独占欲
土の季節後期月、六週三日。
カウティスは朝食後、王の執務室にいた。
今朝は早めに西部へ出発する予定だったが、城下から戻って来たラードが気になる噂話を持って帰ったので、報告するために出発を遅らせた。
「西部に大規模な聖堂が建つと、既に決定した事として民の間に噂が流れています」
いつものように、執務机の椅子に王が着き、その後ろに宰相セシウム、机の前に王太子エルノートが立っている。
「決定していると?」
「はい。世界的に見ても、オルセールス神聖王国管轄地以外に聖堂が建つのはネイクーン王国が初めての事で、世界史に残るだろうと」
皆が顔を見合わせる。
建築には数年を要するが、それによって西部は様々な恩恵を受けるだろうとか、落成の後には司教が派遣され、駐在することになるだろうなど、細かな噂がかなり出回っているという。
民にしてみれば、自国が神の恩恵を与ることになるのは、喜ばしい事に違いない。
一昨日の、カウティスが誕生祭に水の精霊を従えていた事と共に、慶福の事柄として急速に広がっているらしい。
「噂の出元は、おそらく神殿です」
ラードが言う。
短期間で広がり、広がっているのに何処で聞いても殆どブレがない。
意図的に広がるよう、多くの場所から同じ内容を撒いたのだ。
「……イスターク司教か」
エルノートが呟き、王が苦々しく顔を歪めた。
カウティスも眉根を寄せる。
貼り付いたような笑みで去ったイスターク司教は、やはり大人しく引き下がりはしないのだ。
「先手を打ってきたな」
忌々しいというように、王が溜め息混じりに腕を組んだ。
司教は、こちらがフルブレスカ魔法皇国に伺いを立てる前に、民に決定事項として植え付けようとしている。
しかも、まだオルセールス神聖王国から正式な申し入れがあったわけではなく、こちらは司教個人の進言として話を聞いただけだ。
皇国にこちらから伺いを立てれば、まるでネイクーン王国から望んで、聖堂建築を願い出ているようだ。
聖堂を建てることは、回避出来ないだろうと思っていたが、早々に着手するのは避けたかった。
せめて、数年後。
国境地帯の復興が進み、西部の人々が日常を取り戻すことが最優先だ。
その為の、ザクバラ国との休戦条約でもある。
オルセールス神聖王国に横槍を入れられるのは、正直に言って迷惑だった。
だが向こうは、待つつもりはないらしい。
「こうなっては、時間を置くほど向こうの思う流れに持っていかれる。セシウム、神聖王国に、聖堂建築について急ぎ確認せよ。向こうが我が国に何を求めているのか、まずはっきりさせねばならぬ」
王の固い声に、セシウムが一礼する。
カウティスは、浄化された西部の国境地帯を思い、小さく溜め息をつく。
嘆き狂う精霊を、魔獣の出現に苦しむザクバラの民を、どれ程の痛みを超えてセルフィーネが救おうとしたか。
それも全て終わったこととして、あの地に聖堂を建てようとする神の国が、あまりにも図々しく感じ、腹が立った。
カウティスとラードは、予定よりも遅く、午前の一の鐘半で出発する。
ちょうどメイマナ王女も、そろそろ出発というところで、西部でお待ちしていますと挨拶をしてから先に王城を出た。
国境地帯からあまり離れておらず、紛争時にあまり被害を受けなかった街に寄り、メイマナ王女達の一行が滞在する準備が整っているか確認する。
歓迎の宴などは辞退されているが、さすがに他国の王女を素泊まりさせる訳にはいかない。
王城から派遣された官吏と領主が、豪華に見えない程度のもてなしは準備しているようだった。
確認が終わると、カウティスの希望で、街の食堂で遅い昼食を摂る。
ここ数日、ずっと王城で食事をしていたので、食堂の雰囲気や、大雑把に盛られた大皿の料理を前にして、カウティスはほっとする。
王城の生活も勿論嫌いではないが、今やすっかり、こんな生活が居心地が良いと思っている。
黒髪が目立たないように、フードを被ったままなのは鬱陶しいのだが。
テーブルの中央に、味付けして焼いただけの肉が大皿で置かれ、付け合せと薄切りのパンを置いた自分の皿に取って食べる。
「すっかり庶民の味に慣れちゃって」
塩と香辛料だけで焼いた肉を、美味そうに食べているカウティスを見て、ラードが笑う。
「美味いぞ?」
「まあ、確かに」
ラードも同じ皿から肉を取って頬張る。
王城で食べる料理も、勿論美味しい。
だがこの焼肉のように、油断すれば舌を焼くほどの熱さの物は出されない。
それに、同じ料理を続けて出さないのが厨房の規定らしく、“これが気に入ったから毎日食べたい”と言っても、最低でも二日は空けられる。
子供の頃から、気に入ったら同じ物ばかり食べたいカウティスには、それが不満だった。
「そういえば、誕生祭の顔見せの時の噂も多かったですよ」
「……何と?」
カウティスが、薄切りパンに肉を挟みながら聞く。
「王族の誕生祭で、水の精霊様が一緒に姿を見せたのは初めてだと。第二王子は水の精霊様の寵児だと言われてましたよ」
カウティスは唇を歪める。
“従えた”とか、“寵児”とか、カウティスとセルフィーネの関係は上下で表現されることが多い。
王族と、王族を
又は、国益の精霊と、加護を受ける王子。
大体はそのどちらかだ。
ただ、お互いを愛しいと思う一組の男女。
自分ではそういうものだと思っているが、なかなかそういう評価は得られない。
だからこそ、おかしな横槍が入るのだ。
リィドウォルやイスタークの顔が頭を過り、思わずカウティスは、皿に置いた肉をフォークでグサリと刺した。
「何です、剣呑な」
ラードが、たっぷり肉を挟んだパンに齧り付きながら、カウティスの握ったフォークを見る。
刺し方に怒気を感じたのだろうか。
カウティスはフォークを抜きながら呟いた。
「……俺は独占欲が強いのだろうか……」
「そりゃそうでしょうよ」
ラードの一言に、カウティスは衝撃を受ける。
「やっぱりそうなのか?」
焦るカウティスに、ラードは呆れ顔だ。
「あれだけ周囲に“水の精霊は俺だけのものだ”と主張しておいて、今更何を言ってるんですかね」
「うっ……」
思い当たる節が多すぎて、カウティスは言葉に詰まる。
ラードは苦笑いしながらもう一口齧る。
「まあ、程度の差はあっても、誰だって好きな相手を独占したいと思うもんでしょう。問題は相性なのでは?」
「相性?」
「束縛を嫌う者と、独占欲の強い者は合わないでしょうし。お互いが無理なく合っていれば、それでいいのでは」
カウティスは、フォークの先で付け合せを突付いて思いに耽る。
昨夜は、カウティスの強張りが取れるまで、セルフィーネは優しく彼の耳の下辺りを撫でていた。
奥歯を噛み締めてた頬が緩むと、ほっとしたように微笑む。
「…………すまない。取り乱した」
「こちらを向いて欲しい」
バツが悪そうに目を逸らしたカウティスに、セルフィーネは、そうねだる。
カウティスがそろりと視線を戻せば、頬を染めたセルフィーネが見上げている。
カウティスが妬くと、以前は不安になった。
でも今は、嬉しいと思う。
何があっても、ずっと側にいても良いと信じられるようになったからだろうか。
自分だけのものだと、他の者に触れさせたくないと主張されると、胸の奥がキュウと引かれたように苦しいのに、頬が熱くなって、今すぐに抱き締めて欲しくなる。
潤んだセルフィーネの瞳に見つめられ、カウティスは堪らず熱い息を吐き出す。
淡桃色に染まった彼女の頬を、両手で大事に包んだ。
「そなたを……俺だけのものにできたら良いのに……」
思わず本音が漏れる。
この美しい
そんな欲が、自分の中に燻っている。
だがそれは決して叶わない。
セルフィーネはネイクーン王国の水の精霊だ。
セルフィーネの紫水晶の瞳が、とろりと揺れて熱を帯びる。
「……嬉しい」
その顔と言葉に胸を掴まれて、カウティスは黒い眉を下げる。
自分でも思うように抑えられない欲を、彼女は柔らかく受け止めてくれる。
「そなたはいつも、俺を甘やかす」
そうして、再びセルフィーネを抱き締める。
実体はなくても、胸に擦り付けるように頬を寄せる彼女が、愛おしくて堪らない。
日に日に増してゆくこの気持ちを、どうすれば良いだろう。
カウティスの胸の疼きは、なかなか収まらなかった。
何を思い出したのか、フードを強く引っ張り下ろすカウティスに、ラードは再び呆れ顔になる。
「何を思い出しているのやら」
「う、うるさい」
カウティスのその上擦った声と、赤くなった首筋で、まあ楽しいことを思い出したのだろうと思い、ラードはそれ以上突っ込むのはやめた。
「まあ私も今は、この肉を独占したいと思ってますけどね」
そう言ってラードは、目の前の大皿から、残りの肉をヒョイヒョイと自分の皿に入れた。
「あっ、ズルいぞ」
そう言いながらも、頰は緩んだままのカウティスだった。
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