司教 (後編)

カウティスはラードとマルクを連れ、輝く月の下、司教達のテントに向かう。



テントの入口近くでは、近衛騎士のノックスが聖騎士二人と話していた。

近付くと、三人はカウティスに立礼する。

「猊下は?」

「明日からの視察について、中で話されています」

聖騎士のエンバーと、案内役の貴族と共に中にいるはずだという。

ノックスが説明をしている時に、二人の聖騎士がチラリと目を合わせたのが見えた。


「猊下にお会いしたい。取り次ぎを」

一人の聖騎士がテントの中に入ったのと同時に、いつの間にかカウティスから離れていたラードが側に戻り、耳打ちする。

「テントの外幕の留めが外されていました。中にはいません」

入り口を使わずに、幕の隙間からこっそり外出したということだ。

カウティスは眉をひそめ、踵を返す。

後ろから聖騎士とノックスの声がしたが、マルクに任せた。




セルフィーネは、昨夜カウティスの部屋から出て、西部の空で一人きりで月光を浴びていた。

以前はずっとこうだったはずだ。

それなのに、今は寂しくてならない。

冴え冴えとした青白い月の光は、彼女を心地よく包む。

それなのにどうして、満たされない気分になるのだろう。


セルフィーネは首を振って、視界を広げる。

俯瞰で西部を見て、意識を薄く引き伸ばす。

そうすれば時間は飛ぶように過ぎ、寂しさも忘れて、ただネイクーンの大気と水と共に有れた。



ふと、日の入りの鐘が聞こえて、セルフィーネは意識を戻した。

西の空で、太陽が月に替わる。

今夜も空には殆ど雲はなく、月が青白い光を降らせ始めた。

ベリウム川沿いには、所々に聖職者がいるのが分かった。

昨日拠点にいた聖職者達は、今日、南の神殿に移動したはずだ。

しかし、拠点近くに、また神聖力を持った者が二人程いる。

きっと、カウティスの所へ行かない方が良いのだろう。

まだまだ充分とは言えないけれど、昨夜カウティスと別れた時よりも、魔力は回復している。

それでも、やはり今夜も、一人上空で月光を浴びなければならないのだろうか。


ぼんやりと川原を眺めていると、拠点の方から、カウティスが川原に降りてくるのが見えた。

小さく胸が弾む。

セルフィーネは川原に下りた。




カウティス達は木立を抜け、川原に下りる。

同時に、川辺に水柱が立ち上がり、光を取り込むようにしてセルフィーネが人形ひとがたを現した。

カウティスを認めると、蕾が綻ぶように微笑む。

会えて嬉しいと思っているのが伝わり、カウティスは胸が詰まった。

「……っ、セルフィーネ、すまない。司教が拠点まで来ているのだ。今夜も上空うえにいてくれ」

そう言いながら、カウティスは自然と彼女の頬に手を伸ばした。

セルフィーネの笑顔が萎み、長いまつ毛がふるふると震えたが、それでも分かったと小さく答える。

カウティスは、今すぐにでも抱き締めたい衝動に駆られた。


「猊下」

後ろでラードの声がして、息を呑む。

振り向くと、イスターク司教と聖騎士のエンバー、そして案内役の貴族が一緒にいた。

「これは、何と……」

イスタークが焦茶色の大きな瞳を見開いた。


川面でパシャと音がする。

セルフィーネが姿を消したことを、下を向いて確認したカウティスとは対照的に、イスタークとエンバーは空を見上げた。

二人は、カウティスには見えない、水の精霊の魔力を見ているのだ。

どうしようもなく苛立ちが湧き上がる。


「……猊下、勝手に拠点から出られては困ります。ここで何を?」

険の籠もる声で言うカウティスに、イスタークは困ったように微笑む。

「月光神が御力を降らせる夜に、少し川原を歩いてみたかっただけです。案内役の方も同行しておりますし」

司教とエンバーの後ろで、案内役の貴族が困惑している。

彼もノックスも、国境地帯の浄化に水の精霊がどのように関わっているか知らないのだから、司教に案内を請われれば、当然案内するだろう。

関わりを知られたくないと警戒している人間は、ここでは、カウティス達三人だけなのだから。



「……ああ、申し訳ない。水の精霊との時間を邪魔してしまったようですね」

イスタークは、水柱が立っていた位置まで近付くと、興味深そうに川面を眺めてから、もう一度空を見上げる。

「王子と水の精霊との関係については、神殿各所からの報告で聞いていましたが、このような逢瀬があったとまでは知らず……」

「神殿からの報告?」

カウティスは眉根をきつく寄せる。

報告と聞いて、セルフィーネの神聖力や聖紋の事が、頭を過った。

「私と我が国の水の精霊の関係が、オルセールス神聖王国に何の関係があるのでしょうか。一体、何を報告させて……」

「王子」

ラードが後ろから制止の声を上げる。


カウティスの様子に、イスタークが焦茶色の瞳をスウと細める。

その表情に、優し気な雰囲気はない。

「……水の精霊が関わった途端そのように顔色を変えては、様々に付け込まれます、カウティス王子」

カウティスはビクリと僅かに震えた。

イスタークの言葉に、血の気が引く思いがする。

自分の言動一つで、セルフィーネや国に災異を呼ぶこともある。

今迄に幾度となく心に刻んだ事だ。


密かに細く息を吸い、カウティスは自分を立て直す。

胸のガラスの小瓶に意識を向け、落ち着きを取り戻した。

「……精進が足りず、相応しくない物言いを致しました。お許し下さい、猊下」

カウティスの顔を見て、イスタークは満足気に一つ頷く。

「本当は、水の精霊を見に来たのです。黙って見に来たのですから、王子が怒るのは当然でしょう」

「……当然と思っても、そうなさったのは何故ですか?」

カウティスは、正面から素直に疑問を口にした。

『本当は水の精霊を見に来た』と、司教が認めたからだ。

そんなカウティスを、イスタークは少し楽しそうに見つめてから、話し始めた。



「聖女アナリナの巡教の記録として、神聖王国には神殿から様々な報告が入ります。ネイクーン王国の第二王子と水の精霊の関係も、その中で知られることになりました」

南部巡教で第二王子が聖女の護衛をした事。

南部で貧民街の人々を助ける為に、カウティスとセルフィーネが行った事。

王太子エルノートの救命に、水の精霊が神降ろしを補助したこと。

そういった事が、神殿の関係者から神聖王国の上層部には伝わっているらしい。


「精霊が人と情を交わし、自らの意思で人を助ける……、おいそれとは、信じ難い事ばかりでした。一度、ネイクーン王国へ視察団を送ろうという話が持ち上がった時、王太子殿下から親書が届いたのです。それで、司教の中で、魔術素質の一番高い私がここに来ました」

国境地帯の狂った精霊を鎮める方法はあるかと、エルノートが問い合わせたものだ。

それならば今回の視察団は、西部を浄化するための視察だけが目的ではなく、最初から水の精霊を確認するつもりだったということになる。


「直接見てみたかったのです。申し訳ありません。隠したり、誤魔化したりされないよう、黙ってここへ来ました。……しかし、実に素晴らしい水の精霊魔力です。今は、とても弱っているようですが」

イスタークは全て見透かした様な瞳で、空を見上げる。


カウティスは、無意識にゴクリと喉を鳴らした。

司教の目に、上空そらのセルフィーネはどう映っているのだろう。

強い護りの魔力を持つ、水の精霊か。

それとも、聖女並の神聖力を持つ、月光神の使いか。


警戒の雰囲気を漂わせたカウティスに、イスタークは笑って首を振った。

「安心して下さい、カウティス王子。聖職者我々は、神の眷族たる精霊を無下には致しません。警戒すべきは、我々ではなく、フルブレスカ魔法皇国の竜人族の方です。彼らの一部は、ザクバラ国と繋がっていますよ」





深夜、王城の王太子の自室では、エルノートが寝台に片膝を立てて座り、項垂れていた。


出された薬湯を半分飲んではみたが、胸が悪くてそれ以上飲み下せない。

心配そうな侍従に、力無く手を振り、高く積まれたクッションに凭れ掛かる。


一体、いつまでこの苦痛に耐えなければならないのだろう、何故こんな目に合わねばならないのかと、そんな考えが頭を過る。

エルノートは強く眉根を寄せ、頭を振る。

そんなことを考える事自体が、気負けしているようで、自分が許せなかった。



今夜も、侍従がガラスの器に入った氷を運んで来た。

見つめていると、その薄い桃色の氷の粒が、儚げに溶けてゆく。

子供の頃の思い出に、辛うじて支えられているとは、何と情けないことかと、微かに笑った。


エルノートは氷を口にせず、溶けてゆく様を眺めていた。



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