清める者

王城では、フルデルデ王国の王配とメイマナ王女が、ネイクーン国王との謁見と、その後の晩餐会を終えた。


王配はメイマナさえ絡まなければ、物腰柔らかでいて堂々とした振る舞いで、ネイクーン王族と交流した。

愛娘を他国へ嫁にやる、寂しい父親という点で王と意気投合し、最終的に晩餐会の後に別室で王と杯を交わしていた。




「水の精霊を、分ける?」

王が傾けかけていたグラスを戻す。

「そうです。私は貴族院と共にザクバラ国貴族の接待にも当たっておりましたが、嘆願を送る話が纏まる頃には、そういう方向性になっていました」

ソファーにゆったりと座った王配は、ふっくりした両手でロックグラスを揺らしていたが、ちらりと目線を上げた。

王の青空色の瞳には、険しい色が滲んでいる。


「ザクバラ国は、ネイクーン王国の水の精霊に何故あれ程執着するのでしょう。貴国に水の精霊が授けられてから、同様の嘆願をする国は多かったはずですが、全て皇国に退けられています。しかしどの国も、その必要性の相違に、納得せざるを得なかったと聞きます」


何かしらの助力を求め、フルブレスカ魔法皇国に、水の精霊に限らず他の精霊を与えて欲しいと嘆願はあった。

だがネイクーン王国は、火の精霊によって人が安息出来ない土地を抱えていたからこそ、水の精霊を授かった。

人間が興した国に、他にそういう場所はなかったので聞き入れられなかった。

それだけだ。


「ザクバラ国だけは、何故か諦めない。ベリウム川を貴国と共に有するからかと思っていましたが、そういう風でもない……」

王配はくるりとグラスを回して、王を上目に見る。

「ザクバラ国は、未だネイクーン王国我が国を敵国と見ているのでしょう。国力を削ぐには、国益であり、国の守護でもある水の精霊を弱めることが重要だと考えているのかもしれません」

王は太い眉を寄せ、細く息を吐いた。


「確かにザクバラ国は、ネイクーン王国の水の精霊が、強力な護国の魔力を持つ守護者のように言いました。しかし、メイマナは、まるで乙女のようだと表現しました。実際のところ、貴国の水の精霊とはどのようなものなのでしょう」

王配が王の表情をうかがう。

王は、しばらくグラスを揺らして、黄味がかった透明の酒が波打つのを見ていた。


「……精霊というものは、世界を支える魔力だと言います。私もこの国で生まれ育ち、水の精霊とはネイクーンを支える、そういうなのだと思っていました。ですが最近は……、どう表現したものか……」

王は視線をグラスに向けたまま、ふと小さく笑う。

「おかしなことに、今は時折、家族のように感じることがあるのです。国を、民を、共に想う王族の一員のような……」

上手く言えませんと、王が口の中で呟き、目を伏せる。


二国の嘆願は、ネイクーンとしては非常に腹立たしい物だが、二国間の外交の話に通じる内容で、私的に酒をたしなむこの場では、個人的な気持ちを述べることしか出来なかった。



フルデルデ王国我が国からの嘆願は、早急に取り下げましょう」

王配が空のグラスを置き、きっぱりと言った。


「そもそも、他国のものを羨んで欲しがるなど、我が国の気風にそぐわないのです」

フンと軽く鼻を鳴らす王配の言葉に、フルデルデ女王の気質が想像される。

「……貴国はそれで良いと?」

王は目を瞬いた。

「他国のを“分ける”など、あってはならないと考えます。それに、メイマナ愛娘が縁を結ぶ貴国とは、より良好な関係を築きたいと願っているのです」

王配は少ししょんぼりと眉を下げる。

「……娘に嫌われたくありませんし」


王は笑いながら、軽く同情を込めて王配のグラスに酒を注いだ。





風の季節前期月、六週四日。


昼の休憩を終えたカウティスは、ラードとマルクと共に、午後から修復途中の神殿を含む、南側の町村へ視察に出る準備をしていた。


「西部の司祭を城下へ?」

カウティスがラードに聞く。

「はい。代わりに、西部には新しい司祭が来るとか。聖女様と一緒に、城下の神官がフルデルデ王国へ移動したので、それに伴う人事異動だと言ってましたが、どうでしょうね? そろそろ聖堂建築への足固めを始めるつもりなのかもしれません」


西部の内地にある神殿で、それらしい話を聞いたらしい。

国境地帯に聖堂を建てるという話が出てから、ラードはオルセールス神聖王国の動向にも注意しているようだ。


「そういえば、最近は神聖王国からの馬車の出入りが多いと聞いています」

マルクも頷く。

オルセールス神聖王国の強引な聖堂建築案には、フルブレスカ魔法皇国の貴族院が間に入った。

神聖王国からの早急な要求はなくなったようだが、これからどう出てくるのかは分からない。





「行ってくる。また夜にな」

カウティスが声を掛けると、彼等が準備する様子を黙って見ていたセルフィーネが、微笑んで頷く。


今日の休憩も、セルフィーネがカードをやってみたいというので、昨日と同じように皆で机を囲んだ。

何度かラードに協力してもらって、最後にセルフィーネ一人で一勝をもぎ取り、楽しそうに笑っていた。



「水の精霊様は、お可愛らしい方ですね」

建物を出て歩きながら言ったラードを、カウティスは横目で睨む。

「この前まで恐がっていた奴が、何を言っている」

「あくまでも一般論ですよ。正直に言えば、目に見えない魔力だの魔術だのは、今でも恐ろしいです。どうやっても自分一人では対応出来ませんからね」


ラードが魔力や魔術に対して思うことは、魔術素質がないカウティスも同様に感じていることだ。

どう努力しても、魔術士やエルフのようには関われない。

もどかしくもあり、手に負えないことが恐ろしさにも繋がる。

マルクはそういった評価をされることに慣れているのか、緑のローブを揺らして、申し訳無さそうな顔をしただけだった。



「それにしても、以前は分かりませんでしたが、今は王子が初恋をこじらせた理由が分かりますよ」

ラードがうんうんと頷く。

「初恋をこじらせた?」

マルクがラードに向き直って尋ねる。

「子供の頃の初恋が水の精霊様でしょう? あの方がお相手では、そりゃあ十何年間も現実の女に目が向かないのは、仕方ないってもんでしょう」

「いい加減なことを言うな!」

カウティスが振り返って噛み付くと、ラードは肩を竦めて眉を上げた。


「初恋かぁ。では、初恋同士が実ったということですよね」

マルクが呟いた一言で、カウティスはドキリとした。

「初恋同士?」

「はい。どう見ても、水の精霊様もカウティス王子が初恋ですよね。王子を見る時の水の精霊様の瞳といったら……」

マルクは思い出して夢見心地だ。


セルフィーネの初恋が自分だと言われて、じわじわと喜びが込み上げる。

考えたことはなかったが、彼女の初めての気持ちを自分が占めているのだと思うと、急に鼓動が早くなった。

耳が熱い。



耳朶や首筋を赤くするカウティスに、ラードが溜め息をつく。

「まったく、それ程想っているのに手が出せないとは、もどかしいですね。健全なんだか不健全なんだか」

「なっ、何を言う」

カウティスの声が上擦ると、ラードが大袈裟に首を振った。

「だって、夜更けに二人だけで過ごしたりしてるわけでしょう? 健康な男子なんですから、耐えるにも限界がある。こうなると早く進化とやらが進んで、水の精霊様が実体を持って下さる事を願いますよ。非常に王子が気の毒だ」

「…………。」

「わっ、待って下さい、王子! 剣は駄目ですって!」

顔を真っ赤にして、目が据わったカウティスが腰の長剣の柄を握るので、マルクが慌てる。


ラードは不味いとばかりに、脱兎のごとく厩舎の中に駆け込んだ。




「子供みたいに、何騒いでるんだか」

広間の窓際で、尖った耳をピクリとさせてハルミアンが笑う。

「何か聞こえたのか?」

上空に戻ろうとしていたセルフィーネが、首を傾ける。

「勝手に喋ったら怒られそうだから、内緒」

長い指を唇に当てて、ハルミアンは反対の手でセルフィーネの頭を撫でた。


ハルミアンの指は、セルフィーネの絹糸のような髪をいた。

温かみのある長い指が自分の頭に触れ、髪をく感触に、セルフィーネは目を見張った。


「やっぱり。君は、妖精界で固定されつつあるんだね」

「妖精界で……」

「そうだよ。使い魔だけじゃなくて、僕にも触れられるようになってるから」

ハルミアンがセルフィーネの手を取ると、カウティスに触れるのとは違って、ふわりと温かみを感じる。

くっと力を込めると、掌の強い弾力もあった。

「進化が進めば、王子ともこうやって触れ合えるね」

セルフィーネがほんのりと頬を染め、瞳を美しく潤ませると、ハルミアンは微笑んだ。


「とても綺麗だよ、水の精霊。いや、もう水の精霊と呼ばない方がいいのかな」

もう、水の精霊ではないと言われた気がして、セルフィーネはピクリと身体を震わせる。

「……進化するのは怖い?」

セルフィーネの手を握ったまま、ハルミアンは彼女の瞳を覗き込む。

「……自分が変わってしまうのは、怖い」

「そうだよね……」


長い長い時を、変わらぬまま過ごしてきたのだから、急激な変化が恐ろしくないはずはないだろう。

いや、長い間変化をせずに存在したからこそ、変化は恐ろしい。

数十年の人生を、驚く程の速さで成長して終えてしまう人間には、この感覚は分からないかもしれない。

セルフィーネ程ではなくても、長命のエルフであるハルミアンには、その恐ろしさが少し理解出来た。


しかし、何か大きな出来事がない限り、もう進化の流れは止められないだろう。



「じゃあ、僕が付き合うよ」

「え?」

セルフィーネが目を瞬いた。

ハルミアンの深緑の瞳が、キラキラと美しい輝きを見せる。

「同じ妖精界に住まう者として、長い命を持つ者として、君の側で進化を最後まで見届ける。何があっても、君の味方でいるよ。一人くらいそういう者がいれば、君も少しは安心じゃない?」

ハルミアンが肩を上げて、ふふと笑う。

「どうして、そんな風にしてくれるのだ」

「ほっとけない妹が出来たみたいな気分なんだ。……それに、何だか僕は、君達のことが好きみたい」


『君達』と言ってくれたハルミアンが笑うのを見て、セルフィーネも自然と笑みを零す。



「君のこと、名前で呼んでも良いかな?」

ハルミアンが手を離して、セルフィーネに尋ねる。

セルフィーネはコクリと頷いた。


「セルフィーネ。君の名前は、エルフの古い言葉で、“清める者”という意味なんだよ」





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