想像力

風の季節前期月、二週五日。

この日、カウティスとラードはイサイ村から更に街道を進み、ザクバラ国との国境を離れ、北部の端、ギリミナの街へ向かった。


ベリウム川は、フォグマ山から北部のほぼ中央を東から西へ流れる。

カウティス達は途中の橋で対岸へ渡り、林の中を馬で駆ける。

駆ける内に川からは離れ、次第に光る水面も水辺の匂いも消えた。



この辺りは四年前にザクバラ国と停戦してからも、ザクバラ軍が占領していた地域だ。

三年余り前に、カウティスがリィドウォルに捕縛されたのも、この林の中だった。

ザクバラ兵に焼かれた所もあり、西部から魔獣も流れて来て、一時期は荒れて無惨な光景を晒していた。

現在はネイクーン領として管理され、下草刈りや枝打ちもされて、街道を馬で駆けるのも殆ど問題なくなったが、もう少し北の国境寄りは、今でも焼け跡が多く残っている。


街に着く少し前、街道沿いに建てられた鎮魂碑に花を供え、カウティスはラードと共に祈りを捧げた。

西部にも、廃墟となった村に石を積んで作られた鎮魂碑があるが、堤防建造が進んでから新たに建てたいと思っている。





街に到着すると、ラードと共に傭兵ギルドに馬を預け、ギルドに併設した食堂で軽く昼食を摂った。

ここからは別行動だ。

今日は一人で歩く為、煩わしいフードを被らなくて済むように、髪は色粉で焦茶色に染めていた。

セルフィーネは、カウティスとギリミナの街へ行くことを楽しみにしていたが、林を抜けるのは嫌がったので、街に着いてから合流することになっている。


「午後のニの鐘に、ここで待ち合わせましょう。浮かれ過ぎて、時間を忘れないで下さいよ」

引率の大人のようなラードの言い方に、カウティスは鼻の上にシワを寄せる。

「あのなぁ、子供じゃないぞ」

「はいはい」

軽くあしらうように言って去るラードを睨んでから、カウティスは左胸を見る。

いつの間にかセルフィーネが姿を現していて、カウティスと目が合うとニコリと笑う。

カウティスも彼女に笑い掛けた。



昨夜、セルフィーネは少しソワソワしているように見えた。

いつものように、カウティスの部屋の窓際で月光を浴びているのに、サラサラ流れている髪先が時折弾むように動く。

ギリミナの街は上空から見ているだけで、降り立ったことは殆どないらしく、どんな店があるのかと質問するので、カウティスは知っている事を色々話して聞かせた。

彼女は瞳を輝かせて話を聞いて、時折頬を染めて嬉しそうにする。

カウティスはそんなセルフィーネが可愛くて、寝台に横になって深夜まで話していた。


「何が見てみたい?」

「砂糖菓子を買うのではなかったのか?」

楽しそうに笑うセルフィーネにつられて、カウティスも笑む。

「それは勿論買って帰るが、セルフィーネが見たいものが、他にもあるかと思ってな」

「見たい。カウティスと、たくさん」

そう言って嬉しそうに目を細めるので、カウティスは急いで口を掌で押さえた。

そうでないと、顔が緩みっぱなしになりそうで困る。


小さなセルフィーネと出掛けても楽しいだろうとは思っていたが、始まりからこんなに胸が弾むなんて。

気分が良すぎて、浮かれてしまいそうだ。

別れ際のラードを思い出して、カウティスは咳払いをする。

落ち着け落ち着けと頭の中で唱えて、一度深呼吸をしてから言った。

「よし、行こうか」




街の中央には、通りの左右に様々な店が並んでいる。

布地、洋服、革細工、宝飾品、木工芸品等。

大体は自国で製造された物だが、北のアスタ商業連盟から入って来た他国の物もあって、その種類は様々だった。

カウティスが見たことのないものも多い。


歩きながら色々な物を眺めては、二人であれこれと話していると、楽しそうに笑っていたセルフィーネが、突然口をつぐんで俯いてしまった。


「セルフィーネ、どうした?」

聞くと、彼女は小さく首を振る。

「……私と話していると、カウティスが笑われている」

セルフィーネがチラリと横を気にするので、周囲を見れば、通り過ぎる人々がこちらを見てクスクスと笑っていた。

おかしなものを見るような目で、一瞥いちべつしていく者もいる。

どうやら、店を覗きながらブツブツと独り言を喋って見えるカウティスを、笑っているらしい。


「気にするな」

カウティスは笑って、事も無げに言う。

「でも……」

「俺は今、セルフィーネとデートしていて物凄く楽しい。そなたは?」

「……とても楽しい」

その答えに、カウティスが満面の笑みを見せた。

「それなら、他は気にするな。俺だけ見ていろ」

カウティスの笑顔と言葉に、セルフィーネの頬が桃色に染まっていく。

彼女は少し恥ずかしそうにしたが、コクリと小さく頷いた。




ギリミナは北西が林に接しているので、林の管理を行う仕事をしている者も多い。

間伐材を使った木工芸が盛んで、大きめの家具を作る工房から、装飾小物を扱う小さな店や露店まで多く揃っていた。


セルフィーネは、宝飾品や洋服等には殆ど興味を示さなかったが、木彫りや組木細工の工芸品の店が並ぶ辺りを歩くと、途端に目を輝かせた。


「……素敵だ」

セルフィーネが呟いた声が聞こえ、カウティスは驚いて胸の方を見た。

彼女の口からそんな言葉を聞くのは初めてのような気がする。


カウティスが立っているのは、木製の装飾品を扱う店で、ガラス窓の向こうで、木工職人が木製の髪飾りに細かな彫りを施しているのが見えた。

細い様々な形のナイフを手元に並べ、指二本分程の面を器用に彫っていく。

ガラス窓の側の展示机には、小さな宝石がはめ込まれた木製の装飾品が並べられ、艷やかに輝いていた。

セルフィーネは瞳を輝かせて見入っている。


「どれが素敵だって?」

カウティスが聞くと、セルフィーネは小さな手で店内を指した。

それは、外から見えるガラス窓の側ではなく、職人の後ろに並べられた机の上の物だった。

ブレスレットが並んでいるように見えるがここからでは、どういう品なのか良く分からない。

それで、カウティスは店内に入った。



店内に入り、セルフィーネの指した机へ近付く。

机の上に並んでいるのはブレスレットばかりだったが、どれも窓際に並んでいる物のように宝石ははめ込まれておらず、彫りの模様だけで装飾されていた。

太さや大きさは様々で、色合いも違ったが、全て職人の手で細かな彫りが施され、丁寧に磨かれて艶のある柔らかな光を纏っている。


セルフィーネは目を瞬き、一つ一つ眺めて感嘆の息を吐いた。

「こんなにも美しい物を作るなんて、人間の想像力は凄いものだな」

カウティスは首を傾げる。

「感心するのは技術の方じゃないのか?」

「勿論、技術も素晴らしい。だが、この優美な意匠を思いつかなければ、どんなに技術が秀でていても美しい品にはならないと思う」


カウティスは、改めて机の上のブレスレットを見た。

宝石等で飾られていない分、彫りの意匠の美しさが際立った。

草花や鳥、太陽と月、獣や虫まで、多くの意匠があるが、それぞれがひとつひとつ美しく形取られ、綿密に配置されて世界に一つだけの品になる。

味わいは違っても、どれも確かに美しく、絵心のないカウティスには真似できないものだ。


「人間の想像力は、無二のものだ。竜人族やエルフでも叶わないだろう」

セルフィーネがブレスレットを見つめたまま、うっとりと言った。



竜人族やエルフに想像力が勝ると言われ、カウティスは驚いた。

人間が彼等に勝るのは繁殖数だけだと、昔聞いたことがあるくらいだった。


――――想像力。


確かに、人間は見た物そのままを表す事も出来るが、気持ちや願望までも練り込んで表現することが出来る。

セルフィーネの人形ひとがたもそれだ。

アブハスト王が、これ以上ないという純潔な美しさと願望を詰め込んで創り上げた、水の精霊の姿だ。

魔術が人間にしか使えないのも、想像力に関係があるのだろうか。

魔術の発現には想像力が必要だというから、想像力の乏しい竜人族やエルフは使えないということなのかもしれない。



「どれが一番気に入った?」

少し考えて、セルフィーネが指したのは、金具のついていない細いバングルだった。

蔦が絡んだような流線と、精巧な鳥の羽根と葉の模様が彫られ、よく磨かれていて艶がある。

カウティスが手に取ると、光を弾いて薄く飴色に輝いた。

「これを包んでくれ」

ブツブツと独り言を言う客を怪訝に思い、遠巻きになっていた店員を見つけ、カウティスが声を掛けた。

「贈り物ですか?」

「ああ。大切な女性ひとに贈る」

店員の質問に答えると、セルフィーネが小さく言う。

「カウティス、私は着けられない」

「それでも、そなたに贈りたい」

カウティスが微笑むと、セルフィーネは頬を染めながら、カウティスと包まれるバングルを交互に見た。

躊躇ためらいながらも、喜色を滲ませるセルフィーネの姿に、カウティスの胸は弾む。

好きな人に贈り物を選ぶことが、こんなにも楽しく、心躍るものだとは知らなかった。

セルフィーネを喜ばせるつもりが、自分が嬉しくなってしまった。

もっともっと、彼女が喜ぶ物を探したくなってしまう。



店を出て、頬を染めたままのセルフィーネを連れて、街を歩く。

あれこれ見ながら歩く内に、砂糖菓子店の前までやって来た。


砂糖菓子は技工を凝らした形で、宝飾品並みにキラキラと美しく、ガラス窓越しに見るだけでも楽しい。

店の前は甘い香りが漂ってきて、カウティスは鼻から深く息を吸った。

その様子を見たセルフィーネが、笑って言う。

「涎が垂れそうだぞ、カウティス」

「それは否定しない」

真面目な顔で答えて店に入るカウティスに、セルフィーネはふふと笑っている。


店内で職人が砂糖菓子の型を抜くのを、セルフィーネが興味深く見つめている間に、カウティスは砂糖菓子を大箱で三つ購入した。

外へ出て、また別の製菓店を外から眺める。

「まだ足りなかったか?」

セルフィーネが揶揄やゆするように言うと、カウティスは軽く笑う。

「確かに甘味はいくらあっても困らないが、拠点の皆にも分けてやりたいからな」

セルフィーネも頷く。

一人に一欠片の砂糖菓子でも、皆の為にカウティスが買ってきたのなら喜ぶだろう。




セルフィーネと会話しながら、ガラス窓から中を見ていると、突然誰かの手がカウティスの肩を掴んだ。


カウティスは反射的にその手首を取って振り返り、手の主の腕を捻り上げた。

「痛い痛い痛い!」

右手首を掴まれたまま捻られて、細身の男が地面に膝をついて、身体を反らせて叫ぶ。

反らせた拍子に、被っていた薄緑のフードが落ちた。

見えた顔は少年のような顔立ちで、カウティスには全く面識はない。

「何者だ?」

「痛い! 痛いって」


手を離さないままで誰何すれば、痛がる男が名乗る前に、胸のセルフィーネが言った。

「カウティス、エルフだ……」


「エルフ?」

カウティスは眉を寄せて見直すが、少年はその辺りの店で下働きをしていても不思議ではない、人間の男に見えた。




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