特別な精霊
西部国境地帯では、午前の二の鐘が鳴って、カウティス達がイサイ村に出発しようとしていた。
午後から、ザクバラ国の代表団と三回目の話し合いが予定されている。
「日の入りまでには戻る。……戻ったら馬を驚かせるなよ?」
部屋を出る前に、ガラスの小瓶を手に取って、カウティスが笑い含みに言った。
「気を付ける」
小瓶に小さな姿を見せていたセルフィーネは、クスと笑う。
拠点に帰って来たカウティスに急いで近付いて、馬を驚かせたのは一度ではない。
ザクバラ国との話し合いの場には、連れて行きたくないとカウティスが言うので、今回もセルフィーネは拠点の辺りに残る。
銀の細い鎖をカウティスが首に掛けたのを確認して、セルフィーネは
カウティス達が拠点を出て、街道を北へ進んでいくのを見守った。
昨夜、セルフィーネは窓際のグラスの上で、月光を浴びていた。
カウティスは簡易寝台を窓際までずらし、寝転がって頬杖を付き、セルフィーネの姿を見ていた。
カウティスが何も言わずにじっと見つめるので、ふわふわと落ち着かない気持ちになり、セルフィーネは戸惑う。
『あまり見ないで』と言えばいいだろうか。
でも、『もっと見つめていて』とも言いたいような気もして、自分の気持ちが良く分からない。
頬をほんのりと染め、胸に手を当てたまま考えていると、ふと小さな寝息が聞こえた。
カウティスの方を見ると、頬杖が倒れた形でそのまま眠っている。
そういえば、昨夜はあまり眠れていないと言っていた。
セルフィーネは微笑む。
大好きな青空色の瞳は隠れてしまうが、この無防備な寝顔も愛しい。
ほんの僅かに開いた口から寝息が漏れ、短めの黒いまつ毛が、細かに揺れる。
その瞼に触れてみたくて、そっと水から離れて
仄かに胸に温かいものが灯るのを感じ、セルフィーネは咄嗟に手を引いた。
首を何度か振り、温かいものを消し去ると、窓際のグラスの上に戻る。
振り返ると、カウティスは変わらず眠っていて、安堵の息を吐いた。
胸から発現する
気持ちが大きく揺さぶられると、それに比例するように大きく湧き上がる光。
一旦湧き上がると、セルフィーネには制御出来ない。
セルフィーネは薄い唇を引き結んだ。
司教の“慣らし”など、受けたくはない。
心が落ち着いていれば良いのだ。
そうすれば、神聖力が安定していなくても、きっと問題はない。
精霊は鎮まり、国境地帯は浄化された。
水の精霊である自分が、神聖力を使うことなど、もうないはずなのだから。
フルブレスカ魔法皇国、王宮最奥。
強い魔力の充満した空間に、異形の七人が巨大な円形の卓を囲んで座っている。
卓の中央は穴があり、人の大きさ程の深紅の水晶のような物が、歪に地面から生えるように立っている。
よく見ればそれは、時折脈を打つようにゆっくりと動いていた。
フルブレスカ魔法皇国には、不死とも言われる竜人族の始祖七人が、千年以上前から生きている。
円卓に着くこの七人の異形こそが、その始祖達だ。
〘 ネイクーン王国の水の精霊が、歪に変えられていると 〙
〘 精霊を人間に貸し与えるのは、荷が重すぎたのでは 〙
〘 この十数年、水の精霊なしにネイクーンは生きられたのだ。もう
円卓を囲んだ竜人達が、微動だにせず会話をする。
〘 皇帝が、ネイクーンから水の精霊を奪うことを反対しているとか 〙
〘 抗議状が届いたのでな 〙
〘 相変わらずネイクーン贔屓か 〙
〘
〘 水の精霊も同様に。我等の創る流れから外れるのであれば、戻せば良いのでは 〙
一人の竜人が言うと、それも仕方ない、と言う雰囲気が流れた。
遥か昔、兄妹神が人間を創った時、神は竜人族に人間を導くよう促した。
それ故に、彼等にとって人間は下位の生物だ。
そして、精霊は神の眷族ではあっても、あくまで世界を形成する為に使用するためのもの。
生物の序列には加えられない。
〘 お待ち下さい 〙
部屋の隅に静かに立っている、数人の竜人の内の一人が口を開いた。
白茶色の長い髪と、のっぺりと白い肌が薄く光る。
ネイクーン王国へ水の精霊を確認に来た、竜人ハドシュだ。
〘 ネイクーン王国の水の精霊は、魔力が増大しております。また、月光神の援護も有るように見えました 〙
〘 ハドシュ、それは、“特別”にということか? 〙
〘 はい 〙
〘 月光神の援護が真であれば、無下には出来ぬが…… 〙
〘 ……気に入らぬ 〙
円卓の奥に座る、一際大きな一人が、初めて口を開いた。
部屋の中にいる者全ての視線が、奥の一人に注がれる。
〘 神の“特別”は、我等以外には要らぬ 〙
室内の空気がピリと張った。
〘 それ程に魔力が増大しているのならば、搾り取るか。それともいっそ、ザクバラ国が所有を望んでいるのなら、
竜人の血の色の瞳が光る。
〘 真に月光神の“特別”だというのなら、少々切り取られても消えはせぬだろう 〙
午後の一の鐘が鳴る前、ザクバラ国の代表団がイサイ村に到着した。
リィドウォルに、護衛騎士イルウェン、魔術士、堤防建造の職人、作業員代表、兵士長という、今迄と同じ構成だ。
顔を合わせたことがある者が殆どだが、その誰もが、以前より顔色がよく見えた。
「お久しぶりです、カウティス王子」
リィドウォルとカウティスが挨拶を交わす。
「こうして話し合いを再開出来ることを、嬉しく思います」
「まさに、神の御力のおかげでしょう」
カウティスの言葉に、リィドウォルは頷く。
「ええ。あの夜の光は、本当に神が降臨したかのようでした」
リィドウォルは、少しクセのある黒髪を後ろの高い位置で一つに纏め、今日も黒い文官服にケープを纏っていた。
他の者達が以前より元気そうなのに比べ、リィドウォルだけは、やや窶れているように見える。
ザクバラ国の中央には、国境地帯の浄化に難癖をつけている者がいると、以前ラードが言っていた。
過去の遺恨を晴らそうと固執している強硬派と、復興を早めたい穏健派で対立しているとか。
そういった者たちの間で、リィドウォルは立ち回っているのかもしれない。
しかし、今ここでザクバラ国の内情は関係ない。
ここで目指すのは、両国の速やかな復興作業だけだ。
三回目の話し合いが始まる。
ザクバラ国は魔獣の出現がなくなり、兵士達を中央に戻し、作業員達を呼び戻した。
これで、当初予定していた兵士の人数に戻る為、ネイクーン側の兵士も減す。
堤防建造は、北寄りから始まっているので、そのまま南へ向けて続けて行く。
主軸のところはカウティスとリィドウォルが決定し、建造の専門的な事は、職人や魔術士が詰める。
職人達が話し合っている間、カウティス達は少し休憩する。
リィドウォルがカウティスの側に寄り、声を掛けた。
「先日、我が国の魔術士が王子の私物に手を付けたと聞きました。あってはならぬことです。大変申し訳ありません」
「……終わったことです」
カウティスのガラスの小瓶を盗もうとした魔術士は、作業から外され、ザクバラ国に戻された。
ザクバラ国でどのように処理されたのかは、知る由もない。
「しかし、水の精霊が手に入るかと思えば、手を伸ばしてしまうのも仕方のないものかもしれません。あの特別な魔力は、人を惑わせる」
リィドウォルの言葉に、思わずカウティスは彼の方を向く。
「……水の精霊の魔力は、人を惑わせる様なものではありません」
「そうでしょうか? 清廉とした魔力であっても、人を惑わします。カウティス王子自体、惑わされた一人でしょう?」
「何?」
カウティスは強く眉根を寄せた。
「強く惹かれ、欲する。あの特別な魔力を感じればそうなる者は少なくないでしょう」
「リィドウォル卿!」
カウティスの声に驚き、話し合いをしていた職人達が話すのをやめ、皆の注目が集まる。
ラードに後ろから軽く小突かれて、カウティスは咳払いする。
「すまない、……話し合いを続けてくれ」
カウティスはリィドウォルから離れた。
予定通り話し合いは進み、問題なく終了した。
ザクバラ国側の作業は、明日からにも再開する。
話し合いを終えて、ザクバラ国の代表団がイサイ村を後にする。
カウティスが挨拶を交わす為近寄ると、リィドウォルはやはり、カウティスの頭の先から爪先までを舐めるように眺めた。
そして、目を細める。
「……更に変化しているな」
その目が見ているのは、カウティスの纏うセルフィーネの魔力だ。
そのことに、苛立ちを覚える。
イスターク司教といい、リィドウォルといい、カウティスには見たくても見えない彼女の魔力を見て、好きなように評する。
セルフィーネの全てを自分だけのものにしたいのに、お前には無理だと言われているようだ。
「……伯父上には、全く関係のないことです。どれだけ欲しても、水の精霊は貴方の手に入らない」
カウティスは睨むようにして言った。
『強く惹かれ、欲する』
それは、おそらく、リィドウォルの気持ちだ。
カウティスの苛立ち紛れの一言に、リィドウォルは珍しく、ひどく恨めしそうな目でカウティスを見た。
「……そうだな。水の精霊は今でも、ネイクーン王国だけの物だ」
リィドウォルは手を強く握り締める。
そのまま一礼して、彼は去って行った。
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