婚約者となるメイマナ王女は、南部との繋がり深い隣国の王女だ。

しかもそのフルデルデ王国は、ネイクーン王国が国難の折、度々支援の手を差し伸べてくれた国で、ネイクーン王国民からの支持も高い。

また、土の季節に慰問に訪れたメイマナ王女をエルノート王太子が見初めたと、今、城下では二人をモデルにした恋物語の読物が多く出回っている。

それが女性の間で流行りに流行って、メイマナ王女の人気は急上昇中なのだった。




エルノートは、自室で婚約式の衣装を着て、身支度を整えていた。


白い詰襟の襟元から胸にかけて、メイマナの瞳の色と同じ錆茶色と、金の糸で、複雑に刺繍が刺されている。

マントも同じく白で、裾に刺繍されてあった。

肩から掛かる大綬だいじゅは、メイマナの肩布と同じ洋紅色だ。


侍従に衣装を整えられながら、エルノートは細く長く息を吐く。

近衛騎士の正装で、数歩分離れて立っているカウティスは、思わずくすと笑ってしまった。


「何だ?」

「いえ、兄上も緊張なさるのだなと思いまして」

拳を口元に当ててそう言えば、エルノートは苦笑して耳を掻いた。

金に近い銅色の髪が、ふわりと耳の上で弾む。

「そうだな。特に気負いはないと思っていたのだが……。いざ今日だと思ったら、落ち着かないものだ」


初めて自分が隣に立って欲しいと願った女性が、今日から正式にその場所に立つ。

喜びと共に、その責任も感じる。

彼女が隣に立つに相応しい王太子に、王にならねばならない。



準備を終えて、婚約式の会場である祭事用の離宮へ向かう。

先に立って歩き、カウティスが控室に入ると、既に控室に入っていた王と側妃マレリィがソファーに座り、その側にセイジェが立って笑みを浮かべた。

「なんだ、緊張しておるのか?」

カウティスと同じような問い掛けをする王に、エルノートと二人で苦笑していると、侍女が声を掛けた。

「式を執り行う司祭様が、ご挨拶したいと仰っております」


婚約式は、兄妹神に婚約の誓いと報告を行う祭事で、式を執り行うのは司祭以上の聖職者だ。

城下のオルセールス神殿の司祭は、祭事で何度も顔を合わせていて、近くは収穫祭の祭事でも登城していた。



控室に入ってきた司祭は、集まっている王族に挨拶と祝辞を述べた後で言った。

「王太子殿下、今回の婚約式は、司教猊下が執り行って下さいます」

そう言って、後から入ってきた小柄な男を促した。


「皆様、お久しぶりです」

司祭の後ろから姿を見せたのは、イスターク司教だった。





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