婚約予定

風の季節前期月、一週四日。

メイマナ王女は西部での慰問活動を終え、帰路につく。


途中、一旦王城で活動報告をして、フルデルデ王国へ帰国する予定だ。

その際に、王太子エルノートとの婚約申し入れの親書を持った使者が同行する事になっている。

次にメイマナがネイクーン王国を訪れるのは、王太子との婚約が成ってからだろう。



「お礼申し上げます、カウティス王子。ご協力のおかげで、多くの方にお会い出来ました」

「こちらこそ、ありがとうございました。メイマナ王女の活動には学ぶことが多くありました」

カウティスは、見送りに来た宿の前で、メイマナと挨拶を交わす。

活動を終え、馬車での移動になるので、今日のメイマナは旅装のドレスだ。


カウティスはメイマナが西部で活動する間、出来る限り様子を見に行き、手伝える事や参加出来る事を探した。

復興を目指して活動するだけでは見られなかった住人達の姿や本音を知れて、驚くことも多かった。

兄が慈善活動に注力するのは、そういう意味も大きいのかもしれないと感じた。



メイマナは、準備の整いつつある馬車を見ているカウティスの胸を、チラリと見る。

「今日も、一緒におられますの?」

メイマナの視線で、セルフィーネのことを聞かれたのだと分かって、カウティスは頷く。

「はい。共におります」

その返事だけでカウティスの表情が柔らかくなるので、メイマナは感嘆の息を吐く。

彼等が想い合っている事は、この数日間でよく分かった。


カウティスは慰問の場を度々訪れたが、その間に胸に向けて柔らかい笑顔を向けるのを、メイマナは何度も見かけた。

驚いたのは、アスクルの町とは別の町で人形劇を行った時で、大団円のシーンに水の精霊が虹を掛けた事だ。

子供達だけでなく、大人も興奮して水の精霊を讃え、カウティスも民と共に笑っていた。


水の精霊が人々と交わろうとし、人々も見えない精霊の存在を受け入れている。

それは不思議な光景だったが、メイマナには、とても尊いもののようにも思えた。


「……カウティス王子、あの……」

メイマナは口を開きかけて躊躇ためらった。

「いえ、何でもありません」

首を傾げるカウティスに、メイマナは微笑みかける。


ザクバラ国とフルデルデ王国の嘆願は、承諾されたらしいという曖昧な事しか分かっていない。

そもそも、魔術素質の低いメイマナには、精霊を分け与えるということがどういう事なのかすら分からないのだ。

それなのに、今ここで二人に何が言えるだろう。





「次にお会い出来るのは、来年になってからでしょうか」

カウティスの問いに、メイマナは微笑む。

「そうですね。……婚約が成れば、出来るだけ早く王妃教育を受けたいと思っているのですが」


王族の国家間婚では通常、両国が互いの婚約の申し入れを承諾すると、両国揃ってフルブレスカ魔法皇国に婚姻許可を申請する。

許可を得られたら、両国、又は嫁ぎ先の国で婚約式が行われる。

その後、母国で一定期間過ごした後、同等期間を相手国で過ごし、必要ならば妃教育を延長して結婚式だ。

王族の国家間婚は、書簡の遣り取りや、移動にも荷物の運搬にも手間が掛かり、結婚式も盛大で準備に時間が掛かる為、結婚式までにおよそ一年は掛かる。

エルノートとメイマナの場合、今からなら、年内に皇国から許可が下りるかどうか、というところだ。



出発が近付き、メイマナは少しカウティスに近付くと、ずっと心に引っ掛かっていた事を、声を落として尋ねる。

「差し出口とは存じますが……、王太子様は、精神的な疾患をお持ちなのでは?」


カウティスは息を呑んだ。

「どうしてそのように思われるのですか」

カウティスに警戒が滲んだのを感じて、メイマナは急いで首を振る。

「何というか、不安定さを感じる事が少しあったのです。だからどうということではないのですが、ただ、……出来るだけ早くお側にいて差し上げたいと思ったのです。いえ、私ごときがお側にいて何ができるわけでもないのですけれど、ただお苦しい姿を見ると何かお役に立てないかと考えてしまって……」

「メイマナ様」

矢継ぎ早に出てくるメイマナの言葉にカウティスが戸惑っているのを見て、侍女のハルタが後ろから制止の声を上げる。


「あ……、あの、申し訳ありません。本当に、王太子様の事が心配なだけで、……他意はないのです」

どう言えば伝わるかと悩んでいる風のメイマナを見て、カウティスは口を開いた。

「兄が何か苦しみを抱えていたとして、メイマナ王女はそれでよろしいのですか?」

「どういうことですか?」

「共にそれを背負うことになったらと、不安になりませんか?」

カウティスの問いに、メイマナは首を傾げた。

「苦楽も共にするのが夫婦ではありませんの? 少なくとも私はそう思っております。むしろ、王太子様が何かを抱えていらっしゃるなら、それごと抱きしめて差し上げたいわ」

言ってから、はっとしたのか、メイマナは頬を赤らめて下を向いた。

「……最後はお聞き流しください」



「ここにも情の深い者がいたな」

カウティスの胸で小さなセルフィーネが言った。

彼女は穏やかな表情で、メイマナを見つめている。


“情の深い者”という言葉が、カウティスの耳に残る。


メイマナはまだ他国の人間で、兄のことを詳しく話すべきではないのは分かっている。

だが、知って欲しい。

カウティスは拳を握って口を開く。

「実は、兄は以前、ある者に陥れられて心身を大きく損ないました。身体の傷は癒えましたが、未だ心の傷が深く……身体にも影響を与えているのです」


メイマナが息を呑んで、強く眉を寄せた。

園遊会で王太子の急変を見てから、一体何が彼を蝕んでいるのかと思っていたが、それが原因なのだ。

紙のような顔色で、苦し気に身体を折った姿を思い出し、強く胸が痛んだ。


「メイマナ王女、……兄はどんな時も、一人で耐えようとするのです」

カウティスは、それ以上言えずに唇を噛む。

自分にはどうすれば良いか分からないのに、メイマナ王女に、兄を助けて欲しいと懇願しても良いのだろうか。


次の言葉を躊躇ちゅうちょするカウティスを、メイマナは眉を寄せたまま静かに見つめていた。




侍女が馬車の列からやってきて、出発の準備が整ったとメイマナに声を掛けた。


メイマナは、決意と共にキリと顔を上げて、カウティスを見た。

「お話し頂けて嬉しいです。私は王太子様の為に、私に出来ることをしたいと思います。つきましては、カウティス王子にお願いがございます」

「お願い? 何でしょうか」

兄の為になるなら何でもしたいという気持ちで返事をしたカウティスに、メイマナはニッコリと笑って見せて言った。


「カウティス王子の側近と、水の精霊を暫くお貸し下さい」





王城の王の執務室で、窓際に置かれた銀の水盆の水が突然揺れると、小さな水柱が立った。

気付いた侍従が礼をして、急いで王の元へ運ぶ。


水盆を目の前に置かれた王が、何事かと顔を上げると眉を寄せた。

「……セルフィーネ、そなたのそんな顔は初めて見るぞ。何事だ」

セルフィーネは不貞腐ふてくされたように、美しい淡紅色の唇を歪めている。

「私を連絡係のように使う者がいるのだ」

その声もやや不機嫌そうだ。


「カウティスか?」

セルフィーネを使いに出せる者など、他にいないだろうと思い、王が言う。

しかし、セルフィーネは続き間から出てきたエルノートを一瞥いちべつして言う。

「そなたが婚約する予定の者だ」

「メイマナ王女? 王女が何と?」

エルノートが執務机まで近寄ると、セルフィーネは二人の顔を見て言った。

「王女が午後の二の鐘までに王城へ戻る。それまでに、フルデルデ王国への婚約申し入れの親書と共に、フルブレスカ魔法皇国宛の国家間婚許可申請書を用意して欲しい、とのことだ」


王とエルノートは顔を見合わせる。

「王女が二の鐘までに? 申請書? どういう事だ?」

王が青空色の目を忙しく瞬いて、困惑して聞く。

王の言葉を聞いて、近くにいた宰相セシウムも慌てて手にしていた書類を置いた。

予定では、メイマナ王女の一行は、明日の日の入りの鐘までに王城に戻って来るはずだ。


「メイマナ王女いわく、『皇国から最速で婚約許可をもぎ取る』だそうだ。確かに伝えたぞ」

セルフィーネはそれだけ言うと、素っ気なくフイと顔を反らして姿を消した。

「待て、セルフィーネ」

エルノートが慌てて呼び止めたが、水盆の小さな水柱はパシャリと落ちてしまった。



波紋を残す水盆を囲み、三人は困惑して顔を見合わせた。




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