使い魔

王城は、マレリィが目覚めた事で一応の落ち着きを取り戻した。

魔術師長ミルガンと薬師長とも相談し、王はマレリィが倒れたのは貧血によるものだとした。


多少の辻褄が合わない記憶は、人間の自己防衛本能が、時間を掛けて擦り合わせていくものだとハルミアンは言った。

人間の記憶というものは、それ程に曖昧なものだという。

実際、そうして三十年近くマレリィは生きてこられた。

人生の半分以上をネイクーン王族として生きてきたのに、今更ザクバラ国の遠い過去の話で苦しめて何になるだろう。


王はザクバラ国の“詛”に関して、マレリィに尋ねることも、話すことも禁止した。





応接室でハルミアンはソファーに座り、王太子エルノートとセイジェ第三王子と向かい合っていた。


来年、ザクバラ国へ向かう予定のセイジェの為にも、同国の情報は少しでも欲しい。

王とカウティスは、まだマレリィきに付き添っている為、エルノートとセイジェは、別室でハルミアンから話を聞いていた。



「ではやはり、今は宰相ザールインがザクバラ国王の名代ということなのですか」

王太子エルノートの問いに、ハルミアンは頷く。

「表面上はそのようです。貴族院の重鎮達も数名は国王と面会しているようですが、それも宰相が取り仕切っているようですね。ザクバラ国王の詛が、どのように表れているのかは知り得ないのですが、リィドウォル卿を中央から遠ざけている今は、どこもかしこも綻び始めている感があります」


この十五年程は、政策に失敗続きのザクバラ国王だが、治世四十年強を誇る絶対君主だ。

決断が早く、他国から見れば激烈な処断で国をまとめ上げてきた。

それを支えてきた一人が、リィドウォルだったはずだ。

一体何故、王は彼を遠ざけるのか。


「宰相がリィドウォル卿を遠ざけたのでは?」

セイジェが顎に手を添えて考える。

「黙ってリィドウォル卿が従うだろうか」

隣で足を組んでいたエルノートが、セイジェの方を見る。

「カウティスから聞くに、卿の後に復興事業の代表に就いたのは、かなりの阿呆らしいぞ。そんな人事を受け入れて、中央から去るのを良しとする程、愛国心の薄い者には見えなかったが」


ふむ、と考え込んだところで、侍女が晩餐の支度が整った事を知らせる。

マレリィの件があって予定は変わったが、夕食は共にと用意された。


立ち上がりながら、セイジェが不思議そうにハルミアンに聞いた。

「ハルミアン殿は、何故そんなにザクバラ国の内情に詳しいのですか?」

「ザクバラ国に関しては、あの国の建築に興味があって、最近まで中央貴族の所に滞在していたんです。なにやら居心地が悪くなってきて、ザクバラ国を出ましたが」

一瞬、彼の深緑の瞳が曇ったような気がした。

「それに、エルフは世界中、あちこちで気の向くままに知識を集めますから。情報交換もしますしね」

「情報交換? 世界中で、どうやって?」

応接室を出て、廊下を歩きながらセイジェが濃い蜂蜜色の瞳を輝かせた。

無邪気なその色に、ハルミアンは自分と同質のものを感じて、ふふと笑う。


「使い魔です。僕達は使い魔を使って、遠方の仲間と意思疎通するんです。興味がお有りでしたら、後で……」

言い掛けて、ハルミアンは何かに気が付いたように目を瞬いた。

「……そうか、使い魔……」

「ハルミアン殿?」

覗き込むように小首を傾げたセイジェと、その声に振り向いたエルノートに向かって、ハルミアンは微笑んで見せた。

「興味がお有りでしたら、後でお見せしますよ」




晩餐の時間ギリギリに、王とカウティスも広間に入り、マレリィ抜きの食事が始まった。


貧血が倒れた原因としたのに、いつまでもマレリィの側に付いて心配そうにしていては、別の病気かと変に勘ぐられそうだ。

それで、マレリィの事は薬師に任せて、一先ずは晩餐の場に戻ることにしたのだった。


ハルミアンは、王城の料理に満足気だった。

肉はよく焼いて欲しい、酸っぱいものは苦手だなど、先に希望を聞いていたので、出された料理をどれも実に美味しそうに食べていた。



「使い魔とは、動物を従えて意のままに使うというものだったか?」

王が口元を拭いて、ハルミアンに尋ねた。

「それは、魔術の場合ですね。魔法は、動物の形を真似て、己の魔力を練り上げて創ります。竜人族が使い魔を使うのは聞いたことがありませんが、エルフはよく使いますよ。実体がないので、移動速度が速くて便利ですから」

ハルミアンが、フォークを置いてニッコリと笑う。

どうやら完食したようだ。

しかし、あの細い身体の何処に入ったのだろう。


「ハルミアン殿の使い魔は、何の動物を真似ているのですか」

エルノートがグラスを手に取る。

「中型の鳥です」

給仕によって、デザートの皿がハルミアンの前に置かれると、王城のデザートは芸術的だと言いながら、角度を変えて眺めている。

何処かの建築物と重ねて見ているのだろうか。

「後で見せて頂けるのですよね?」

セイジェがワクワクした様子で尋ねた。

「ええ、お望みならば」

果実のソースが掛かったクリームを口にして、ハルミアンがセイジェに微笑む。


「良ければ、魔術士達も呼んでやりたいのですが、どうでしょうか。エルフの使い魔を直接見せて頂ける機会など、望んで得られるものでもありません」

エルノートの提案に、ハルミアンは快く頷いた。

「陛下、人数が多そうなので、謁見の間をお借りしてもよろしいですか」

「構わない。では、ミルガンに手の空く魔術士は謁見の間に集まるよう伝えておけ」

王が侍従に指示し終えるのを待って、ハルミアンが続けた。


「では、その時に、水盆に水の精霊を呼んで頂きたいです」


「何故、水の精霊を?」

デザートのおかわりを食べていたカウティスが、ピクリと手を止めると、ハルミアンは困ったように笑った。

「カウティス王子は、また、そうやって警戒する。良いではないですか、水の精霊にも見せてやりたいです。自分で言うのも何ですが、僕の使い魔は美しいですよ。彼女も喜ぶのでは? それに、使い魔なら精霊をしません」

それでも不満を滲ませるカウティスを見て、王が眉根を寄せる。

「カウティス、セルフィーネを呼ぶことに、何か懸念があるのか?」

「…………いえ」


「カウティス王子は、水の精霊に僕が近付くのが、ただ面白くないのですよね」

可笑しそうにハルミアンが笑うので、カウティスは顔を顰め、王は呆れた。





日の入りの鐘が鳴り、半刻経つ頃。

謁見の間は、魔術士達がひしめき合っていた。

エルフの使い魔を見れるとあって、当番以外の者は、殆どが集まった。


「セルフィーネ」

王に呼ばれ、磨かれた銀の水盆に姿を現した水柱水の精霊に、魔術士達は感嘆の息を吐く。

階級が下の魔術士は、水柱を見たことのない者の方が多いのだ。

セルフィーネは魔術士の集団を見て、僅かに眉を寄せる。

「……催しがあるとは聞いていなかったが」

やや不機嫌そうなその一言を聞いただけでも、感激している者までいる。


「ハルミアンが皆に使い魔を見せると言ったら、いつの間にか、こんな大事になっておる」

王も苦笑いだ。

「何故私まで?」

眉を寄せたままで聞くセルフィーネに、カウティスが近寄った。

「そなたにも、使い魔を見せたいそうだ。そなたが喜びそうだと」

僅かに唇を歪ませるカウティスを見上げ、セルフィーネがそっと言った。

「……そなたの胸に行きたい」

カウティスは、内心嬉しいのを隠して王の顔を窺うが、王は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「初めて水柱を見て、感激している者も多いのだ。今は水盆そこにいてやれ」

セルフィーネは更に眉を寄せた。



ハルミアンが謁見の間の中央に立って、魔術士達を見渡すと、微笑んだ。

その美しい笑みに皆が息を呑み、広間が静かになったところで、彼は右手を肩の高さに上げて指を揺らした。


細かな金の粉が何もない空中から降り、彼の手より頭一つ分上で撚り合わさる。

合わさった金の塊は、ぼんやりと光って瞬く間に鳥の形になると、ハルミアンの手の上にふわりと止まった。


大人の掌程の大きさの、臙脂色の鳥が、ぱちぱちとつぶらな黒曜の目を瞬いた。

嘴の下から足の付け根までは白い。

ぷるると羽根を揺らすと、臙脂一色に見えた羽根に、銅色の艶が散る。

長い尾羽根は先にいくほど幅広く、赤銅色に輝いていた。

ハルミアンが腕を上げると、その動きに乗って左右対称に羽根を広げ、広間に舞い上がる。


魔術士達の感嘆の声を受け、鳥は優雅にその場で二度羽ばたくと、魔術士達の頭上を金粉のような光を降らせながら一周した。


そして、水柱が立つ、銀の水盆の端にふわりと降りた。




小さなセルフィーネは、紫水晶の瞳を瞬いた。

目の前の大きな鳥は、羽根の内に空気を含むようにぶわと膨らむと、撫でて、というようにセルフィーネに向かって頭を下げた。

「…………かわいい」

鳥の愛くるしい仕草に、セルフィーネの寄っていた眉が開き、口から小さくそんな言葉が漏れた。

ハルミアンが微笑んで言った。

「水の精霊。その子、君に撫でて欲しいみたいだよ」


セルフィーネは目を瞬いて、目の前で大人しく頭を下げたままの鳥の頭に、恐る恐る小さな手を伸ばした。

水柱の周りに揺蕩う水の精霊の魔力と、エルフの使い魔が交わる光景に、魔術士達は興奮した。

大きな声は出さないが、低くどよめく魔術士達をよそに、セルフィーネは鳥の嘴の少し上の辺りに触れる。

ほわっと温かくて、柔らかな羽毛が心地良い。



「…………ふわふわだ」

嬉しそうに頬を染め、側にいるカウティスに辛うじて聞こえる程の小声で、セルフィーネが呟く。


カウティスは、その姿を見下ろして微笑む。

名前も知らない鳥よりも、頬を染めるセルフィーネの方が、余程可愛いと思った。




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