聖職者の役割
土の季節後期月、四週五日。
日の入りの鐘が鳴る直前、ネイクーン王国の城下にあるオルセールス神殿に、視察団の一行が滑り込んだ。
ネイクーン王国を発ち、フルデルデ王国へ向かうのを明日に控えていた聖女アナリナは、神官達と一緒に本国からの視察団を迎えた。
「アナリナー!」
「わあ!」
馬車から降りるなり、アナリナを発見して一直線に抱擁しに来たイスターク司教を、アナリナが力一杯突き飛ばす。
「あいたた……酷いですよ、アナリナ」
「イスターク司教。まさか、あなたが視察団の一員とは、知りませんでした」
突き飛ばした事を謝る素振りも見せず、アナリナが驚いて言う。
「驚かせるつもりでしたからね。貴女が明日出発だというから、急いで来たのですよ。いやあ、間に合って良かった」
聖騎士に引っ張って立たされながら、イスタークが笑顔で言った。
「お久しぶりです。アナリナ聖女様」
聖騎士エンバーが、立礼する。
「エンバー、久しぶりですね!」
嬉しそうに笑うアナリナに、イスタークが不満気に口を歪めた。
「私とエンバーとの対応に、差がありすぎますよ、アナリナ」
「そうですか?」
「何年ぶりでしょうね。四年? 五年かな? 立派な聖女になりましたね」
焦茶色の瞳を細めて、のんびりした口調で話すイスタークに、アナリナは口を尖らせる。
「聖女に立派も立派じゃないもないでしょう。司教こそ、ちょっと老けたんじゃないですか」
「相変わらずだなぁ」
そう答えながらも、イスタークは嬉しそうに笑っている。
イスタークは、以前、アナリナの指導係だった。
七年近く前、アナリナが聖女になって、オルセールス神聖王国に召喚された際、神殿と聖職者の役割を教え、神聖力の慣らしと発現を指導した。
強力な神聖力と、使い様によっては大きな権力を持つ聖女になったというのに、アナリナは毎日怒っているようだったし、兄妹神の像を睨むようにして指導を受ける彼女に、イスタークは随分手を焼いたものだ。
神聖王国を出て、近隣の国を巡教する最初の一年は、気になって度々付いて回った。
「ネイクーン王国でも、随分活躍したようですね。王族とも大きく関わったとか。王族嫌いの貴女が、珍しい」
「仕方ありません。病人がいましたから」
アナリナは興味無さそうに答える。
神殿の居住棟に移動して、食堂でイスターク達が遅い夕食を摂る間、アナリナもお茶を飲みながら話していた。
「国境地帯を見てきましたよ。綺麗に浄化されて、とても美しい光景でした。ザクバラ国側も出来る限り見ましたが、空気が澄んでいました」
イスタークが顔を上げて、アナリナを見る。
「きっと、貴女の故郷も人が住めるようになります」
アナリナがきゅっと眉根を寄せて、顔を背けた。
「……そうですか」
懐かしいあの村が、大好きな人達の笑顔溢れる場所に戻って欲しいと願っている。
それが現実になりそうで、嬉しい。
それでも、故郷を思い出すと鼻の奥がツンとなって、笑えなかった。
聖女で在る限り、故郷が元に戻ったとしても帰れない現実が悲しかった。
「あの場所に、聖堂を建てるのはどうかと思っています」
遠い故郷を想っていたアナリナは、イスタークの言葉が頭に入るのに間があった。
「……聖堂? 国境地帯にですか?」
「そうです。あの場所は、既に月光神の御力が注がれた、聖地と呼んで良い場所でしょう? 明日、登城する予定ですから、王に進言してみようと思っています」
食事をしながら、世間話のようにのんびりと話すイスタークに、アナリナは困惑する。
「でも、あそこは、ネイクーン王国の領土ですよ?」
「ええ。でも、まさか否とは言わないでしょう」
この世界に聖堂があるのは二箇所だけだ。
一つはオルセールス神聖王国の、聖なる丘と呼ばれる場所。
もう一つは、大陸北西のエプリーダの崖だ。
エプリーダは風の精霊が荒れ狂う場所であったのを、遥か昔に太陽神が鎮めたという聖地で、言わば、国境地帯を月光神が鎮めた事と同様の場所だ。
しかし、あの土地に聖堂が建ったのは、今よりもっと人間が少なく、大陸の土地の多くが、誰のものでも、何処のものでもない土地だった頃だ。
今でこそ、オルセールス神聖王国の所有地のようになっているが、聖堂を建てる時は何処のものでもなかった。
「聖堂を建てて、領土を奪うつもりなんですか?」
アナリナが固い声で聞くと、イスタークは、まさか!と笑う。
「聖職者である我々が、他国の領土を奪うなどある訳がないでしょう。ネイクーン王国の土地を借りて建てるのですよ。神殿と同じです。他国の土地に建てさせて貰って、聖職者が活動をする。
神殿が建ち、聖職者がいれば、神祭事が執り行え、神聖魔法を施されて人々は助かる。
「聖堂が建てば、聖職者は巡教に訪れ、人が集まるようになれば、観光業にも繋がってあの土地は活気が戻る。ネイクーン王国としても良い話でしょう? それに聖堂が建てば、あの土地ではもう紛争は起きない」
アナリナは目を瞬く。
確かに、神殿や聖堂のある土地に争いを仕掛ければ、それは神に弓引く行いになる。
この世界の禁忌だ。
西部の神殿がベリウム川の氾濫で破損し、その後の紛争で廃れてしまったのとは訳が違う。
あの地に聖堂を建てる。
それは、何処にとっても良いことなのかもしれない。
そう思ったアナリナに降ってきたのは、血の気が下がる一言だった。
「そして、聖堂に“精霊の聖女”を据えるというのはどうでしょうね」
アナリナは楽しそうに笑うイスタークを見た。
「……“精霊の聖女”?」
「ええ。ネイクーン王国の水の精霊ですよ。アナリナ、水の精霊が神聖力を持っていると、知っていましたね?」
僅かに焦茶色の瞳を細めて、イスタークはアナリナを窺った。
「この国で、水の精霊と関わっていた貴女が、あの強い神聖力を感じないはずがない。何故本国に報告を入れないのですか」
「……神聖力を持っていたとしても、水の精霊はネイクーン王国の精霊でしょう」
アナリナは拳を握り、反抗的な瞳でイスタークを睨む。
「いいえ? 契約魔法に縛られているのなら、竜人族のものでしょう。だから、何とか我が国のものにしたい。神聖力を持つものは、オルセールス神聖王国所有が決まり。精霊だからといって、竜人族が所有して良いものではありません」
“所有”という言葉を聞き、アナリナに怒りが込み上げる。
「私も水の精霊も、物じゃないわ!」
「怒らないで下さい、アナリナ。貴女を物だなんて思っていません。でも、神聖力を授けられた以上、その縛りが解けるまで役割を果たさねばなりません。貴女も、勿論私もです」
試練を果たし、神聖力を失う日まで、その役割を手放すことは許されない。
「神聖力を与えられたなら、精霊も役割を果たさねば。魔法契約でネイクーン王国から離れられないなら、ネイクーン王国の聖堂に縛れば良いと思うのです。神聖力を自在に発現出来るようになれば、あの魔力量は相当役に立ちますよ」
アナリナの拳が震える。
「セルフィーネをそんな風に扱うなんて、許さないわ。彼女は聖職者じゃないの! ネイクーンの水の精霊よ」
イスタークは意味が分からないというような顔で、焦茶色の目を瞬く。
「……ええ。精霊ですよ、アナリナ。カウティス王子も、貴女も、
「そうよ。でも心を持っていて、感情もあるわ。人間と同じよ」
言い募るアナリナに、イスタークは首を振る。
「同じではありません、アナリナ。精霊です。精霊は世界の為に使われるもの」
アナリナは息を呑む。
イスタークは聖職者だが、元魔術士だ。
魔術士にとって、精霊は世界に漂うただの魔力。
世界を支える為に、使われるもの。
「『そんな風に扱うなんて』と言いますが、聖女として据えようというのは、精霊には、むしろ丁重過ぎる程でしょう」
イスタークがフォークで、皿の上に残る肉の欠片を刺した。
「もしも豚に感情があったら、貴女は人間と同じ扱いをして、食べないのですか? いいえ、私達が知らないだけで、本当は感情を持っているのかも。
イスタークはフォークを口に運ぶ。
「それでも食用に飼われた豚は、食べられるのが役割。私なら食べます。貴女は?」
アナリナはガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。
椅子の足に引っ掛かり、よろけたところを後ろからエンバーが支える。
振り返って見上げたエンバーの目には、何の戸惑いも困惑もない。
イスタークの言うことが、当然だと思っている顔だ。
「神々の御力を世に広める手助けをし、民の暮らしを支える。それがオルセールス神聖王国司教としての、私の役割です。私は私の役割を果たす。聖女アナリナ、貴女は貴女の役割を果たしなさい」
イスタークが口の中の物を飲み込んだ。
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※ 食肉云々は、気分を害された方がおられたら申し訳ありません。
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