上位種族と言われる、竜人族。


その始祖である七人は、太陽神が創った世界に、ただ一頭生き残った竜の身体から生まれたと伝わっている。

彼等の血肉は膨大な魔力を秘め、血を飲めばたちまち怪我や病気が治り、肉を食えば不老不死が手に入るという。


昔語りの中にも出てくる、有名な話だ。

だが、フルブレスカ魔法皇国の最奥で生き続けているという未知の存在に、人間の想像力が噂に尾ひれを付け続けた結果の、お伽噺のようなものかもしれない。


少なくとも、今までカウティスはそう思っていた。




「竜人の血?」

カウティスがオウム返しに言った。

ハルミアンは軽く頷く。

「秘密裏に与えられたそうです。当時の王太子がそれを飲み、強大な魔力と長寿を得ました。王太子の子供達は、皆揃って魔術素質が並外れて高く、何かしら優れた能力を持っていて、王太子が王に就いた代で、ザクバラ国は目覚ましく発展しました」


経済の発展、軍事力の拡大、建築技術に薬学の向上など、様々に力を付け、ザクバラ国は一代で大陸での存在感を増した。


しかし、代が後に続けば続く程、その能力は疎らになっていく。

魔術素質のない者が生まれ始め、魔術素質があっても、若年で突然死を迎えることが増える。

稀に突出した能力の者が生まれ、長寿であったかと思えば、気力が衰えると途端に精神を病んで凶行を成した。

ザクバラ国が竜人の血を与えられたと知らない人々は、ザクバラ王族は呪われたのだと噂した。



カウティスは奥歯を強く噛む。

ザクバラ国の王族に不審死が多いのは知っていたが、まさかそんな理由があったとは。

母も知っているのだろうか。


「現在のザクバラ国王は魔術素質が極めて高く、のろいを濃く受け継いでいるようで、現在は病んで臥せっています。近年は悪政や凶行も多かったので、そう長くはないかと思ったんですけど、意外と長寿ですね」

事も無げにサラリと言ったハルミアンに、ラードが噛み付くように聞く。

「ザクバラ国王はやはり生きているんだな? その“詛”のせいで病んでいるのか?」

「そうです。今ザクバラ国は、実質宰相ザールインと貴族院で動かされてますね。悪政続きで国力が落ちてるみたいだし、ネイクーン王国がザクバラ国を抑え込むつもりなら、好機ですね」

ハルミアンが美しい顔で笑む。


ハルミアンのその言い様に、ラードとマルクは何とも言えない顔をした。


ザクバラ国の内情が知れたのは有り難い。

しかし、ネイクーンはザクバラを抑え込みたい訳では無い。

少なくとも今のネイクーン国王は、過去の因縁を出来るだけ払拭し、互いに良い関係を築いていきたいと願っている。

しかし、エルフのハルミアンには、そんなことにまでは興味がないのかもしれない。



「ハルミアン、一つ聞きたい」

暫く黙っていたカウティスが、口を開いた。

「現在、その“詛”を受け継いだ可能性があるのは、誰だ?」


「魔術素質が並外れて高いことを条件に挙げるならば、直系ではザクバラ国王と孫娘のタージュリヤ王女。後は国王の甥のリィドウォル卿と……姪孫に当たるフレイア妃でしょうかね」

そこに姉の名前が入り、カウティスは拳を強く握った。

ラードとマルクも顔を歪める。


さすがに三人の雰囲気を感じてか、ハルミアンは一言付け加えた。

「あくまでも、可能性ですからね」

しかしそれは、カウティス達の心を軽くする何の助けにもならなかった。





カウティスは自室で窓際に座る。

窓辺には、薄い月光に当てられたガラスの小瓶の上に、気遣わし気に見上げるセルフィーネがいる。


カウティスが溜め息をつきながらセルフィーネに手を伸ばすと、彼女はその指先を撫でた。

「以前、イスターク司教に『ザクバラ国は竜人族と繋がっている』と言われたことがあったが、昔からそんな関わりがあったのだな」

竜人が血を分け与えたというのなら、その後のザクバラ国がどうなっていったのか、関心を持たなかったはずはないだろう。

「竜人族も、酷な事をする……」


カウティスが低く呟くと、セルフィーネは小さく首を傾げた。

「そうだろうか? ザクバラ国は、謝罪の代わりに特別なを求めた。フルブレスカ魔法皇国は、その要求に見合うものを与えた。それだけでは?」

セルフィーネの言葉に、カウティスは黒い眉を寄せる。

「だが、それは“のろい”になったのだろう?」

「確かに今はそうかもしれない。だが、与えられた当時は多くの恩恵を受けたのだろう。間違いなく、その時代には宝だったはずだ。後の世でどんな影響が出るのか、与えた竜人族ですら分からなかった事かもしれない」

カウティスは眉を寄せたままセルフィーネを見つめている。


セルフィーネは、ふとカウティスから視線を逸した。

「……水の精霊わたしとてそうだ」

「セルフィーネが? 何故?」

「十八代アブハスト王以降、暫く私は“魔性の化け物”と呼ばれた。人形ひとがたを創る前の王は、ネイクーンの民にとって名君だったのだから、あの頃の王族にとっては、きっと私も“詛”であっただろう」


『人を惑わせる魔性の化け物!』

『お前のせいで王は狂った』


今でも彼等の憎悪のこもった叫びは、セルフィーネの中に残っている。


「セルフィーネ」

カウティスは、気遣うように両手をセルフィーネの人形ひとがたにそっと添える。

セルフィーネは再び視線を戻し、薄く微笑む。

「でも、今は“国益”と呼ばれている。カウティスが側にいる。皆が私を大切にしてくれる。……ザクバラ国も、ずっとこのままとは限らない」

それぞれの国や人に、それぞれの事情がある。

そしてそれは、時代や関わるものによって、大きく変わっていく。


大事なのは、今、最善と思われる未来に向けて自分が何をするかだ。



カウティスは深く深く、息を吐いた。

ガラスの小瓶を手に取り、額に当てる。

「セルフィーネ。そなたはいつも、俺が思い惑う時に助けてくれるな」

波立つ心を鎮め、その先にある大切な物に気付く手助けをしてくれる。

「感謝している」


セルフィーネはカウティスの額に添い、青味がかった黒髪を大切に撫でる。

「フレイア妃は、きっと大丈夫だ、カウティス」

「え?」

心を読まれたような気がして、驚いてカウティスは小瓶を額から離した。

「フレイア妃を心配していたのだろう?」

カウティスの顔を見て、セルフィーネは柔らかく笑う。

「心を許し、信頼して支え合える者がいれば、精神を病むような事はない。フレイア妃には、側に大切な人がいてくれるのだろう?……私にとってのカウティスのように」


セルフィーネが、僅かに首を傾げてカウティスを見上げる。

その瞳がカウティスへの想いに満ち、頬が美しい薄桃色に染まっていくのを見て、カウティスは息を詰めた。

一度目を逸らして唇を噛むと、手にしていた小瓶から垂れ下がる細い鎖を首に掛ける。

そして、急いで窓から外を確認すると、大きな身体を小さく折って、器用に窓枠を擦り抜けて外へ出た。


「カウティス?」

驚いて左胸から声を掛けるセルフィーネに、カウティスが目を向けないまま言う。

「川原に行く」

「行っても良いのか?」

「良いも悪いもない。そなたのせいだぞ」

目を瞬いて、見上げるカウティスの顔は真剣だが、耳朶が赤い。

「そなたが、あんまりにも……っ」

カウティスが余裕のない声で言った。




カウティスは滑るように拠点を出て、疎らな木々の間を抜け、足早に川原へ下りる。

松明もランプも持っておらず、雲の多い空から降る月光は、薄い明かりにしかならない。

それでもカウティスは、川原のゴツゴツとした石を蹴り上げる勢いで水際へ向かうと、川の水面から水柱が立ち上がると同時に、彼女を抱きしめた。

「俺がっ、俺が今日ギリミナで、どれだけそなたを抱きしめたいと思っていたか分かるか? そなたが笑う度、どれ程胸が痛かったか……っ」


一緒にいて、話して、街を歩く。

そんな当たり前の事が、あまりにも楽しくて嬉しくて、どうしようもなく舞い上がっていた。

そのくせ、セルフィーネが幸せそうに笑ってくれると、心臓が痛い程に打って苦しい。


いっそ全て投げ出して、誰の目にも届かない所へ連れ去ろうか。

そこで掻き抱いて、この身から離さずにいられたならどんなに良いだろう。

そんな考えを、ギリミナの街で必死に胸の奥に仕舞った。


「カウティス……」

セルフィーネの声が耳に届いた時、水柱で濡れるだけだった腕に、セルフィーネの細い身体の肉を感じた。

瞬く目には、美しい水色と薄紫色の魔力の層が見える。

「私も思っていた。カウティスに強く抱きしめて欲しいと……」

セルフィーネがカウティスの胸から顔を上げる。

「……望んでも良いのか?」

紫水晶の瞳が緩んで、切なく吐かれた言葉に、カウティスは胸を掴まれた。

頭に血が上り、一気に体温が上がる。


「良いに決まっている」

辛うじてそれだけ言って、カウティスはセルフィーネの身体を掻き抱く。

彼女の細い指が、カウティスの背中でシャツを握る。

指が背中を弱く掻くような感触に、カウティスは目を精一杯強く閉じ、更に腕に力を込めた。




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