西部慰問 (3)
「……し、小動物……」
カウティスが若干引き気味に呟く。
ラードは小さく吹き出し、咳払いして誤魔化している。
「ふるりふるりと、とても可愛らしいのです。一体それは何ですか?」
メイマナが胸を射られたように片手で押さえて、目を瞬く。
極小の魔獣だろうか。
魔獣を飼い慣らして、愛玩動物として飼う事を権威の象徴とする国もあるが、ネイクーン王国はそうではなかったはずだ。
あんな可愛らしい魔力を持つ物とは、なんだろう。
「…………カウティスに“お化け”と呼ばれて以来の衝撃だな」
カウティスの左胸に添っていたセルフィーネが、ボソリと呟いた。
何となく呆れたような顔をしているのは、気のせいではないだろう。
「子供の頃の話だろう!」
思わずカウティスが、耳を赤くして反論した。
メイマナにはセルフィーネの声は聞こえない。
突然カウティスが魔力に話し掛けているように見えて、ポカンとする。
カウティスが咳払いをして、メイマナに向き直る。
「メイマナ王女、少し護衛騎士をお下げ下さい」
人払い出来ないので、声が聞こえづらい程度に離れてもらう。
護衛騎士が渋りながら離れたところで、カウティスは一つ息を吐き、己の左胸を示す。
「メイマナ王女には、ここに、魔力の塊が見えるのですね?」
「はい。カウティス王子が纏っている魔力の一部なのかもしれませんが……」
改めて聞かれると自信がなくなる。
魔術素質は高くないので、それ程はっきり見えるわけではないのだ。
さっきははっきりと区切りがあったように思うが、今はなんとなくそこだけ色合いが濃いような気がする、という程度だ。
「
突然、カウティスがそう言って、メイマナは理解できずに目を瞬く。
「はい?」
「ここにいるのは、水の精霊なのです」
カウティスは苦笑気味に繰り返した。
メイマナは再びポカンとして、口を開いた。
ネイクーン王国の水の精霊といえば、ネイクーン王国を強い護国の魔力で保護し、常に国中を見守っているという特別な精霊のはずだ。
カウティス第二王子は、水の精霊の寵愛と加護を受けているとは聞いていたが、まさか、個人の胸に留まっているとは。
「……本当に、その胸に水の精霊が?」
錆茶色の目を瞬きながら、メイマナが確認する。
「そうです」
カウティスは答えながら、メイマナを警戒気味に窺う。
ネイクーン王国で生まれ育った者は皆、幼い頃から水の精霊の恩恵を感じ、敬う。
それが当たり前だ。
だが、他国から来た者は違う。
精霊は敬う対象ではない。
果たして、メイマナ王女はどうなのだろう。
す、とメイマナが片足を半歩引くと、ズボンの上に何枚も掛けられた赤い薄布を摘んで、美しく立礼した。
「水の精霊様、初めてお目に掛かります。フルデルデ王国第三王女、メイマナ・サトリ・フルデルデでございます」
王族相手に挨拶するように、何の躊躇いもなく立礼したメイマナを見て、カウティスは驚いた。
メイマナ王女には、
「信じて下さるのですか?」
「え? まさか、冗談だったのですか?」
カウティスの問い掛けに、メイマナは逆に不思議そうに聞き返す。
「いえ、本当に水の精霊はここにおりますが……、その、失礼ですが、疑われるかと」
言いづらそうに言葉を選ぶカウティスに、メイマナは軽やかに笑う。
「ネイクーン王族の方々にとって、水の精霊がどのような存在なのかは、存じているつもりです。まさかカウティス王子が、水の精霊に関わることで嘘をつかれるはずがありませんもの」
カウティスは力が抜けた。
「信じて頂けて、嬉しく思います」
「私も嬉しく思います。まさか、このようにご挨拶させて頂けるとは思いませんでした。正式にネイクーン王国に嫁いでからになると思っておりましたので……」
“嫁ぐ”という言葉を口にして照れたのか、メイマナはやや頬を赤らめた。
そして、はっとする。
「さ、先程は失礼致しました! その、ふるりふるりと震える魔力があまりにも可愛らしく、まるでカウティス王子に助けを求める小動物のようでいじらしくて……」
説明すればする程、恥を上塗りしているようで、メイマナが困ったところで、再びカウティスの左胸でふるふると魔力が揺れる。
それを見つめるカウティスは、とても楽し気だ。
「ははっ、そなたが可愛いのは本当のことなのだから、仕方がない」
胸の魔力にそう言って、メイマナには見たことのない笑顔をカウティスが見せると、魔力は明るい色を濃くして更に揺れた。
広場に戻りながら、メイマナはカウティスの左胸をちらりと見る。
さっきまでのように、また周囲の魔力に馴染んで、塊の魔力は見えない。
「いつもそうして一緒におられるのですか?」
メイマナは疑問を口にする。
「いえ、いつもではありません。彼女は国中を見守ってくれていますから」
水の精霊を柔らかく“彼女”と呼ぶカウティスに、メイマナは内心驚く。
さっきの笑顔といい、水の精霊を連れて歩いていることといい、何というか、カウティス王子からは水の精霊への情を感じるのだ。
「確か王族の方々は、水の精霊の人型の幻を見ると聞いたことがあるのですが、それは本当なのですか?」
「幻ではなく、
おそるおそる聞いたメイマナに、カウティスは穏やかに笑んで答える。
そして、胸の魔力もフワリと揺れて、何故か嬉し気に見えるのだ。
その様子を見ていたメイマナは、思い切って聞いてみることにした。
「カウティス王子にとって、水の精霊とは一体どういうものなのでしょうか」
カウティスは足を止める。
広場の近くまで戻ってきていて、メイマナの侍女が駆け寄ってくる。
カウティスはメイマナに真剣な目を向けた。
「水の精霊は、私にとって掛け替えのない者です。生涯を共にすると誓っております」
「王子」
ラードが渋い顔で窘める様に言うが、カウティスは取り合わない。
「司教にも宣言した。それに、私はもう、セルフィーネの前で曖昧にしたくない」
メイマナは驚きに目を見張る。
「……しかし、精霊なのですよね?」
「そうです。それでも、私にとって彼女は特別な
カウティスは躊躇いなく言い切る。
そして優しく左手を胸の魔力に添わせた。
掌に添う魔力がフワリと揺れ、水色と薄紫色の塊が、艶やかな色合いを増す。
メイマナはゴクリと喉を鳴らす。
これは、私の知っている水の精霊ではない。
フルデルデ王国で見る水の精霊は、水場や川で、薄っすらと水色の魔力が流れるだけだ。
一人の人間に添ったり、人間の言葉に喜楽を表すような、そんな近しい存在ではない。
「メイマナ様?」
側に戻った侍女が、口を噤んで立っているメイマナに声を掛けた。
我に返ると、カウティスが気遣うような目を向けている。
「驚かせて申し訳ありません。兄の妃になられる方に、知って頂きたかったのですが、……急ぎすぎました」
他国の者の常識から外れる事なのは、フェリシア皇女の魔力通じで分かっている。
だがカウティスの心配をよそに、メイマナは嬉し気に微笑んだ。
「いいえ、お話し頂けて嬉しく思います。私も早くネイクーン王国の一員となって、水の精霊の
メイマナの笑顔を見て、カウティスはほっと息を吐いた。
広場に戻り、メイマナが皆にスープを配り、一緒に話したりゲームをしたりする間、カウティスも同じようにアスクルの人々と交流していた。
メイマナは、ちらりとカウティスの様子を窺ったが、彼は時折胸の方へ微笑みを送り、また時折胸の魔力もフワリと揺れる。
王太子様が、良く見て欲しいと言われたのは、こういう事だったのだ。
あれが、ネイクーン王国の水の精霊なのだ。
ネイクーン王国を訪れる前に、出来るだけの情報を頭に入れてきたつもりだったが、水の精霊について覚えてきたことと、全くと言って良い程イメージが違う。
ザクバラ国の貴族は何度も言っていた。
水の精霊は、強い護国の魔力でネイクーン王国のみを守っていると。
だが、見れば見る程カウティスの胸で揺れる魔力は可愛らしく、まるで彼を見つめて頬を染める、恋する乙女のように見えるのだった。
いや、実際そうなのかもしれない。
確かに強い魔力でネイクーン王国を守っているのかもしれないが、その核となるのは、王子の胸で揺れている
だとすると、ザクバラ国と共に
ザクバラ国が、過去何度もネイクーン王国の様に水の精霊を与えてくれと嘆願しても、フルブレスカ魔法皇国の竜人族は首を縦に振らなかった。
ネイクーン王国に水の精霊を与えた時とは違い、大陸中が人間で溢れ、どこの土地も人間が切り取って領地としている今、世界を支える精霊を新たに切り取るべきでないというのが理由だという。
つまり、ネイクーン王国の水の精霊は、唯一のもの。
そこでザクバラ国は、ネイクーン王国の水の精霊を分け与えてくれと嘆願したのだ。
メイマナは、背筋に冷たいものが流れるのを感じる。
母国を出る前、嘆願が承諾されたと聞いた。
“分け与える”事になったら、水の精霊はどうなるのか。
微笑ましく添っているあの二人は、無事でいられるのだろうか。
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