掛け替えのない者
西部国境の復興拠点。
視察団の四人が泊まったテントでは、イスターク司教が昼食を終え、エンバーともう一人の聖騎士が食事を始めようとしていた。
残りの一人は、外で待機だ。
「しかし、ネイクーン王国の水の精霊というのは、想像していたものとは随分違うものだな」
イスタークは水を飲みながら、のんびりとした口調で、楽しそうに言う。
兵営から食事を用意して貰っているので、食後のお茶まではない。
「違うとは、どのように?」
聖騎士が尋ねた。
「見た目は精霊の
イスタークは、川原でのカウティスと水の精霊のやり取りを思い出したのか、小さく吹き出す。
そうなのですか、と聖騎士はエンバーを見た。
「私には声は聞こえないが、確かにあの感じは、怒って拗ねているようだったかな」
頭からずぶ濡れにされたエンバーは、苦笑いだ。
エンバーは、太陽神に聖紋を刻まれた聖騎士だ。
自ら誓いを立てて聖騎士に成った残りの二人とは違い、神聖力を持つ。
魔術素質を持つ者のように、声を聞くことは出来ないが、魔力としての水の精霊を見ることが出来た。
聖職者の見る精霊は、主である兄妹神の魔力を薄めたように見える。
水の精霊ならば、主の月光神の魔力、白と青銀を薄めて伸ばしたような感じだ。
ネイクーン王国の水の精霊は、他国で見る水の精霊よりも、強く輝いて見えた。
「カウティス王子は、どう思うかい?」
イスタークが窺うようにエンバーを見た。
「本国へ連れ帰り、聖騎士にしたいですね」
その感想に、イスタークもエンバーの隣に座る聖騎士も、驚いて口を開ける。
「君がそこまで言うとは、珍しいな」
エンバーは、楽しそうに色素の薄い瞳を細めた。
「あのような手合わせは初めてです。剣士としての実力もさることながら、太陽神の聖紋を頂いた時のような、神聖力が高まる感覚さえ覚えました。彼は、聖騎士に向いていると思われます」
イスタークには、
そして、カウティスが極僅かに持つ神聖力も。
しかし、あんなに弱い神聖力では、聖職者とは呼べない。
だから本国に神託が下らないのだろうか。
何故、それ程弱い神聖力を持っているのかは分からないが、聖騎士としての素質は充分らしい。
イスタークは、ふむ、と顎に手をやる。
「カウティス王子が月光神の聖騎士に成り、君と二人、私の両腕として付いてくれたなら、聖王を目指すのもやぶさかではないかねぇ……」
イスタークの言葉に、エンバーがガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。
「まことですか!」
「待て待て。そういう想像をしてみたという話だ。カウティス王子は王族で、王太子殿下の腹心と聞く。そう簡単にはいかないよ」
苦笑いのイスタークに、エンバーは何か言いたそうにしたが、口を閉じて座り直す。
「それに、先ずはこの国境地帯と、水の精霊だね。国境地帯は我がオルセールス神聖王国の庇護下に置かねばならない。水の精霊もネイクーン王国から連れ出せないのだから、同様にこの国で庇護したいが……。さて、どうしたものかな」
独り言のように言うイスタークは、焦茶色の瞳を、何か企むように輝かせている。
午後の一の鐘が鳴り、イスタークと三人の聖騎士が視察団の本隊と合流する為に、案内役の二人を連れてイサイ村へ向かう。
カウティスとラード、マルクも共に拠点を出た。
カウティスは、一週程西部を空けていたので、イサイ村と、堤防建造の現場状況を見に行く目的だ。
街道はベリウム川から少し離れているが、進んで行くうちに、時々、生い茂る背の高い草の向こうや木立の間から、川原や川面を臨むことが出来る。
今日は随分過ごしやすい陽気で、馬上のカウティス達のマントを、そよぐ風が揺らす。
前を行くノックスの、薄青のマントが広がった。
セルフィーネが首を強く振った時、水色の細い髪がフワリと広がるのを思い出し、カウティスの胸がズキンと痛んだ。
普段なら気にならない、川の水がサラサラと流れる音が妙に耳につき、心の奥をざわつかせる。
あれから、何度呼び掛けても、セルフィーネは何の反応も寄越さない。
マルクによると、目を閉じているらしい。
彼女が自ら目を閉じるなど、十四年近く前に眠った時だけだ。
あの時は、仕方なくだったはずだ。
どんな時だって、自分から進んで目を閉じたことなんてなかった。
あの、不安で押し潰されそうだった十三年半を思い出し、ゾッとする。
まさかまた、あんな風に長い間眠るつもりではないだろうか。
やっと、やっと一緒にいられるようになったのに……。
『いや!』
セルフィーネの表情と声を思い出し、カウティスは知らずしらずの内に、騎士服の上から胸のガラス小瓶を強く握っていた。
「……、……王子、カウティス王子」
呼ばれて、カウティスは我に返った。
いつの間にか馬首を並べていたイスタークが、カウティスの方を窺っている。
「……申し訳ありません。考え事をしていました」
握っていた左手を離し、手綱を持ち直す。
イスタークは、カウティスの皺になった騎士服をチラリと見る。
「僅かに月光神の御力を感じるのですが、その瓶には何が入っているのですか?」
美しい色合いのガラス小瓶を、カウティスが首から下げていたのは、今朝見えた。
神殿からの報告で水の精霊を連れ歩いているということは知っていたが、どうもあの小瓶に秘密があるらしい。
「……月光を当てた魔石を入れています」
愛想のない調子でカウティスは答えた。
カウティスがセルフィーネと行ってきたことは、大体知っているのだろうから、ガラスの小瓶についてだけ嘘をついても仕方ない。
「ほう、小さな魔石でも、月光神の御力を溜め置くことが出来るのですね。……では、水の精霊を呼んで貰うことは出来ませんか?」
何故かワクワクした様子で聞いてくるイスタークに、カウティスは一瞬顔を顰めそうになって堪えた。
「猊下、もうご存知でしょうから申し上げます。確かにこの小瓶で水の精霊を連れていることもありますが、水の精霊は我が国の国益なのです。私の一存で猊下に披露するような……」
カウティスは、言いかけた言葉を途切れさせる。
口から出る言葉が、全て上辺のものに感じた。
カウティスは手綱を握る拳に力を込めた。
セルフィーネを語る言葉にだけは、本当の気持ちを込めたい。
例え、王子としてどうなのだと言われたとしても、偽りの気持ちで彼女を語ることだけはしたくなかった。
一つ息をして、カウティスは馬を止めた。
イスタークがつられて止まり、他の者達も訝しんで止まる。
最初から堂々と言えば良かった。
『姿を見せるな』などと言わず、彼女の姿を見せ、この者が水の精霊だと。
どれ程清い力を持っていても、ネイクーン王国の大切な水の精霊なのだと。
―――いや、そうではない。
カウティスは再び胸に手をやった。
そして、今度は小瓶を優しく握り込むと、澄んだ青空色の瞳で、真っ直ぐにイスタークを見て言った。
「猊下、水の精霊は我が国の国益です。しかし、私にとってはそれ以上に、掛け替えのないただ一人の大切な者なのです。お願いです、どうか、彼女を見せ物のように扱わないで頂けないでしょうか」
「…………分かりました。申し訳ない」
イスタークと聖騎士達は、ただ驚いて目を瞬いた。
王城の、側妃マレリィの自室隣に設えてある執務室で、王とマレリィがお茶を飲んでいた。
「何と言うか、メイマナ王女は面白い令嬢だったな」
王はお茶を飲み干して、カップを置いた。
今日の謁見の間でのメイマナ王女を思い出し、苦笑いする。
「そうですね」
ソファーに向かい合って座るマレリィは、涼しい顔をしていながらも、どこか楽しそうだ。
王座から見たメイマナ王女は、あの矢継ぎ早に繰り出された言葉には驚いたが、口にした内容はエルノートを気遣ったものであったし、愛嬌があって印象としては悪くなかった。
だが、エルノートと並ぶと、とてもちぐはぐに見えた。
フェリシア皇女が並んでいた時のように、定められた一対の男女のような感じには見えない。
まあ、そう見えたとしても上手くいかなかった訳だが。
王は一つ息を吐く。
「そろそろ教えてくれないか、マレリィ。何故、あの王女を王妃候補として推すのだ?」
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