管理官の確認

朝の公務が始まる前、今朝までに王城に上がってきた要請書や請願書を、文官達が仕分けする。

そこに、オルセールス神聖王国の管理官からの謁見要請があった。

朝の仕分けに入っていたということは、昨日の夕の鐘以降に出されたことになる。



「猊下は相当急いだようだな」

苦々しい表情で、王が溜め息をついた。

イスターク司教は、余程セルフィーネを神殿に据えたいらしい。


「セルフィーネ、神聖力を隠す事は出来たのか」

執務机の横に立った王太子エルノートが、カウティスの方を向いて尋ねた。

離れて立ったカウティスの胸には、小さなセルフィーネがいる。

執務机の上には、磨かれた銀の水盆に水が張られてあったが、セルフィーネはそちらに姿を現さず、カウティスに添ったままだった。


「聖女は大丈夫だろうと言った。だが、他に確認できる者がいないので分からない」

聖女の目は、月光神の御力のせいで、普通の聖職者の見え方とは少し違うらしい。

一般の聖職者にどう見えるのか、それは分からない。


どこか不安気なセルフィーネに、カウティスは左手を添える。

「セルフィーネ、きっと大丈夫だ」

カウティスは出来る限り柔らかく笑んで、セルフィーネを見つめた。

アナリナが大丈夫だと言ったのなら、大丈夫なのだろうと思ったが、それ以上に、少しでもセルフィーネの不安を減らしてやりたかった。

だから、何の不安もないような顔をして、彼女に頷いて見せる。

「ずっと側にいる。大丈夫だ、俺を信じろ」

セルフィーネは顔を上げ、暫くカウティスの青空色の瞳を見つめていた。

そして、決意したようにゆっくり頷いた。



「管理官を求めたのはこちらだ。謁見を先延ばしにも出来ぬ。セルフィーネ、頼むぞ」

王が強い口調で言った。 





午後の一の鐘が鳴る。


謁見の間には、聖職者一行が並ぶ。

先頭にイスターク司教、その後ろに管理官であろう二人が並び、更にその後ろに聖騎士が三人付いていた。

皆一様に、右胸に太陽神の赤い聖紋、左胸に月光神の青い聖紋が刺繍された、白いローブを着ている。



イスタークは、やや目尻の下がった大きな瞳をゆっくり細め、立礼する。

「迅速に謁見の場を整えて頂き、感謝致します、陛下」

続けて後ろの五人が立礼した。

壇上の王座には王が座り、一段下には王太子エルノートが立った。

更に壇下には、カウティスと魔術師長ミルガン、宰相セシウムを始め、近衛騎士と貴族院が数名並んでいる。


「思いの外早い登城で、我等も驚いた。それ程に急ぐ必要が?」

王が壇上の王座から声を掛ける。

暗に早すぎだと言っているのだが、イスタークは後ろで縛った焦げ茶色の髪束を揺らし、大きく頷いた。

「貴国の水の精霊の魔力は甚大です。その精霊が神聖力を持つのなら、いつどのような影響が出るか分かりません。放置しておくべきではないと存じますので」


壇下に控えたカウティスは、その魔力はオルセールス神聖王国のものだと言わんばかりのイスタークの微笑みに、怒りを覚えた。

司教は、セルフィーネをただの魔力の塊としか見ていない。

カウティスが“掛替えのない者”だと言っても、彼には理解出来ないことなのだろう。



イスタークに紹介され、後ろに控えていた管理官の二人が前に進み出る。

太陽神の大司祭と、月光神の大司祭の二人だ。


管理官は、大司祭以上の魔力素質のない者にしかなれない。

神聖力を授けられたが召喚に応じない者、神託は下りたが所在のはっきり分からない者等を確認し、オルセールス神聖王国に導くのが管理官だ。

彼等は常に、大陸中の国々に散らばっている。

今回、精霊が神聖力を持ったという前例のない話で戸惑いつつも、職務を全うするべく、滞在中だった隣国からネイクーン王国へやって来た。



「それでは、貴国の水の精霊の神聖力を確認させて頂きます」

前例がない上、王城の謁見の間で、王族に見つめられての確認だ。

管理官の二人は緊張した様子で、ローブの首元から金の珠と、銀の珠を取り出す。


壇下には、王座の間から運ばれた、美しく彫りの入ったガラスの水盆が置かれている。

「セルフィーネ」

王が壇上から呼び掛けると、一拍おいて、ガラスの水盆に小さな水柱が立ち上がった。

初めて見るネイクーン王国の水の精霊に、管理官の二人は驚いて小さく息を呑んだ。



イスタークは管理官の後ろから様子を窺う。

目を細めて、水盆の水柱を注意深く見つめ、焦茶色の太い眉を寄せた。

水の精霊から、神聖力を殆ど感じない。



管理官の二人は、首から下げた珠を左手で握り、右手を水柱に向けて目を凝らす。

時々翳した掌が淡く金と銀の光を放つが、水柱は少しも揺らがなかった。

彼等の目には、水柱から立ち上る淡い青銀色の魔力が見えるが、それは大陸中で見られる水の精霊や土の精霊と同様の物で、魔力自体は非常に大きいが、神聖力とは言い難い物だった。




やがて、彼等はゆっくりと手を下ろし、握っていた珠をローブの中に仕舞うと一礼する。

「ネイクーン王国の水の精霊には、神聖力はございません」

王座と壇下から安堵の息が漏れた。


「何を言うのですか」

イスタークが首を振る。

「以前よりは随分弱いものですが、水の精霊には確かに神聖力を感じます」

イスタークは管理官の二人に詰め寄るが、二人は躊躇いながら彼を見返した。

「猊下、失礼ながら猊下は魔術素質が高い故に、精霊の魔力と神聖力が混同して見えてしまわれるのでしょう」

「極僅かに神聖力を感じましたが、神の御力の強い場所に留まっていれば、僅かに影響を受けるものです。水の精霊は月光神の奇跡が起きた国境付近によく留まっていると聞いておりますし、その影響と思われます。あの程度では、とても聖職者としては認定出来ません」


「そんなはずはありません」

管理官の冷静な言葉に、一層イスタークが語気を強めた。

確かに、国境地帯で水の精霊を見た時、強い神聖力を感じた。

あの、すぐにでも溢れ出しそうな不安定な神聖力が、この短期間で消えるわけがない。

この特殊な聖職者精霊に“慣らし”を行えるのは、自分だけだと思っていたのに、暴走するどころか安定している。

いや、神聖力を持っているとは言い難い程に弱くなっている。

こんなことは有り得ない。


そしてイスタークは、はっとする。

この、有り得ない神聖力操作。

「…………アナリナ、やってくれたな」



管理官の一人が、小さく息を吐いた。

「申し訳ありませんが、管理官の資格があるのは我々です、猊下。我々には、神聖力は確認出来ません」

イスタークの目に一瞬険が籠もり、管理官が怯んだ。




「もう良いだろう」

壇上の王が、よく響く声で告げた。

「慣例通り管理官の確認を受け、我が国の水の精霊には神聖力がないことが証明された。やはり精霊が神聖力を得るなど、有り得ない話だったようだ」


聖職者の一行は姿勢を正し、王に向き直る。

先頭のイスタークに表情はない。

王は一行を見下ろし、威厳ある態度で言葉を続けた。

「聖堂建設の件は断るべくもないが、フルブレスカ魔法皇国の擁護を受ける我等が、先立って話を進めるわけにはいかぬ。よって、皇国に承諾を得た後に、オルセールス神聖王国に親書を送ることとする」




セルフィーネは水盆の上で、ほっと息を吐いた。

神聖力は失くなってはおらず、むしろセルフィーネの魔力に馴染んだ。

しかし、それを上手く隠せたようだ。

アナリナの、やや強引な“慣らし”のおかけだ。


カウティスの方を見れば、彼は微笑んで頷いてくれる。

これで、神殿に据えられることはない。

カウティスと離れなくて済む。

セルフィーネも微笑みを返した。



謁見は終了という時、イスタークが形式的な笑顔を浮かべて、口を開いた。

「陛下、後学の為、一言で良いので水の精霊の声をお聞かせ願います」

「声?」

「はい。精霊の声を聞く機会など、求めてもそう得られるものではありませんので」

イスタークはそう言うと、王の返答を待たず、一歩水盆に近寄って前屈みになり、水柱に顔を近付けた。

司教の突然の行動に、皆一瞬反応が遅れる。


「水の精霊よ。真実を隠せば必ず歪みが出来るぞ。お前のせいで、カウティス王子は酷く傷付くことになるだろう」


小声で冷やかに囁かれた言葉が、セルフィーネを一瞬にして強張らせた。

間近にあるイスタークの焦茶色の瞳に、釘付けになる。


お前の力は分かっているぞ。

隠しても、必ず綻びができ、歪みが広がる。


イスタークの目がそう言っている。



『セルフィーネ、決して動揺しては駄目よ』


アナリナは別れ際に言った。

『司教は訓練の時必ず、動揺するようなことを言うの。心が揺さぶられると、神聖力の操作は甘くなる。見破られるわ』


動揺しては、駄目。

そう思うのに、セルフィーネはイスタークの瞳から目が離せない。


自分のせいで、カウティスが傷付く。

十四年近く前の、あの日のように。

それはセルフィーネが、何よりも恐れている事だ。

セルフィーネの身体を、ふるりと小さく震えが走り、身体の奥から、何かが迫り上がる。



突然、濃紺のマントで目の前が遮られ、セルフィーネの視界からイスタークの瞳が消える。


「お下がり下さい、猊下。我が国の水の精霊が、怯えております」

その声を聞き、セルフィーネは目を瞬いて上を向いた。

カウティスが水盆の前に立ち、肩口に振り向き、こちらを見た。

力強い青空色の瞳に、謁見前に言われた言葉を思い出す。


『ずっと側にいる。大丈夫だ、俺を信じろ』


セルフィーネはコクリと小さく頷く。

カウティスが側にいると思うと、心の底から安心し、彼女はひとつ息を吐いて己の均衡を取り戻した。




聖騎士エンバーが、イスタークの側に寄って制する。

「猊下、御前です」

「……一声、聞こうとしただけですよ」

イスタークは貼り付いた笑顔のまま、身体を起こした。


ピシャッ


同時に、水盆から水が跳ね、イスタークの頬を冷たく打った。



「私は……」

カウティスの背に匿われたまま、セルフィーネは声を絞り出した。


「私は、お主の思うようには、決してならない」

セルフィーネは、決意を込めて言った。



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