不安定な神聖力

西部国境地帯。


昼の鐘が鳴って半刻した頃、カウティスはイサイ村を出る準備をしていた。

明日の午後には、約四週ぶりにザクバラ国側の代表団との話し合いが持たれる。

その前に、もう一度堤防建造の現場を確認に行き、拠点へ戻るつもりだ。




午前の視察を終えて、野営地へ戻ってきていた、イスターク司教と聖騎士エンバーが、カウティスに会いにイサイ村を訪れた。

「拠点へ戻られると聞きましたので、ご挨拶を」

イスタークはのんびりとした口調で挨拶し、立礼する。

カウティスも同様に挨拶を返した。


「午後には、もう少し北の方を見てから、王城に出発するつもりです」

視察団は、浄化された国境地帯を見て回っているようだが、狂った精霊が浄化された今、王城でどのような話をするつもりなのだろうか。

オルセールス神聖王国には、水の精霊のことが報告されている。

彼女に関することも意見されるかもしれない。

『聖職者は精霊を無下にしない』という言葉を信じたいが、本当に信じて良いか、不安もあった。


「それから、聖職者がウロウロしていては、復興作業に影響が出るでしょう。神殿に通達しておいたので、おそらく数日もすれば静かになると思います。勿論、ザクバラ国側にも通達しておきましたので、ご安心を」

イスタークが微笑む。

「感謝致します、猊下」

とりあえず、作業を邪魔される心配はなくなりそうだ。




村の門まで行き、別れようとした時だった。

「水の精霊は無事に戻ったようですね」

イスタークが大きな焦茶色の瞳を僅かに細め、カウティスの胸の辺りを見つめる。

エンバーも不思議そうな表情で、同じ所を見ていた。

二人には、ガラスの小瓶に留まっているセルフィーネ水の精霊の魔力が見えているのだ。


セルフィーネは、月光の魔力が切れるまで小瓶にいたいと言い、カウティスもそう望んだ。

ザクバラ国の魔術士は、小瓶を盗んだ一件があってから、ザクバラ国側に戻されている。

ザクバラ国の者でセルフィーネを見ることが出来る者は、今はイサイ村にいない。



「それで、貴女は一体何を怒っていたのですか?」

イスタークが、覗き込むように胸の辺りに顔を寄せたので、思わずカウティスは半歩下がった。

セルフィーネはじっとイスタークを見つめたが、口を開かなかった。

「……返事をしてくれませんね。別れの前に、声を聞いてみたかったのですが」

イスタークが身を起こして小さく息を吐いた。

「……怒ったのではなく、私の身を案じてくれたのです」

『声を聞いてみたかった』というイスタークの言葉に、カウティスは小さく苛立ちを覚えたが、表には出さないよう心掛けた。


セルフィーネが真剣の手合わせを怖れた部分だけを、カウティスが掻い摘んで説明すると、エンバーは苦笑する。

「なんと、そのような理由でしたか。それは申し訳なかった。……しかし、水の精霊がこの感じでは、王子の妃となる女性は、なかなか大変でしょうね」

“王子の妃”という言葉が出た途端、セルフィーネが目に見えて身体を強張らせた。

そんな彼女を見て、カウティスは拳を握る。

「私は、未婚の誓いを立てております。生涯、水の精霊と共にいると決めておりますので」

カウティスは少しも躊躇わず言い切った。

セルフィーネが弾かれたように顔を上げ、目を見張る。

カウティスが外部に宣言したのは初めてだ。

ラードはやや渋い顔をしたが、エンバーは驚愕の表情だ。

「『掛け替えのない者』と仰ったのは、そういう意味でしたか。……しかし、王族でその誓いは。しかも精霊を相手に……」

なかなか受け入れられない内容らしく、エンバーの言葉には歯切れがない。

一方で、イスタークは、カウティスの胸の辺りを見つめたまま、焦茶色の瞳を輝かせている。




セルフィーネは、驚きと喜びに胸を震わせた。

カウティスが生涯共にいると言ってくれた。

最期まで、一緒にいても良いのだ。


こちらを向いて欲しくて、青空色の瞳で見つめて欲しくて、上を向いたまま、カウティスの胸から小さく名を呼んだ。

「カウティス……」

愛しい人の名を読んだ途端、セルフィーネの胸の内から、ブワリと白い光が沸き起こった。

「……っ、あ……、あっ!」

自身の内から突然溢れた光の熱さに、セルフィーネは胸を押さえて声を漏らした。

カウティスの騎士服の内で、小瓶が白く光る。


だめ、駄目だ。

光が出てしまえば、また混乱が生じてしまうかもしれない。

もう心配も、迷惑もかけたくないのに。

―――この光を、消さなければ。


「セルフィーネ!」

カウティスが名を呼ぶと同時に、イスタークが手を上げてカウティスを制した。

そして、そのままカウティスの胸のセルフィーネ水の精霊の魔力を見つめ、口を開く。

「……力を留めるのではなく、流すのです。……己の魔力と同じ向きへ……違う、消そうとしてはいけない」

イスタークは呟くように、セルフィーネに小声で語りかけながら、カウティスの胸の前に手を翳す。


カウティスは視線だけを下に向ける。

胸のセルフィーネは、カウティスの胸に縋り付くようにしながら、片手で胸を押さえ、顔はイスタークの方を向いていた。

その胸には、小さな白い光が脈打つように輝く。

カウティスには見えないが、二人が今何か通じているのを感じて、胸の内がチリと焼けた。


イスタークの額に汗が滲む。

「魔力と同じ向きに。……逆らっては駄目です。……そう、上手ですよ」

セルフィーネの胸の光が消え、脱力した様に、カウティスの胸に寄り掛かった。

「セルフィーネ、大丈夫か」

小さなセルフィーネを、カウティスは左手で覆い隠した。

人形ひとがたを隠したとしても、魔力が見える者には関係ないのだが、魔力の見えないカウティスは、咄嗟にそういう行動になる。

「……大丈夫だ。すまない」

セルフィーネはカウティスの胸に顔を埋めた。



上体を起こして、額の汗を拭くイスタークに、カウティスが言う。

「猊下、これは……」

「分かってます。水の精霊は神聖力を持っているが、出来れば明かしたくない。……そうでしょう?」

カウティスは言葉に詰まり、イスタークは微笑む。


この場にいるのはイスタークとエンバー、カウティス、ラードとマルクだ。

距離を置いて、聖騎士二人とイサイ村の兵士達がいるが、皆魔力を見ることの出来ない者達で、幸い誰も気付いていないようだった。


「それにしても、相当不安定ですね。神聖力を得たばかりで、まだ充分に扱えていない。今のような慣らしが何度か必要でしょう」

イスタークの物言いは、セルフィーネが精霊を鎮めたことや、西部の浄化に関わっていることを見透かしているようだった。

しかも、聖職者として扱う事を決めたかのような言い方だ。

カウティスはキツく眉根を寄せる。

「……猊下、例え特別な力を持ったとしても、水の精霊は、ネイクーン王国の精霊です。オルセールス神聖王国所属の聖職者ではありません」


“神聖力”と言わなかった事に、カウティスの小さな抵抗を感じて、イスタークは笑う。

「ええ、勿論です。本国の記録でも、過去に精霊が神聖力を持ったなど見たことがありませんから、慎重に対処するべきです。……ただ、一つだけ」

イスタークは、カウティスが手で覆ったままの水の精霊に視線を向け、ゆっくりと優しい口調で言った。

「困ったことがあれば、私が手を貸しますよ。強い魔力と神聖力、両方を持っているのは、貴女と、私、二人だけですから」

セルフィーネは、カウティスの胸から顔を上げなかった。




「イスターク様、あれは本当に水の精霊の神聖力ですか?」

野営地へ戻り、エンバーが尋ねた。

ネイクーン王国の水の精霊については、信じられない報告が多かったが、まさか神聖力を持っているのか。

「おそらくそうだろう。王子がやけに水の精霊を隠したがっていたのも、我々にそれを悟られたくなかったというところかな」


イスタークには、水の精霊の魔力に神聖力が混じっているのが見えていたが、これではっきりした。

やはり、ネイクーン王国の水の精霊は神聖力を持っている。

国境地帯に、突然浄化の奇跡が起きたのは水の精霊が関わっているのに違いない。


「エンバー、想像は、現実になるかもしれないよ」

神聖力を持つ水の精霊を庇護下に置き、カウティスを聖騎士にする。

可能かもしれない。

イスタークは焦茶色の瞳を細めて、企んだように笑った。





「……すまない、司教に神聖力を知られてしまった」

セルフィーネは顔を伏せて言う。

イサイ村を出て、堤防建造の現場に来ていた。

少しずつだが、確実に作業は進んでいる。

マルクは作業中の魔術士と話している。


「あの方はおそらく、もう気付いていたのだと思う。そなたを見る目が、他と違ったからな」

ぶっきらぼうに言い放つカウティスを、セルフィーネは彼の胸から見上げた。

「……怒っているのか?」

「……違う、妬いているんだ」

セルフィーネは目を瞬く。

「何故?」

「何故って…………そなたと司教が二人きりで行っていた事に、俺は手を出せないからだ」

カウティスが口を曲げる。

ラードが横で小さく吹いた。

「もう少し離れていろっ」

カウティスに睨まれて、ラードがハイハイと言いながら少し距離を開けた。


魔術や魔力に関する事は、全く手が出せない。

しかも、何だ、あの物言いは。

『強い魔力と神聖力、両方を持っているのは、貴女と、私、二人だけですから』などと。

毎回もどかしい思いだが、今回はそれを目の前で、これみよがしに突き付けられた気分だ。

悔しいことこの上ない。



眉根が寄ったままのカウティスを見上げ、セルフィーネは呟く。

「すまない」

「もう謝らなくても……」

とても小さな声がして、カウティスは下を見た。

そして、ドキンという強い鼓動に息を詰め、言葉を切った。


両手を胸に置き、頬を薄桃色に染めたセルフィーネが、カウティスを見上げている。

「嬉しかったのだ……」

水色の細い髪が、サラリと白い肌の上を滑らかに流れる。

「カウティスが、生涯共にいると言ってくれて、嬉しくて、光が溢れて、止められなかった」

紫水晶の瞳が潤み、カウティスを映して揺れた。

「とても、とても嬉しくて……」


カウティスが、そっとセルフィーネを左手で包み、右手で自分の顔を覆う。

耳朶は、赤くなっている。

「…………困ったな」

「……え?」

「今朝抱き締めたのに、今すぐそなたを抱き締めたくて仕方ない」

セルフィーネが、より頬を染め、幸せそうに微笑んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る