耐え忍ぶ
日の入りの鐘が鳴った後、セルフィーネがガラスの小瓶に姿を現した。
今夜は、聖職者の集団が拠点に留まっている為、ラードからベリウム川でセルフィーネと会うことを禁止された。
ガラスの小瓶も、窓を開けて月光を当てたままで彼女が姿を現せば、外から見られるかもしれないと、止められる。
おかげで寝台の側の机にガラスの小瓶を置き、セルフィーネはそこに佇む。
昨日、セルフィーネから『誰のものにもならないで』と言われた後だ。
本当ならばカウティスは、今晩も彼女を抱き締めたかった。
そうでなくても、セルフィーネが月光を浴びる様を見たかった。
例え、小瓶の小さなセルフィーネでも、窓際で月光を浴びる様は堪らなく美しく、何度見てもカウティスの心を奪うのだ。
日の入りの鐘は鳴ったが、カウティスの部屋にはマルクとラードが、机の上に様々な資料を広げて居座っていた。
「聖職者というのは、魔術士と同じように魔力が見えるものなのか?」
セルフィーネに手を伸ばし、カウティスがマルクに聞く。
魔術素質を持って生まれた者が、自ら学んで成る魔術士とは違い、聖職者は神から神聖力を与えられた者だ。
一部を除く聖騎士や、神殿の下男下女は自ら望んで成るものだが、それらは神聖力を持っていない。
後付された力で見る魔力は、どう見えるものなのだろうか。
「どうでしょう。魔力が見えているのは知っていますが、どんな風に見えているのかまでは、分かりませんね」
マルクには
まだまだ朧気な魔力が、僅かに揺れている様がいじらしい。
マルクが言いにくそうにしながら、ガラスの小瓶に向かって言う。
「水の精霊様、王子の下にいらっしゃるのも、念の為、今夜はやめた方がいいかもしれません」
この部屋に降りている水の精霊が、聖職者にどう見えるのか分からない。
出来るだけ目に触れない方がいい気がする。
しかし、返ってきたか細い声は、素直にうんとは言わなかった。
「……嫌だ」
「い、いや?」
マルクはギョッとする。
「そなた達の邪魔はしない。だから、もう少しここにいさせて欲しい。……お願いだ、マルク」
「えっ、は……あの……」
名前を呼ばれ、切な気に『お願いだ』と言われてドギマギするマルクに、カウティスが口を曲げた。
「セルフィーネ、そういうお願いの仕方を他の奴にするな」
何故かカウティスの耳が、やや赤くなっている。
一体、王子は水の精霊様のどんな姿を見ているのだろうかと、マルクは思った。
「あのー、続き話していいですかねー」
すっかり取り残されていたラードが、腕を組み、呆れ気味な顔で口を挟んだ。
カウティス達が拠点に戻るのを、待ち構えていたかのように、ザクバラ国側から話し合い再開の申し入れがあった。
魔術士や聖職者が魔力の浄化を確認し、魔獣の出現はなくなったと判断したようで、作業員達を呼び戻す手配をしたらしい。
中央から来ていた増援部隊を帰し、作業員達が西部に戻れば建造を再開したいとの事だった。
「明日返事を送って、明後日に話し合い……、ああ、駄目か。明後日は視察団が来るのだったな」
カウティスは溜め息をつく。
王城を目指していたはずの、オルセールス神聖王国の視察団が、何故か西部に先に来ることになったのだ。
西部寄りの街道を北から来るのだから、王城より西部が近いのは確かだ。
しかし、拠点にいる聖職者達のように、神の奇跡に気付いて、吸い寄せられて来るのではないかと訝しんでしまう。
「王城が明日、急いで案内役を寄越すそうですから、そっちに任せておけば良いのでは?」
ラードが言うが、司教が来るというのを知っていて、王子が挨拶も無しとは不味いだろう。
「任せはするが、顔合わせくらいは必要だろうな」
「では、ザクバラ国との話し合いは四日後で調整をします」
ラードが頷き、机の資料を纏めた。
セルフィーネは、ガラスの小瓶の上に佇んだまま、打ち合わせが終わって、ラードとマルクが出て行くのを見ていた。
ようやく静かになった室内で、カウティスが彼女の方を向くと、顔を綻ばせた。
「司教が来るのか?」
「そうらしい。狂った精霊を鎮めるのは、それ程の大事だったということだな。……そんな顔をするな」
心配そうな顔をするセルフィーネに、カウティスが眉を下げた。
「今この一帯は、聖職者にとって、月光神が奇跡を起こした場所になっているのだ。そなたは関係ない。心配するな」
それでも表情の変わらないセルフィーネを見て、首を傾げる。
「どうした。他にも心配な事があるのか?」
セルフィーネは両手を胸の前で組む。
「カウティスは……私がしたことで、困ったり苦しんだりしていないか?」
「してないぞ。何故そんな心配をしている?」
セルフィーネが真剣な顔で、カウティスを見上げた。
「セイジェ王子に……ザクバラ国へ連れて行かれたりしないだろうか」
「何だ、それは」
カウティスは顔を顰めた。
昨日セイジェが言っていた“戒め”とは、そういう脅しだったのかと憤りを覚える。
「俺は兄上の臣だ。セイジェに付いてザクバラ国に行くことは有り得ない。……言っただろう? そなたがこの国にいるのに、俺は何処にも行かない。大丈夫だよ」
カウティスは、セルフィーネの小さな顔に指を添えた。
彼女は指に頬を寄せ、安心したように微笑んだ。
「……セルフィーネ、そろそろ月光を浴びに行った方が良いのではないか?」
二人きりになって半刻が経とうかという頃、カウティスが言った。
今夜のように、月光を遮る雲もない夜は、長く月光神の御力を浴びることが出来、魔力の回復にはぴったりのはずだ。
しかし、セルフィーネは長い髪を揺らして首を振った。
「今夜はカウティスといたい」
「っ……、駄目だ。そなたはまだ、回復していない」
胸の奥をキュッと掴まれたようだった。
だが、何とか唇を引き絞って堪える。
セルフィーネはまだ朧気な姿だ。
「回復が先だ。……心配なのだ、頼む」
カウティスは小瓶を両手で包んで、額に当てる。
顔を見ていたら、離れ難い思いが溢れてしまいそうだった。
セルフィーネはカウティスの頭に凭れた。
本当は一緒にいたい。
だが一緒にいれば、彼女がなかなか回復出来ない上に、弱ったままだと、ふとした瞬間に魔力干渉してしまいそうだ。
「……分かった、
額の上で寂しそうな声がして、セルフィーネは消えた。
カウティスは暫く動けなかった。
ようやく額から小瓶を離し、主のいなくなったガラスの小瓶を見つめる。
はあ、と熱い息を吐いて立ち上がると、小瓶を窓際に置き、空から降る月光を恨めしく見上げた。
翌日、処刑場に連行されるかのような、聖職者集団を送り出す。
昼の鐘が鳴る頃には、王太子エルノートの近衛騎士であるノックスと、貴族院の高官が一人、司教の案内役として到着した。
「エルノート様がオルセールス神聖王国に親書を送られて、視察団が来られることになったのですが、まさか司教とは……」
ノックスが頭を振る。
視察団がどんな構成かまでは、返信に書かれていなかったらしい。
案内役の二人は、カウティスが報告で上げている西部の状況を、全て頭に入れてあった。
後は、今日中に実際の西部を見てもらい、明日、カウティスと共にイサイ村に移動して、視察団を迎える手筈になっている。
午後になって、カウティスとラードは、二人を連れてベリウム川沿いを巡った。
明るい光の中で見る光景は、カウティスが西部に来てから見ていた物と、同じ場所だとは思えない。
ベリウム川沿いを初めて見るというノックスですら、空気が光を放っているようだ、と感想を述べた程だった。
カウティス達がいるのは、拠点から近い川原だが、よく見れば上流にも下流にも、聖職者の祭服を来た者がちらほらいる。
ザクバラ国側の川原には、祭壇を設けてある所まであるようだった。
上流から堤防を建造しているので、今すぐ邪魔にはならないが、上流も同じ状況であるのではないかと思うと、頭が痛くなる。
視界の端に、兵士が一人、疎らな木立を駆け抜けて、こちらへ走って来るのが見えた。
「た、大変です!」
兵士は、転びそうな勢いでカウティスの側まで来ると、焦って言った。
「どうした?」
その様子に、カウティス達は身構える。
「し、司教様と、聖騎士が拠点にいらっしゃいました!」
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