司教 (前編)

夕の鐘が間もなく鳴る頃だ。


兵士の報告を受け、急ぎ拠点に戻って来たカウティス達は、拠点の門に近い場所にいる四人に気付く。


四人は全員、聖職者の旅装である白いローブを纏っていた。

右胸に太陽神の赤い聖紋、左胸に月光神の青い聖紋が刺繍されてある。

三人は騎士のようで、その内の二人は、前合わせのローブを捲り上げて肩に掛け、腰に銀の剣が見えていた。

三人の騎士に囲まれて立っているのは、小柄な色白の男性で、隣に立つマルクと話している。

同じ仕様のローブを纏い、フードを下ろした肩に、後ろで一つ括りにした焦茶色の髪が掛かっている。



カウティス達が戻ったのに気付き、側で話していたマルクが言った。

「猊下、カウティス王子です」

猊下と呼ばれた、小柄な彼が司教だろう。

司教はこちらを向くと、やや目尻の下がった、髪と同じ色の大きな瞳をゆっくり細めた。


遠目では若い男性に見えだが、近付くと目尻のシワや、ローブから出された手の感じから、そこそこの歳だと分かる。

だが、司教と聞いて、もう少し年配を想像していたカウティスには、随分若く感じられた。


「お初にお目にかかります、猊下。ネイクーン王国第二王子、カウティス·フォグマ·ネイクーンと申します。このような出で立ちでご挨拶することをお許し下さい」

カウティスは普段から騎士服ではあるが、仕様は略装だ。


カウティスが立礼すると、後ろでノックス達が膝をつく。

「ああ、跪礼は必要ありません。私はただの視察官として来たのです。立って下さい」

思いの外柔らかく言われ、皆戸惑ってカウティスを見た。

道理に従えば、司教は王族と同等の礼を必要とする。

初対面では跪礼が求められるはずだ。

カウティスは司教の後ろに立つ騎士達を窺うが、彼等は仕方ないなというように、目を伏せ気味にしている。

見ない振りをするつもりのようだ。

カウティスがノックス達に小さく頷くと、彼等は戸惑いながら立ち上がって立礼した。

満足そうにひとつ頷いて、司教は名乗る。

「オルセールス神聖王国において、司教を務めております。イスタークと申します」




拠点には、貴人を招き入れるような部屋は用意されてないため、いつも大人数の打ち合わせに使用している、大型のテントを使う。

普段なら、拠点のあちこちで作業を進めている作業員達は、最近突然やって来る聖職者に慣れてきていた。

しかし、まさかの司教の訪れに、遠巻きになっている。


テントの中では、話し合いに使う大きな机を挟み、カウティスの正面にイスターク司教が座っていた。

三人の聖騎士の内、年長らしき一人が司教の後ろに立ち、残りの二人は入口近くに立っている。


「突然の訪問をお許し下さい、カウティス王子。この神聖な力が近付くにつれ、気持ちが昂ぶって明日まで待ち切れなかったのです」

イスターク司教が、濃い眉を下げて言った。

低めの声で、のんびりと間延びしたような喋り口調は、場合によっては苛立ちを誘いそうだが、この場では皆の緊張を和らげるのに役立っているようだ。



視察団は予定通り、明日イサイ村に到着する。

越境した時点で、イスターク司教は三人の聖騎士を連れて本隊と離れ、馬を駆けて先にやって来たという。

ベリウム川沿いに走っている内に、余りの美しさに、先へ先へと進んでしまったのだとか。


「魔獣の出現が止まらない程、魔力が濁り歪んでいるとお聞きしていたので、覚悟していたのですが。まさか、これ程に浄化されているとは」

イスターク司教は、澄んだ空気を味わうように深く息を吸う。

「まさに、神の御業ですね」

向ける微笑みは優し気に見えるが、見た目通りに受け取って良いものかは分からない。

カウティスは薄く笑み、慎重に頷いた。


「すぐに戻って本隊と合流するつもりだったのですが、このように遅くなってしまいました。申し訳ないのですが、何処か屋根のある場所をお借りできませんか?」

来た道を今から戻っても、イサイ村にすら到着していない視察団の本隊に合流出来るはずがない。

何処かで一晩やり過ごさねばならないのだが、司教の申し出に、案内役の二人がギョッとする。

「皆様に野営に近いような真似はさせられません。すぐに、近くの町に宿を用意致しますので……」

イスターク司教が手を上げて遮った。

「いえいえ、こちらが勝手に予定を変えて押し掛けたのですから、そのようなことは不要です。私は野営も平気ですから、何処か一角、場所をお貸し下さい」

「しかし……」


困りきった案内役を見て、後ろの聖騎士が渋い顔をして溜め息をつく。

「イスターク様、ですから、明日まで我慢して下さいと申し上げたではないですか。ネイクーン王国の皆様をこのように困らせて」

イスターク司教は苦笑いだ。

「エンバー、今更そんな小言を言わないでくれないか」

エンバーと呼ばれた年長の聖騎士は、体格もよく、刈込んだ白茶の髪と、それより更に薄い色の瞳が目を引く。

精悍な顔を顰めて小言を続けるエンバーに、ネイクーン側の皆は困り果て、カウティスに助けを求める視線を向けた。


「……では、今夜はここにお泊まり下さい。復興の拠点として、兵や作業員達が生活している場ですので、寛いでお休み頂けるかは分かりませんが、野営よりは良いと思われます。ラード、急いで整えるよう伝えよ」

カウティスが見兼ねて口を開き、ラードが頷いて下がった。

以前カウティスが使っていたテントなら、それなりに整えられるはずだ。

司教と聖騎士達が礼を述べ、案内役の二人が胸を撫で下ろす。

カウティスは、内心溜め息をついた。




「確信犯ですね」

全ての手配を終え、カウティスの部屋に報告に来るなり、ラードが口を曲げて言った。

テントの中を整えさせ、兵営の食堂から食事も運ばせたようだ。

「イサイ村より南への街道は、大型馬車が通れないのを知っていて、馬で来たんですよ」

ラードは、下働きの下男が運んできた食事を受け取り、マルクの分を渡す。


イサイ村より南へ通る街道は、所々が紛争時に破損したままで、整備は完全にされていない。

建造資材や足場の木材が運ばれるので、破損が激しい箇所は整備が終わっているが、一般に使われている街道よりは、ずっとガタガタだ。

まだ復興途中の村や町ばかりで、大型の馬車が通るようなことはないので、後回しにされているのだ。

ベリウム川下流の方に、どうしても大型馬車が行きたければ、西部の内地を通る街道から、国境地帯を迂回して進めば行くことは出来た。


当初の予定では、城下を先に訪れ、それから西部入りすることになっていたので、大型馬車でも問題はなかった。

しかし、先に西部に来ることにすれば、イサイ村より南に位置する拠点には来ることが出来ない。

それで、馬で来たのだろうとラードは言った。

「しかもあの時間なら、拠点から無下には追い出せないのは分かってますからね」

カウティスも、そう感じた。

拠点に、今夜滞在したいから来たのだろうと。


「夜、拠点ここにいたかった理由はなんだ? 月光神の御力が増すからか?」

カウティスの言葉に、ラードが首を傾げた。

「聖職者にとっては、太陽の光も月の光も、特別な神の御力ですからね。夜見ると、ベリウム川はまた違って見えるんでしょうかね」

奇跡の地だと言われ始めているベリウム川沿いを、月光輝く夜に見たかったのだろうか。

だが、それだけならば、ここでなくてもいいはずだ。

上流からでも、同じように美しくなった川沿いを眺められる。



カウティスが、温くなったスープを口に運ぶのを見て、ラードが椅子を引いて座る。

マルクも座りながら呟いた。

「イスターク猊下は、魔術素質も高いそうですから、普通の聖職者とは、また違って見えるのでしょうか」

「魔術素質が高い?」

カウティスがスプーンを動かす手を止めて、マルクを見る。

「ええ、猊下は北の魔術国、フォーラス王国出身で、元魔術士だそうですよ」


カチャンと音を立て、カウティスがスプーンを置いた。

頭に浮かぶのは、さっき門の側で初めて顔を合わせた時だ。

イスターク司教は、焦茶色の大きな瞳を細め、カウティスを見た。


あの眺め方は知っている。

ザクバラ国のリィドウォルが、カウティスが纏う水の精霊の魔力を見る時のものと、よく似たものだ。


「魔術素質があって、今、ベリウム川で夜に見たいもの……」

呟いて、カウティスは立ち上がる。

マルクは、はっとする。

「水の精霊様……」




カウティスは、そのまま部屋を出た。

ラードがその後に続く。

日の入りの鐘は、さっき鳴ったところだ。

外に出れば、今夜も月は美しく輝き、青白い光を惜しみなく降らせていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る