真実の世界

ラードが拠点に戻ったのは、翌日の昼の鐘が鳴る頃だ。

「なかなか人使いの荒い王女様でした」

水を飲んで一息付いたラードが、そう溢す。


マレリィの誕生祭に間に合うよう、ラードがカウティスを帰らせた手際を見ていて、メイマナが諸々の手配をラードに任せたのだ。

王城まで付き添い、エスクト領主への仲立ちもして、今回一番大変だったのはラードかもしれない。


カウティスは小さく笑う。

「お疲れだったな」

「まあ、王太子の為になったのならいいですよ」

ラードが肩を竦めるのを見て、カウティスは不思議そうに言う。

「前から思っていたが、そなた、兄上には随分誠実だな」

「普段は不誠実みたいに言うのは止めてくださいよ」

ラードが嫌そうな顔をした。

「自らが誠実であろうと努力する方ですからね、そりゃあ自然とこちらもそうなるでしょう。あ、心配しなくても、私が一番誠実にお仕えしているのは王子ですよ」

「そんな心配してない」

ニヤリと笑って言うラードを、カウティスはひと睨みしておいた。



下男が運んできた昼食を受け取って、マルクが部屋に入って来た。

マルクが部屋に入って来た途端、今まで黙ってカウティスの胸の小瓶に姿を現していたセルフィーネが、サッと顔を背けた。

上空うえにいる」

そう言うと、カウティスの返事を待たず、姿を消してしまう。


逃げるように消えた魔力を見て、マルクは栗色の眉を下げた。

最近は、水の精霊と良い関係であったと思う。

カウティスとは違うが、信頼や親しみというものも感じていた。

元々マルクは、水の精霊に対し憧れのようなものを抱いて王城の魔術士館に入った為、最近の関係は舞い上がる程に嬉しいものだった。

それなのに、昨日の不用意な言葉で、水の精霊の機嫌を損ねてしまった。

もう、あの美しい魔力を自分に向けてくれることはないのだろうか。



ラードはマルクが小さな溜め息をつくのを見ながら、食事の盆を受け取ると机に置く。

魔術素質がないので、セルフィーネがいたことも消えたことも分からず、口を開いた。

「それで、せっかく中央に戻ったので、城下でザクバラ国の情報を入れようと思ったんですが」


ラードは城下にいる時には、情報屋や傭兵ギルドで様々な情報を得てくる。

だが、ザクバラ国に関しては有益な情報が少ないらしい。

敵対している期間が長く、その度に交易も断絶されるので、他国より情報が入り難いのだ。

それでも完全に人の流れは止まらないもので、噂話は多く、真贋しんがん定かでない情報が散らばっている。


「リィドウォル卿はやはり更迭こうてつされたようです。人事編成を行ったのが誰かは分かりませんが、辺境の方、特にネイクーンとの国境に近い辺りでは、かなり落胆の声が上がっているようです」

ラードの言葉に、カウティスは口に入れようとしたパンを持つ手を止める。

後任の代表のペッタリとした口髭を思い出して、顔をしかめた。

「あれは落胆するだろうな」

「リィドウォル卿は、復興に力を入れるべきだと、過去に何度も貴族院でぶつかっていたそうで、辺境での人気は高いようですからね」

誰だって自分達の平穏な生活が大事だ。

それを蔑ろにする中央より、守ろうとしてくれる一貴族の方を支持したいのは当然だ。



「それから……」

ラードが歯切れ悪く言うので、カウティスとマルクは顔を上げる。

「ザクバラ国王が、実は既に崩御しているのではないかという噂が」

「何?」

カウティスが眉を寄せる。

「あくまでも、噂話です。何でも、数年前から国王は公式の場に一度も姿を見せていないとかで」

「一度も?」


カウティスは手に持っていたスプーンを下ろし、目をすがめる。

国王が何年も公式の場に現れないなど、普通ではない。

老いて身体の自由が効かないとしても、何年も姿を見せられない程なら、譲位が妥当だ。

ザクバラ国王は80に近い歳のはずで、確かにいつ亡くなってもおかしくはない。

しかし、もし亡くなっていたとしても、隠しておく必要があるだろうか。


「大病を患っているということは?」

「それも考えられることですが、オルセールス神殿から司祭や神官が頻繁に行き来することもなく、聖人や聖女への要請もないとかで」

王族の、ましてや国王が病気ともなれば、必ず聖職者に頼ることになるはずだ。

それがないならば、怪我や病ではないのかもしれない。

「それにしても、死亡説は乱暴だな」

「そうですね。もう少し探ってみます。ザクバラ側の作業員にも、上手く話を聞いてみましょう」


ラードが最後のパンを口に入れて、手のパン屑を払う。

「……で、私がいない間に何かありましたか?」

ラードが、カウティスとマルクを見比べるように視線を動かした。

「何もないが」

カウティスが素っ気なく答えるが、マルクはバツが悪そうにしていた。




建物から出て、魔術士の詰所へ向かうマルクを、ラードが後ろから羽交い締めにする。

「わっ! なんですか!」

「ちょっと来い」

そのままマルクは、木陰へズルズルと引っ張られて行く。


「で? 何をやらかした?」 

ようやく腕を離したラードが、マルクに向かって無精髭の顎を上げる。

「な、何で私がやらかしたって分かるんですか?」

マルクが目をぐるぐると動かすと、ラードがその眉間を指で弾いた。

「そりゃ、挙動不審だからだろう。王子もお前も、隠し事がヘタだねぇ」

ラードの言い様に、マルクは脱力する。


それで? と目線で促され、マルクは鈍く口を開く。

「……王子と水の精霊様の魔力干渉に気になる点があって、私も魔力干渉させて欲しいとお願いしたんです」

その内容に、ラードが顔を歪める。

「阿呆か? そんなこと言えば王子がどんな反応をするか、想像つくだろう」

マルクは黙って唇を噛む。


「これだから魔術士っていう奴は……」

ラードは深く溜め息をついた。

偏見かもしれないが、高位魔術士というのは、魔術や精霊等の魔力に関することになると、どうも視界が狭まる傾向があるように思う。



ラードが改めてマルクに向き直る。

「俺は魔術素質がない。だが、王子が水の精霊様と深く関わっていく以上、今後も魔力に関することは避けて通れないだろう。……その点では、マルク、お前を頼りにしているんだ」

マルクは顔を上げ、普段は自分に向けられないラードの真剣な表情を見つめる。

「一緒に、カウティス王子を支えてくれ」


マルクは息を呑んだ。

魔術素質が高い平民だからか、王城勤務になっても、平民出では大した働きは出来ないと貴族出の魔術士達に影で笑われた事もある。

それが、王子の唯一人の側近であるラードが、『お前が頼り』だと言う。


マルクは奥歯を噛んで、緑ローブの裾を力一杯握った。

「はい! 私の力の及ぶ限り、頑張ります!」

「力み過ぎだ」

ラードが呆れ気味に言った。





日の入りの鐘が鳴って、カウティスは一人ベリウム川の川原へ下りた。


浄化される以前と違って、ゴロゴロと転がる石の間に、所々草が生い茂る場所があり、水際まで来てもサラサラという水音に混じり、涼し気な虫の声が聞こえる。


カウティスは、風で揺れる草に目をやる。

本当にこの虫も、人間自分とは違う世界の層にいるのだろうか。


昨日、マルクから神話の話を聞いてから、自分が立っている世界が揺らいでいる気分だった。

今見えている景色は偽物で、本当は全く違う物なのだと言われたようで、薄く不安が纏わりついたままだ。



「セルフィーネ」

月の青白い光の下、水際でカウティスが呼ぶと、セルフィーネはいつもより少し間をおいて人形ひとがたを現した。


「……ベリウム川で姿を見せない方が良いのではなかったのか?」

セルフィーネは小さく首を傾げる。

神聖力は完全に制御出来るが、ザクバラの民を刺激しないように、川原ではずっと会わないようにしていた。

「どうしても、そなたに触れたかったのだ。良いか?」

カウティスがセルフィーネの頬に手を伸ばす。

セルフィーネは戸惑いながらコクリと小さく頷く。

やがて魔力干渉が始まり、カウティスの左手が、柔らかく滑らかな彼女の頬を感じた。


「……セルフィーネ、そなたは何処にいる?」

世界の層を繋いでいるのが精霊だというなら、セルフィーネは何処にいるのだろう。

彼女は本当に、今どこかで生命を得ようとしているのだろうか。

頭の中は、混乱したままだ。


「カウティスの目の前にいる。……どうした? マルクが何か言ったのか?」

セルフィーネは気遣うように、カウティスの瞳を覗き込んだ。

昨日マルクと話してから、カウティスの元気がない。

カウティスは彼女の頬を親指でなぞる。

「神話を……世界の成り立ちを聞いて、何だか分からなくなったのだ。自分の知っている世界が、急に変わってしまったようで……」



セルフィーネはカウティスの揺れる瞳を見つめたまま、暫く黙っていた。

「……知り得なかった事実を知って、不安か?」

セルフィーネの気遣う様な瞳と声音に、カウティスの指がピクリと動いた。

彼女は頬に添えられたカウティスの左手から離れると、白い両腕を伸ばして彼を抱きしめた。

細い指が、カウティスの背中で服を握る。

胸に柔らかな身体の重みを僅かに感じて、カウティスは息を詰めた。


「カウティスは以前、言ってくれたな。今更私がネイクーン王国に“貸与された”と知って、何が変わるのかと。私の真のあるじがネイクーン王族でなくて、何が問題なのかと」

竜人ハドシュが王城から去り、知らなかった事実に皆が混乱した時、カウティスは言った。


『 彼女はネイクーン王国を大切にして、ずっと守ってきた。それが事実であって、真のあるじが私達でないことの、何が問題でしょうか 』


「同じだ、カウティス。そなたの世界は、今そなたの前に広がっている。そなたが精一杯生きてきた過去の全てが事実で、それがそなたにとっての本物の世界だ。世界の成り立ちを知って、何が問題になるだろう」

セルフィーネが唐突に魔力干渉を終わらせる。

感触を失っても、彼女はカウティスを抱き締めたまま、紫水晶の瞳で優しく見上げた。

「信じて欲しい。触れられても触れられなくても、例え見えなくても、私はカウティスの側にいる。人間でも、精霊でも、ここにいる」

セルフィーネはカウティスの左胸に手を当てる。

「それが私達の世界だ、カウティス」



セルフィーネの美しく輝く瞳に、カウティスは息を呑む。


何を揺らぐ必要があったのか。

セルフィーネを選んだ時から、どんなに理不尽で不可思議な事が起こっても、彼女を離さないと誓ったではないか。


カウティスは実体のないセルフィーネを抱きしめる。


例え彼女が生命を得ても、得られなくても。

彼女が自分と共に在る。

それが全てだ。

それが間違いなく、自分の真実の世界だ。



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