フルデルデ王国の王女

拠点に戻って、朝の身支度を整えても、カウティスは少しも落ち着かなかった。


『……もう、いや』


セルフィーネの言葉が、頭の中をぐるぐる回る。

「何だ? 何が嫌だった?」

思わずブツブツ言いながら自問するが、何が原因だっのか分からない。

姿を見せるなと言ったことだろうか。

だが、あれが初めてではない。

言い方が悪かったとか?

いや、言う前から怒った顔だった気がする。


手に握ったガラスの小瓶を持ち上げて、名を呼ぼうとして躊躇う。

拠点にはまだイスターク司教達がいる。

だが、もう、さっきもセルフィーネを見られたではないか。




「相当狼狽えてるな」

「キッパリはっきり『いや!』って言われましたからね」

「あー……」

部屋の扉の隙間から、ラードとマルクが覗いて小声で話しているが、それすらもカウティスは気付いていないようだ。

二人はそっと扉を閉めて離れる。

「王子は多分、水の精霊様から拒絶されたことなかったんじゃないですかね」

「ホントか、それ……」

ラードが、信じられないという顔をした。


「それで、水の精霊様は何処へ行かれたんだ?」

狼狽えたままのカウティスを放置して、二人は続き間の広間で、椅子に座る。

「西部にはいらっしゃると思いますけど、はっきりとは……」

「お前にも分からないのか?」

ラードが驚いた様に言い、マルクは困ったように眉を下げる。

「意識を広げた上、目を閉じてしまったんだと思います」

マルクの説明に、ラードが灰色の眉を寄せて、さっぱり分からないという顔をする。

「元々、精霊の魔力は、人間には曖昧ではっきりとは見えないものなんですよ。水の精霊様は、しっかり姿を留めようとなさるし、声も聞かせようとして下さるので、普段なら分かりますけど」


人間には魔法は使えない。

その主原因の一つは、精霊魔力を正確に掴めないからだと言われている。

魔術素質の高い者ならば、世界に広がる精霊の魔力が色分けされて見える。

しかし、精霊達はお互いが干渉し合いながら存在しているので、はっきりと分かれて見えるわけではなく、とても曖昧だ。

どれ程魔術素質が高く、魔術に精通していようと、精霊は掴むことのできない魔力なのだ。

人間の魔力と精霊の魔力は、同じ魔力ではあっても、全く同じ物ではないようだ。


「……つまり、水の精霊様が自ら姿を見せようとしない限りは、はっきりとは分からないってことか」

「そういうことです」

二人が小さく溜息をついた時、カウティスが扉を開けて、焦ったようにマルクに言った。

「マルク、セルフィーネが呼んでも応えないのだ。何処にいるか分からないか!?」

カウティスは、やはり小瓶に向かって呼び掛けたようだ。

「あー……、魔力について、もう一回説明が要りますかね」

マルクは栗毛の頭を掻いて、ラードと顔を見合わせた。





土の季節後期月、四週三日。

カウティスが西部で狼狽えているこの日の昼、ネイクーン王城には、隣国フルデルデ王国のメイマナ王女が来訪した。



「フルデルデ王国第三王女、メイマナ·サトリ·フルデルデでございます」

謁見の間で、王族を前に挨拶をするメイマナ王女は、肖像画に描かれてあるよりも、ややふっくりとしていた。

フルデルデ王国民に多い健康的な濃い肌色ではなく、色白だ。

頬とぽってりとした唇は、濃い桃色が浮き立つ。

低い鼻に、錆茶色のつぶらで小さな瞳。

瞳と同じ錆茶色の髪は、柔らかく一つに編み、小さな花を散らしてある。

胴を絞らず、ゆったりとした形のドレスの上には、濃い赤と黄色の薄布が肩から腰に斜めに渡され、美しい襞を作っていた。

お世話にも美人とは言えない顔立ちだったが、ニッコリと微笑むと、両方の頬にくっきりと笑窪が出来て、何とも愛嬌があった。


「ようこそ、メイマナ王女。国を跨いで我が国に慰問下さることを、喜ばしく思っている」

王座から王が挨拶をする。

同席していた王族とも、形式的な挨拶を終えたところで、王座の下段にいたマレリィが微笑んで言った。

「我が国の王族の中では、王太子が慈善活動に一番力を注いでおります。我が国でのメイマナ王女の活動を、お助けできると思いますわ」

そうですよね、と言うように、マレリィが笑みを深めて隣に立つエルノートを見た。


形式的な挨拶を終えたので、王女が退出するのを待つタイミングだった筈だが、滅多にないマレリィからの圧に、エルノートは密かに苦笑する。

マレリィはどうあっても、メイマナ王女と縁を繋いで欲しいようだ。



特に縁を繋ぎたい相手がいるわけでもなく、不満はない。

そこで、エルノートは壇上から降り、メイマナの前まで進むと、一礼した。

「王女の活動をお助けできれば幸いです。王城に滞在なさっている間に、是非他国での活動などもお聞かせ下さい」

そう言って、エルノートは微笑む。

しかし、少し待っても返事がない。

メイマナは、小さな錆茶色の瞳を目一杯見開いて、目の前のエルノートを見ていた。

「……メイマナ王女?」

見兼ねたエルノートが声を掛けると、彼女は激しく瞬いて、口を開いた。


「王太子殿下、昨夜はゆっくりお休みになれましたか?」

不意の思わぬ問い掛けに、ドキリとして、エルノートの笑みが薄れた。


「お食事はしっかり取っておられますか? もしや貧血がお有りなのでは? 夜は暑くても身体を冷やしすぎては駄目でございますよ。我が国より持参いたしましたヤドのチーズは滋養があって食べやすいのです。是非お召し上がり下さいませ。それから今の時期ですと……」

「メイマナ様!」

メイマナの後ろに控えていた侍女が、制止の声を上げた。

この場で侍女が勝手に声を上げるのは、礼儀から外れるが、矢継ぎ早に繰り出されるメイマナの言葉に、誰もが呆気にとられていて、侍女を咎めることはなかった。


「あっ……」

侍女の制止の声で我に返り、周囲の視線に気付くと、メイマナはみるみる間に真っ赤になった。

焦った様子で、ふっくりした両手をぶんぶんと振る。

「も、申し訳ありませんっ。王太子様のお顔の色が気になって、つ、つい、その、いつもニザルの世話を焼いている癖で。あ、ニザルというのは末の弟王子のことでして油断するとすぐ夜更ししたり食事を抜いたりしてしまうものでいつも私が……」

「メイマナ様っ!」

二度目は、侍女まで真っ赤になって止める。

今度は目を瞬いて、メイマナは口を開けたまま固まった。


謁見の間に、しんと静寂が訪れる。



「…………申し訳」

「くっ! はははっ!」

静寂を破ったのは、メイマナの前に立つエルノートだった。

謝罪を述べようとした、メイマナの声に被るように笑い出す。

堪えきれずに笑い出すと、止めることが出来ず、掌で口を覆って顔を背ける。

「エルノート」

王が窘めるが、一度笑い出すと止まらないエルノートは、まだ身体を震わせていた。


どうすれば良いか分からず、目を泳がせるメイマナとお付きの侍女達だったが、ようやくエルノートが口を開く。

「失礼しました。…………申し訳ありません」

言いかけてもまだ、一度ふっと小さく吹き出した。

「ニザル王子は私と似ているのでしょうか。その話もまた、お聞きしたいものです」

笑い過ぎで、薄青の瞳に涙が浮いているエルノートが笑い掛ける。

メイマナは、また赤くなった。





王城に滞在する間、フルデルデ王国の一行には離宮が用意されていた。


心地よく過ごせるよう、端々に気を使って用意された離宮に感動する間もなく、侍女頭が声を上げた。

「メイマナ様! もう、何ということを! 王太子殿下が笑って下さったから良かったものの!」

謁見の間でメイマナを制止したのは、彼女だ。

あの場でエルノートが爆笑して、失礼だったと詫びてくれた為に、メイマナが礼を欠いた事は流してもらえた。

だが、初対面の謁見であの暴走は、相当に肝が冷えた。


しかし、侍女頭の言葉が耳に入らないように、メイマナは頬を両手で挟んで首を振る。

「ハルタ! 見た? 王太子様の麗しいこと! わ、私、あのような方の側妃になるつもりだったの?」

無理無理、と彼女は更に首を振る。


他の侍女や侍従は、二人のいつものやり取りだと言わんばかりに荷物の片付けを始め、護衛騎士は平然と部屋の入口に立つ。


ハルタと呼ばれた侍女頭は、盛大な溜め息をつく。

「何を今更。姿絵で見たことがあったではありませんか」

「姿絵なんて、本物の三割増しで描かれるものでしょ。私だってそのように描かれたもの。でも、王太子様は……」

メイマナは、両手で挟んだままの頬を染める。


彼に目の前に颯爽と歩いて来られると、心臓が止まるかと思った。

純白の詰め襟に、鮮やかな青いマントを揺らし、金色に近い髪は光を弾いていた。

姿絵通りどころか、もっと凛々しくて麗しい。


「まるで王子様……」

夢見心地で呟くメイマナに、ハルタは呆れ顔で腰に手を当てた。

「まったく! “まるで”、でなく、本物の王子様です。しかもメイマナ様は王女様ですよ。そんなに素敵だとお思いなら、今からでも正妃候補に名乗りを上げましょう。マレリィ側妃殿下は、是非にと……」

「ハルタ」

侍女の言葉をメイマナが遮った。



少し困ったように、錆茶色の眉をハの字にして、メイマナは言った。

「無理よ。私には、自信がないわ」



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