助力
風の季節前期月、三週三日。
王の執務室では、執務机の上に広げられたオルセールス神聖王国からの親書を睨み、王が低く唸っていた。
先月末、聖堂建築の件を問い合わせたが、使者はなかなか戻ってこなかった。
神聖王国では、何かと理由をつけられ、のらりくらりとかわされて返信を引き伸ばされたという。
「そなたの言った通りだったな」
唸っていた王が、革張りの背もたれにドスンと倒れて言った。
執務机を挟んで、正面に立つ王太子エルノートが小さく頷く。
使者を送る際、エルノートは、神聖王国が誠意ある返答を寄越すかどうか分からないと言った。
イスターク司教がネイクーン王国を出る際に、自分達に都合の良い噂を盛大に撒いたくらいだ。
もしかしたら神聖王国自体が、イスタークと同じような考え方なのかもしれない。
そうして、焦らしに焦らして返してきた親書には、予想していたように、ネイクーン王国にとっては腹立たしい内容が連なっていた。
神の奇跡が起こった場所を、
又、聖堂建築が始まれば、施工管理はオルセールス神聖王国が担うこと。
聖堂建築に協力すれば、今後も本国から安定した聖職者の派遣が出来るだろう、といったことが書かれてあった。
更に、神の奇跡の地を祀るのは、オルセールス神聖王国の責務であり、神の意志である。
意志に背けば、神の怒りが降るだろうと、ご丁寧に警告も添えられてあった。
つまりは聖堂建築は決定事項で、早々に計画を進め、造りはオルセールス神聖王国の好きにするが、それに協力しなければ、今後ネイクーン王国に司祭や神官を派遣する数を減らすことになる、ということだ。
他国に神聖王国所有の建物を建築しようというのに、この上ない横暴さだ。
「皇国にも使者を送って正解でした」
王の斜め後ろに控えた、宰相セシウムが固い声で言った。
オルセールス神聖王国に使者を送る際、先にフルブレスカ魔法皇国に伺いを立てる事も考えた。
だが、神聖王国から正式に聖堂の話がされていないのに、今伺いを立てれば、まるでネイクーン王国から望んで聖堂建築を願い出ているようだ。
そこで、助力を乞うことにした。
オルセールス神聖王国の司教から聖堂建築についての進言があったが、自国は隣国と共同で復興に注力している為、満足に応えられそうにない。
小国が神聖王国の要望に応えるには、どうするべきか、宗主国であるフルブレスカ魔法皇国の助言と助力を乞い願う、というものだ。
これでフルブレスカ魔法皇国と、オルセールス神聖王国、どちらの面目も潰さずに済む形だ。
神聖王国から使者が戻る前に、皇国から使者が戻り、皇国に対する忠心は保たれていると示せた。
しかも、神聖王国が早急に聖堂建築に踏み切らない様、皇国の貴族院が間に入る形を取ってくれるということで、皇帝は想像以上の対応を見せてくれた。
使者が皇国の貴族院で聞いたことによれば、皇女フェリシアが皇帝に口添えしてくれたというが、事実なのだろうか。
何にせよ、両国の板挟みになることは避けられたようで、安堵する。
正直に言えば、オルセールス神聖王国のやり方は腹立たしい。
しかし、
下手に逆らい、自国の聖職者の数が減っては、民の生活に大きく影響してしまう。
「……神の国とは、一体何なのだろうな」
王が深く溜め息を吐いて言った。
「神聖力を楯に、他者に痛みを強いる者が聖職者と言えるのだろうか。それでも神は
神の力も声も、何も感じることができないから分からない。
何を以て彼等は神の意志を語るのか。
聖職者全てが同じでないことは分かっている。
だが、地位が上がれば上がる程、話が通じなくなるのはなぜなのだろう。
「分かりませんね。分かりたくもない」
エルノートは吐き捨てるように言う。
「ただ、どんな力も、使う者によってその性質が大きく変わるということだけは分かります」
神聖力も、魔力も、権力も、武力も。
使いようによって、人を傷付けることもあれば、守ることもある。
力を手に入れた時には覚えているのに、ともすれば忘れられがちな大切な事。
自分もまた、権力という名の力を持つ者だ。
王は再び深く息を吐いた。
西部の拠点では、職人達が机を囲み、あーでもないこーでもないと盛り上がっている。
その中にはエルフのハルミアンもいて、一緒になって図面を見ていた。
ハルミアンは、拠点に来て数日しか経っていないのに、すっかり拠点の人々に馴染んだ。
その容姿は、黙って柔らかく見つめられれば、同性でも頬を染めてしまう程の美しさだったが、一度建築物について喋り始めると、爛々と目を輝かせて鼻息荒く語る様子に、皆エルフのイメージを
ハルミアンが職人達とあっという間に意気投合し、現場仲間のような気安さで共に行動し始めたので、ラードは唖然としていた。
まだ警戒を完全には解いていないようだが、昨夜は『あれはただの建築バカかもしれない』と、評価を改めていた。
「いやあ、
職人達が休憩に入ったので、ハルミアンは隣の机で、魔術士同士の打ち合わせをせていたマルクのところにやって来た。
ハルミアンは魔術士達ともすっかり親しくなっている。
魔術や魔法に精通したエルフと交流を持てるとあって、魔術士達はこぞってハルミアンと話をしたがったからだ。
彼は何でも楽しそうに話すので、昨夜は職人達と酒を飲みながら盛り上がっていたから、今夜は魔術士達に捕まるかもしれない。
「当分ここにいたいって言ったら、ネイクーン国王の許可がいるのかな?」
ハルミアンの言葉に、マルクは驚く。
「ここにって……ここは復興拠点だけど、そんなところに長く居たいの?」
見た目は年下のハルミアンが、人懐っこく話し掛けるので、マルクもいつの間にか、彼に対しては砕けた口調になっている。
「うん。だって、ここは堤防だけじゃなくて、これからどんどん新しい暮らしを造っていく現場でしょ。壊れた町も村も、街道も、生まれ変わっていく地域を丸ごと見てられるなんて、なかなかないよ」
ハルミアンは目を細める。
「それに、他にも興味あるし」
半月形になった深緑の瞳は、それ自体が光を持っているように美しく輝く。
それは、彼の気持ちの高ぶりに反応しているのだろうか。
「他の興味って……?」
マルクはおずおずと尋ねる。
「進化の可能性とか」
ハルミアンの言葉に、マルクは椅子をガタンと鳴らして立ち上がる。
近くの魔術士達が驚いて見上げたので、マルクはハルミアンの腕を取ってテントの外へ出た。
「それ、お願いだから言わないで」
「なんだ、やっぱりマルクも気付いてたのか」
焦って言った言葉に、ハルミアンが明るく答えるので、マルクは言葉に詰まった。
「どうして言ったら駄目なの?」
「それは……詳しくは言えないけど、王子と水の精霊様の為に、黙ってて欲しいんだ」
言いづらそうなマルクを見て、ハルミアンはふ~んと形の良い唇を尖らせた。
四日前、ラードとマルクに勝手に付いて行ったハルミアンは、川原で
ラードが何やら怒っているが、水面から立ち上がった水柱を抱えるようにして、動かない。
ハルミアンは目を瞬いて、水柱に手を伸ばした。
途端にカウティスにその手を払われる。
「触れるなっ」
牙を剥くようなその様子に、ハルミアンは一度手を引いて首を傾げる。
「それは、警戒ですか? それとも嫉妬?」
カウティスの顔に血が上り、周囲に怒気が滲む。
ラードも警戒した様子で、ハルミアンを見る。
強く払われた手の甲を
「カウティス王子、冷静になって下さい。水の精霊が苦しそうに見えるのは、気の所為ですか? 助けてやらないと、可哀想です」
カウティスは腕の中のセルフィーネを見た。
魔力干渉はとっくに切れている。
だがセルフィーネは泣き続け、次第に酷くしゃくり上げるようになると、呼吸が上手くできないのか、さっきから激しく喘いでいた。
魔力干渉が切れてしまえば、カウティスにはどうすることも出来ず、その場で動かないセルフィーネを抱えて狼狽えるばかりだった。
カウティスは唇を血が滲むほど噛んだ。
「…………っ、彼女を助けてくれ……」
手を出せない悔しさに呑まれそうになりながら、カウティスはハルミアンに助けを乞う。
ハルミアンは頷いて水柱に手を添えた。
「水の精霊、泣かないで。君が泣くと、
言って、魔力の流れをほんの少し整えてやった。
一度大きく身体を震わせて、セルフィーネの息が少しずつ落ち着いていく。
小さな胸を大きく上下させながら、涙で濡れて揺れる瞳を、ようやくカウティスに向けた。
「…………カウティス」
その声に、カウティスは長い安堵の息を吐いた。
思い詰めたような顔で見つめるマルクに、ハルミアンはふうと息を吐く。
「黙ってても良いけど、あんまり意味ないんじゃないかな」
「え?」
「水の精霊も精霊達も、変化を感じ取っている。あの時、君も精霊達の悲しみのようなものを受け取ったでしょう? 黙っていたって、どこかに影響が出てくるものさ」
あの夜、マルクは精霊達の悲しみにも思える
他にも、異変を感じ取った者がいないとも限らない。
ハルミアンは空を見上げる。
「きっと、このままの状態でいられるのなんて、あと僅かだよ」
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