西部慰問 (2)

人形劇が終わり、子供達と、その周りで見ていた大人達が拍手を送る。

演者が顔を出せば、その中にメイマナ王女がいて、カウティスは驚いた。


彼女は、今日は外で活動するためか、王族女性には珍しく、裾を絞ったスボンを履いている。

帯からフルデルデ王国の赤い薄布を何枚も垂らしているのは、本来ならスカートを履くべきだからだろうか。




「まあ、カウティス王子。見ておられましたの? 素人演技でお恥ずかしいわ」

挨拶をしに行ったカウティスに、メイマナは挨拶を返し、照れて笑う。

「まさか、メイマナ王女自ら演者として参加されていたとは思いませんでした」

カウティスが言うと、メイマナは楽し気に笑う。

「歌を歌うにも、カードゲームをするにも、一緒にいたしますよ。お菓子を一緒に作ったりも致します」

「慰問とはそういうものですか?」

今まで慈善事業には殆ど縁がなかったカウティスには、驚く内容だ。


「一方的に物品を送っても、それが人々の為に良かったのか分かりません。でも一緒に楽しめば、少なくとも人々が楽しい時間を過ごせたのかどうかは分かりますもの」

「共有することが大事なのですね」

カウティスが真剣な表情で頷く。

「楽しい時間が一番の力になると、私は思っています。相手に笑顔を向けられると、自然とこちらも笑顔になるものでしょう? だからこそ、私も本気で楽しまねば!」

メイマナは錆茶色のつぶらな瞳を悪戯っぽく細めて笑う。

両頬に深く笑窪が出来て、彼女が本気で笑っているのが良く分かった。



「兄やメイマナ王女を見ていると、自分はまだまだ未熟者だと感じます。一人では何も出来ていない。もっと、この国の為に私が出来ることを探して、精進しなければ」

軽い溜め息と共に、カウティスは気持ちを吐露する。

いつも自分の事や、目の前の事にいっぱいいっぱいで、周りに助けられてばかりだ。

もっと、ネイクーン王国にとって役に立つ人間でありたい。


メイマナはカウティスを見て、眉を上げる。

「まあ。私も王太子様も、きっと同じですわ。一人きりでは何も成せません。今日の慰問活動も、カウティス王子が日々復興に尽力されているから実現できた事です」

「……兄も私と同じですか?」

カウティスは驚いて目を瞬く。


子供の頃から何でも卒なくこなす兄は、憧れの存在だった。

勝てるようになったものといえば、剣術くらいだ。

成長して成人しても、自分はまだまだ子供のようで、更にその差は開くばかりのような気さえしていた。


「はい、きっと。皆、一人でできることはほんの僅かですもの。王太子様は、カウティス王子のことを『私が最も信頼する者』だと仰いましたから、とても頼りにされているのではないでしょうか」

『頼りにされている』と言われて、カウティスは胸が熱くなる。

敬愛する兄にそう思われているのなら、こんなに嬉しいことはない。


照れたように笑いながら耳朶を赤くしているカウティスを見て、王子は可愛らしいところがあるものだと、メイマナはこっそりと微笑む。

ふと、カウティスの身体を取り巻いた美しい魔力が、左胸の辺りでフワリと揺れたような気がした。




昼の鐘が遠くから聞こえて、広場では炊き出しの香りが漂っている。

昼は運ばれてきたパン等の食べ物の他に、フルデルデ王国の料理が振る舞われる。


さっき人形劇が行われていた場所には大鍋が三つ並んでいて、ゴロゴロと大きな具の入った赤みのあるスープが煮えている。

初めて見る料理と、嗅いだことのない不思議な香りに、子供達は興味津々だ。


カウティスもまた、ラードと共に大鍋を覗き込む。

「何とも腹が減る香りですね」

ラードが言うと、カウティスも頷いて鼻を動かす。

「……辛いのだろうか」

カウティスは甘い物は大好きだが、辛い物は苦手だ。

フルデルデ王国我が国の香辛料の香りです。辛くはありませんよ」

フルデルデ王国から付いて来ている料理人が、鍋の中を掻き混ぜながら説明してくれる。

周りにいた子供達も、その説明に聞き入って、気が付けばカウティスの周りは子供だらけだ。



西部に派遣されて、町村の修繕を確認したり、復興支援に動き回っている内に、カウティスは様々な場所で顔を覚えられていた。

中央の城下よりも西部の方が、人々にずっと親しみを持たれている。

特に子供は慣れるのが早く、視察中に見かけると手を振ってくれるくらいだ。

今も、子供達は臆することなくカウティスの周りに集まっていて、気付いた大人達の方が慌てて離れるように言った。


「カウティス王子に勝手に触れてはいけない。もう少し下がりなさい」 

町人が子供達の身体を引いて、カウティスに頭を下げる。

大人は、“王族に許可なく触れてはいけない”という規則を知っているからだろう。


カウティスは長く辺境で兵士に交っていたし、メイマナ王女も、慰問先では平民に交じることを良しとしているように見える。

気にするなと声を掛けようとした時、鍋の前へ出ようとしていた少女と、大人に後ろへ引かれた少年がぶつかり、バランスを崩した。


すぐ側で少女が大鍋に向かってよろけたのを見て、カウティスは咄嗟に左手を出した。

少女の肩と鍋の間に手が入り、一瞬、ジュッと熱が通る音がした。

ラードが急いでカウティスの腕と、少女の身体を引く。

「騒ぐな」

カウティスはラードに小声で素早く言って、子供達に向き直って微笑む。

「大丈夫か? 私が近付きすぎたな。皆、鍋は熱いから、もう少し下がろうか」




カウティスの左手の甲が、火傷で赤くなって、一部腫れ始めている。

子供達を任せて人の輪から離れると、ラードに顔を顰められた。

「まったく、貴方はすぐに手が出る。手当するものを持って来ます」

「待て」

町人の所へ行こうとしたラードを、カウティスが止める。

ラードが振り向き、ギョッとして身体を強張らせた。


カウティスの周りで、空中から薄っすらと湯気のようなものが立ち昇り、左手に集まっていく。

それは左手の甲で濃く集まると、水の膜になって手を包んだ。


「セルフィーネ、大丈夫だ」

カウティスが俯き、左胸に添っていたセルフィーネに言った。

彼女は今朝からずっとガラスの小瓶にいて、カウティスと共にアスクルの町に来ていた。

魔術素質の高い者も聖職者もいないので、黙っていれば誰も気が付かなかったのだ。


セルフィーネは眉を寄せたまま、カウティスの左手を見つめていた。

カウティスの左手を覆った水の膜は、とても薄いのにひんやりとしていて、ヒリヒリと痛む甲を心地良く冷やす。

「ありがとう、セルフィーネ。もう良い。大した怪我じゃないから」

「駄目。いや」

薄い唇を引き絞ったセルフィーネが、一層眉を寄せて首を振り、水色の細く長い髪が、ぶわりと広がる。


突然、カウティスの右掌が、皮手袋の下で僅かにチリと痛んだ。

セルフィーネの胸が仄かに光る。

「セルフィーネ、よせ」

次の瞬間、カウティスの左手を覆った水の膜が淡く白く輝くと、光とともに水は霧散した。



セルフィーネの長い髪がゆっくりと降り、サラサラと揺れる。

カウティスの左手の甲は、皮膚の赤みも腫れも消えている。

痛みも全くなく、最初から火傷などしなかったかのようだ。

カウティスは左胸のセルフィーネを見て、驚きに眉を寄せる。

「セルフィーネ……そなた、神聖魔法を」

「王子」

ラードの制止の声に言葉を切り、顔を上げると、メイマナとさっきの少女が立っていた。

メイマナは、ふっくりとした手を口元に当て、驚いた様子でこちらを見ている。



メイマナは、さっきのことを料理人から聞き、カウティスが火傷を負ったのではないかと心配して、少女と一緒に追い掛けて来た。

庇われた少女は、王子に怪我を負わせたのではと、泣きそうになっている。

「あの、あの……すみません、カウティス王子様、さっき鍋に……」

今にも泣きそうな少女の側に寄り、カウティスは左手を見せる。

「大丈夫。何ともなっていない」

ほら、と甲と掌を見せて、カウティスは少女の頭を撫でる。

「心配ない。皆の所に戻りなさい」


安心した少女を、メイマナの侍女が広場へ連れて行く。

それを見届けて、メイマナがカウティスに尋ねた。

「……カウティス王子、先程のあれは、一体何ですか?」

カウティスは逡巡して、口を開く。

「メイマナ王女には、どのように見えましたか?」

その曖昧な聞き返しに、メイマナは小首を傾げ、カウティスの無傷の左手と、こちらを窺うような彼の瞳を見る。


メイマナに見えたのは、カウティスを守るように囲む、美しい魔力と左手を覆う水の膜だ。

その膜が、神官が神聖魔法を施す時のように僅かに光ったようだったが、一瞬で消えてしまったので、気のせいにも思えた。

ただ気になるのは、今もカウティスの左胸の辺りの魔力がふんわりと丸まり、まるで怯えているように、ふるりふるりと震えて見える事だ。


答えを思案しているメイマナの前で、カウティスが左手を自分の胸の辺りに上げ、大切な物のように丸い魔力に手を添えた。

すると魔力の震えが止まり、喜んでいるのか明るい色を滲ませる。



メイマナは息を呑んで、両手で口を押さえた。

「……私、正直に申せば、魔力素質が低いのでよく分からなかったのです。ただ、カウティス王子の左胸の魔力だけ……」

カウティスが僅かに身体を強張らせる。


メイマナは、錆茶色の目を潤ませて、小さく首を振った。

「まるで小動物の様に可愛らしい、その魔力は何ですの!?」


堪らず、きゃ~と叫びそうな様子で言ったメイマナに、カウティスもラードも、そしてセルフィーネも唖然とした。



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