許されない変化

慣れるまで

風の季節前期月、五週三日。


日の出の鐘が鳴った後、拠点の建物の広間では、昨夜一睡も出来なかったカウティスとラード、そしてハルミアンが座って話していた。


「やはり、王城へ戻らねばならないよな」

カウティスが言えば、ラードが未だ困惑気味に頷く。

「そりゃあそうでしょう。水の精霊様が、こう変化されたのでは、報告に行かないわけには……」

その視線は部屋の隅に向かう。

部屋の隅には、小さな机に置かれた水差しの側で、セルフィーネが臙脂色の鳥と戯れていた。


背の高さは、カウティスよりも頭一つ分低い。

背の中程で真っ直ぐに揃った、薄紫色の滲む絹糸のような細い髪が、サラサラと揺れて光る。

滑らかな曲線の細い身体は、明るい光の下で見れば、より人のように温かな艶を放っていて、白いドレスの細かなひだが肌の上をゆっくりと波打った。

襞から差し出された細い左手首には、薄い飴色のバングルが誇らしげに揺れている。


セルフィーネの肩に乗った鳥の黒い嘴が、変わらない淡紅色の薄い唇を突付けば、くすぐったそうに素肌の見える肩を竦め、少し目尻の下がった目を細めて笑った。


「ハルミアン! 今すぐあの鳥をどうにかしろ!」

まだ一度も触れてもいない唇に鳥の嘴が触れているのを見て、カウティスが唸った。

「もう、王子はまた妬いて……」

「いいから!」

ハルミアンは口を尖らせて、長い指を振った。

臙脂色の鳥が、セルフィーネの肩で金の粉を散らすようにパッと消える。


あ、と小さく声を漏らし、セルフィーネが鳥のいた肩から視線をカウティスに向けた。

今までと変わらない紫水晶の瞳であるのに、目が合うとドキリとして、カウティスは思わず目を逸らしてしまった。




昨夜、ベリウム川の川辺でセルフィーネが変化して、カウティス達は急ぎ拠点ヘ戻った。

セルフィーネは一度姿を消したが、カウティス達が建物に入ると、そこに姿を現した。

水の側の方が姿を現し易いらしいが、水がなくても現すことが出来ると言った。


セルフィーネの姿は、魔術素質や王族であることに関係なく、誰もが見えるようになった。

ハルミアンが使い魔の目を通さなくても見えるだけでなく、魔術素質のないラードにも見えることからも間違いないと思われた。


彼女自身は、こちらが想像するよりも戸惑ってはいないようだった。

まるで、自分がどう変わるのか分かっていたかのように、その姿や魔力の動きが心地良いと言った。

なんの違和感もなく国中を見渡せて、水源を保つことも問題ない。

ただ、少しだけ重くて、今までの速さで空を駆けることが出来ないらしい。

今までどの位の速さで空を駆けていたのか分からないカウティスには、基準がよく分からなかったが、遅くなったと言うことだけは分かった。


様々な事を確認している内に、気が付けば夜が明けて、今三人で顔を突き合わせていた。




「とにかく、色々手配してきます。出発は午後からにしましょう。……ハルミアン、お前も行くのか?」

ラードが立ち上がりながら言った。

すっかり“お前”呼ばわりになったハルミアンは、全く気にした様子なく笑う。

「そりゃあ、僕も行かないと。水の精霊の変化を正しく伝えられるのは僕だけでしょ」

「違いない。……では食事を用意させるので、王子は食べて、昼までに少し仮眠もして下さい」


ラードは身体の向きを変えかけて、ビクリと止まる。

部屋の隅に佇んでいるセルフィーネに、ぎこちなく立礼して、部屋を出て行った。

「まあ、慣れないよね」

ハルミアンがセルフィーネを見れば、彼女はラードの態度など気にしていない様子で、目線を逸らしたままのカウティスを見つめていた。


ハルミアンはふふっと笑う。

「それにしてもカウティス王子は、『変化なんてしなくていい』って言いながらも、あっさり進化の後押ししちゃうんだから」

言いながらぴょんと席を立つハルミアンを、カウティスは軽く睨む。

「そんなつもりじゃなかった」

「ええ、分かってますよ。でも、変化させちゃったんだから、ちゃんと向き合ってあげて下さいね」

ニッコリと笑って、ハルミアンはセルフィーネにひらひらと手を振り、出て行った。




残されたカウティスがそっと部屋の隅を見れば、一人ポツンと佇んだセルフィーネが、カウティスの方を真っ直ぐ見つめていた。


「側に行っても良いか?」

「勿論だ」

セルフィーネが小さく聞くので、カウティスは笑って頷いた。

その返事にホッとしたように、セルフィーネは足を踏み出した。


今までなら、ふっと消えて、見えないセルフィーネを抱き締めていたカウティスは、彼女が歩いて近付く事に、驚いて目を見張った。

白いドレスの浅いスリットから、素足のすねがするりと出るのを見て、心臓が跳ね上がる。


不味い、不味い、不味い。


口から心臓が出るのではないかと思って、思わずパシリと口を押さえ、視線を泳がせた。

今までだって、セルフィーネが足を踏み出すところは何度も見た。

しかし、いつだって足元には水があったし、こんなにはっきりとした質感で見たことなんてなかったのだ。


膝下だぞ、何をそんなに動揺しているのだ。

心の中で自分に言うが、鼓動は収まらない。



「……カウティスは、以前の私の姿の方が良かったか……?」

すぐ側で心細い声がして、カウティスは我に返る。

椅子に座ったまま目線を上げれば、悲しそうに表情を曇らせたセルフィーネがいた。

「そんなことはない」

カウティスが急いで立ち上がると、セルフィーネは目を伏せる。

「でも、カウティスは昨夜からずっと、私をちゃんと見てくれない」

「っ……それは……」

カウティスは言葉を詰まらせる。


伏せた目の上で揺れる長いまつ毛。

陶器のような首筋を流れ落ちる絹糸の髪。

柔らかな曲線の素肌の肩。

淡紅色の薄い唇。

「……唇を噛むな」

カウティスは親指で、軽く噛んでいたセルフィーネの唇をなぞった。

そのまま頬を両手で包んで顔を寄せ、口付ける。


実体はないはずだった。


ハルミアンは、セルフィーネが彼の使い魔と同じ様に、強い魔力の塊で実体に近いものを作っていると言っていた。

それなのに、何故か触れていると分かる。

魔力干渉の時に彼女の肌に触れる様に、僅かにひんやりとし、そこだけ空気の密度が濃いような、不思議な感触だった。


柔らかい唇から熱い吐息が溢れたような気さえして、我を忘れそうになる。

朝露のような蒼い香りが鼻孔をくすぐり、胸の奥がギュゥと引かれるようで、カウティスは目を開ける。


唇を離せば、とろりと潤んだ紫水晶の瞳が見上げる。

その間近の表情に、落ち着かない気持ちになった。

「セルフィーネがどんな姿だって、好きだ。でも……そ、その、そなたが、あまりにも綺麗で……見つめていられない……」

カウティスは、耳も頬も首筋も真っ赤だ。

セルフィーネは数度瞬きして、カウティスの上気した頬に手を伸ばす。

「カウティスが目を逸らしてしまうのなら、綺麗だと言われても、嬉しくない」

「…………そうだな。すまない、もう、逸らさないように……努力する」

赤くなったままでそう言えば、セルフィーネはふわりと微笑んでカウティスの胸に添った。

ほんの僅かながら、胸に重みを感じて、カウティスの心臓はバクバクと強く打つ。


「……新しい姿に慣れるまでに、俺の心臓は壊れてしまわないかな」

カウティスはセルフィーネを抱き締めて呟いた。




食事を摂って、仮眠しようにも、まだ見慣れないセルフィーネの姿がそこにあれば、全く眠れる気がしない。

だが姿を消して上空に行くと言われれば、行くなと呼び止めてしまった。



寝台に腰掛け、カウティスはセルフィーネを抱きしめたまま聞く。

「聖紋は、変わらなかったのか?」

セルフィーネが神聖力を持っていることを知らないハルミアンの前では、聞くことが出来なかった。

「変わっていない。……神聖力は、より馴染んだ。もう何の違和感もない」

「そうなのか?」

カウティスが目を瞬いて彼女を見れば、白いドレスの内側で、膨らんだ右胸に聖紋が薄く光るのが透けて見えた。


ドキリとすると同時に、カウティスの右掌がチリと痛む。

皮手袋の下には変わらず聖紋の欠片があって、神聖力には随分と悩まされたはずなのに、セルフィーネが変わっても繋がっているのだと言われているようで、何故か安堵した。



「……カウティス、少し眠らなければ。人間は食べて眠らないといけない生き物なのだろう?」

いつまでも横になろうとしないカウティスに、心配そうにセルフィーネが言うが、カウティスはその身体をどうしても離す気になれなかった。


人と同じ大きさで姿を現し、実体とは違っても触れた感触が僅かにある。

水辺と泉でしか触れ合えなかったセルフィーネが、ここにいる。


焦がれて堪らなかった彼女が、側にいる。


「もう少しだけいてくれ……」

カウティスにそう言われれば、セルフィーネも頬を染めて動くことが出来ない。



カウティスの胸に添ったままのセルフィーネが、ふと顔を上げてカウティスの腕をすり抜けると、寝台に横向きに転がった。

薄紫色が滲む細い髪が、寝台の上にサラと広がる。


「添い寝すれば良いのではないか? そうしたら、一緒にいてもカウティスは眠れる」

良い事を思いついたというように、横になったまま無邪気に言われ、カウティスは絶望的な思いで顔を手で覆った。


「……よ、余計に眠れないのだが……」



結局カウティスは、目が冴えて出発まで少しも眠れなかったのだった。




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