第二王子の誕生祭 (1)

土の季節後期月、六週一日。


カウティスは日の出の鐘が鳴る前に、いつものように泉の庭園にやって来た。

東の空には、まだ月が青白い光を放ち、日の出前の薄闇を柔らかく照らしている。


昨夜は雲ひとつなく、煌々と月光が差していた。

セルフィーネも、きっと存分に月光を浴びたことだろう。



カウティスが泉に近付くと、水柱が立ち上がり、月光を集めるように、淡く光を纏うセルフィーネが姿を現す。

彼女は細い髪を揺らし、紫水晶の瞳を細めてふわりと微笑むと言った。

「誕生日おめでとう、カウティス」

カウティスは微笑みを返し、彼女の頬に手を伸ばした。

カウティスの左手が触れると、白い頬は薄桃色に色付き、彼女をより美しく見せる。

「そなたに最初に言って貰いたかった」

泉の縁に片膝を付き、上体を寄せると、カウティスはセルフィーネの薄い唇に口付けた。




今日はカウティスの22歳の誕生日だ。

王城では誕生祭が行われる。

王城の正面広場が一部開放され、バルコニーから国民に向けて姿を見せるのだ。

今年はカウティスが辺境から帰城したこともあり、城下でも祝いの酒や菓子が多く配られるらしい。



昨日、オルセールス神聖王国の管理官二人は、ネイクーン王国の水の精霊に神聖力はない、という結論を下した。

イスターク司教は、自らの主張が混乱を招いたとして、謝罪して去った。

その貼り付いたような笑顔の下に、どのような感情が隠されていたのかは、あまり詳しく知りたくない。


一先ずこの件は落着したと言って良いが、オルセールス神聖王国が国境地帯に聖堂を建てることは、どの道避けられないだろう。

その時に、また何やら悶着ありそうだと予想して、王が盛大に溜め息をついていた。

代替わりを目前に控えた王太子もまた、何かを考え込んでいた様子だった。          



「昼間は西部に戻るのか?」

「これから戻る。昼には王城こちらに帰って、カウティスの晴れ姿を見るのだ」

楽しみだと微笑むセルフィーネを見て、カウティスは鼻の頭を指先で掻く。

「正直、こういうのは久し振り過ぎて、恥ずかしいのだが」

ずっと表舞台から離れて王族らしくない生活を続けていた身としては、バルコニーから澄ました笑顔で手を振るのが、妙に恥ずかしい気持ちになる。

「何故? 構えなくても普通にしておけば、それだけでカウティスは凛々しくて素敵だが?」

セルフィーネに当然のように言われると、思わず頬が緩みそうになり、慌てて引き締めた。


何故だかいつもより嬉しそうな彼女の様子に、カウティスは笑って聞く。

「何だか嬉しそうだな」

「嬉しい。カウティスがこの世に生まれた日だ。皆がカウティスのことを大事に思って、祝う。それをまた見ることができる。とても、とても嬉しい」


昨日までは、神聖力を制御することに全ての力を注いでいた。

そこから解放され、これからもカウティスと一緒にいられる。

嬉しさと安堵感に、セルフィーネの顔は自然と綻ぶ。


抑えきれないように顔を綻ばせ、瞳を輝かせるセルフィーネに、カウティスの心臓の音が早くなる。

自然と両腕を伸ばすカウティスに、セルフィーネは小首を傾げた。

「……そんな顔をされると、抱き締めたくなるだろう」

耳朶を赤くして言われ、セルフィーネは目を細めて彼の胸に添った。



今日は、カウティスが成人して初めての誕生祭だ。

成人前は昼間に小規模の宴が行われるが、成人した王族の誕生祭では、日の入りの鐘を跨いで、大規模な宴が大広間で行われる。

いわゆる社交の場で、カウティスが最も苦手とする物だったが、勿論今日は避けて通れない。


「……宴は、見るな」

カウティスは、セルフィーネを抱き締めたまま呟くように言った。

セルフィーネは黙って小さく頷く。


宴では、社交ダンスがある。

ダンスは、まず宴の主役が一曲踊るのが決まりで、勿論今日の主役はカウティスだ。

まず率先して、誰か令嬢と踊らなければならないが、セルフィーネには見られたくなかった。


カウティスはセルフィーネから身体を離し、彼女の頬を愛おしそうに指でなぞる。

「宴が終わったら、ここに来る。どんなに遅くなっても必ず来るから、待っていてくれ」

「待っている」

セルフィーネは柔らかく微笑み、頷いた。





カウティスは自室で身支度を整える。

今日は朝から、近衛騎士の正装だ。

宴の時には、式典用の礼服に着替えるらしい。

一日この格好で良いのにと言ったら、専属侍女のユリナを始めとする侍女達に、物凄いダメ出しをされた。

夜の宴には、夜会服と呼ばれる礼服を着るのが決まりで、それ位はカウティスも知っている。

今日の宴の為に、いつの間にか仕立てられていたらしく、既に藍色の礼服が部屋に吊るされていた。


「だが私は近衛騎士なのだし、騎士の正装で良いと思うのだが……」

夜会用の礼服など、数えるほどしか着たことがないカウティスは、騎士服の正装の方がしっくりくるのだ。

礼服でダンスなど、ムズムズする。

出来ることなら騎士服のままでいたい。


「今日は“第二王子”の誕生祭なんですから、仕方ないですよ。まあ、気持ちは分かりますけどね」

部屋の入口近くで言ったのはラードだ。

ラードも今日は正装で、袖口に刺繍の入った渋茶色の詰襟を着ている。

普段、兵士服を着崩して着ていることが多いラードは、元騎士のくせに、襟元を指で引っ張りつつ顔を顰める。

「息苦しいったらないですよ」

「仕方ないだろう。私の側近なのだから、今日はそなたも正装でないと」

さらりと言ったカウティスに、ラードは襟を引っ張る指を離した。

「……私は側近だったんですか、王子」

ニヤニヤ笑いながら尋ねると、知るかとカウティスは明後日の方向を向いた。


「お似合いの主従ですね」

ユリナが言って、カウティスの肩から飾緒を付け始める。

物凄く嫌そうな顔をするカウティスを見上げ、ユリナはクスクスと笑う。

「今日の主役がそんな顔をなさってはいけませんわ。それに、今夜は泉に行かれるのでは? 水の精霊様も、カウティス王子の夜会服を見たいと思いますよ?」

思わぬところでセルフィーネの話題を持ち出され、カウティスはドキリとした。

「……そう思うか?」

「はい。お慕いする男性の凛々しいお姿を、見たいと望まない女はおりませんもの」

うんうんと頷く侍女達を見て、カウティスは吊られた藍色の礼服を見る。


あれを着た自分を見て、セルフィーネは喜ぶのだろうか。

頬を染め、嬉しそうに笑う彼女を想像すると、あれを着るのもそれ程悪くないかもしれないと思うカウティスだった。





午後の一の鐘が鳴る前、バルコニーに出る大扉の前で、カウティスは緊張の面持ちで立っていた。


午前は宰相セシウムと共に、個別に謁見を希望する貴族と面会する時間があったのだが、予想していたよりもずっと多かった。

社交界に復帰してまだそう経っていないが、次期国王の側近という立場が周知され、あからさまに縁を繋ぎたい者が増えてきたのだろう。



「なんて顔をしている」

笑い含みに近付いて来たのは、王太子エルノートだ。

エルノートは朱金糸の刺繍がされた、白い詰襟とマントの正装だ。

兄の方が自分より、余程主役感があるとカウティスは思った。


「既に顔が引きつりそうです。魔獣と戦う方が楽かもしれません」

カウティスは、はあと溜め息をつく。

朝から晩まで王子然とする生活とは縁遠い。

今日は既に随分消耗した。

エルノートはくっくと笑う。

「そなたらしいと言えばらしいが、今日は腹を括れ」

「はい」

返事はするが、カウティスの顔付きは変わらない。


「セルフィーネ」

エルノートは、カウティスの胸に向けて呼び掛けた。

驚くカウティスの左胸に、一拍おいて小さなセルフィーネが姿を現した。

これからカウティスがバルコニーから民に手を振る姿を見ようと、王城の上空にいたセルフィーネは、呼ばれて不思議そうにカウティスとエルノートを見比べた。


「セルフィーネ、カウティスが随分緊張しているようだ。側にいてやってくれ」

エルノートから思わぬ頼み事をされ、セルフィーネは小さな目を瞬いた。

「……カウティスと共にいても良いのか?」

「ああ。カウティスを頼むぞ」

セルフィーネの頬が染まり、水色の長い髪がフワリと広がる。

カウティスが驚いてエルノートを見る。

「兄上」

「セルフィーネばかり見てないで、民を見るのだぞ」

揶揄するように笑い、エルノートはカウティスの肩を叩いた。




カウティスが、バルコニーから笑顔で手を振る。

王城の前庭に集まった民からは、歓声や祝いの声が上がっている。


バルコニーに出る大扉の影から、エルノートはその様子を見ていた。

時折、カウティスは左胸に視線を向け、笑みを深める。

セルフィーネは、カウティスに祝いの言葉を掛ける民を嬉しそうに眺め、カウティスが自分に視線を送る時は、幸せそうに微笑みを返している。



「何だ。何故、セルフィーネが一緒に出ている?」

正装の王がやって来て、呆れたような顔をした。

バルコニーから民に姿を見せるのは、半刻ほどだ。

その最後には、他の王族も姿を見せる。

「良いではありませんか。今日はカウティスの誕生日ですよ」

エルノートは笑って言う。


昨日、イスターク司教と対峙したカウティスとセルフィーネを見て、エルノートは激しく胸を揺さぶられた。

今もそうだ。

信じ合い、強く結ばれた絆。

相手に向ける、揺るぎない愛情と慈しみの瞳。

いっそ妬ましいと思う程に、胸が痛い。


己が心の底で欲している物が何だったのか、否応もなく目の前に突き付けられた。


エルノートはバルコニーの二人を見つめ、眩しそうに目を細めた。




午後の二の鐘半になり、二回目の民への挨拶が終わる。

王族が皆、大扉から室内に入ると、カウティスは安堵の息を吐いた。


「セルフィーネ、そなたがいてくれて助かった」

カウティスは左胸の小さなセルフィーネに手を添える。

彼女が胸で嬉しそうに笑っていると、緊張が解けた。

「この場に共にいられて、嬉しかった」

セルフィーネは頬を染めて微笑んだ。

その笑顔を見ていると、セルフィーネを攫って、この後の宴を放り投げてしまいたくなる。

カウティスは情けなく眉を下げ、セルフィーネは不思議そうに首を傾げた。




宴は、夕の鐘から半刻経って始まる。


まだ鐘一つ分早いが、既に会場の大広間には、招待客である貴族達が集っている。

宴の前にそれぞれが腹を探り合ったり、情報を交換したりするのだが、カウティスは定刻までは自室で過ごす。

軽食を摂り、短い休憩をとってから、宴用の身支度を整えることになっていた。


各方面から贈られた祝いの品の一覧を、ラードと見ながらお茶を飲んでいると、ユリナにエルノートの来室を告げられた。



「兄上、先程はありがとうございました」

「第二王子と水の精霊の仲睦まじい様子が知れて、民も喜ばしいことだろう」

エルノートは軽く笑う。

マルクのように、平民にも魔術素質の高い者は稀にいる。

もし、今日のバルコニーでの様子を見ることが出来れば、その噂は明日にでも城下に広がっているだろう。


照れたような顔で、鼻の頭を掻くカウティスに、エルノートは一度息を吸ってから言った。

「カウティス、頼みがある」


僅かに緊張を感じる兄の様子に、カウティスは手を下ろして、正面から向かい合った。




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