求婚 (前編)

土の季節、後期月五週四日。


カウティスは午前に、王太子の最近の体調について話を聞く為、薬師館に足を運んだ。

偶然、薬学講義の為に来ていたセイジェに会い、彼も交えて薬師長と話をしたが、兄は相当な不眠症状があるらしかった。

原因は精神的外傷だという。

未だ兄の苦しみが終わっていないのだと知って、カウティスは胸が痛んだ。


昨夜、父王と話したことで少しでも楽になれたなら良いが、根本的な解決にはどうすれば良いのだろうか。




「カウティス兄上、メイマナ王女にはもうお会いになりましたか?」

突然、思わぬ話題を振られ、カウティスは首を傾げる。

「いや。午後に兄上とお茶をされるとかで、その時に引き合わせて頂くのだが」

メイマナ王女は、月末には西部に慰問に訪れる予定だ。

それまでに挨拶をせねばならないと思っていた。


セイジェが侍従と、意味あり気に顔を見合わせる。

「何だ? 王女がどうかしたか?」

その顔に楽し気な色を見て取り、カウティスが尋ねた。

「エルノート兄上が、メイマナ王女を気にされているようなのです」

「兄上が?」

「ええ。令嬢と二人きりでお茶なんて、エルノート兄上には今迄なかったことでしょう?」


確かにそうだ。

過去には、フェリシア皇女との間に子が出来ないので、貴族院から何度も側妃候補の令嬢を斡旋されたが、兄は二人きりで会うような事はしなかった。


「カウティス兄上が羨ましい。私も近くで、どんな様子か見てみたいですよ」

セイジェは笑いながらも、眉を寄せて悔しそうに言う。

カウティスは呆れたようにセイジェを見た。

「私は近衛の任務に就くのだぞ」

「それでも、間近で様子が見られるではないですか。兄上だって気になるでしょう。エルノート兄上が、メイマナ王女とどんな話をされるのか」

セイジェは楽しそうな様子で、カウティスを窺い見る。

とんだ野次馬だ。



「……それに色恋事は、意図せず人を変えるものでしょう?」

セイジェはカウティスの左胸の辺りを指差した。

騎士服で見えないが、その位置にはガラスの小瓶が下がっている。

「私は、例え色恋事がきっかけであっても、エルノート兄上の現状に変化があれば良いと思っているのです」


柔らかく笑むセイジェの濃い蜂蜜色の瞳には、気遣いの色がある。

セイジェもまた、ずっと兄のことを心配しているのだと分かった。




昼を過ぎて、カウティスは王太子の近衛騎士としてエルノートに付く。

久し振りの近衛隊の騎士服は、身が引き締まる気分だ。

二人一組で付くので、ノックスが相方だ。


エルノートの顔色は昨日より格段に良い。

今朝は侍従が起こしても、深く眠っていて起きられなかったというから、少なくとも昨夜はよく眠れたのだろう。



午後の公務を早目に終え、エルノート達は王太子の執務室を出た。 

お茶会の場所は、二階のテラスだ。

眼下に庭園を臨むテラスは、薄緑の日除けの布が張られ、微風に柔らかく波打つ。

階下の庭園から、甘く濃い花の香りが上がってくるが、テーブルの上には控えめな色合いの小花が盛られ、可憐に揺れていた。


暫くするとメイマナ王女が、侍女と護衛騎士を連れてやって来て、王太子と挨拶を交わす。

その頃にちょうど、午後の二の鐘が鳴った。


カウティスがエルノートに呼ばれ、王女に紹介される。

「私が最も信頼する者です」

紹介の最後に、エルノートがそう添えたのを聞き、カウティスは喜びに笑みを深めた。


カウティスが名乗り、立礼してから顔を上げると、メイマナが目を瞬いている。

「……メイマナ王女?」

エルノートに名を呼ばれて、メイマナは我に返った。

「まあ、申し訳ございません」

言って、美しい所作でカウティスに挨拶をする。

「フルデルデ王国第三王女、メイマナ・サトリ・フルデルデでございます。カウティス王子の加護があまりにも美しくて、見惚れてしまいました。これがネイクーン王国の水の精霊の魔力なのですね」

眩しい物を見るように、錆茶色の目を細めてメイマナはカウティスを見る。

「メイマナ王女は、魔術素質をお持ちでしたか」

カウティスが聞くと、メイマナは頷く。

「はい。あまり強くない上に、実技が苦手で。子供の頃に、魔術士には向いていないと言われました」

エルノートが横で笑う。

「私も同じです。実技で向いていないと言われました。発現までの工程を、難しく考えすぎると」

まあ、とメイマナは微笑んだ。


「……お二人を羨ましく思います。私は普段、この魔力を見ることが叶いませんので」

カウティスは自分の手を見るが、なんの変哲もない掌だ。

魔術素質のないカウティスには、当たり前にセルフィーネの魔力を見ることが出来る者がとても羨ましい。




テーブルに案内されたメイマナは、カウティスが席に着かないので首を傾げる。

「カウティス王子は、ご一緒されないのですか?」

「弟は、私の近衛騎士に就いているのです。今日は警護に。……王女は私と二人では、お嫌か?」

エルノートが席に着く早々そんなことを言うので、メイマナは白くふっくりとした手を急いで振る。

「そうではありません! 王太子様がお連れになったのでそういうおつもりだったのかと思っただけで、私は……っ」

正面に座ったエルノートが、彼女が早口で言うのを楽しそうに見つめているので、メイマナは言葉に詰まってしまった。


おかしい、いつものように上手く言葉が出てこない。


「それなら良かった。……それは、気に入って頂けましたか?」

「え?」

エルノートが自分の肩を示す。

「肩布です。王女には、大輪でなくそういった意匠が似合うと思ったのですが」


メイマナは、裾に向けて青に変わる白いドレスを着ている。

片方の肩から腰紐に向けて、橙色の薄布を一枚渡し、その上から贈られた肩布を掛けていた。

錆茶色の髪は編んで垂らし、肩布に合わせて白い小花が飾られている。


「ええ、ありがとうございます。とても気に入りました。……ふふ、私はあまり、華のある容姿ではないので、華美な花は似合わないのですわ」

メイマナは、眉を下げて微笑む。


母や姉妹に比べて、華やかさに欠けるのは分かっている。

やはりどんなに悩んでみても、この肩布の美しさを、私では活かしきれなかったのではないかと、少し心が凹む。


「華がない? 人によって似合うものが違うだけでしょう。大輪の濃い色合いが似合う方もいれば、可憐で儚い色合いの似合う方もいる」

エルノートがテーブルに盛られた小花を指先で撫でた。

「メイマナ王女には、可憐に花弁を揺らす、白い小花がお似合いだと思ったのです。貴女の柔らかな微笑みを引き立てる」


メイマナの頬に血が上る。

可憐だとか、柔らかな微笑みだとか、耳馴染みのない形容で、ドキドキした。

しかし、言ったエルノートは少しも照れた様子がない。

きっと社交辞令なのだと思ったが、心臓の音はなかなか収まらなかった。



ちょうど、侍女がお茶を注ぐのが目に入り、メイマナはなんとか思考を切り替えた。

「そうそう、王太子様に召し上がって頂きたくて、お茶菓子を用意したのです」

メイマナが言うと、侍女のハルタがエルノートの前に、小さな焼き菓子の並んだ皿を置いた。


エルノートが僅かに怯む。

「メイマナ王女、これは、その、……甘いのだろうか」

相当甘い物が苦手なはずなのに、断ることはせず、おずおずと確認するエルノートの様子を見て、メイマナは思わず頬を緩めた。

そしてようやく落ち着いた心地になる。

「王太子様が召し上がれる程度だと思いますわ」


メイマナの笑みを見て、エルノートが躊躇いがちに皿からひとつ取って口にした。

噛み砕いて、エルノートの僅かに寄っていた眉根が開く。

「甘くない……。不思議な香りがします。これは?」

フルデルデ王国我が国の香辛料を使っているのですわ。香辛料の香りと刺激で、あまり甘味を感じないのです。王太子様にぴったりだと思って、作ってみたのですが、お口に合いましたか?」


以前、離宮から漂っていた不思議な香りはこれだったのかと、エルノートは納得する。

そして、自分の為に、またあの厨房で料理人に交じって作業をしてくれたのかと思うと、自然と笑みが溢れた。

「はい。とても」

二人は微笑み合った。



カウティスは黙って立っていたが、内心相当驚いていた。

セイジェの言う通り、兄はメイマナ王女のことを随分気に入っているようだ。

好意を以て接しているのは勿論のこと、まさか、薦められるままに菓子を口にするとは思わなかった。

セイジェを野次馬だと白い目で見たが、こうなってくると聞き耳を立ててしまいそうだ。





夕の鐘が鐘塔から響き渡る。

メイマナは、ハッとして話を止めた。


心臓が落ち着いてお茶を飲み始めたら、王太子との会話はやはり心地良く、途中で話題がなくなることもない。

それどころか、一つの話題について話せば、更に広げて話したいこと、詳しく聞きたいことが増えていく。

そして気が付いたらこの時刻だ。

初めは、カウティス王子を立たせたままで申し訳ないと思っていたはずなのに、もうそんなことはすっかり頭から消えていた。


もう、お茶会はお終いにしなければならない。

名残惜しい気持ちが首をもたげ、メイマナは一口分お茶の残ったカップから目線を上げる。

エルノートが正面から見つめていて、彼女はドキリとした。



「王女、お手に触れても良いだろうか」

「え? 手? は、はい」

急にそんなことを言われて、メイマナは上擦った声で答えた。

エルノートは立ち上がると、メイマナの側へ行き、そのふっくりと白く柔らかな手を取った。

そのまま、彼は暫く黙る。


声をかけて良いのか分からず、メイマナは戸惑いながら、微風で揺れる王太子のクセ毛を見ていた。

陽の光に透けて、眩しい程に美しく、あの髪を撫でたらどんな感触なのだろうとぼんやり考えていると、エルノートの言葉が耳に響いた。


「昨夜、久し振りに何の夢も見ず眠れたのです。…………目が覚めて、すぐに浮かんだのは、貴女だった」


エルノートが腰を折り、メイマナの手の甲に口付ける。

メイマナは小さな錆茶色の目を、精一杯開いた。


「メイマナ・サトリ・フルデルデ王女。私の正妃になって頂きたい」




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