ある可能性

婚約報告

「メイマナ王女と婚約!?」

カウティスの誕生日の翌日、王の執務室でエルノートから報告を受けた王が、驚愕の声を上げた。

後ろに控えていた宰相セシウムも、驚いて目を見開いている。



今朝は大食堂で普段通り朝食を摂ったが、昨日の誕生祭の宴の話が出ても、エルノートはなんの素振りも見せなかった。

それが、執務室に側妃マレリィがやって来た途端、この報告だ。


王はあんぐりと口を開けてマレリィを見たが、彼女は澄ました顔で、姿勢良く立っている。

だが、やや満足気に見えるのは、王の気のせいではないはずだ。


後ろからセシウムに指摘され、王は開いたままだった口を閉じ、マレリィを上目に見る。

「王太子の選んだ令嬢を気に入らぬと断りを入れたと聞いた時は、どうなることかと思ったが……。結局、そなたの推す王女が王太子妃に収まるようだな」

「そのようでございますね」

涼しい笑顔を向けるマレリィに、王は半眼になった。


エルノートは、内心驚いて隣に立つマレリィを見た。

エルノートが撤回した王太子妃候補の事を、マレリィは自分が気に入らないという理由で断りを入れたと、王に報告していたようだった。

エルノートの視線に気付き、マレリィは僅かに目を細めた。


この国を背負っていくのは自分だと自負していたが、気付かぬところで心配され、手助けされていたことに、今更ながら気付く。

今までは、手を貸されるのは自分が不甲斐ないからだと思っていた。

そうではなく、本当は誰もが、自分一人では思うように生きられないのだ。

信頼し、信頼されて、助け合い、支え合って、目指す道を行く。

そういうことに、即位する前に気付けて良かったと、エルノートは心から思った。



「……そうか、メイマナ王女か。エルノート、そなた自身が望んだのだな?」

王がエルノートの表情を窺うように見る。

「はい、父上」

穏やかな目で迷いなく答えた息子に満足し、王は顎に手をやる。

「ふむ……。では国家間婚になるな。そなたの即位まで残り三ヶ月か……、間に合うか? 即位式と結婚式を同時という手もあるな。よし、セシウム、すぐに皇国に国家間婚の許可申請を送る準備をしろ。……いや、その前にフルデルデ王国と婚約の手続きをして、輿入れ準備もせねばならんな」


突然暴走気味に算段し始めた王に驚き、周囲が慌てる。

「陛下、お待ちを。まずはフルデルデ王国に使者を送らねばなりません。最初にメイマナ王女とエルノート王太子の婚約を申し入れなければ」

セシウムが、国家間婚の手順通りの指摘をすると、王は不満顔で口を尖らせる。

「そんな悠長に進めていては、メイマナ王女が正式に妃になるのは一年近く先だぞ。そんなにも待てぬわ」


エルノートも眉を寄せる。

「父上、婚約期間を置いてからでも遅くはないでしょう」

ゆくゆくは王妃になるからには、王妃教育が必要になる。

皇女フェリシアの時のように、王太子妃である期間が長ければその間に教育できるが、今回は既にエルノートの即位が迫っている。

婚約期間を置いて、その間に王妃教育をするのが妥当だ。


「メイマナ王女を見る限り、妃となる基本教育はもう必要ないだろう。王妃となってから必要な教育をしても良いではないか」

確かに王女であるメイマナは、既に多くの教育を受けて身についており、妃になるのに必要な教育を、一から受けることはないだろう。

しかし、王は簡単に言うが、事は国家間婚だ。

生まれ育った国とは別の国に嫁ぐとなれば、妃として必要な教育内容は随分変わってくるはずだ。


譲る気配のない王を、エルノートは訝しむ。

「何故そんなにも急ぐのですか、父上」

その問いに、王は当然のように答えた。

「早く孫が見たいからに決まっている!」


鼻息も荒く答えた王に、セシウムは眉を下げ、エルノートは頭を抱えた。

部屋にいる文官や侍従達も、やや苦笑気味に目を逸らしている。



ふぅー、と冷ややかな溜息が聞こえて、皆がマレリィの方を見た。

今まで黙っていたマレリィが、そこだけ室温が下がったかのような空気を纏って、薄く笑んで立っている。

「メイマナ王女は、まだ西部への慰問も残っております。王城後宮の事は、私に任されておりますし、今後の事は順を追って進めますので、陛下はご心配なきよう」

「マレリィ、しかし……」

「心配ご無用です、陛下」

食い下がろうとした王に、笑みを深めてマレリィが念を押した。


セシウムには、マレリィの漆黒の目が笑っていないように見えたが、きっと気のせいだろう。





離宮の庭園では、メイマナ王女が満開に咲いた淡黄色の花の前で、溜め息をついた。

微風に揺れる花弁を指で突付いては、また溜め息をつく。

その顔は困ったように眉が下がっているが、頬は赤い。


「メイマナ様、その一帯の花が散ってしまいそうです」

「え? あ、まあ! 私ったら……」

侍女のハルタに言われて、我に返ったメイマナは、足元に何枚も落ちた哀れな花弁を見て指を引っ込めた。


「そろそろ落ち着いて下さいませ」

ハルタが苦笑気味に言うが、メイマナは首を振る。

「ハルタ……やっぱり、昨日のアレは夢だったんじゃないかしら」

「は?」

「王太子様が、私にもう一度求婚して下さるなんて、夢だったのでは?」

ふっくりした手を上気した両頬に当て、真剣に言っている様子のメイマナを見て、ハルタは呆れ顔になる。


昨夜、二人の王子と続けてダンスをしたメイマナが、そのまま人混みに消えたのを見て、大広間に付いていたハルタとメイマナの護衛騎士は慌てた。

会場を騒がせないようにしつつも、急いで主人を探そうとしたところで、カウティスの侍女から、王太子が話をしているので少し待つように言われた。

しかし、主人から離れるわけにはいかないと食い下がり、バルコニーの側で、メイマナが戻って来るまで気を揉みながら待っていたのだった。



「夢ではありません、メイマナ様」

「でも、あの後どうやって部屋まで戻ったか、覚えていないのですもの」

呆れ顔のハルタに、メイマナは言い募る。

「大丈夫です。ちゃんと最後まで、社交をこなしておられましたから」

培ってきた習慣と経験とは恐ろしいもので、求婚を受け入れて夢心地だったにも関わらず、メイマナは宴の最後まで淑女らしくあった。


「そうなの? でも、何を喋ったか覚えていないの。やっぱり夢なのでは? 私ったら王太子様のことばかり考えすぎて、妄想を夢に見たのではないかしらっ!?」

「誰のことばかり考えていたと?」

「だから、王太子様のことばかり……っ」

振り返ったメイマナの目に、庭園の入り口に立つ、白い詰襟のエルノートが映った。

口元に手を当てて、笑うのを堪えている。

その後ろには、見ないふりをしている彼の侍従と、居た堪れない顔のハルタと侍女達がいる。


「お、王太子様!」

声は上擦り、顔は赤くなったが、メイマナは何とか堪えて挨拶をする。

「驚かせて申し訳ない。王女を訪ねて来たら、侍女がこちらだと教えてくれたもので……」

エルノートは笑いを抑えようとしたのか、一度目線を逸らせて咳払いをした。

「そうでしたか。何かご用事でしたか?」

何とか立て直したメイマナが澄まして聞く。

「急な事で申し訳ないのですが、陛下が今夜、王女を夕食の席にお招きしたいと。ご予定はいかがですか?」

「まあ、喜んでお招きに与りますわ」

メイマナは微笑んで了承する。



エルノートはメイマナの側まで近寄ると、彼女の耳に顔を寄せて囁く。

「それで、誰のことばかり考えていたと?」

低い声が耳をくすぐり、ドキンとメイマナの心臓が跳ねた。

恥ずかしくて、何と言い訳しようかと考えて口を開けたが、上体を起こしたエルノートがあまりにも嬉しそうに目を細めるのを見て、口を閉じた。


この方は、本当に私の事を想って下さっている。

夢ではないのだ。

メイマナは胸をときめかせて、正直に答えた。

「……王太子様のことばかり、ですわ」


エルノートは思わず目を瞬いた。

揶揄するように言ったのに、メイマナは情の籠もった錆茶色の目で彼を見上げて、そんなことを言う。

本当は、自分こそが心配になっていた。

心優しい彼女は、二度も求婚した無様な王太子を哀れに思って、受け入れてくれたのではないかと。

それで、侍従に行かせれば済むところを、自ら予定を伺いに来たのだ。


エルノートは、メイマナの柔らかい手を取る。

表情を改めて、エルノートも正直に言った。

「私も、貴女のことばかり考えていました。ですから、夢にしてしまわないで下さい」

「……はい」

再び顔を赤らめて、メイマナは嬉しそうに頷いた。





「明日に延期ですか?」

ラードがカウティスの自室で聞き返した。

「ああ。今夜はメイマナ王女を招いて夕食を共にすると」


カウティスとラードは西部に戻る為、今日の午後には王城を出る予定だった。

しかし、王が今夜食事会を行うので、明日に延期せよと命じた。

メイマナ王女が西部への慰問に出発する前だと、今夜しかないからだ。


元々メイマナは慰問目的でネイクーンを訪れたので、晩餐会などの過度な歓迎は登城前から辞退していた。

園遊会とカウティスの誕生祭での社交も終えたからには、西部への慰問が終われば、フルデルデ王国に帰国する。

王太子との婚約を進めるのはその後になるので、王は一度王族全員で顔を合わせておきたいらしい。



「分かりました。……じゃあ、今日は暇を貰ってもいいですか? 城下に下りて、情報を入れてきます」

ラードはいつも、時間があれば城下で何やら情報を仕入れて来る。

傭兵ギルドや、街の酒場などでは、王城とは違う情報があったり、同じ事柄でも全く違うように伝わっていたりするらしい。


「あれから、西部の噂がどうなっているのかも調べて来ます」

「頼む」

カウティスは頷いた。



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