レースの肩掛け

セイジェ第三王子が午前に内庭園に降りると、庭園の入口近くに、侍女達が控えているのが見えた。

今朝は先客がいるようだ。

侍女の数名は、フルデルデ王国様式の服装だ。

ということは、メイマナ王女が来ているらしい。



「おはようございます。何だか、楽しそうな声が聞こえていますね」

セイジェが内庭園に入り、メイマナを探し当てる。

メイマナと内庭園で歓談していたのは、側妃マレリィだ。

「おはようございます、セイジェ王子」

メイマナが流れるように一礼して、微笑んだ。

その頬に、深く笑窪が出来る。

「マレリィ様にお誘い頂いて、こちらの庭園を散策していたのです。朝からお騒がせしてしまいましたか?」

「いいえ、とても楽しそうな声だったので、何を話されているのかと」


セイジェはマレリィの顔をチラリと見る。

彼女が、内庭園に誰かと一緒に来るのは珍しい。

セイジェが知る限りでは、季節の変わり目などで花が入れ替わる頃、夕刻に一人で来て眺めているはずだ。

後は、極稀に王と散策している程度だと思う。


「ネイクーン王国と、フルデルデ王国我が国と、ザクバラ国。三国は隣り合っているのに、庭園の造りから咲かせる花までまるで違うので、面白いものだと話していたのです」

メイマナが言って、マレリィを見る。

「そんなところまで、国風が表れるものなのですね」

マレリィも頷きながら微笑み返した。


セイジェは内心驚いていた。

マレリィがザクバラ国の事を口にしていることもそうだが、誰かとこんな短期間で打ち解けた雰囲気になるのも珍しい。

侍女達を別にすれば、母であるエレイシア王妃と共に過ごしていた時くらいしか、こんな様子は見たことがない気がする。

元々知り合いであったとも聞いていないし、波長が合うのだろうか。



メイマナが花に手を伸ばすと、肩掛けから垂れる房が揺れた。

「……それは、我が国のショールですね」

「そうなのです。王太子様に頂いて、早速身に着けてみたのですが……おかしいとお思いでしょう?」

メイマナが恥ずかしそうに笑う。


今朝のメイマナは、肩の開いた胴を絞らない形の、鮮やかな青いドレスを着ている。

片方の肩から腰紐に向けて、黄色の薄布を一枚渡し、その上から同じ様にレースの肩掛けを掛けていた。

形としては美しいが、元々両肩に掛けて使用する事を想定して編まれた肩掛けだ。

片方の肩から斜めに掛けては、部分的に折り畳まれたようになってしまい、せっかくの模様が全ては見えなかった。


「いいえ、お似合いです。ショールはそのような使い方も出来るのですね。両肩に掛けるだけの物だと思っていました」

セイジェは柔らかく笑う。

メイマナは白くふっくりとした手で、口元を覆って朗らかに笑う。

「セイジェ王子はお優しいわ」

そして、腰紐に挟んである肩掛けの端を引き抜くと、もう片方の肩から掛けて、本来の使い方である形に整えた。

「本来は、こうして身に着けるべきなのでしょう? でも、その……、この柄はマレリィ様のような、細身の方にお似合いの意匠なのですわ」


メイマナがくるりと背を向ける。

複雑に編まれた美しいレースだが、大柄であるためか、ふっくらとした体型のメイマナが纏うと、どうしてもやや横に伸びたように見えてしまう。

マレリィの様にスラリとした体型ならば、肩から背にストンと落ちて、房すらも流れる一つの意匠となるのだろう。


「どちらの方が、この肩掛けが美しく見えると思いますか?」

メイマナがセイジェに尋ねた。

「そうですね……」

セイジェがどう評して良いか迷う内に、メイマナは眉を下げて笑う。

「せっかく王太子様に頂いたのに、美しく着こなせないなんて、申し訳なくて……」


セイジェは目を瞬く。

『美しく着こなせなくて申し訳ない』などと。

自分を美しく見せる為に、身に着けるものを選ぶのが女性というものだと思っていたが、メイマナは全く逆のことを言っている。

この地位の女性なら、気の利かない贈り物だと怒ってもおかしくないだろう。



セイジェは王城の白い壁を見上げる。

内庭園から、王太子の執務室の窓が見えた。

「メイマナ王女、本日のご予定は?」

「午後は、慰問の日程調整で会議があります」

「それならば、もう少しあちらでごゆっくりなさって下さい。お茶でも用意させますので」

セイジェは柔らかく微笑んで、いつも自分が寛ぐ長椅子を示す。


長椅子には大きなクッションが二つ置かれてある。

頭上には日除けの布が張られ、涼し気な日陰が出来ていた。

ちょうど赤味がかった紫の大輪が並ぶ辺りで、今朝咲いたばかりの瑞々しい香りが立っていて、心地良さそうだ。


訝しげに彼を見るマレリィに軽く微笑みを返し、セイジェは踵を返した。





王太子の執務室にセイジェが入室し、普段通りの公務が行われる。



ソファーに座って、処理を終えた書類を整えながら、セイジェはふと、思い出したように笑った。

気付いて、エルノートが顔を上げる。

「どうした?」

「兄上は、メイマナ王女をどう思われますか?」


エルノートは思わず溜め息をついた。

最近は王から、王太子妃決定を早く早くと催促されてばかりで、そういう質問は辟易とする。

「どうかと聞かれても、王女は王太子妃候補ではないだろう」

「いえ、そうではなく。何というか、メイマナ王女は少し、ふくよかですよね」

笑い含みに言うセイジェに、エルノートは眉根を寄せながら、机上に視線を戻した。

「……外見をどうこう言うものではない」

「そうですが、今日メイマナ王女が着けていた我が国のショールが、あまりにもお似合いでなくて」

“ショール”と聞いて、エルノートが再び顔を上げる。

「誰が見立てたのか、もう少し王女にお似合いの物があったでしょうに。午後に人と会う予定だそうですが、あれでは……」

「私だ」

「はい?」

「それを贈ったのは私だ。……見立てが悪かったのか?」


メイマナ王女が昨日、嘔吐物を処理したと聞き、エルノートは羞恥に駆られた。

これ程の醜態を晒すのは、家族や侍従達以外にはなかったことだ。

とにかく詫びなければと、急いで衣装部屋に同じ様な布はないか尋ねたが、フルデルデ王国で使われる薄布はネイクーン王国の物とは随分違うようで、すぐには用意できなかった。

替わりに用意させたのが、レースの肩掛けだ。

王族にふさわしい意匠の物を、と言っておいたはずだ。


「兄上だったのですか?……申し訳ありません、余計なことを申しました」

「それはいい。それよりも、王女に似合わない物だったのか?」

「いえ、その、王太子が贈った物ならば、誰も何も言えませんから、大丈夫でしょう」

セイジェが整えた書類を文官に渡し、急いで立ち上がる。

誤魔化して終わらせようとする態度に、エルノートも立ち上がる。

「待て、セイジェ。良くない物だったのかと聞いている」

詫びの気持ちで贈った物が、他人から嘲笑されるような品であったなら、大変なことだ。


セイジェは眉を下げ、困った風に微笑む。

「そう言われましても……、私が感想を述べるより、実際にご覧になっては? おそらく、内庭園におられますよ」

セイジェが窓を指す。

エルノートは窓際まで行き、風を通すために空かせてあった窓を大きく開いて、下を覗く。

温かい風と共に、瑞々しい花の香りが部屋に入ってきた。

内庭園が見え、侍女らしき者は見えたが、よく分からない。

目を凝らしていたが、メイマナ王女が見えたとしても、この高さからレースの模様が見えるわけがないと気付き、エルノートは顔を顰めて振り向いた。


ソファーには、既にセイジェの姿はない。

エルノートは舌打ちせんばかりの勢いで、部屋を出た。





王太子の執務室を足早に出ていく兄を、セイジェは廊下の角から確認してほくそ笑む。

「セイジェ様、はしたないですよ」

言いながら、侍従も興味津々で覗いている。

「そなた達だって、気になるだろう? 兄上があんなに慌てるなんて、珍しい」


四階の窓から覗いてレースの模様が見えないことくらい、落ち着いて考えればすぐに分かりそうなものだ。

本人は気付いてないのかもしれないが、今日の兄はメイマナ王女に対して、随分余裕がないように見える。

昨日の園遊会での事は軽く聞いたが、聞いた通りではないのかもしれない。


しかし、セイジェは、そんなことはどちらでも良かった。

一昨日の謁見の間で、兄が久し振りに大笑いしているのを見て、心の内でどれ程安堵し、メイマナ王女に感謝したか。



兄の周りにある陰鬱とした陰に、どうにか一筋光を入れたいと、ずっとそう思ってきた。


あの朗らかに笑む王女は、兄の陰を祓う、一筋の光になってくれるだろうか。




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