第二王子の誕生祭 (2)
「カウティス・フォグマ・ネイクーン第二王子。誕生のお祝いを申し上げます」
大広間によく通る声で名が告げられ、夕の鐘半に宴が始まった。
フルデルデ王国のメイマナ王女が、ネイクーン貴族に先んじて、カウティスに挨拶をし、祝辞を述べる。
その優雅な所作に、皆感嘆の息を吐く。
朱と山吹色のドレスは、フルデルデ王国の薄布を何重にも重ねてフワリと広がり、彼女の白い素肌をより美しく見せた。
その後、カウティスの下には、次々と祝辞を述べる貴族がやって来る。
遠方の領地からやって来た領主貴族もいて、カウティスは、西部に派遣される前と昨夜詰め込んだ知識を、頭の中で必死に掘り起こしながら挨拶を受けていた。
そのせいで笑顔がかなり薄いものになっているのは、仕方ないだろう。
メイマナは会場の端に下がり、こっそりと小さく溜め息をついた。
挨拶を終えたからといって、国賓として招かれている以上、さっさと会場を後にするわけにはいかない。
貴族達と交流を深め、縁を繋いだり、そこで母国の利になる情報を仕入れる事も、大事な役割だからだ。
メイマナは、人の間からそっと大広間にいる人々を見回し、エルノートの姿を見つけた。
エルノートは、カウティスから少し離れたところで、貴族院の者と話していた。
長身の引き締まった身体には、金糸で縁取られた濃緑色の詰襟を纏っている。
髪と同じ、金に近い銅色の飾緒が、彼が動くと共に愉し気に揺れた。
時折薄青の瞳を細め、笑っている。
メイマナは急いで目を逸らした。
胸の奥を強く引かれるように感じ、胸の前で強く手を握った。
あの笑顔を見ただけで、こんなにも苦しくなる。
彼の求婚を断っておきながら、浅ましくその姿を探してしまう自分を、心の中で叱った。
顔を上げると、大広間の下方壁際で、侍女のハルタが心配そうにこちらを見ていて、目が合う。
大丈夫よ、と微笑んで見せて、メイマナは背筋を伸ばした。
私はフルデルデ王国の王女だ。
その責務と役割を果たさなければ。
メイマナは数回瞬きをして深呼吸すると、こちらを窺う貴族達と笑顔で会話を始めた。
王城の鐘塔で、日の入りの鐘が鳴った。
ふと、メイマナは流れていた音楽が変わったのに気付いた。
どうやら、ダンスが始まるらしい。
音楽の変化を合図に、人々が大広間の中央から離れ、自然と円くダンスフロアが出来上がる。
メイマナは中央よりずっと離れた場所にいたので、そのまま貴族と談笑を楽しんでいた。
突然、話していた男性が口を閉ざして畏まり、一礼して数歩下がった。
何事かと思うと同時に、声を掛けられた。
「メイマナ王女」
声のした後ろを向くと、藍色の礼服姿のカウティスが立っていた。
「一曲、お相手願えますか?」
薄く笑んで骨ばった手を差し出され、メイマナは目を瞬く。
今日の主役からの申し込みを断ることはできない。
「喜んで」
メイマナは微笑みを浮かべながら、内心驚いたまま、白くふっくりとした手をカウティスに差し出した。
カウティスの手に引かれ、そのまま広間の中央へ進み出る。
ダンスの始まりは、主役の一組だけが踊る。
曲が始まると、カウティスとメイマナは、大広間の注目を一身に浴びてダンスを始めた。
ダンスに慣れていないのか、カウティスはところどころがぎこち無い。
メイマナは、さりげ無くカウティスからリードを交代し、カウティスがステップを踏みやすいように調整して踊る。
「……申し訳ありません。お誘いしておきながら、下手で」
恥ずかしそうに微笑むカウティスに、メイマナは微笑みを返す。
「いいえ、お上手ですわ。それよりも、私が一番手で良かったのでしょうか。他に良い方がおられたのでは……」
ダンスの最初の相手は、パートナーからと決まっている。
パートナーがいない場合は、未婚の男性ならば意中の女性、又は縁を繋ぐべき相手を誘うのが一般的だ。
メイマナを誘うと、そういう相手だと周囲に誤解されないだろうかと心配になる。
カウティスの場合ならば、妃候補の女性か、後ろ盾を望む高位貴族の令嬢を誘う方が、今後に有利だったのではないだろうか。
カウティスは少し苦い顔をした。
「残念ながら、私が手を取りたい者は、ここにはいないのです」
「まあ……」
カウティス王子の意中の女性は、この場に招くことのできない立場の方なのかしら、とメイマナは考えたが、それ以上は聞くべきでないと口を噤んだ。
一曲踊りきり、拍手と共に二人は離れる。
メイマナは型通り、鮮やかな朱と山吹色のドレスを左手で摘み、右掌を左胸に柔らかく添え、腰を軽く落として僅かの間目を伏せた。
そして、目を開けて身体を震わせた。
いつの間にか目の前には、エルノートが立っていた。
彼はメイマナに、優雅に右手を差し出す。
「一曲、お相手下さい」
メイマナはチラと周囲を見た。
一曲目が終わったばかりで、フロアにはまだ誰も出てきておらず、多くの視線を集めていた。
ここで断れば、王太子に恥をかかせることになってしまう。
メイマナはコクリと喉を鳴らし、そっと白い手を差し出す。
「……喜んで」
型通りの答えなのに、エルノートはどこか安堵したように微笑んで、メイマナの手を取った。
僅かにキュッと握られて、メイマナの心臓は否応なく高鳴る。
二曲目を踊る男女がフロアに出て来るのを待つ間、メイマナは出来るだけ視線をエルノートに合わせないようにしていた。
それなのに彼の視線を感じ、肌に血が上る。
曲を待つ間がやけに長く感じた。
ようやく曲が始まりほっとすると、優しく身体を引かれ、エルノートに腰を抱かれる。
メイマナの心臓が更に強く鳴った。
踊り始めると、エルノートのリードは巧みで、メイマナは導かれるままに身体を動かした。
ステップを踏むことだけに集中しようと思っていたのに、まるで自分の身体に羽が生えたかのように軽やかで、何も考えなくても自然と踊れてしまう。
おかげで、エルノートから注がれる視線の方が気になってしまい、メイマナは視線を合わせないままに、堪らず言った。
「……そんなに、見ないで下さいませ」
二人で添ってダンスをしているのに、見るなと言うのもおかしな話だが、彼女の小さな声に、エルノートも同じく小さな声で返した。
「……申し訳ない。目が離せなかった」
その声で、メイマナの肌に更に血が上り、素肌を晒した肩や背中まで赤くなる。
ターンの時にチラリと見えたエルノートの薄青の瞳が、優しいのにどこか熱を帯びていて、メイマナの心臓は壊れるのではないかと思うほど早く打った。
早く離れたい、早く曲が終わって欲しい。
そう思うのに、心の底では反対に、どうか曲が終らないで欲しいと願っている。
目の前の人に、どうしょうもなく惹かれている自分に、メイマナは泣きたくなった。
メイマナにとって、長い長い曲が終わる。
彼女の口から、安堵なのか落胆なのか分からない息が漏れた。
メイマナは身体を離して一礼しようとしたが、エルノートは握った彼女の右手を離さなかった。
戸惑う間もなく、彼は彼女の手を引いて歩き出す。
「え、え? あの、王太子様、待って……」
突然手を引かれ、メイマナはそのままつられて足を動かした。
ダンスフロアの端でダンスを終えていたので、すぐに人の間に入る。
フロアに出ていこうとしていた貴族にぶつかりそうになると、ダンスの続きのようにエルノートにリードされ、スイと避けた。
「あの、あの、王太子様」
もう一度声を出したのは、人の間を抜け、バルコニーに出る扉を潜った時だった。
人気のないバルコニーに出て、ようやくエルノートは足を止めるが、彼女の手は離さなかった。
小さなバルコニーには他に人はおらず、メイマナは眉を寄せる。
未婚の男女が、伴も連れず二人きり。
これは王太子の立場的に、不味いのではないだろうか。
しかし、エルノートは室内に入る扉側を背に立ち、手を取ったままメイマナを見つめる。
バルコニーには月光が差し込み、彼の顔を柔らかく照らし、明るい銅色の髪が、光に透けて黄金に輝いて見えた。
その姿に思わず目を奪われ、メイマナは言葉を失くす。
「……先日の求婚は、忘れて頂きたい」
突然の言葉に、夢見心地だったメイマナの血の気が下がった。
そうだ、私はこの間求婚を断った。
今ここで胸をときめかせる資格などないのだ。
王太子はきっと、求婚自体を無かったことにしたいのだ。
それはとても辛い想像だったが、メイマナは一度唇を噛み、分かっていますと答えようと口を開きかけた。
「そして、もう一度やり直させて頂きたいのです」
メイマナの言葉よりも先に、エルノートが言った。
メイマナは頭がついて行かず、錆茶色の目を瞬く。
「やり直し……?」
エルノートは、握ったままのメイマナの白い手を持ち上げ、口付けた。
「私の望みは、ネイクーン王国の為、民の為の王となること。幼い頃から、ずっとそれだけでした」
エルノートはメイマナの手を離さないまま、口を開く。
「しかし、貴女に出会って、知ったのです。同じ物を見て笑い、喜び、労り合う相手がいることが、どれ程に心を満たすものなのか」
メイマナが話を聞いて頷き、共感してくれると、心が落ち着いた。
同じ物を見て、同じ様に考えていることを知り、嬉しくなった。
異なる意見があっても、否定せず、深く語り合い、理解しようとする姿勢を尊敬した。
もっと彼女を知りたい、己を知って欲しいと思う、この気持ちは何なのか。
「私は、貴女の事が好きなのです、メイマナ王女」
メイマナはつぶらな瞳を見開き、右手で口を押さえた。
王太子様が、私の事を好きだと……。
エルノートの薄青の瞳はどこまでも真剣で、メイマナは視線を逸らせない。
心臓は激しく鼓動を刻み、息が詰まりそうだった。
「私はこの国の王になる。その隣に、共に同じ方を向き、笑い合い慈しみ合う
カウティスとセルフィーネの見つめ合う姿を見て、自分がそれを渇望しているのだと知った。
「それは、貴女でなくては嫌なのです」
エルノートは、再びメイマナの白い手の甲に口付ける。
「私は貴女が欲しい。どうか、貴女の心を私に頂けないだろうか」
メイマナはゆっくりと目を瞬く。
口は一度開いたが、言葉は出なかった。
想いを寄せた相手が、今目の前で私の心を乞うている。
背中がゾクゾクとして、胸の奥が熱く疼いた。
頷いてしまいたい。
私も貴方が好きなのだと言いたい。
でも、本当に?
本当に私がこの方の隣に立っても良いのだろうか。
私が隣に立って、この方が笑われるようなことがあったら……。
メイマナは決心して口を開き、震える声を出した。
「……でも私は、……私は怖いのです。失敗ばかりの私が隣にいて、もし、もしも王太子様が恥ずかしい思いをすることになったらと、考えてしまうのです。貴方がもし恥ずかしいと思われたら……」
そんなことになれば、もう二度と前を向けない気がする。
エルノートは暫く黙っていた。
扉の向こうからは、明るいダンス曲が聞こえてくる。
メイマナの白い手が細かく震えているのに気付き、エルノートはそっと力を込めた。
「……貴女は孤児院の子供達に、『先のことは誰にも分からない』と仰った。分からないから、良い事を信じろと。私も貴女にそう言いましょう」
エルノートはメイマナの手を両手で包む。
「先の事は分かりません。しかし私は、貴女と共にあれば、笑っていられると信じます。誰かに恥ずかしいと言われたとしても、貴女が側にいてくれるなら、何の痛みにもならない」
「メイマナ王女、貴女も、私の側でそう信じて欲しい」
エルノートは心からそう願い、言葉に力を込めた。
メイマナは唇を震わせた。
彼は、私の不安を、心配を、少しも否定しなかった。
全て受け入れ、それでも共にいたいと、信じると言ってくれる。
「……とうに、……なのです」
鼓動が激しくて、メイマナは思うように声が出なかった。
よく聞こえなかったエルノートが、その声を聞こうと、そっと一歩前に出た。
「もうとうに、私の心は貴方のものなのです」
メイマナは、言って彼の胸に飛び込んだ。
エルノートは難なくメイマナを抱き留め、その柔らかな身体を、長い腕で大切に包んだ。
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