変化の流れ

日の入りの鐘が鳴って、二刻は経った。


カウティスは冴え渡る月光の下、花壇の小道を通り抜けて、泉の庭園に出た。



泉には、セルフィーネが空を見上げて佇んでいる。

「セルフィーネ」

カウティスが呼ぶと、彼女は視線を下ろして微笑む。

「ここにいると思った」

カウティスの言葉に、彼女はふふと笑う。

「どんなに変わっても、やはりここが私の場所のような気がして、気が付けばここに来ていた」

「俺もだ。この場所で見るそなたが、一番そなたらしい気がする」


水が側になくても姿を現せるというのだから、呼べば部屋ででも会えたのだろうが、王城でセルフィーネと会うと思うと、自然と泉の庭園に足が向いた。


カウティスが泉の側で手を伸ばせば、そっとその手を取り、白い足を差し出して、彼女は泉の縁から石畳に下りた。

セルフィーネが泉から下りるという行動に、思わず言葉を失くして見入ってしまう。

下から見上げて微笑まれ、微笑みを返しながら、彼女が本当に変わったのだと感じた。




セルフィーネは小さな庭園の石畳を、一歩一歩、確かめるようにゆっくりと歩いた。

花壇の側まで来ると、細い指先で黄色の小さな花弁を撫でる。

花弁が指の動きに合わせてそっと揺れて、カウティスは目を見張った。

「……触れられるのだな」

「物には触れられるようだ。……でも感触はよく分からない」

「分からない?」

セルフィーネはコクリと小さく頷く。

「何を触っても、“触っている”ということは分かるが、固いのか柔らかいのか、冷たいのか熱いのか、よく分からない」


それはどういう感覚なのだろう。

カウティスが実体のないセルフィーネに触れて、なんとなく空気の密度が濃く感じるような、そういう感覚なのだろうか。

「ハルミアンに聞けば分かるかな」

カウティスがそう呟けば、セルフィーネはカウティスを見上げる。

「……カウティスの感触なら、触れられなくても分かる」

そう言って、セルフィーネは細い指をカウティスの掌に添わせる。

「どんな感触か、ちゃんと覚えているから」


カウティスが握り締めると、その手はハルミアンの使い魔のようにすり抜けるが、あの時のような不快感はなく、僅かにひんやりと感じた。

ただそれだけでも、今まで全く何も感じなかったことを考えれば、じわりと幸せな気持ちが湧いた。



「父上に言われた事を、気にしていないか?」

カウティスは、月光に照らされた花弁を慈しむように撫でているセルフィーネに声を掛けた。

創られた人形ひとがたではなく、自分の姿を手に入れたのに、人目にさらすなと言われて、彼女はどう思ったのだろう。


人形ひとがたは王族にしか見えなかったのだから、今までと同じ事だ」

セルフィーネは事も無げに言う。

「それに、望みは叶った」

左手首に揺れる、薄い飴色のバングルを誇らしげに掲げて、セルフィーネは幸せそうに微笑んだ。


そんな小さな願いを叶えて微笑む彼女に、カウティスの胸は強く掴まれる。

もっと、願いを口にさせてやりたい。

もっと、喜ばせてやりたいのに。


「ただ、ガラスの小瓶に姿を現せなくなったのだけは残念だ」

セルフィーネは、カウティスの騎士服の左胸に掌を当てる。

どこにでも姿を現せるようになったが、小さな姿になることが難しいらしい。

出来たとしても、姿を現せば誰にでも見えてしまうのなら、今までのように、常に胸に添っているわけにはいかないだろう。

「また、カウティスの胸に添いたかった」

胸に手を当ててそんなことを呟かれ、カウティスは堪らずセルフィーネを抱きしめた。

「こうして添えば良い」

言葉と共に吐かれる息が熱い。


本当はカウティスも、セルフィーネが小瓶に姿を現せないと知って、残念に思った。

だが、こうして彼女を腕の中に入れてしまうと、そんな思いは何処かへいってしまう。

まだまだ確認しておきたいことも、話したいこともあったはずなのに、血が上って頭が回らなくなってしまった。



僅かな重みが、全てを預けて胸に添う。

うるさい程に強く打つ心臓の音が、腕の中の彼女に聞こえてしまわないだろうか。

カウティスは回らない頭でそんなことを考えながら、ただ二人で月光を浴びた。





王の執務室には、エルノートが残り、騎士団長バルシャークと宰相セシウムを交えて話をしていた。



「能力的には変わらないといっても、あの姿はどうだ……。いっそ、ミルガンに水の精霊の幻でも作らせるか?」

王が頭を抱えてブツブツと言う。

「元々王族我々以外に見えていないのですから、幻など意味がないでしょう」

エルノートが呆れたように返すと、ようやく顔色の戻ったセシウムが口を開く。

「……しかし、水の精霊様があれ程美しい見目をされているとは知りませんでした。十八代アブハスト王が、水の精霊様によって堕落されたというのも、あながち間違ってはいないのかも……」

「セシウム殿」

バルシャークの太い声で遮られ、セシウムは慌てて咳払いした。

「申し訳ありません。不遜な発言でした」

まだ動揺が残っているのか、セシウムにしては乱暴な物言いだった。


エルノートが僅かに眉を寄せる。

「水の精霊は今までも充分美しい容姿だったが、どちらかといえばガラス人形のようだった。……変化して、あれ程になったのだ」

「確かにあのお姿は、なまじ人の目に触れさせてはならぬものでしょうな。魔術素質がないからでしょうか。美しいだけではなく、周りに漂う気のようなものに呑まれそうで、恐ろしくもある……」

壁際に立ったバルシャークが、深く息を吐いて言った。

胆力のあるバルシャークでさえ、その評価だ。

セシウムが目線を上げられなかったのも頷ける。


「恐れるのならばまだ良い。ただ強く惹かれてしまえば、そちらの方が厄介だ」

エルノートが険しい顔のまま言う。

「とにかく、水の精霊の変化を外に漏らしてはならない。……特に竜人族には知られないようにすべきだ」


これ以上変われば、水の精霊を放ってはおかないと言われたのが二ヶ月程前の事だ。

既にそれから、水の精霊は、精霊でありながら神聖力を手に入れるという、前代未聞の事を成している。



「隠し通すしかないのか……。あああ!」

王が執務机に突っ伏して、ガシガシと明るい銅色の頭を強く掻く。

「長く続いてきたネイクーンの歴史で、なぜ今だ。なぜ我等の代で、このように頭を悩ませる事ばかり起こる!?」

譲位後の隠居生活を楽しみにしたいのに、全くそんな雰囲気にならない。

そもそも、このまま譲位出来るのかという不安さえよぎってしまう。


屈強な体躯を揺らして、バルシャークが可笑しそうに笑った。

「“なぜ、私がこんな目にあわねばならないのか?”……生きていれば、誰もが必ず一度は持つ疑問でしょうな」

エルノートがピクリと指を震わせる。


「陛下、誰でもその時々に、何かしら悩む事態が訪れるものです。今は、時世時節が変化の流れだというだけではないですかな」

王が身体を起こし、半眼になってバルシャークを睨む。

「どの道、出来ることをやるだけだと言いたいのだろう。言われずとも分かっておる」

「ははは。憂さ晴らしなら、いつでも付き合いますぞ」

バルシャークが剣を振る真似をするので、王は盛大に顔をしかめた。

「阿呆。そなたと手合わせしたら、身体がいくつあっても足りぬわ」



エルノートは小さく笑う。

王とバルシャークのやり取りを聞いていると、強張っていた身体の力が抜ける。

これから先、国益である水の精霊の事も、自分が背負わねばならないと、どこか気負っていたのだろうか。


さっきまでセルフィーネが立っていた辺りを見て、エルノートの胸に悔いる気持ちが湧く。

その魅力姿を恐れるあまり、懸念が先に立った対応をしてしまった。

だが、今の水の精霊には感情がある。

表情なく目を伏せた彼女は、恐れを含んだ目にさらされて何と感じたのだろう。


「……何か他に、言ってやれることは無かったか……」

エルノートは小さく呟く。


せめて何か、一言掛けてやれたら良かったかもしれない。

そう思って視線を上げると、見守るようなバルシャークの視線とぶつかった。

「優しくなられましたな」

「………………私がか?」

思わぬ言葉に、エルノートが驚いて目を瞬けば、バルシャークだけでなく、父王とセシウムも僅かに笑んで視線を寄越していて、面映おもはゆい気持ちになった。




「メイマナ王女がこちらに来るのは、来週中頃か。セシウム、婚約式の準備はどうだ」

王が視線を上げて聞けば、普段の調子を取り戻したセシウムが頷く。

「滞りなく準備出来ております」


フルブレスカ魔法皇国から、国家間婚の許可が下りてすぐ、フルデルデ王国から親書が届いた。

婚約式はネイクーン王国でのみで行い、メイマナ王女がネイクーン王国へ越してすぐに行うことを希望する、とのことだった。

メイマナ王女の勢いは血筋なのか、女王もなかなかにせっかちだ。


メイマナ王女が帰国する際、早く婚約を成立させたいという希望を聞き入れていたので、居住区にメイマナ王女の居室の準備をすすめていたし、婚約式の段取りも始めていたのは幸いだった。



「まさか、本当にここまで早く成るとは思っていませんでしたが」

エルノートが苦笑するのを見て、王はこっそり視線を逸らす。

エルノートには伝えていないが、フルデルデ女王は更に先の事も責付せついいてきた。


曰く、『両国の架け橋になる外孫を、一刻も早く見たい』


後継が早く欲しい王としては、向こうから許可を出してくれて、願ったり叶ったりだ。



何やら企んだように笑っている王に、エルノートが訝しんで薄青の瞳を細めた。

王は更に笑みを深めて言う。

「エルノート、吉事は待ったなしだ。覚悟しておけよ」





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