第二王子の誕生祭 (3)
王城の大広間では、カウティスの誕生祭の宴が続いている。
メイマナ王女と踊った後、王太子を後押しする家門の令嬢と数曲続けて踊ったカウティスは、休憩するために一旦ダンスフロアから離れた。
休憩用に置かれてある濃茶のソファーに深く座ると、カウティスはぐったりと項垂れる。
「まだ終わってませんよー」
ラードが給仕からグラスを受け取ると、カウティスに差し出す。
「それなりには見えてましたよ、王子」
「それなりにか」
笑い含みに言うラードを睨みながら、カウティスはグラスを受け取って、黄味がかった透明の酒を飲み干す。
冷たい液体が喉を通ると、少し汗が引く。
「……兄上は?」
やや声を落とし、ラードに顔を寄せて聞いた。
「予定通り、バルコニーに出られました。誰も通さないように、扉近くに近衛騎士を二人付けてますから、ゆっくり口説かれるでしょう」
横目でバルコニーに出る扉を見て、ラードがニヤリと笑った。
「そなた、楽しんでいるな?」
カウティスが半眼になると、ラードは肩を竦める。
「当然でしょう。どう口説かれるのか、見たかったくらいですよ」
カウティスはラードに唸って見せて、もう一杯グラスを持って来いと指示する。
「二人で何の悪巧みですか?」
爽やかな笑顔で、ソファーにやってきたのはセイジェだ。
銀と濃緑の刺繍がされた、薄若草色の礼服を着て、蜂蜜色の長い髪を後ろで編んでいる。
セイジェもさっきまでフロアで令嬢と踊っていたはずだが、カウティスと違って涼し気な様子だ。
「悪巧みなんてしてないぞ」
口を尖らせ気味に反論するカウティスに対し、セイジェは不満顔で向かいのソファーに腰を下ろす。
「酷いです、兄上。エルノート兄上とメイマナ王女の事を教えて差し上げたのは私なのに、悪巧みに加えてもらえないなんて」
「だから、悪巧みではないと言うのに」
カウティスは渋面になるが、セイジェは足を組んでその上に頬杖を付く。
「では、どうしてメイマナ王女を最初のお相手に? 大方、エルノート兄上に頼まれたのでしょう?」
カウティスは言葉に詰まった。
「ほら、やっぱり。ダンスの後、お二人で人混みに紛れてしまわれたので見失ったのです。ああ! エルノート兄上は、どんな風に王女を口説き落とされるのでしょうね。見てみたかったなぁ」
「同感です」
天井のシャンデリアを見上げて、うっとりと言うセイジェに、グラスを両手に持って帰って来たラードが同意する。
その一つを受け取って、気が合うなと笑っているセイジェとラードを見て、カウティスは溜め息をついた。
全く、とんだ野次馬達である。
宴の前、自室で休憩していた時に部屋を訪れたエルノートは、カウティスの最初のダンスの相手に、メイマナ王女を選んで欲しいと頼んだ。
「兄上でなく、私がですか?」
カウティスは眉を寄せる。
「私が申し込んでも断るだろう。しかし、そなたの誘いは断れない」
今日の主役はカウティスだ。
主役の誘いは断れない。
「最初のダンスは一組だけだ。それが終わった直後なら、私からの誘いもきっと断れないだろうから」
フロアの中心で、一組だけ踊るのだから、会場の視線はそこに集まる。
直後に誘えば、その視線の中で、この国の王太子の申し入れを断ることは出来ないだろう。
「逃げられないようにして、その後どうするのですか?」
カウティスがエルノートの表情を窺う。
エルノートは、一度深呼吸した。
「もう一度、求婚する。王女が私にとって、どういう
決意した様子の兄を見て、カウティスとラードは顔を見合わせた。
「協力致します、兄上」
カウティスはラードからグラスを受け取り、近衛騎士が立つ扉の辺りをチラリと見た。
彼等が動く様子はまだない。
兄の想いが、メイマナ王女に通じると良い。
そう思いながらグラスを傾ける。
「兄上、そろそろフロアに戻りましょう。父上の目線が尖ってますよ」
苦笑気味にセイジェが耳打ちする。
見れば、貴族院の面々と談笑しているはずの王が、こちらに睨みを入れている。
王太子の姿がないのだから、王太子を後援する家門の相手は、カウティスがせねばならないのだろう。
「後何人と踊れば良いのだ」
絶望の溜息をついたカウティスに、セイジェが軽く言った。
「セルフィーネと踊っていると思えば良いのでは?」
ピクリと身体を震わせたカウティスの顔を見て、セイジェは笑顔を引っ込めた。
カウティスは怒っているようでいて、酷く傷付いた顔をしていた。
「無理な話だ」
言い捨てて、カウティスはグラスを置き、立ち上がる。
そして、一番大切な人とは、決して抱き合うことの出来ない
日の入りの鐘が鳴ってから、既に二刻は過ぎた。
庭園の小さな泉には、セルフィーネが一人佇んでいる。
宴は見ないと約束したので、日の入りの鐘が鳴ってからは視界を狭めて、ずっとここにいた。
遠くから微かに聞こえていた音楽は、とうに聞こえなくなった。
招待客等が乗った馬車も、随分前に全て王城の門を出ている。
一日を通して祝いの雰囲気を纏っていた王城は、今はひっそりと静かだ。
おそらく、使用人達は宴の片付けで忙しいのだろう。
厨房付近の水場では、多くの人が動いているのを感じた。
空には白く輝く丸い月が、西の空から随分高い位置まで移動している。
今夜は薄く雲が流れていて、時折月光を遮った。
今日は朝から特別だった。
カウティスの誕生日を最初に祝い、バルコニーに立つときには彼の胸に添って、共に喜びを分かち合った。
嬉しくて、幸せで。
…………それなのに、何故今はこんなに心細いのか。
月光がまた、雲に遮られた。
薄闇の中、セルフィーネは一人佇む。
誰かが走って来る足音がして、セルフィーネは弾かれたように顔を上げた。
花壇の小道から、藍色の礼服を着たカウティスが、息を切らして走り出て来た。
その途端、セルフィーネの心に反応したように、雲が晴れて青白い月光が差した。
セルフィーネは泉の縁から思わず駆け出し、カウティスの胸に飛び込む。
泉の水柱がパシャリと落ち、
カウティスは、セルフィーネが泉から駆けて来るのを見て、姿の見えないセルフィーネを、石畳の上で抱き締めた。
「すまない、遅くなった」
戸惑わずに抱き留めてくれるカウティスに、今まで心細かったのが嘘のように、セルフィーネの心が温かくなった。
カウティスはそのまま泉に近寄ると、手を差し出す。
その手の先に、吸い寄せられるように水が立ち上がると、再びセルフィーネの姿が泉に現れた。
セルフィーネは目を瞬いて、カウティスの姿を眺める。
普段の騎士服とは違い、飾袖や飾緒の付いた藍色の礼服で、銀糸の刺繍が月光に輝く。
青味がかった黒髪も、今日は乱れなく侍女達に整えられて、耳の形まではっきりと見えた。
「とても似合っている。……もう、すっかり大人だ」
セルフィーネが白い指を、カウティスの耳に伸ばす。
「何だ、その感想は。もう随分前に成人したぞ」
顔を顰めるカウティスを見て、彼女は、ふふと笑う。
「そうだな。私の知らない間に大人になった。今でも時々戸惑う」
「戸惑う?」
「そなたを見ていると……初めてのことばかりで、戸惑う……」
カウティスと出会ってから、初めてのことばかり経験する。
一緒にいると楽しかったり、姿が見えないと心細くなったり。
カウティスが幼い頃にもそう思ったが、大人になったカウティスに見つめられると、胸が苦しくなる事もあって、そんな自分に戸惑う。
薄っすらと頬を染めてまつ毛を揺らすセルフィーネを、カウティスはそっと腕を伸ばし、抱き締めた。
深夜になろうというのに、二人は泉の縁に座り、いつものように話していた。
空の薄雲はいつの間にか去り、辺りは虫の声と、サラサラと涼やかな水の音が聞こえるだけだ。
「では、王太子の求婚は成功したのか」
「そうみたいだ。詳しい事はまだ聞けていないが、兄上の顔がとても穏やかだった」
カウティスが社交に苦戦している間に、兄はいつの間にかフロアに戻って来て、高位貴族の令嬢と踊っていた。
ゆっくり話す時間はなかったが、「求婚を受け入れてくれた」とだけは聞いた。
兄の目はとても穏やかで、カウティスは心から喜んだ。
「二人の波長は合っているようだし、魔力もとても良く似ている。お互いが良い伴侶になりそうだ」
セルフィーネも安心したように微笑む。
月はそろそろ中天に差し掛かる。
「誕生日が終わってしまうな」
「こんなに疲れる一日はなかったぞ」
カウティスが情けない顔をして、大きく溜め息をついた。
「……おめでとう、カウティス」
セルフィーネは嬉しそうに笑う。
「最後に言うのも、私だな」
その顔を見て、カウティスは息を詰める。
「……セルフィーネ、魔力干渉したい。良いか?」
熱の籠もった瞳で言われ、セルフィーネは頰を染めて頷いた。
二人は立ち上がり、見つめ合う。
やがてカウティスの目に、少しずつ水色と薄紫色の魔力の層が見え始めた。
セルフィーネの細い手を握れば、掌に彼女の滑らかでひんやりとした肌の感触を感じる。
その手触りは、聖紋を合わせた時よりも、よりはっきりとして感じた。
「来年も、再来年も、いつか歳を取って亡くなる日まで、誕生日の“おめでとう”を最初に言ってくれるのは、そなたが良い」
セルフィーネは微笑んでコクリと頷く。
カウティスは彼女の右手を持ち上げ、そっと口付ける。
「これからもずっと、俺と共にいてくれ、セルフィーネ」
「ずっと、共にいる」
返事を聞いたカウティスが微妙な顔をするので、セルフィーネは小さく首を傾げた。
「分かっているか? 俺は今、そなたに求婚しているのだぞ?」
「…………求婚?」
セルフィーネは目を見開いた。
「俺は未婚の誓いを立てた。生涯、そなただけだ。だから、ずっと俺と共にいてくれ」
目を見開いたままで動かないセルフィーネの顔を、カウティスが覗き込む。
セルフィーネは激しく目を瞬いた。
紫水晶の瞳が、ゆるゆると潤む。
「……セルフィーネ、返事は?」
「…………ずっと、……ずっとカウティスと共にいる」
セルフィーネの潤んだ瞳から、ホロリと雫が落ちる。
「そうだった、そなたは意外と泣き虫だったな」
嬉しそうに笑って、カウティスが指で彼女の涙を優しく拭う。
溢れる涙を拭ってやれることが、堪らなく嬉しかった。
「カウティスの誕生日なのに、私が貰ってばかりだ……」
潤んだ瞳からまた雫が頬を流れて、カウティスは顔を近付けてそれを唇で受けた。
「……それなら、そなたからしか貰えないものをくれ」
言ってカウティスは、己の唇をセルフィーネの頬から、薄い淡紅色の唇に移した。
セルフィーネが目を閉じ、溜まっていた涙が頬を伝う。
カウティスは彼女の細い腰を抱き、頬に添えていた左手を、サラリと柔らかな髪に挿し込んで強く引き寄せる。
セルフィーネが息を詰めて魔力干渉が途切れるまで、カウティスは彼女の甘い吐息と、柔らかな唇をゆっくり味わった。
月が中天を越し、カウティスの誕生日は終わった。
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