ザクバラ国の詛
カウティスとラードは、ハルミアンを連れてギリミナの街を出た。
鎮魂碑の手前で、カウティスは一度馬を止めた。
セルフィーネは林の中を通るのを嫌がるので、ここでカウティスの胸から離れる。
ガラスの小瓶の中の魔石は、既に月光の魔力が尽きかけていて、セルフィーネの姿は随分薄かった。
「先に拠点へもどる」
フワリと微笑んで言うセルフィーネに、カウティスの胸がチクリと痛む。
今日はとても楽しいデートだった。
それでも、笑ってセルフィーネを送り出せない気分だ。
最後の時間をハルミアンに奪われてしまったからだろうか。
それとも、セルフィーネと少しも離れたくないからなのだろうか。
「……また、夜にな」
辛うじてカウティスが笑って答えると、セルフィーネは小さく頷いたが、すぐに消えなかった。
カウティスの胸に添ったまま、潤んだ瞳で見上げて小さな両手を上げる。
カウティスが俯いて顔を寄せると、背伸びするようにして、そっと口付けた。
「……気を付けて」
小声で切な気に言って、セルフィーネは消えた。
カウティスはすぐに顔を上げられなかった。
耳が熱い。
我ながら単純だとは思うが、セルフィーネからの口付けが心臓を跳ね上げる。
そして何より、自分だけでなく彼女も離れがたいと思っている事が分かって、嬉しかった。
「綺麗な魔力だなぁ」
唐突にハルミアンの声が聞こえて、カウティスは顔を上げた。
振り返り、馬上からセルフィーネの魔力を目で追っているハルミアンを見て、目を見張る。
カウティスとラードの後ろを付いて来ていたハルミアンの姿は、全く別のものになっていた。
馬に跨がる身体は細く靭やかで、手綱を持つ指は筋張って長く、透けるように白い。
大きな宝石のような深緑の瞳は、キラキラと光を弾く。
特徴的な尖った耳に少しも掛からない程の短髪が、くすんで鈍く輝く金髪であることだけが、人間の姿の時と同じだ。
エルフは総じて整った顔立ちをしているが、ハルミアンも鼻筋の通った高い鼻と、目尻が少し上がった大きな瞳が目を引く、とても美しい顔立ちだった。
エルフの歳は見た目では分からないが、人間で言えば、成人したての16、7程に見える。
「……エルフだ」
カウティスと同じように、驚愕の表情で振り返っていたラードが、ポツリと零した。
ハルミアンは細い眉を下げて笑う。
「だから、エルフだと言ったじゃないですか」
三人は、来た道を戻って西部の拠点を目差す。
街道の途中にある休憩所に止まった時、先に休憩していた旅人が
何処へ行っても大体こんな反応なので、慣れっこだと言う。
そういう反応を見ると、この世界は殆どが人間に埋め尽くされているのだと感じる。
人間と同じように、当たり前に生きているはずのエルフや竜人族は、人間の前に姿を見せれば、まるで客人のような反応をされてしまう。
どんな種族であっても、どんな姿形であっても、当たり前に一緒にいられることが出来るとしたら、それはどんな世界だろう。
神々の創る世界は、いつかそんな風にはならないのだろうか。
「王子?」
思いに耽っていて、すぐ側でラードに声を掛けられてビクリとしてしまった。
「すまない。考え事をしていた」
「今日は暗くなるのが早そうです。急ぎましょう」
見上げれば、空には雲が多い。
風の季節に入って、暗くなるのも早くなってきた。
雲が多ければ、日の入りの鐘の前に真っ暗になってしまうだろう。
カウティス達は急いで出発した。
ラードの予想通り、夕の鐘半には太陽が雲で隠されてしまい、随分暗くなった。
カウティス達は、その頃に何とか拠点へ滑り込んだ。
カウティス達の馬を預かりに、兵士が近付いた。
松明の明かりに照らされたハルミアンを見て、驚いて口を開ける。
「やあ、こんばんは」
軽く挨拶されて、固まってしまった。
後から出てきた兵士や、迎えに出てきたマルクも大きく目を見開いて、魚のように口をパクパクとさせた。
「あー……、エルフのハルミアンだ。暫くここに滞在することになったので、皆、よろしく頼む」
「よろしくね」
カウティスが紹介すると、ハルミアンは遠巻きに見つめる人々に、ひらひらと手を振って見せた。
ハルミアンが拠点に滞在する間、必ず守るように約束させたのは、“隠匿の魔法”を始めとする、様々な魔法を使わない事だ。
見られて不味い物がそうある訳では無いが、彼が何処にいるか分からなくなるのは困る。
それに、ネイクーン王国の人間にとっては、魔法は馴染みのないものだ。
使用して、どんな騒ぎが起こるかも分からない。
堤防建造の現場に行くのも、必ず誰かが同行し、職人や作業員の指示に従い、勝手なことはしないよう言い含めた。
ハルミアンは全て快く受け入れる代わりに、拠点に滞在する間、拠点にいる人間と交流を持つことを望んだ。
ラードはまだ警戒を解いていないようだったが、渋々といった様子で了承し、ハルミアンの相手をするのは、基本マルクに任せた。
カウティスは頭に大きな布を被り、濡れた髪をガシガシと拭く。
髪を洗って色粉が落ち、青味がかった黒髪に戻っている。
さっさと布を取り払うと、ラードにもう一回被せられた。
「まだ水が滴ってますよ、王子」
言った途端、カウティスの頭が一瞬引かれたように感じ、次の瞬間には完全に髪が乾いていた。
「おお!?」
初めて見る現象にラードが慄いたので、カウティスは笑う。
「セルフィーネがやったのだ。ありがとう」
窓際に向かって言うと、月光の薄く当たったガラスの小瓶の上に姿を現して、セルフィーネがこちらを見て笑っていた。
「ハルミアンの話を聞くが、一緒に行くか?」
「行く」
セルフィーネが頷いた。
カウティスはガラスの小瓶を手に取り、部屋を出る。
建物を入ってすぐの広間に出ると、ハルミアンとマルクが来て椅子に座るところだった。
カウティスは広間の窓際に、改めてガラスの小瓶を置く。
手を引こうとすると、セルフィーネが小さな手でカウティスの指を押さえた。
「カウティスの胸が良い」
セルフィーネがねだるように上目に見て言うので、カウティスは息を詰めた。
「……まだ月光の魔力が足りてないのではないか?」
今夜は雲が多くて、降りてくる月光は薄い。
少しの時間窓際に置いただけでは、魔石に月光の魔力は溜まっていないはずだ。
がっかりしたように、セルフィーネはそっと手を離した。
……どうしよう、可愛過ぎる。
このまま川原に行ってセルフィーネを抱きしめてしまいたい。
そんな考えが頭を過ってしまい、ブルッと首を振った時、いつの間にか近付いていたハルミアンが、横からおもむろに青空色の瞳を覗いた。
ラードが咄嗟に間に入ろうとするのを、カウティスは手を上げて止める。
「……何だ?」
「……カウティス王子は、フレイア妃に聞いていた通り、魔術素質は皆無ですね。でも、何だろう、水の精霊の魔力を纏っているからなのかな、何か僅かに……?? 特殊すぎて分からないなぁ」
長い指を頬に当てて、ハルミアンは小首を傾げる。
「まあ、でも、カウティス王子は、ザクバラ国の
「ザクバラ国の、“
始めから不穏な言葉が出てきて、カウティスは眉を寄せて構えた。
ラードもマルクも、同じように真剣な表情に変わっている。
「ええ。ザクバラ国の王族には、詛を受け継ぐ者が時々生まれるんです。受継ぐ者の特徴の一つが、魔術素質がとても高いことですね。王子はザクバラ王族の血筋を引いてますから、どうなのかと思ったんですけど、心配なさそうですよ」
整った顔立ちでにっこりと笑うハルミアンは、風邪の心配はないですよ、とでも言っているような雰囲気だ。
だが、“
「ハルミアン、ザクバラ国の“詛”とは、一体何だ?」
カウティスが改めて聞くと、ハルミアンは椅子に座り直した。
「ザクバラ国の内情にも関わりがあるので、話しましょうか。ネイクーン王国が西部と呼んでいるこの一帯が、元はザクバラ国の領土だったって知ってますか?」
カウティスは黙って頷く。
「良かった。それなら話は早そうだ」
『良かった』と発言するハルミアンに、ラードが僅かにムッとしたのが分かったが、カウティスは先を促す。
「昔、ネイクーン王国がザクバラ国から奪った土地で領土を広げた時、ザクバラ国は勿論フルブレスカ魔法皇国に抗議したんです」
ネイクーン王国が主張したのだとしても、国境の線引を認めたのは皇国だ。
ザクバラ国は抗議し、謝罪と国境の訂正を求めたが認められなかった。
「何度かやり取りがあって、その後ザクバラ国は訴えを取り下げました。何故だと思います?」
「皇国相手では、力負けしたのではないのか?」
カウティスの答えに、ハルミアンは首を振った。
「取り引きしたんです。訴えを取り下げる代わりに、ネイクーン王国の水の精霊のように、無二の宝をくれと」
ネイクーン王国に水の精霊を与えたのなら、我が国にも同等、又はそれ以上の
ザクバラ国の訴えは、当時まだ大陸全土を統治しきれていなかったフルブレスカ魔法皇国に聞き入れられた。
統治を進めるための、餌であったのかもしれない。
だが、ザクバラ王族に与えられた宝は、最初こそ国に繁栄をもたらしたが、人間には扱いきれず、徐々に歪みを生み始める。
それはまるで、ザクバラ国に詛がかけられているようだった。
カウティスはゴクリと唾を呑んだ。
「ザクバラ国に、何が与えられたのだ」
ハルミアンは、一度深緑の瞳を瞬くと言った。
「竜人の血です」
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