進化の可能性

使い魔を見せるという、いつの間にか大事になった時間が終わり、質問したくて群がる魔術士達を何とかなだめて散らした。



「とても綺麗な使い魔でしたね。エルフの使い魔はどれもあれ程に美しいのですか?」

セイジェが高揚した様子で尋ねた。

「そうですね。どうせなら美しい方が良いと思うのか、皆、大体美しく仕上げています」

ハルミアンは、銀の水盆の側に立つカウティスに視線を向ける。

「どうです? 水の精霊も喜んだでしょう?」


水盆にはもう、セルフィーネはおらず、波紋が薄く残るだけだ。

「ああ。かわいいと言っていたぞ」

カウティスがどこか柔らかく答えれば、セイジェが笑う。

「精霊でも、動物をかわいいと思うのですね。まさかセルフィーネが、あんな締まりない顔で鳥を撫でるとは思いませんでしたよ」

セルフィーネの頬を染めた笑顔を、『締まりない顔』と表現するセイジェに、カウティスは自然と半眼になる。

セイジェはこっそり肩を竦めた。



「ハルミアン殿には、水の精霊様の人形ひとがたが見えているのですか?」

ハルミアンにそう問うたのは、まだこの場に残っていた魔術師長ミルガンだ。

濃緑のローブを揺らし、水盆をチラリと見た。

何処となく緊張した雰囲気なのは、ハルミアンがエルフだからではなさそうだった。

「……いいえ。見えません」

「……そうですか」

ハルミアンは薄く微笑み、ミルガンは一礼して去った。




「ミルガン」

魔術士館へ戻るミルガンを、追い掛けて来たのはカウティスだ。

ミルガンは振り返り、立礼する。

「ミルガン、先程ハルミアンに人形ひとがたの事を聞いていたのは何故だ?」

セルフィーネの人形ひとがたは、魔力通じをした者にしか見えないものだ。

それを何故ハルミアンに聞いたのか、カウティスは気になった。

「ハルミアン殿の使い魔が、まるで水の精霊様の人形ひとがたが見えているかのような動きだったので、気になったのです。我々には見えない人形ひとがたも、もしやエルフには見えるのかと」


『 水の精霊。その子、君に撫でて欲しいみたいだよ 』

ハルミアンの言葉と、撫でて貰うためにセルフィーネに向かって頭を下げた鳥。

ハルミアンがわざわざセルフィーネを水盆に呼ぶように言ったのは、何か目的があったのだろうか。

カウティスは眉根を寄せる。



「カウティス王子。マルクを一度王城に戻してもよろしいでしょうか」

突然聞かれて、カウティスは顔を上げた。

「ああ、構わないが。どうかしたか?」

「長い間西部へ行ったままで、纏まって休ませておりませんし、昇級試験の話もしてやりたいのです」

ミルガンが、形の整わない白い髭をしごく。

そういえば、カウティスとラードは王城に何度も戻っているが、マルクは行ったきりだ。

カウティスは軽く顔を顰めた。

「私の配慮が足りなかったな。すまない、私が西部に戻り次第、マルクをこちらに戻す」

ありがとうございますと、ミルガンは立礼して去った。





泉の庭園へ行こうとして、カウティスは先に母の様子を見に行ったが、既に眠っているようだった。

侍女によれば、頭痛は収まったが、疲れたのか早めに休んだようだ。

明日の朝食の席で顔が見れるだろうか。



花壇の小道を抜け、小さな庭園に出たカウティスは、青白い月光の下、泉に佇むセルフィーネの姿を見て愕然とした。

彼女の肩に、臙脂色の鳥が止まっているからだ。


「カウティス」

セルフィーネはカウティスが庭園に入ってきたのを認め、ふわりと微笑む。

「それは何だ、セルフィーネ」

「ハルミアンの使い魔だ」

「そんなことは分かっている」

カウティスは鼻の上にシワを寄せて唸る。

「何故使い魔それが、そなたといるのかと聞いているのだ」

セルフィーネは鳥の黒い嘴を、細い指の先でちょんと突付く。

「カウティスを待っていたら飛んで来たのだ。それで、少し話をしていた」

「鳥と話を?」


突然、セルフィーネの肩に止まってふんわりと羽根を膨らませていた鳥が、ぷるると尾羽根を震わせて嘴を開いた。

「嫉妬深い男は嫌われますよ、カウティス王子」

鳥が発したのはハルミアンの声で、カウティスはギョッとする。

「ハ、ハルミアン!?」

「そうですよ。鳥だからチュンチュン喋ると思ってましたか?」

笑うように鳥がつぶらな瞳を細めるので、カウティスは睨む。

「水の精霊に何か用が?」

苛立ちを含んだ声を聞き、鳥が再び尾羽根を震わせた。

「ちょっと話してみたかっただけです。もう。邪魔しませんから、睨まないで下さいよ」

そう言って鳥は、セルフィーネの肩を軽く蹴って飛び上がる。

舞い上がったセルフィーネの細い髪を更に散らすように、一度羽ばたいた後、パッと金粉のような光を撒いて姿を消した。



舞い上がっていたセルフィーネの髪が、金の光と共にサラリと降りて、白い肩を流れた。

カウティスは手を伸ばして、鳥が止まっていた彼女の肩に触れようとするが、すり抜ける。

「ハルミアンの使い魔は、魔力の塊だからそなたの肩に止まれるのか?」

「そうかもしれないな」


黙っているが不満気なカウティスの顔を見て、セルフィーネがふふと笑う。

「カウティスだって、望めば私に触れられる」

そう言われ、カウティスはセルフィーネの紫水晶の瞳を見つめる。

周囲に、少しずつ薄紫色と水色の魔力の層が見え始めると、セルフィーネの右肩に掛かる細い髪を、手の甲で後ろへ流した。

肩の細い線が露わになり、カウティスは鳥が止まっていたところに顔を寄せる。

「……俺はいつだって望んでいる」

言って、ひんやりと滑らかな肌に唇を付けた。


セルフィーネの素肌に、ハルミアンの鳥が止まっていたのが嫌だった。

それが魔力の塊だという使い魔であっても、胸がチリチリと焼ける様に痛む。

彼女に触れれば触れる程、幸せだと感じるのに反比例して、己が狭量になっていく気がする。

自分以外の者が、セルフィーネに触れることが、堪らなく腹立たしい。

それは、自分一人では決して彼女に触れられないからなのかもしれないが、どうにもならない。


黙って何度も肩に口付けるカウティスの頬に、セルフィーネが手を伸ばした。

カウティスが顔を上げると、潤んだ瞳と視線がぶつかる。

カウティスはそのまま、セルフィーネの淡紅色の唇を奪った。




「ハルミアンと何を話していたのだ?」

セルフィーネを抱き締めたまま、カウティスが尋ねた。

「『人間のことは好きか』と尋ねられたのだ」

「……それで、何て答えたのだ?」

セルフィーネはカウティスの胸で、ゆっくりと目を瞬く。

「よく分からない、と」


人間は深い愛情を持ち、互いに労り合い助け合って生きている。

しかし、理由を見つけては争って、血を流すのも人間だ。

セルフィーネには、人間はとても不思議なものに思える。

人間が好きと、一言では言えない。


「嫌いだと思う人間もいる。でも、ネイクーン王族の皆や、アナリナ、ラードにマルク。拠点の皆。好きだと思える人間も多い」

セルフィーネはカウティスの胸から、顔を上げる。

カウティスの腕に、サラサラと絹糸のような髪が流れた。

「……一番好きなのは、カウティスだと答えた。カウティス以上に好きな者はいない」


何度も口付けした後で、まだ上気した頬と緩んだ瞳でそう言われ、カウティスはセルフィーネを抱く腕に力を込める。

一度軽く頬に唇を落とすと、熱く息を吐いて言った。

「……まだ、魔力干渉を解いてくれるな」

カウティスは、再びセルフィーネの唇を深く喰んだ。





翌朝、王城では欠かさない庭園での早朝鍛練を終え、カウティスは居住区に向かって歩く。

内庭園の近くまで来て、外周を見ているハルミアンを見つけた。


「造園にも興味が?」

突然後ろから声を掛けられて、ぴょんと飛び跳ねたハルミアンは、余程集中していたらしい。

「おはようございます、カウティス王子。庭園もこの城の一部ですから、配置や構造も興味がありますよ。ちゃんと許可は貰って見てますから、ご心配なく」


珍しく焦った風だったのが可笑しくて、カウティスが笑っていると、ハルミアンは安心したように小さく息を吐いた。

「ああ、やっとそういう顔をしてくれましたね。僕は別に水の精霊に横恋慕しようとか思っていないのに、王子はいつも僕を警戒して睨むんですから」

カウティスは目を瞬く。

「……俺はいつもそんな顔をしていたか?」

「え? 無意識ですか?」

ハルミアンは驚いて身体を引く。


指摘されて恥ずかしかったのか、バツが悪そうにするカウティスを見て、ハルミアンは腰に手をやった。

「安心して下さいよ。水の精霊は、可愛いと思ってますけど、妹分みたいな感じです」

「妹分?」

「精霊はエルフに近い存在ですからね。大体、水の精霊は確かに美人ですけど、僕の好みじゃありません。目はもっと大きくてツリ目の方が良いし、身体だって、あんなに細くちゃエルフの子供だって……」


「待て」

カウティスがハルミアンの言葉を遮った。


「今、何と言った?」

「え? だから、水の精霊は美人ですけど、好みじゃありませんって」

カウティスの表情に、困惑が滲む。

「……何故、水の精霊の姿?」

人形ひとがたが見えなければ、その容姿は分からない。

王族以外は、魔力しか見えないはずだ。

確か昨日、ミルガンにも『見えません』と答えていた。


「使い魔で見たんです」

ハルミアンが笑って、当たり前のことのように言った。

「使い魔……?」

昨日、水盆で、泉でセルフィーネに近付いた、臙脂色の鳥。

そのつぶらな黒曜の瞳を思い出す。



ハルミアンは頷いた。

「カウティス王子。水の精霊は、妖精界で進化しようとしていますよ」



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