エルフの頼み事

「おー、痛かった……」

離された手首を擦り、座り込んだ男が眉を下げた。

その姿はやはりどう見ても、ひ弱な人間にしか見えない。

少年のような顔立ちだが、カウティスと同じ位のようにも見える。


カウティスは、フルブレスカ魔法皇国でエルフを見たことがあったが、彼等は人間の姿とは随分違った。

痩せ型の長身で、筋張った細い手足は長く、透けるような白い肌と、宝石のような瞳を持つ。

尖った耳が特徴的で、一様に整った美しい顔立ちだった。

今、目の前で地面に座り込んでいる人間の男とは、似ても似つかない。



「そなたは何者だ」

カウティスが改めて問う。

「エルフ族のハルミアンといいます。はじめまして、カウティス王子」

くすんだ金髪の平凡な顔立ちの男が、立ち上がって土を払い、ニコリと笑む。


カウティスは眉を寄せて、警戒を露わにした。

今は一般的な髪色に染めていて、服も平民の兵士服のような物だ。

第二王子として特定される特徴はないはずだ。


「……何故、私を知っている?」

「水の精霊がくっついているし、フレイア妃に聞いていた通りだったから」

「フレイア姉上?」

思わぬ所で、フォーラス王国に嫁いだ姉の名前が出て、カウティスは驚いた。

「とりあえず、注目を浴びてるので場所を変えましょうか」

言われて周囲を確認すると、何の騒ぎかと、通る人々が足を止めて見ている。

カウティスは胸のセルフィーネが小さく頷くのを見て、不承不承歩き出した。




「王族に無闇に触れるものじゃなかったですね。ごめんなさい。こんな所で王子と水の精霊に会えると思わなかったもので、つい興奮しちゃって」

通りを抜けて広場まで出ると、ハルミアンはペコリと頭を下げた。


「……本当にエルフなのか?」

カウティスはまじまじとその姿を見るが、特徴のないひ弱そうな少年の姿は、カウティスの知っているエルフの姿とは程遠い。

「ええ、そうですよ。“隠匿の魔法”です。本来の姿でウロウロしていたら、すぐ注目されてしまうので」

“隠匿の魔法”は、竜人ハドシュが姿を消した時にも聞いたことがある。

存在が薄く感じられ、印象に残りにくくなるらしい。

それで少年なのか青年なのか、判断がつかないのだろうか。

それでも、セルフィーネが警戒する様子なく胸に添っているので、カウティスは少し安心した。



「黒髪じゃないので驚きましたけど、水の精霊がくっついてるし、周囲のこの凄い魔力はフレイア妃に聞いた通り……、いえ、それ以上だったので、カウティス王子だって分かりましたよ」

ハルミアンはカウティスの身体の周りをくるりと見回すと、左胸に添ったセルフィーネに屈託のない笑顔を向ける。

「はじめまして。僕は“考究の森”のハルミアン。ネイクーン王国の水の精霊、君の魔力は、素晴らしく複雑だね」


カウティスは咄嗟に一歩引いた。

リィドウォルやイスターク司教の例があり、セルフィーネに目を向ける者には構えてしまう。

「大丈夫だ、カウティス」

セルフィーネがカウティスを見上げて、小さく頷いた。

ハルミアンの視線には嫌悪を感じない。

ただ純粋な興味が滲んでいるだけのようだった。


「……ネイクーン王国の水の精霊は、本当にカウティス王子が好きなんだね」

暫く見つめた後、突然感心したように言われ、セルフィーネの頬に赤みが差した。

長い髪の先が恥じらうようにフワリと揺れる。

潤んだ紫水晶の瞳でカウティスを見上げると、再びハルミアンを見て、コクリと頷いた。

「……凄いやぁ」

ハルミアンは嬉しそうにセルフィーネとカウティスを見比べた。


彼には人形ひとがたは見えていないはずだが、一体セルフィーネのどんな魔力が見えているのだろう。

カウティスはそれも気になったが、セルフィーネが自分を好きだと肯定したことに、ジワリと喜びが込み上げて、頬が緩みそうになった。


いや、呆けている場合ではないと、カウティスは気になっていた事を口にする。

「ハルミアン殿は、姉のフレイアと面識が?」

「ハルミアンで良いですよ。僕達エルフ族の殆どは、フォーラス王国内の“考究の森”が生活拠点ですからね。王族とは面識があります」

ハルミアンは何を思い出したのか、ふふと軽く笑う。

「特に種族の性質上、魔術士とは懇意にしてますから、魔術師長補佐のフレイア妃はエルフには人気ですよ」


フレイアが縁を結んだフォーラス王国の第三王子は、王国の魔術士を統括する魔術師団長だ。

夫婦で魔術素質が高く、その評価は高いらしいが、エルフに人気とは知らなかった。

「姉は元気だろうか」

何気なく聞いてみると、ハルミアンはコテンと首を傾げる。

「さあどうでしょう。三年程帰ってないもので、何とも。でも、物凄く活発な方なので、元気なのではないでしょうかね」

王子妃なのにその評価はどうなのだろう。

向こうでも、やはり姉は姉らしく過ごしているようだ。



「ギリミナへは、何が目的で訪れたのだ?」

カウティスはハルミアンに慎重に尋ねた。

エルフは魔法に長けているし、人間にしか使えない魔術にも詳しいと聞いたことがある。

もしかして、水の精霊セルフィーネに興味を持っているのではないかと、警戒心を強めた。


「ネイクーン王国の堤防建造の現場を見せて頂きたくて!」

ハルミアンはパッと顔を輝かせて言った。

予想外の答えに、カウティスは目を瞬く。

「堤防建造?」

「はい。貴国が現在行っている堤防建造は、魔術具を利用した新しい建造技術だと聞きました。何と素晴らしい発想! 是非とも詳しく知りたくてここまで来たのですが、まさか王子に会えるとは。幸運でした!」

ハルミアンはカウティスの手を握ろうとして、無闇に触れてはいけないと思い出したのか、両手を急いで引っ込めた。

しかし、迫る勢いで懇願する。

「お願いします、カウティス王子。是非現場を見せて下さい!」





「何で同行者が増えてるんですか。誰です?」

午後の二の鐘が鳴る前に、傭兵ギルドで合流したラードが、見るからに下働きといった風の少年を連れたカウティスをジロリと見た。

「エルフのハルミアンだ」

素っ気なく答えるカウティスに、ラードが眉を寄せた。

「は? エルフ……?」

これが? という様な目で、ラードがハルミアンを眺めた。

ラードも貴族の血筋だ。

成人前にはフルブレスカ魔法皇国に留学して、何度かエルフを見たことがあるのだろう。

どう見てもエルフでないハルミアンに、疑念の目を向けた。

「“隠匿の魔法”だそうだ」

魔法と聞いて、ラードは余計に眉を寄せる。

「……それで、どうして一緒に?」

「拠点まで一緒に戻ることになった」

「はあ?」


エルフというのは、知識欲の強い種族らしい。

特に、自分の興味のあるものに関しては貪欲だ。

フルブレスカ魔法皇国から出ない竜人族と違い、エルフは“隠匿の魔法”を使って、大陸中の国を行き来して、多くの知識を日々得ているのだという。

セルフィーネが言うには、人間が気付いていないだけで、意外と側に存在しているらしい。


ハルミアンは、ネイクーン王国の新しい堤防建造を直接見たくて、ギリミナまでやって来た。

カウティスと出会わなければ、“隠匿の魔法”を駆使して、直接イサイ村に向かうつもりだったらしい。

こっそり作業員に混じることも考えていたというから、カウティスは思い留まるよう、強く言った。


「こっそり混じられて、気付かない内に何か起こっているより、最初から近くにいて監視できる方がマシだろう」

カウティスが諦めの溜め息と共に言った。

厩で馬を引き取りながら、ラードと二人で話している。


相手が魔法を使えるエルフである以上、強引な手を使われたら対処のしようがない。

友好的に交渉してくれるなら、乗った方が得というものだ。



ラードがチラリとハルミアンを見遣る。

彼は宿に馬を預けているらしく、この後受け取りに行く。

「ですが、信用できますか? 他国の密偵だという可能性だってあります」

堤防建造技術は特に秘密にしておくつもりはない。

魔術具が上手く機能するのであれば、今後大陸中に発信しても良いと思って、王や魔術師長ミルガンにも話はしてある。

だが、ラードは堤防建造に加えて、セルフィーネの神聖力や聖堂建築の件で、特にオルセールス神聖王国を警戒しているようだった。


「セルフィーネが、信用しても良いだろうと言うのだ」

「水の精霊様が?」

ラードがカウティスの左胸を見るが、そこには何も見えない。

「……エルフは大体が事なかれ主義だそうだ。自国以外、何処かの国や組織に属することはないらしい」

セルフィーネがカウティスの胸で頷く。

己の知識欲を満たす為にだけ、動くのがエルフという種族らしい。

ラードが一瞬呆れた顔をしたが、すぐに渋い顔に戻る。

セルフィーネの言うことも理解出来るが、直接聞くことも見ることも出来ないラードには、簡単に呑み込み難い。




「では、堤防建造技術を見せて頂く代わりに、情報を提供するというのはどうです?」

背後から突然ハルミアンに声を掛けられて、ラードとカウティスが振り向く。

ハルミアンは、特に特徴のない少年の姿で、申し訳無さそうにフードの頭を掻くと、人間と同じ丸い耳を指で指す。

「ごめんなさい。耳が良いので、会話が聞こえちゃいました」


「何の情報をくれると?」

ラードが訝し気に聞いた。

「ザクバラ国の内情について、なんてどうでしょう」

ハルミアンはにこりと笑った。



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