母の大切な人

拠点近くの川原で、つぶらな瞳を大きく見開いたメイマナに言われ、カウティスはたじろぐ。


「なぜ……と言われましても、毎年参加はしておりませんので……」


正面から“なぜ”と聞かれても、メイマナには説明しづらかった。

今年社交界に復帰するまで、カウティスは出来るだけ華やかな場所からは遠ざかってきたし、この何年かは辺境に出ていて、王城に近寄ることすら殆どなかった。

母の誕生日には毎年、カードと贈り物を届けるようには手配している。

今年用意した、母の好きな曲が入った彫金加工のオルゴールは、もう手元に届いているかもしれない。




メイマナは理解できないという様に、眉を寄せて首を傾げた。

「園遊会に参加するということではなくて、母上様にお顔を見せに行かれませんの?」

「え? いえ、贈り物は届けているので、次回王城に戻った時に顔を見せようと……」

メイマナは至極残念そうな顔をする。

「先日のカウティス王子の誕生祭で、王子は誰か大切な方から『おめでとう』と言われましたよね?」

カウティスは怪訝けげんそうな顔をしながらも、思い出して頷く。

セルフィーネの朝一の言葉を始めとして、家族からも、周囲の者からも言われた。

「その『おめでとう』には、『この世に生まれてきてくれてありがとう』の意味が込められていますわ。誰よりも、一番大切な方に言って欲しい言葉だと思います。マレリィ様の一番大切な方とは、どなただとお思いですか?」


カウティスは小さく眉を寄せた。

母の一番大切な人……。

父上だろうか。

それとも、もしかしたら、フレイア姉上と……。


「そなただな」


自分なのだろうかと考えた瞬間、いつの間に来たのか、胸のところからセルフィーネの小さな声がした。

考えを読まれたようで、カウティスの顔にサッと血が上り、耳が真っ赤になった。


メイマナはカウティスのその顔を見て、世話の焼ける子供を見るように、眉をハの字に下げる。

「カウティス王子。特別な日には、大切な人に会えるなら会っておくべきだと思いますわ。突然その機会が奪われる事だってあります。慈善活動をしていると、特にそう思うのです。人は今日元気でいても、明日も同じだとは限りませんもの」

メイマナはきっと、そういう辛い場面を見たことが何度もあるのだろう。


カウティスは唇を引き結ぶ。

自分を守って命を落としかけた、護衛騎士エルド。

死に目に会えなかったエレイシア王妃。

病気で会う度に弱っていくのに、何もしてやれなかったセイジェ。

突然命を奪われそうになった兄エルノート。

そして、魔力を使い果たして消えかけたセルフィーネ。



生きている事は、当たり前の事ではない。



カウティスは胸に添ったセルフィーネを見下ろす。

彼女はカウティスを気遣うような瞳で、黙って見上げている。



「……ラード、午後の予定をずらせるか?」

「明日の昼まで空けてますよ。明日のザクバラとの話し合いは午後からですから、準備はマルクに丸投げしておけば上手くやるでしょう」

ラードが心得ているという様に言う。

まるで今日、カウティスが王城へ帰ると言うことが分かっていたかのようだ。

怪訝そうな顔をするカウティスに、ラードは苦笑して肩を竦める。

「メイマナ王女殿下が仰らなかったら、私が進言するつもりでしたから」

「まあ! それは大変な差し出口でしたわね」

ふふ、と口元に手をやるメイマナに向かって、カウティスは一礼する。

そして、エルノートが付けた護衛騎士にメイマナ王女をしっかり守るように言って、ラードと共に拠点を出た。




ラードによっていつの間にか手配されていた馬を乗り換え、カウティスは王城へ向かう。


「いつの間に準備をしたのだ」

途中の町で休憩し、軽食を摂りながら、そのそつが無い準備に舌を巻いてラードに尋ねた。

「マレリィ様の誕生日に、王城に帰らないって聞いた後ですね」

「どうして黙ってた?」

「そりゃあ、王子が自分で帰るって言うのを待ってたからですよ」

呆れたような表情を向けられて、カウティスは渋面になる。

「大体、昨年までとは状況も違うんですから、堂々と会いに行けばいいじゃないですか」

カップに果実水を入れて渡すラードに、カウティスは一瞥いちべつくれる。

「そうだが……、ずっとこうだったのだから、良いかと思ったのだ」

ずっと離れて暮らしてきたし、エレイシア王妃を亡くした兄弟の手前、実母の誕生日を祝う事に遠慮もあった。


「……私も、会えるなら会っておくべきだと思いますね。言い訳ややせ我慢ってもんは、大抵後悔しますからね」

手に持ったサンドイッチをガブリと齧って、ラードが言う。

ラードの想い人は、もう亡くなったと聞いたことがある。

彼は以前に、やせ我慢をして会わずに後悔したことがあるのかもしれない。




王城には、夕の鐘が鳴る前に帰り着いた。


略装の騎士服のままで帰城したので、着替えるべきかと思ったが、侍女のユリナに園遊会は夕の鐘までだと教えられ、ササッと身支度を整えられて送り出された。

園遊会が終わってから母に会えば良いかと考えていたのに、こうなっては行くしかない。

カウティスは躊躇ためらい気味に、園遊会の会場である離宮の中庭を目指した。



園遊会の会場の中庭には、色とりどりの花が咲き乱れていた。

テーブルが各所に並べられ、大ぶりの花器に白を基調とした花が品良く飾られている。

様々な菓子や軽食が盛られた箇所には、貴族達が優雅に皿を手にしながら談笑していた。


カウティスが躊躇い気味に中庭に足を踏み入れると、気付いた貴族達が次々と立礼する。

基本的には、立場の上の者が声を掛けなければ、下の者は話し掛けてはならない。

それで、カウティスは礼だけ受け取って誰にも声を掛けず、真っ直ぐに奥のマレリィを目指して歩いた。



マレリィは一番奥で、貴族院の重鎮と話していた。

カウティスに気付き、驚いて目を丸くする。

「カウティス。まあ、どうしたのですか。今日は戻らないものだと……」

「……そのつもりだったのですが……」

勢いで来たは良いが、いざ母を目の前にして、周りからも視線を向けられると、カウティスは口籠ってしまった。


ふと、マレリィの姿を見て、カウティスは目を瞬いた。

黒髪をきっちりと結い上げ、細身の濃紫のドレスを身に纏った彼女は、今日の主役だというのに、華やかな装飾品は身に着けていなかった。

艷やかな黒髪に蝶の形をした銀の髪飾りと、白い首元に細い銀の首飾りがあるだけだ。

繊細な彫りに、極小さな赤い宝石が散りばめられていて、彼女によく似合っているが、大して高価なものではない。


それはどちらも、過去にカウティスが、母の誕生日に贈った物だった。


母が自分を想ってくれている事を目の当たりにし、胸にジワリと温かいものが広がる。

カウティスは唇を引き結び、鼻の奥がツンと痛むのを耐えた。


ずっと離れて暮らしてきたからだとか、兄弟に遠慮があったとか、確かにそれも嘘ではない。

しかし、やはり言い訳だ。 

本当は、母を恋しく思う気持ちがどこかにあって、それを認めるのが恥ずかしかっただけだ。



目の前でカウティスを見上げる母を、改めて見つめる。

もう何年も前に身長は追い越した。


「誕生のお祝いを……。おめでとうございます、母上。母上が元気でいて下さって、とても嬉しいです」

カウティスは少し腰を曲げ、母の頬に軽く口付ける。


耳が熱くなるのを感じながら離れると、見下ろした母の顔はとても柔らかな表情で、自分と同じように少し耳が赤かった。



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