嘆願

メイマナ王女は、セルフィーネが伝言した通り、午後の二の鐘が鳴る前に王城に着いた。


ネイクーン王城の誰もが驚きを隠せない。


王女は錆茶色の髪をギュッと一つに縛って、白いシャツにズボンを履き、まるで女兵士のような出で立ちで馬に乗って戻ったのだ。

伴に付いたのはメイマナの護衛騎士と、エルノートが付けた護衛騎士に、意地でも付いて行くと馬に縋りついていた侍女のハルタ、そして苦笑いのラードだ。

ラードは、メイマナが王城に最速で戻る為の手配を任され、結局付いて来ることになった。




「王太子様と出来る限り早く婚約を成して、ネイクーン王国へ越したいと望んでおります。お許し頂けますか?」

メイマナは応接室で、王とマレリィにそう訴える。

格好は王女らしくないものだが、その所作も居住まいも美しい。

王とマレリィがソファーに並んで座り、顔を見合わせる。

「こちらとしては願ってもないことだが……」

「そんなに急がなくても良いのですよ。婚姻を結べば、隣国とはいえ母国へは簡単に戻ることは出来なくなります。フルデルデ女王も、心配なさることでしょう」

マレリィの心配そうな表情を見ても、メイマナは微笑んで首を振る。

「分かっております。それでも、少しでも早くネイクーン王国の人間になれるよう努力したいのです。王太子様が即位されるのを、どうしても側でお支えしたいのです。女王陛下もお許し下さるはずです」

輝く笑顔で懇願され、王とマレリィは口を閉じた。




メイマナと侍女のハルタ、護衛騎士は、明日の夜に滞在予定だった離宮へ向かう。

離宮の手前に王太子エルノートが立っているのに気付き、メイマナは近寄って立礼した。


エルノートの表情は固く、顔色は良くない。

その姿は、園遊会の終わりに、メイマナの前で恥入っていた時のようだ。

メイマナは薄く微笑む。

「お食事はしっかり取っておられますか? お顔の色があまり良くありませんわ」

「メイマナ王女。なぜ急いで婚約を成立しようとなさるのです」

メイマナの言葉を流し、より固い表情になったエルノートが問う。

「まあ。私が婚約を急ぐことを喜んでは下さいませんの?」

驚いたように目を見張るメイマナに、エルノートは一つ息を吐く。


「……西部でカウティスから何か聞きましたか?」

そう問い掛けるエルノートは、左の拳を強く握り締めている。

「はい。王太子様の子供の頃のお話をたっぷりと。課題が解けないと朝まで図書館に籠もっていたとか、体調が悪くても絶対自分からは言わなかったとか、弟が欲しがる物はこっそり分けてあげていたとか」

「メイマナ王女」

メイマナがおっとりと楽しそうに語ると、エルノートの声に険が混じった。


メイマナはエルノートの顔を覗き込む。

「……昨夜はゆっくり眠れましたか?」

エルノートがピクリと眉を揺らす。

「やはり、聞いたのですね」

「だとしたら何だというのですか? 水の精霊のことに限らず、私は王太子様の受け入れておられるものを、全て受け入れます。貴方が苦しんでおられるなら、それも共に」

メイマナは少しも揺らがず、エルノートの方が僅かに怯んだ。


「同情ですか?」

「同情? いいえ」

エルノートに固い声で尋ねられても、メイマナは嬉しそうに笑って首を振った。

「むしろ喜んでおります」

「…………喜んで?」

想像を遥かに超える答えが返り、エルノートは困惑する。

「はい。貴方の喜びも苦しみも、私だけが共に出来るのだと思うと嬉しいのです。ですから、これは私の我が儘なのです。お願いです。私を早く、貴方のお側に侍らせて下さいませ」

メイマナは白い腕を伸ばし、固く握られたエルノートの左手を取って、そっと撫でた。


甘えることも、甘やかされることも、自ら遠ざけて生きてきた王太子。

この人が、自分だけに甘えるところを想像すると、背中がゾクゾクする程に心震える。

求婚を受け入れてから、自分がこんなに欲の深い者だったのかと、自分で驚く。

婚約破棄となった時から、異性との関わりを意識して遠ざけてきた。

しかしこの胸は、自分だけを特別にしてくれる人を、ずっと欲していたのかもしれない。


「は……」

脱力したような吐息が聞こえて、メイマナは顔を上げる。

困ったように眉を下げて、エルノートが僅かに笑んだ。

「貴女はいつも、私の想像と違う答えをくれる」

メイマナはエルノートの表情がようやく緩んだことに安堵する。

「お嫌ですか?」

「……いいえ」

エルノートは、メイマナが握っていた自分の左手を開く。

そして、彼女のふっくりとした柔らかな手を、そっと握り直した。





西部の拠点では、マルクが魔術士の詰所で通信を終えたところだ。

南部エスクトの街の魔術士ギルドとの通信で、エスクト領主に協力を求めた。

王城からフルデルデ王国宛の親書と、メイマナ王女の手紙が届き次第、エスクト領の貴族が使者となって、フルデルデ女王に最速で届ける手筈だ。

エスクト領主はラードの兄であるため、話が通るのも早かった。


フルデルデ女王が了承して、フルブレスカ魔法皇国に宛てる国家間婚許可申請書を用意すれば、ネイクーン王国からの同書と共に皇国へ最速で運んで行ける。



「エスクト領主様は喜んで請け負って下さいました」

通信が終わるのを待っていたカウティスに、マルクが笑って言う。

ラードの言うことには、エスクト領主はフルデルデ王国との交易で、王宮への独自ルートを持っているらしいので、女王まで正に最速で辿り着くだろう。


「上手く事が運ぶと良いな。しかし、型破りな王女様だな」

カウティスの言葉を聞いて、近くにいた魔術士が尋ねる。

「あの方が我が国の王妃様になられるのですよね?」

「そうなるだろう」

メイマナが颯爽と馬で去った姿を思い出し、マルクと周りにいる魔術士達も一緒に笑う。

謹厳実直な王太子と、型破りな王女が並んでいる様子は、今はまだあまりしっくりこない。

だが、この数日間、メイマナ王女の慰問の様子を目にしてきた拠点の仲間は、彼女がネイクーンの王妃になってくれることは喜ばしいことに思えた。



皆が楽し気に話している中で、セルフィーネだけが、カウティスの胸でフイと顔を背けたままだった。

「セルフィーネ、そなたの協力のおかげだ。ありがとう」

カウティスが下を向いて言う。

セルフィーネはチラリと顔を上げたが、その顔はふて腐れたように薄い唇を歪ませたままだ。


「何だ? 何故そんなに拗ねている?」

「私はネイクーン王国の水の精霊だ。メイマナ王女はネイクーンの者ではない」

カウティスの問い掛けに答える声も、不機嫌そうだ。

どうもネイクーン王国以外の者に使われたのが気に入らないらしい。

メイマナ王女に“貸して”と言われた時から目付きが剣呑だったのだが、カウティスが頼んだら渋々動いてくれたのだ。


「メイマナ王女は、その内ネイクーン王族になるわけだし」

「でも今は違う。ネイクーン王国の者ではない」

精霊のセルフィーネは物分かりの線引が違うのか、カウティスがどうなだめても、頑なに『ネイクーン王国の者ではない』と繰り返し、形の良い眉を寄せたままだ。

カウティスは苦笑する。

小さな姿で拗ねているセルフィーネもとても可愛くて良いが、そろそろ笑顔が見たい。


すると、二人のやり取りを見兼ねたマルクが口を出した。

「水の精霊様は、メイマナ王女の指示でなく、ネイクーン王族のエルノート王太子様の為に、動かれたのではないですか?」

セルフィーネはマルクを見て、目をパチパチと瞬いた。

彼女の中で何とか納得することが出来たのか、小さくコクリと頷くと、ようやく寄せていた眉根が開いた。

「何だ、なぜマルクの言う事で落ち着く?」

今度はカウティスが口を歪めるので、マルクは苦笑いした。




カウティスとセルフィーネが楽し気に話す様子を、暫く黙って見ていたマルクが、躊躇い気味に口を開いた。

「王子、少しお話したいことがあるのですが」

「何だ?」

軽く聞き返したカウティスが、マルクの真剣な様子を見て席を立った。

「部屋で話そう」


二人は拠点で生活している建物に入り、入ってすぐの広間を抜けて、カウティスの部屋で向き合った。

「どうした、マルク。何かあったか?」

椅子を引いて座るカウティスと、その胸に揺れる水の精霊魔力を見て、マルクは一度深呼吸した。


「魔力干渉のことです」

カウティスが怪訝そうな顔をする。

「水の精霊様から、魔力干渉をすると感触があると伺ったのですが、それは王子もそうなのですか?」

何を思い出したのか、カウティスの頬にサッと赤みが差し、目線が泳いだ。

「……確かに、感触はある。マルクから魔力干渉の話を聞いた時に、感触があるなどとは言わなかったから、最初は驚いたが」


マルクは栗色の眉を寄せ、難しい顔で腕を組む。

普段の気の弱そうな顔でなく、神経質な魔術士という雰囲気だ。

「それがどうかしたか?」

思わずカウティスも眉を寄せて聞くと、マルクが言った。



「王子、私も水の精霊様に魔力干渉させて貰えないでしょうか」




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