疑問

一夜明けて、一足先に西部へ戻ったセルフィーネは、ベリウム川の上空から国境地帯を眺める。


川の流れは今日も穏やかで、白い水鳥が川底を突付いた後、優雅に羽根を羽ばたかせてザクバラ側に飛んでいく。

ザクバラ側にあれからもう魔獣が出現していない証拠で、セルフィーネは安堵した。




拠点に戻ると、ちょうどマルクが魔術士達の詰所で、王城からの通信を受けていた。


ここは、魔術士館の出張所のような状態になっていて、特に土魔術を得意とする者が堤防建造の為に派遣されている。

カウティスには魔術士の消耗具合などは分からないので、誰をどの位の期間派遣するかは、魔術師長ミルガンとマルクで調整していた。



セルフィーネが近くに来れば、大体の魔術士達は気付く。

マルクが一礼すると、皆続いて一礼する。


以前セルフィーネは、魔術士という者は皆、世界に漂う魔力だけを見て、精霊は使われる為にあると言い放つ者だと思っていた。

だが、西部へ派遣される魔術士達は大抵、拠点でのカウティスとセルフィーネの会話を漏れ聞いたり、彼女がネイクーン王国の様々な場所を案じて動いているのを見て、国益としての“水の精霊魔力の塊”ではなく、“セルフィーネ”という、個として見るようになった。


王城で王族とだけ関わっていたセルフィーネには、このような変化は驚きの事態だった。

だが、不思議と嫌ではない。

むしろ彼女にとって、人間との距離が近い感覚のこの拠点は、居心地の良い場所になりつつあった。



「王子が王城を出られるのは、明日に延期だそうですよ。今夜は食事会の予定が入ったそうで」

マルクがお茶を飲んで、水差しの側に留まっているセルフィーネに向かって言った。

カウティスとラードは明日の早朝に王城を出て、夕の鐘までには拠点に戻って来るということだ。


明日王城を出るということは、今夜も庭園の泉で会えるだろうか。

そう考えて、セルフィーネは薄い唇を指でそっとなぞった。

昨夜の魔力干渉を思い出して、何だか落ち着かない気持ちになる。


「…………マルク、聞いても良いか?」

「はい、何ですか?」

マルクは、束になった書類を分別していた手を止める。


「口付けで息が苦しくなったら、どうすれば良い?」


マルクが動揺して、手元に置いてあったカップをガタンと倒した。

側にいた魔術士が、急いで紙束を持ち上げる。

残っていたお茶が机を伝い、パタパタとマルクの靴に垂れた。

「水の精霊様っ!? そっ、それは、わ、私が聞いても良い話なんでしょうか!?」

「他人に聞いてはいけないような話なのか?」

上擦って焦るマルクに、セルフィーネは真剣な様子で聞き返す。

「い、いけないことではありませんが、私が聞いて、王子に斬られたりしないでしょうかぁ」

顔を赤くして怒るカウティスが目に浮かび、マルクはぶるりと震えた。


マルクの独り言のような言葉と、動揺した様子を見て、部屋の中にいた魔術士達が怪訝な顔で視線を送る。

幸い、今ここにセルフィーネの声が聞こえる緑ローブの魔術士は、マルク以外にいない。

「水の精霊様、場所を変えましょう」

マルクは急いで書類を片付け、水差しも抱えて詰所を出た。



マルクは寝泊りしている建物に入り、自分の部屋の机の上に水差しを置いた。

この小さな家屋は、カウティスとラード、そしてマルクの三人が使用しているだけなので、今はマルクしかいない。

セルフィーネの話を、こっそり聞くにはちょうど良い。

それはそれで、カウティスが知ったら怒りそうだが。


「ええっと、それで、もう一度お聞きしても?」

マルクは動揺を抑えつつ、水差しに留まるセルフィーネに向き直った。 

さっきの質問が、聞き間違いであるかもしれないと自分に言い聞かせる。


「口付けで息が苦しくなったら、どうすれば良い?」

さっきと変わらぬ質問をされて、マルクは激しく栗色の目を瞬く。

「えっと、おそらく、鼻で息をすれば良いのだと思いますが」

「鼻で……」

セルフィーネは自分の鼻筋を指先で撫でる。



昨夜、カウティスに口付けされ、柔らかくて熱い感触に、身体中が痺れるようだった。

何度も唇を喰まれ、頭の芯がとろけたところで、深く塞がれた。

息が苦しくなったが、腰を抱かれ、首筋から大きな手で頭を支えられて、身を捩っても離してもらえず、息が詰まって魔力干渉が解けてしまった。

鼻で息をしていたら、苦しくなくて、もっと長くカウティスを感じていられたのだろうか。



「ところで、どうしてそんなことに興味を持たれたのですか?」

マルクはようやく落ち着いてきて、質問を返した。

「…………息が苦しくて魔力干渉が解けてしまったから……」


マルクは栗色の眉を寄せて、真剣に水差しを見つめた。

口付け云々や、何となく恥じらうように魔力が色付いて見えるのは、この際見なかったことにして、今重要なのは、水の精霊が“息が苦しくて”と言った事だ。


「失礼ですが、お二人は、お互いに触れることが出来るのですか?」

「魔力干渉すれば、出来る」

マルクは更に強く眉を寄せる。

「……その、魔力の熱ということでなく、実体としての感触があるということでしょうか」

「人間同士が触れるのとは少し違うように思う。でも、身体の感触は分かる」


アナリナの身体に入って、カウティスと手を繋いだ時とは違う。

それよりは重みを感じない。

しかし、カウティスの骨ばった指も、少し固い髪質も、柔らかい唇も、それぞれが別の感触として感じることが出来る。


マルクは困惑気味に、水差しを見つめる。


魔力干渉をカウティスに教えたのは自分だ。

だが、魔力干渉して魔力に実体を感じるなど、聞いたことがない。

しかも、人形ひとがたはアブハスト王が創り上げた幻のはずで、それに感触があるなど、信じられない。

仮にマルクの想像を超える魔術で、幻に感触があったとしても、“息が苦しい”などということがあり得るだろうか。



つまり水の精霊は、呼吸をして生きているということにならないだろうか。

それとも、より人間の生態に似た人形ひとがたに、変化しているのだろうか。



マルクは水差しの周りで、美しく揺蕩う水色と薄紫色の魔力を見つめる。

ネイクーン王国以外では見ることの出来ない、この美しい魔力。

「マルク?」

黙ってしまったマルクに、セルフィーネが声を掛ける。

不明瞭で、集中しなければよく聞き取れなかった以前より、いつの間にかずっと澄んで聞こえるその声。


マルクはゴクリと唾を飲み込んだ。

目の前の強力な魔力の塊は、何なのだろう。

間違いなく、ネイクーン王国の水の精霊だ。



だが、彼女は本当に、今も世界を支える精霊達と同じ存在ものなのだろうか。






王城の広間では、メイマナ王女を招いた夕食の席が設けられていた。


エルノートにエスコートされてメイマナが広間にやってくると、王に挨拶し、招待の礼を述べる。

メイマナはフルデルデ王国の鮮やかな青いドレスを着て、朱色の薄布を肩に掛け、その上にエルノートから贈られたレースの肩布を纏っている。

女性の立礼をすると、裾やレースがふわりと揺れて、彼女の優雅さが際立った。



カウティスとセイジェも改めて紹介され、和やかに食事会が始まる。


メイマナは社交の場数を踏んでいるので、会話の間を読むのが上手く、ネイクーン王族と揃って食事をするのは初めてのことであるのに、すぐに雰囲気に馴染んだ。

見た目こそエルノートとフェリシアが並んだ時の、揃いの人形のような感じはなかったが、メイマナに向けるエルノートの視線が柔らかく、王は満足した。



「しかし、フルデルデ王国と縁を繋げるとは、めでたいことだ。息子達の代で、南方三国の結び付きが強まりそうで、喜ばしい」

王がグラスを傾けて頷く。

ここで言う南方三国とは、ネイクーン王国、フルデルデ王国、ザクバラ国の三国だ。


「セイジェ王子は、ザクバラ国へ王配として迎えられるとお聞きしております」

メイマナが言うと、セイジェは濃い蜂蜜色の髪を揺らして、軽く頭を振る。

「そうなのです。メイマナ王女のことを義姉上と呼びたいのに、叶いそうにありませんね」


「そうなのですか?」

“義姉上”という響きに胸をときめかせて、メイマナが尋ねる。

「はい。王配教育と婚約期間もあって、水の季節にはザクバラ国へ向かうことになっています。メイマナ王女が我が国で婚約期間を置かれるのも同じ位とすれば、妃となられる頃には私はザクバラにおります」 

メイマナは頭の中でその期間を計算した。

王族の国家間婚は、手順通りに進めれば長い時間が掛かる。

分かっていたはずだが、改めて実際の期間を考えると、とてつもなく先のことに感じて、思わずそれが口に出た。


「はぁ……そんなに待てないわ……」

その悩まし気な声に、皆が手を止めてメイマナを見た。


メイマナ様! という侍女ハルタの声なき叫びが届いたのか、メイマナが皆の視線に気付く。

「……あ、いえ、違うのです、国家間婚の手順に文句があるわけではないのですけれど、あれもこれもに時間が掛かり過ぎてもどかしいというか、一体何の為にあるのか分からない手続きもあって無駄ではないのかとか、早く婚姻成立する抜け道があったら良いのにとか考えてしまってですね……」

んん、とマレリィの咳払いが聞こえて、メイマナは我に返った。

「……申し訳ございません」

頬と耳を赤くして、彼女はそっと口を押さえた。



カウティスは、矢継ぎ早に繰り出されたメイマナの言葉にぽかんとする。

当たりの柔らかな優し気な王女だと思っていたが、それだけではないらしい。

兄を見れば、楽し気に笑って彼女を見ている。

メイマナ王女のこういうところにも、好感を持っているらしい。


王が破顔してグラスを置いた。

「メイマナ王女は早く我が国に輿入れすることを望んでおるのだな? それならば、やはり出来るだけ早く……」

「陛下」

上機嫌に話を進めようとする王の言葉を、冷ややかなマレリィの声が遮った。


漆黒の瞳がキラリと光る。

「心配はご無用です。よろしいですか、陛下」

王はやや不満気に口を閉じた。




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