隠秘
風の季節前期月、二週一日。
王城の前庭には、屋根の形に特徴のある、フルデルデ王国の馬車が並ぶ。
ネイクーン王国での慰問を終え、メイマナ王女が帰国するのだ。
「暫くお会いできませんが、きちんとお食事は摂って、お元気でいて下さいませ」
王とマレリィに挨拶を終えたメイマナが、エルノートに声を掛ける。
「それでは母親のようですよ」
笑顔のメイマナの言い様に、エルノートは口に拳を当てて軽く笑う。
メイマナは、上目に軽くエルノートを睨む。
「本当は……離れるのが寂しいですわ」
正直に胸の内を口に出せば、何だか余計に寂しさが増し、メイマナは泣きたい気分になった。
エルノートが何も言わないので、そっと顔を上げると、彼は拳を下ろして戸惑ったような顔をしている。
「王太子様?」
「……いえ、道中お気を付けて。貴女が我が国に来られるのを待っています」
エルノートはメイマナのふっくりとした白い手を取り、その甲に口付けた。
門を出て去って行く馬車の列を見送り、エルノートはメイマナの手を握っていた己の右手を眺める。
離れるのは寂しいと言われて、初めて自分が感じていた胸の痛みの意味を知った。
昨夜から胸が痛み、まるで寒風が通り抜けていくように感じていたのは、おそらく彼女が今日去って行くのが寂しいと感じていたからなのだ。
そんな痛みがあることも知らず、条件の合う者なら誰でも伴侶にするつもりでいた自分は、なんと愚かだったのだろう。
エルノートが小さく息を吐くと同時に、門が閉められた。
西部国境地帯。
ザクバラ国の新しい代表を確認したので、最近はイサイ村や堤防建造の現場に行く時も、セルフィーネはカウティスの胸の小瓶で付いて行くようになった。
「カウティス。あの者は、阿呆なのか?」
セルフィーネの言葉に、カウティスは軽く吹いた。
ザクバラ国の新しい代表を指して、彼女が自分と全く同じ事を言うからだ。
代表の貴族は、相変わらず良く分からない主張をして現場を混乱させている。
今日も話し合いの予定ではないのに、国境の橋までやって来て、ネイクーン王国は魔術符を独占してズルいと子供のような主張をしていた。
そもそも、ネイクーンの魔術士をザクバラ側の作業場に派遣していたのに、ネイクーンはザクバラの建築技術を盗もうとしていると難癖をつけて追い出したのは向こうの方だ。
セルフィーネの反応に笑ったは良いが、このままではかなり邪魔な男だ。
「どうするべきだ?」
隣に立つラードを横目で見ると、ラードが肩を竦める。
「ああいう輩は、己に権力があると勘違いしていますからね。本物の権力を見せつけてやれば大人しくなるのでは?」
カウティスは一つ息を吐いて、騎士服の襟元を整えた。
「貴公は休戦協定をよく理解していないようだな」
ネイクーンの岸に近い所まで来て、橋で喚いていた貴族の側にカウティスが歩いて来た。
先日の話し合いの席では同等の立場で話をしていたカウティスが、高圧的に顎を上げて見下ろすので、貴族は僅かに怯んだ。
「職人の意見を聞く時間を与えてやったにも関わらず、国家間での取り決めを簡単に変えようとする貴公は、一体どんな権限を持っているのか。ネイクーン王族の私に解るよう、この場で述べてみよ」
その眼力は高位貴族以上のもので、言葉に含まれる圧は重い。
気付けばカウティスの後ろには兵士が整列し、自分の後ろにいるザクバラの者達は、護衛騎士一人を除いて、皆膝をついていた。
貴族は冷や汗を流しながらも、何とか踏ん張り、僅かに震える人差し指をカウティスに向けた。
王族を指差した事に、周囲の者達は息を呑む。
「いや、しかしネイクーンは……」
「……他国の者とはいえ、これだけの衆目の下で王族に不敬を働けば、腕の一本落とされても文句は言えんな」
貴族の言葉を遮り、カウティスは流れるように腰の長剣を抜くと、刃の先を貴族の手首に充てがった。
刃が光を弾き、貴族はその場で腰を抜かす。
「ここは両国が復興を目指す場だ。これ以上の妨げになるなら、腕一本では済まぬかもしれぬ。よく覚えておけ」
カウティスは軽く剣を振って鞘に仕舞うと、長いマントを翻して去った。
「あれで大人しくなると思うか?」
カウティスが聞くと、ラードが可笑しそうに笑う。
「なるんじゃないですか? 権力を見せつけるというより、武力の脅しになってましたけど」
カウティスが口を歪めると、セルフィーネが上目に見て言う。
「血は見たくない」
「まさか、あんな阿呆斬らないぞ」
カウティスが本当に嫌そうに顔を顰めるので、セルフィーネは笑った。
マルクが、ザクバラの作業場から追い出されたという魔術士を連れて来た。
マルクが近くへ来ると、セルフィーネはフイと顔を背けて消えてしまった。
水の精霊の魔力が上空へ上っていくのを見て、マルクは内心ガックリとする。
「あの新しい代表に掻き回された感はありますが、建造途中だった所から、順調に作業は再開されています」
若草色のローブを着た魔術士が報告する。
ザクバラ国の現場は、国境地帯が浄化されるまで、魔獣が現れて死傷者が出た所で放置されていた。
幸い建造途中の堤防が魔獣によって破壊されることはなく、そこから再開することが出来たようだった。
「正直なところ、あれ程掻き回されたら作業場はもっと混乱するものかと思っていたのですが、ザクバラの作業員達は意外と落ち着いているのです」
「そうなのか?」
リィドウォルから代表が変わったことで、ザクバラの作業場の雰囲気が変わるのではと懸念していたが、そうでもないらしい。
それはそれで良いことなのだろうが、あんな阿呆に変わったのに、意外だ。
「不思議に思って聞いてみても、皆それに関しては口を閉ざすのですが……」
短期間ではあるが、共に技術を学び合って協力して作業を進めていると、親しくなる者もいる。
魔術士が親しくなった職人の零した話では、年が明ければ、担当はマシな者に替わると聞かされているという。
「年明けに?」
「はい。年明けまで我慢すれば良いのだと」
カウティスはラードと顔を見合わせた。
あの阿呆の貴族は、約二ヶ月間の中継ぎということなのだろうか。
それにしては、まだまだ先のことにも口を出していた。
ベリウム川の景観を損ねるとして挙げていた場所は、一年以上先の予定地だ。
「本人は、中継ぎと聞いていないのでしょうか」
「どうだろうな。それよりも、年明けと期限を切ってあるのが気になる。その時期に、一体何があるのだろう」
カウティスは腕を組んで考えるが、全く掴めなかった。
ラードが他の作業員にも話を聞くと言って、若草色のローブを着た魔術士と歩いて行った。
カウティスは残ったマルクを見て聞く。
「セルフィーネは
魔術素質のないカウティスには、セルフィーネが姿を消してしまうと何処にいるか分からない。
マルクは空を見上げて頷いた。
「はい。……すみません、私が近付くと離れてしまわれましたね」
せっかく胸に添っていたのに、邪魔をしてしまったようで、マルクは申し訳ない気持ちになる。
「私には魔術士の魔力干渉がどういうものなのか分からないが、私達にとって魔力干渉は、直接肌に触れているような感覚なのだ。だからそなたの提案は、セルフィーネにとっては『触れ合わせてくれ』と言ったようなもので……」
「申し訳ありませんっ!」
改めて説明されて、とんでもないことを言ったと、マルクは冷や汗を流す。
「もう良い。だが、セルフィーネは暫くそなたには近付かないかもしれない。許せよ」
最近、セルフィーネがマルクに頼っていたところがある気がして、なんとなくモヤモヤしていたカウティスには、好都合だ。
「マルク、セルフィーネが生命を持っているかもしれないという話は、誰かに話したか?」
カウティスの問い掛けに、マルクはブンブンと首を横に振る。
「まさか! お二人の私的な事にも関わりますから、ラードさんにも、誰にも話していません。あくまでも、私の仮説で」
恐縮するマルクに、カウティスは一つ頷く。
「それならば、このまま誰にも言わないでくれないか」
カウティスは、目を瞬くマルクを見つめる。
「魔術士として、そなたは魔力に関係することを解明したいのかもしれないが、諦めて欲しい」
「……それでよろしいのですか?」
マルクが躊躇してから言った。
水の精霊が生命を得るかもしれないということは、解明出来ればカウティスにとって、人生を変える出来事かもしれないのだ。
カウティスは強く奥歯を噛む。
触れ合えば触れ合う程、彼女にもっと触れたいという欲が湧いてくる。
セルフィーネに実体があったなら。
そう願う気持ちがあるのは確かだ。
だが、それ以上に彼女を傷付けたくない。
「良い。これ以上セルフィーネの周りに余計なものを近付けたくない」
進化の可能性を知れば、司教に続き、今度は魔術士達がセルフィーネを求めるかもしれない。
それはカウティスもセルフィーネも、避けたい事態だった。
「……分かりました。私一人の胸に収めます」
マルクは真摯に向き合う。
カウティスは薄く笑んで頷いた。
セルフィーネと共にいたい。
もう、誰にも邪魔されたくなかった。
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