園遊会 (後編)
離宮の中庭で行われている園遊会は、穏やかに進行している。
人々の会話を邪魔しないように、中庭の外で演奏されている音楽が心地よい。
音に乗るように、日除けの布が時々微風で揺れた。
フルデルデ王国のメイマナ王女は、貴族院の者や令嬢と談笑も交えつつ、輪の外側にいた。
メイマナにはお茶会のつもりでも、実際は王太子妃選びの場だからだ。
輪の中心は王太子エルノートで、王太子妃になるつもりのないメイマナが、輪の中心に行くべきではない。
「楽しんでいらっしゃいますか、メイマナ王女」
焼き菓子が並んでいるテーブルで、給仕にどれを頼もうかと考えていたメイマナに、側妃マレリィが声を掛けた。
青紫の細身のドレスを揺らし、涼し気に微笑みかける。
「はい、マレリィ様。皆様から色々なお話を聞けて、とても楽しい時間ですわ」
メイマナは笑顔で答えた。
「エルノート王太子のことは、どのように感じられましたか?」
暫く当たり障りのない会話が続いた後、マレリィが聞いた。
「素敵な方ですわ。昨日は、私の失敗を笑って下さって、救われました。今日は呆れてしまわれたようですけれど」
メイマナは苦笑して、さっきの失敗を話す。
「まあ。ふふふ、メイマナ王女、それは呆れたのでなく、笑いを堪えたのでございますよ」
美しい所作で口元に手をやって、マレリィが笑う。
メイマナは、つぶらな瞳をパチパチと瞬いた。
「笑いを堪えたのでございますか?」
「ええ。王太子は笑い出すとなかなか止まらない方で。昨晩はセイジェ第三王子に、『王女に対し、失礼が過ぎる』と散々叱られたので、今日は堪えたのでしょう」
王太子を叱ったのは弟王子だったのね、とメイマナは小さく笑った。
一拍置いて、マレリィが声音を落とした。
「メイマナ王女殿下。私はやはり、貴女に王太子妃になって頂きたいのです。もう一度考えて頂けませんか?」
マレリィは真剣な表情でメイマナを見た。
中庭の中心では、金髪の令嬢とエルノートが並んで談笑している。
その光景は、メイマナには眩しいものだ。
「マレリィ様、申し訳ございません。私は、やはり王太子妃にはなれません。何故私を推薦して下さったのか分かりませんが、私には分不相応でございます」
メイマナがマレリィに一礼した。
侍女のハルタが、無念そうに目を伏せる。
マレリィは静かにメイマナを見つめて、小さく頷く。
「……王女がそう仰るなら、仕方ありません。王太子をあの様に笑わせて下さるだけでも、この場にお呼びした甲斐があるというもの。今日はどうぞ、最後までお楽しみになって下さい」
マレリィは薄く笑んで去った。
メイマナから離れたマレリィに、侍女が小声で話し掛ける。
「マレリィ様、よろしいのですか?」
「……どのように素晴らしい縁でも、タイミングが合わなければ繋がりません。様子を見ましょう」
強引に押せば、メイマナは頑なに引いてしまいそうに見えた。
何かひとつ、きっかけがあれば良いが……。
マレリィは小さく息を吐いた。
鐘塔から、午後の二の鐘が鳴り響く。
「ようやくか……」
エルノートの溜め息混じりのその小声に、侍従が苦笑する。
園遊会は、午後の二の鐘半までの予定だ。
今日は王太子妃選びが目的の会で、当の王太子が退場するわけにはいかない。
王太子妃選びに意欲的とは言い難いエルノートには、時間が経つのが遅く感じた。
どの令嬢とも、さしたる問題もなく、それなりに会話した。
民の為、国の為に尽くせると言うのなら、一番条件の良い家の令嬢か、一番物腰の柔らかそうな令嬢か、そのどちらかで良いだろう。
視線を庭園の中程から逸らせば、菓子が並んでいるテーブルで、小ぶりなパイを乗せた皿を受け取るメイマナの侍女が見えた。
基本立食の園遊会だが、座って休憩したり話したり出来るように、大振りの花が咲く生垣に添ってテーブルと椅子が並べられている。
その内の一つにメイマナがちょこんと座り、何やら幸せそうな顔で、菓子を小さな口に入れたのを見る。
エルノートは密かに笑った。
王太子妃という獲物を捕らえようと、優雅な笑顔の裏に緊張感を隠す令嬢達と違って、何と穏やかな空気感だろう。
彼女が正妃の座を望んでいないというのは、本当のようだ。
背中に刺さる令嬢の視線を受けるのが億劫で、エルノートの足は、自然とそちらへ向いた。
「ご一緒してもよろしいですか」
ハルタが運んできたパイを、もう一つ口に入れようとしていたメイマナが顔を上げる。
立っているのはエルノートだ。
「勿論ですわ」
メイマナは驚いて、声が上擦りそうになった。
令嬢達の相手は、もう良いのだろうか。
エルノートは席に座り、給仕に指示して、メイマナが飲んでいるお茶と同じものを用意させる。
「我が国の菓子が、お気に召しましたか?」
既に幾つか食べた後のようで、別の給仕が、食べ終わった皿をメイマナの前から下げてゆく。
メイマナは恥ずかしそうに少し頬を染めたが、しっかり肯定する。
「はい! お茶にも合って、とても美味しいですわ。王太子様もお一つ如何ですか?」
エルノートの前にカップが置かれ、給仕が琥珀色のお茶を注ぐ。
ハルタが運んできたパイをメイマナが勧めるが、エルノートは微妙な表情だ。
「……申し訳ありませんが、私は甘い物は苦手なのです」
まあ、とメイマナは目を瞬く。
「ネイクーン王国の菓子は、甘さ控え目で食べ易いですのに」
「……これで甘さが控え目、ですか」
メイマナの前に置かれてあるパイを見る。
子供の頃に食べたことがあるそれは、小振りであるのに、エルノートには一つ食べきれなかった覚えがある。
「ええ、
菓子の大きさを指で示すメイマナに、エルノートはその甘さを想像したのか、少々情けなく顔を顰めた。
その顔に、メイマナは思わず頬を緩める。
「本当に甘い物が苦手なのでございますね」
笑い出すと止まらない、なとどいう話を聞いたからか、甘い物が苦手だという、可愛らしいところを知ったからなのか、エルノートと二人きりでも緊張が解けてきた。
メイマナは、改めてエルノートの顔を見る。
今日の顔色はマシだが、昨日の謁見の間での顔色は、少し気になった。
仕事熱心な王太子だと聞いていたが、もう少し身体を休めた方が良いのではないかと思う。
そんな気持ちもあって、余計な事もたくさん喋って失敗してしまった訳だが。
想像だけで口の中が甘くなったかのように、エルノートがカップを手に取り、お茶を一口飲んだ。
「普段ご公務の合間に、休憩は取られませんの?」
「お茶を飲むくらいは致します」
「それならば、ほんの少しで良いので甘味をお含み下さい。驚く程疲れが取れますわ。どうしても苦手ならば、お茶に蜂蜜を一匙垂らすだけでも……」
エルノートの手が揺れ、カチャンと高い音を立ててカップが倒れた。
カップに残っていたお茶が溢れ、テーブルの縁から滴り落ちる。
彼の眼球が不自然に揺れ、目に見えて血の気が引いた。
メイマナが目を見張った瞬間に、突き上げられたようにエルノートが腰を浮かせて身体を折り、口元を強く押さえる。
「ぅぐっ……」
押さえきれなかった嘔吐物が、指の間からパタパタと、テーブルに落ちた。
「エルノート様!」
「しっ!」
侍従が声を上げたのを、即座にメイマナが制した。
急いで膝の上のナプキンをエルノートの口元に宛がうと、侍従に彼を支えるよう指示する。
「他の方に気付かれてはなりません。このまま裏へ」
菓子と花が並べてあるテーブルの間を、目線で示す。
侍従が頷き、察した給仕が道を作り、侍女達が後ろを隠した。
「どうかしましたか?」
一人の令嬢と、その父親らしき貴族院の男が、不審そうにメイマナの方へ近付いてくる。
メイマナはテーブルの上に、嘔吐物が残っている事に気付いた。
テーブルの前に移動しながら、腰紐から垂らした薄布で拭くと、そのまま腰紐に強く巻き込んだ。
そしてで声高に言う。
「申し訳ありません! 私ったら、王太子様を前に緊張してしまいましてカップを倒してしまったばかりか王太子様にお茶を掛けてしまいました。礼儀作法の完璧な皆様の前で王族として恥ずかしいばかりですがいつもはこのようなことはなくてですね……」
「メイマナ様!」
ハルタが制止し、メイマナは小さくなって恥じ入って見せた。
フルデルデ王国の王女は、そそっかしいものだ、という印象を残し、皆の視線が離れた。
「メイマナ様……」
眉を下げるハルタに、メイマナは軽く首を振る。
「私は良いのです。それよりも、王太子様は大丈夫かしら……」
さっきの王太子の突然の反応は、体調の悪さからのものではない。
口元を覆った右手の指には、毒感知の魔術具があったが、変色はなかったので、毒でもない。
あれは、慰問先の療養院で、何度も見たことがある反応に似ていた。
精神的な疾患がある患者に見られるものだ。
メイマナは、エルノートが去った方を見遣る。
光の中しか歩いていないように見えたあの王太子は、一体何を抱えているのだろうか。
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