弱点

ネイクーン王城の王の執務室には、王族と宰相セシウム、魔術師長ミルガン、騎士団長バルシャークが揃う。


カウティスの要請で、侍従や文官に限らず、近衛騎士や護衛騎士も人払いされた室内で、ハルミアンが語る世界の成り立ちと進化の概要に、全員が難しい表情で聞き入った。


ネイクーン王国の水の精霊が、急速に変化している、という内容の締め括りでハルミアンが口を閉じると、室内はしんと静まり返った。




「……途方もない話で、私の頭では殆ど理解が追い付かないのですが、とにかく、水の精霊様が何やら変わられたということなのでしょうかな?」

最初に口を開いたのはバルシャークだった。

筋肉質な腕をゆっくりと組み、眉間には深く溝が出来ている。


カウティスは、マルクを呼べば良かったかと少し後悔した。

ハルミアンの話は的確なのかもしれないが、魔法士のエルフ故か、魔力や世界の成り立ちといった話に特化していて、魔術素質もなく、魔術初歩的な座学しか学んでいない者には、非常に分かりづらいものだった。

以前にマルクから話を聞いていなかったら、きっとカウティスもバルシャークのような反応になっただろう。


「まあ、そうですね」

ハルミアンはハルミアンで、バルシャークのような反応があっても気にしていないようだった。

理解出来る者が理解すれば良い、と思っているのかもしれない。

実際、ミルガンやエルノート、セイジェは難しい表情で考えている。


「後は、実際に水の精霊に会ってもらえばいいんじゃないですか?」

ハルミアンがカウティスに向かって言った。

「……そうだな。父上、セルフィーネを呼びます」

皆が驚くのは分かっているので、せめて説明してからと思い、セルフィーネは上空うえに待機してもらっていた。



「セルフィーネ」

カウティスが彼女を呼ぶ。

執務机の上に置かれた銀の水盆に、皆の視線が集まる。

しかし、水盆の水には波紋すら出来なかった。

代わりに、カウティスの隣に青白い光の粒が降り、撚り合わさるようにして人の形を作った。


一瞬の輝きの後、人間と同じ大きさで、輝きを増したセルフィーネが絨毯の上に立っていた。

その身体は、向こうが透けることはないが、淡く光を帯びている。


いつも通り小さな水柱が立ち上がると思っていた皆は、突然カウティスの隣に現れた、並外れた美しい女性の姿に、言葉を失って目を剥いた。

セルフィーネの人形ひとがたを見慣れていた王族でさえ、その変わりように言葉も出ない。



「…………セルフィーネなのか……?」

革張りの椅子から腰を浮かし、凪いだ水面の水盆とセルフィーネの姿を見比べて、ようやく掠れた声で王が尋ねた。

「私だ」

小さく頷いて、今までと変わらない声でセルフィーネが答えた。


カウティスの側に立っていたエルノートは一歩下がり、離れていたセイジェとマレリィは口を押さえている。

唯一、ミルガンだけは震えるように深呼吸して、慇懃いんぎんに立礼した。

口を開けたまま固まっていたセシウムとバルシャークが、青くなったり赤くなったりしながら、ミルガンに続いてぎこちなく立礼した。




「とても綺麗でしょう? エルフの女性でも、なかなかこんな美人はいませんよ」

誰も言葉を発さないので、ハルミアンがニッコリと笑って軽口を挟んだ。


「……セルフィーネ、そのように変化して、国内の水源に影響はないのか」

一番早く自分を立て直したエルノートが、セルフィーネに尋ねた。

「ない。今まで通り国中を見渡せる。水源を保つことも、火の精霊の影響を抑えることも出来る」

セルフィーネは直立不動のままで、静かに答えた。

は、変わっていないのだな?」

「……むしろ強くなったかもしれない」

神聖力とは言わずにエルノートが続けた質問にも、微動だにせず答える。


まるで生きてそこに実体として存在するかのような姿と、より血の気の通った美しい見た目におののいたが、その声と物言いは、以前のセルフィーネと少しも変わらない。

王族達は少しずつ落ち着いてきた。



「……変わったものは、今更どうこう言っても仕方がないな」

複雑な顔で王が息を吐いた。


「セルフィーネ、水柱を立てられるのか」

聞かれて、セルフィーネは視線を水盆に向ける。

特に身体を動かさなくても、その視線ひとつで水盆に小さく水柱が立った。

「では、王族にだけ姿を見せ、他に隠すことは?」

「出来ない。姿を現せば、その場にいる者には見えるだろう」

ハルミアンの使い魔と同じならば、そういうことになるのだろう。


王は頷いた。

「そうか、それならば、これからも今まで通り水盆に水柱を立てよ。ネイクーン王国の水の精霊は、王族以外には見えぬままということにして、その姿を王族以外にさらすな」

セルフィーネは表情を変えない。

「父上、何故ですか? 姿は変わっても、セルフィーネは水の精霊としての役割から何ら外れておりません」

カウティスが王に迫るが、王は溜め息混じりに首を横に振る。

「セルフィーネが充分役割を果たしてくれている事は分かっておる。……そんなことを言っているのではない」

「それでは、何故!?」

王は、執務机に手をついて身を乗り出すカウティスを、強い力の籠もった目で見上げた。


「セルフィーネのその姿は、人間には毒になる」



セルフィーネは僅かに唇を震わせた。

カウティスは一度振り返り、セルフィーネを気遣うように見てから、王に食って掛かった。

「一体、セルフィーネの何が毒だと言うのですか!?」


セルフィーネの魔力は清い物だ。

ネイクーン王国を護ることにしか魔力を使わない。

これまでどれだけ国を救ってきたかわからないのに、毒などと表現して良いはずがない。


「カウティス、セルフィーネをよく見ろ。美しい。だが、人成らざる美しさだ。我等王族は、子供の頃から当たり前にセルフィーネの姿を見てきたが、そうでない者は? 魔術士達が褒め讃える、水の精霊の魔力さえ見たことがなかった者達は?」

王がバルシャークとセシウムを見遣る。


彼等は昨夜のラードと同様に、おののき、冷や汗を流していた。

セシウムに至っては、視線もろくに上げられていない。


「そこに在るのに、決して触れられず、例えようもなく美しい。そして、強大な魔力を持つ稀有けうな存在だ。誰もが畏れ、おののくだろう。そして、者によっては強く惹かれるぞ。悪くすれば、いさかいの元になる」


王は、水の精霊の帰還を祝う式典で感じたことを思い出していた。

水の精霊が変わり始めたと感じた頃だ。

あの時、王族以外には水の精霊が見えないことが、幸いであったと思った。

むやみにあの美しい姿が見えては、要らぬ争いを生むのではないかと危惧した。

それが、本当の事になろうとしている。


「良いか、セルフィーネ。その姿は隠せ」


きっぱりと言い放った王の言葉に、セルフィーネは目を伏せた。





ハルミアンは、ミルガンと共に魔術士館に向かった。

水の精霊の進化について、魔術士と魔法士の視点から、もう少し話し合う為だ。


魔術士館に入るとすぐ、マルクがハルミアンを待ち構えていた。

ハルミアンは目を丸くする。

「あれ、マルク。今週いっぱい休暇じゃなかったっけ?」

「そうなんだけど、今日は王子と一緒にハルミアンが来るって聞いたから、ここに来ると思って待ってたんだ」

ミルガンに一礼してから、マルクが言う。

その様子からは、既に水の精霊の異変を感じ取っているようだ。

「仕事熱心だねぇ。ミルガン殿と話すつもりだったから、マルクもおいでよ。カウティス王子の側にいるなら、知っておいた方がいいよ」

ハルミアンの言葉に、ミルガンも頷いた。



「カウティス王子への不信感は消えたの?」

廊下を歩きながら、マルクが小声で聞く。

「まあ、あんな甘〜いところ見せられちゃあね」

ハルミアンは軽く肩を竦めて、可笑しそうに笑う。

「あ、甘〜い?」

「そうだよ。まあ、詳しくは直接王子に聞いてよ」

ハルミアンは、綺麗な顔を悪戯っぽくしかめて見せた。




最奥の魔術師長室で話を聞いたマルクは、眉を下げる。


「姿を隠せ……。王子も水の精霊様も、お辛いですね……」

王の言いたいことはよく分かる。

ハルミアンとミルガンの説明で、水の精霊の姿がどれ程魅惑的か想像は出来る。

更にあれ程の魔力だ。

既にリィドウォルやイスターク司教のように、姿が見えずとも引き寄せられている者すらいるのだから、警戒するのは当然かもしれない。


「まあね。でも、水の精霊と王子を守る為だ。妥当な指示だと思うよ」

「……守る為?」

怪訝な表情のマルクを見て、ハルミアンは長い指を一本立てた。

「そうだよ。今の水の精霊は唯一無二の存在だ。姿をさらせば、きっと欲しがる者は後を絶たない。でも、水の精霊はまだ完全な実体を持っていないから捕らえられない。……魔法も使えない人間なら、どうすると思う?」


マルクは息を呑んだ。

ミルガンは険しい顔付きで口を開く。

「……カウティス王子が狙われてしまうだろう」


十四年近く前のクイードのように、王子を餌にして水の精霊を捕らえるかもしれない。

魔術士達は、あの時の口惜しさを覚えている者も多い。

マルクもまた、憔悴した少年の頃のカウティスを思い出し、奥歯を噛んだ。



ハルミアンは、窓際に置かれてある小さな銀の水盆に視線を送って呟く。

「……二人が想い合う程、悲しいことに、互いが互いの弱点に成り得てしまうんだよ」



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