昏倒
今日の執務を終え、居住建物に戻ったカウティス達に、ハルミアンは自分がセルフィーネに触れられることを明かした。
それによって、セルフィーネが実体化するのは妖精界であることがはっきりした。
ハルミアンとマルクは、今後の可能性について議論し始めている。
カウティスは、胸の疼きを堪えるので精一杯だった。
以前ハルミアンから、進化の可能性について話をされた時、セルフィーネが自分と同じ人間界ではなく、ハルミアンと同じ妖精界に姿を現そうとしているのだということは理解していた。
そうなればあの使い魔のように、カウティスには触れられなくても、ハルミアンには触れることが出来るのではないかと、漠然と考えもしていた。
だが、実際それを目の当たりにすると、羨ましくて仕方がない。
しかも何故か、ハルミアンが当たり前のようにセルフィーネを名前で呼んでいて、彼女がそれを受け入れている。
カウティスの胸の奥がチリチリと焼ける。
セルフィーネが自分を一番に想ってくれていることは、もう充分に分かっている。
彼女と自分の大切な仲間が、当たり前のように共に過ごす、奇跡のような関係を幸せに思うのも本当だ。
だが同時に、彼女の全てを独占したい気持ちも本当なのだ。
このジレンマが、カウティスの胸をより疼かせる。
黙っているカウティスの顔を、セルフィーネが覗き込む。
カウティスは黙って微笑みを返した。
明後日の、王太子エルノートとフルデルデ王国のメイマナ王女との婚約式に参列する為、カウティスとラードは、明日の午後、拠点を出て王城へ戻る。
夕食と明日の確認も終える。
マルクとハルミアンはまだこれから議論を続けるようだし、ラードは明日以降の確認に出て行った。
それでカウティスは一人、早々に自室に籠もった。
「カウティス」
当然のように付いて来たセルフィーネが、するりとカウティスの前に回り込んで、心配そうな顔で彼の頬に手を伸ばす。
「……すまない。自分の狭量さに、自分で呆れてる」
カウティスは、彼女の髪に手を挿し込んでみた。
サラサラと揺れる絹糸の髪は、僅かにひんやりとした空気を感じるだけだ。
「どうしても、妬いてしまうのだ。頭では分かっているのに。どうしても……そなたを独り占めしたいと思ってしまう。どうして俺は……」
小さく、情けないと呟くカウティスを見上げ、セルフィーネはゆっくりと目を瞬く。
「……私も……」
漏れ出た言葉が消え入るようで、彼女は逡巡して口を閉じてしまった。
カウティスは不思議に思って言う。
「セルフィーネ、言いたいことがあるなら、何でも我慢せずに言って良いのだぞ?」
セルフィーネは尚も
「……私も同じだ。カウティスを……カウティスの全てを私だけのものにしたい。……この気持ちも、情けないことなのか?」
「……っ」
カウティスは堪らずセルフィーネを抱き締める。
「情けなくなんかない。俺は、もっともっと、そなたにそう思って欲しい」
彼女の望みを引き出したいのに、自分の願望が口から溢れる。
「それなら、カウティスも情けなくないな」
胸でセルフィーネが小さく笑った。
胸をくすぐるその小さな響きに、カウティスは身体中の血が沸騰しそうだった。
今すぐセルフィーネを掻き抱きたくて、余裕なく彼女の頭上から乞う。
「セルフィーネ、魔力干渉したい。今すぐ」
セルフィーネが胸から顔を上げて、カウティスの熱を帯びた青空色の瞳を見つめた。
美しい魔力の層が見え始めると、カウティスはセルフィーネの頬に触れる。
僅かにひんやりとした滑らかな肌が、カウティスの指に触れたところから、薄い桃色に色付いていく。
両方の掌で彼女の両頬を包み込めば、見上げる紫水晶の瞳が熱を帯びて潤んだ。
「好きだ」
低く呟いて、答えようとする彼女の唇を自分の唇で塞ぐ。
この姿に変わってから初めての魔力干渉は、今までのものとはまるで違った。
触れる感触も、頬をくすぐる息も、その甘さも、以前よりはっきりしていて、カウティスの胸を突き上げる。
カウティスは、夢中でセルフィーネを強く抱き寄せ、彼の求めに応じる薄い唇を
触れれば触れる程、ひんやりと感じていた彼女の肌が熱を帯びていくことに、頭の芯がクラクラした。
他の誰も、例えハルミアンでさえも、自分以上に彼女に触れることなんて出来ない。
その事実を実感して、カウティスの身体は更に熱くなった。
セルフィーネは俺のものだ。
俺だけの……。
ドレスの
吸い付くような柔らかな弾力が心地よく、そのまま素肌に指を滑らせた。
ドレスの柔らかな布の質感が、より現実的に彼女の存在を感じさせて、カウティスは肩に掛かる布を引く。
露わになった彼女の陶器のような肩に、その形を確かめるように掌を添わせた。
「…………カウティス、待って。……待って……熱い……」
離した唇から、セルフィーネの吐息のような、細く震える声が漏れる。
血が上っていたカウティスには、その声さえも耳に甘く甘く響いた。
喉を鳴らして、腰に回した腕に力を込める。
淡く色付く白い首筋に唇を寄せ、そのまま、素肌を
「あー……、駄目だ、マルク。これはちょっと、話に集中できないや。続きは、また明日にしよう」
少し前から気が散っている様子だったハルミアンが、手で顔をパタパタと仰ぎながら立ち上がる。
「どうかしたの?」
マルクが不思議そうに問えば、ハルミアンは何故か少し頬を染めて、手を振る。
「もー、昼間ラードが王子を
マルクは何の事か分からず、首を傾げた。
同じ建物内にいたら、ハルミアンにはカウティス達の声が聞こえてしまうのだ。
普段は誰の会話も頭に入れないように、意識して右から左へ流しているが、あんな色気のあるものが聞こえたら、嫌でも気になる。
そんなつもりはなくても、盗み聞きしているようで居心地が悪い。
ブツブツ言いながら、ハルミアンは外に出る為に扉に向かう。
「セルフィーネ!!」
突然、カウティスの部屋から悲鳴の様な声が聞こえ、ハルミアンは振り返った。
マルクも急いで立ち上がる。
一拍おいて、隣の部屋の扉が開いて、ラードが走り出てきた。
「王子、どうしました!?」
カウティスの部屋の扉の前まで行き、ノックする。
「ハルミアンを呼んでくれ!」
中から、切羽詰まったようなカウティスの声が聞こえて、ハルミアンがいることを確認したラードが扉を開けた。
部屋には、板間に薄紫の滲む水色の髪を散らし、横向きに力無く四肢を投げ出して、白い身体を赤く染めたセルフィーネが倒れていた。
触れることが出来ず、側で膝をついたカウティスの顔は蒼白だった。
風の季節前期月、最終日。
メイマナは離宮で、明日の婚約式に着るドレスの最終確認をしていた。
婚約式のドレスは、まだ母国仕様だ。
胴を絞らない両肩を出したドレスは、婚約者であるエルノートの瞳と同じ、涼し気な薄青色だ。
片方の肩から、金糸で縁取られた幅広い洋紅色の肩布を掛け、薄青色の薄布を何枚も腰から垂らす。
薄青が何重にも重なって、エルノートの瞳が情を含んだ時のように、不思議と温かみも感じる深い色合いに見えた。
「綺麗だよ、メイマナ」
うっとりと言ったのは、ソファでお茶を飲んでいるフルデルデ王国の王配だ。
メイマナが見ている姿見鏡に、後ろから写り込んで頷いている。
「なぜ父上がここにいらっしゃるのですか。せっかくネイクーン王国にいらしているのですから、こちらの方々と外交なさって下さい」
ぷぅと頬を膨らませ、メイマナが王配を軽く睨んだ。
「ちゃんとやってますよ。でも、娘の晴れ姿を見るのも大事でしょ」
「明日の本番で見て下さいませ!」
当然のように言う父に、メイマナは顔を
「はあ……。ようやくネイクーンへ戻って参りましたのに、恥ずかしい再会から、王太子様に全然お会いできません」
メイマナは溜め息混じりに言った。
実際は、挨拶程度には会っているが、他の王族が一緒の時ばかりで、二人きりでは会えていない。
再会した途端に抱きしめられて、この上なく胸がときめいたというのに、その後が最悪ではないか。
高まった気持ちが、尻すぼみに消されてしまったようで悲しい。
「…………呆れられてしまったのかしら」
悲しくて、思わず消極的な言葉が出てしまった。
「そんな訳ないでしょう」
王配がコクリとお茶を飲んで、メイマナ同様に美しい所作でカップを置く。
「王太子殿下は、メイマナのことを大切に思っておられるよ」
父の思わぬ言葉に驚いて、メイマナは錆茶色の目を瞬いた。
「今朝も私に、わざわざ一人で挨拶に来られたよ。そなたに会わずに戻られたのは、私の気持ちをお気遣い下さったからだろう」
おそらく、『婚約式までは触れ合い禁止』だと言ったので、それを守っているのだ。
愛娘を嫁に出す父を
「馬車から降りた時の様子を見るに、二人で会えば、触れたくなるのを分かっておられるのだろうね? 真面目で、律儀な方だ。……良い方を選んだね、メイマナ」
王配は眉を下げ、少し寂しさの滲んだ笑顔を見せる。
反対にメイマナの頬が緩み、何とも幸せそうな表情になった。
「ありがとうございます、父上。何より嬉しいはなむけの言葉ですわ」
『はなむけの言葉』と聞いて、王配の顔がみるみる歪んだ。
「あ~、やっぱりお嫁に行かないでメイマナ〜」
ドスドスと走り寄って、泣きそうになりながら縋る父に、メイマナは脱力する。
「もう! 父上ったら!」
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