祭りの終わり

午後の一の鐘が鳴って半刻。

カウティスとアナリナはオルセールス神殿に戻って来た。

セルフィーネは、ガラスの小瓶に留まっていたが、既に人形ひとがたは殆ど消えかけている。

昨夜、月光が満足に当たっていないからだろう。



「今日はとっても楽しかったです。ありがとうございました」

裏門から入り、住居棟の入口に到着すると、アナリナが帽子を脱いで向き直る。

「まだ時間はあったが、もう良かったのか?」

「ええ、充分です。……私は五週一日に出発するので、きっともう会えませんね」

カウティスは、六週一日の誕生祭まで西部に戻ることになっている。

「本当に、色々と世話になった。感謝している」

「私もです、カウティス。セルフィーネも」

ガラスの小瓶が僅かに光った。

「……アナリナが国を出る時には、国境まで見送る」

セルフィーネの細い声に、アナリナは、嬉しいわと頷いた。



神官に聖女が無事に戻ったことを報告し、カウティスはアナリナと別れて裏門を出た。


門を出てすぐ、微かな声で、上空うえに戻ると聞こえた。

「夜に泉に行く!」

思わず語気を強めて言った。

セルフィーネが小瓶から離れてしまうと、魔術素質のないカウティスには、彼女を感じられない。

主のいなくなったガラスの小瓶を、兵士服の薄茶の布越しに握る。


『誰のものにもならないで……』


耳に残るセルフィーネの震えるような声が、胸の奥を焦がす。

カウティスは二度深呼吸をしてから、ラードと待ち合わせの、騎士団の駐在所へ向かった。





カウティスが裏門を出るまで見送って、アナリナは居住棟の中に入る。


午後の二の鐘が鳴る頃、担当の祭事を終えた女神官が、居住棟に一旦戻って来た。

カウティスから、聖女を無事に連れて帰った旨は報告を受けている。

それで、アナリナが寝起きしている部屋の扉を叩いた。

「お早いお戻りだったのですね」

女神官は扉を開け、寝台に座っているアナリナを見て、眉を下げた。

「聖女様……」


アナリナは、お忍びで出掛けた服装のまま、寝台に座って泣いていた。

青銀の髪を垂らし、肩を震わせている。

「……振られたから、泣いてるん、じゃないの。ただ、悲しいだけ」

「はい……」

しゃくり上げながら言うアナリナに、女神官は隣に座って彼女の背を撫でる。


カウティスが自分を選ばないのは分かっていた。

むしろ、矛盾していると言われても、セルフィーネを選ばないと許せなかっただろう。

それでも、聖女になって初めて、一緒にいたいと思った人だった。

だから、一緒にいられない現実は悲しい。

―――きっと、ただ、それだけなのだ。





収穫祭と御迎祭の前には、人の出入りが多い。

民が浮足立つ時期になるので、城下に騎士が派遣され、自警団や傭兵ギルドと連携して治安を守る。

カウティスは、街が活気づき、人々が楽し気に笑う姿を横目に見ながら、駐在所を目指した。


予定よりもアナリナが早く神殿に帰ったので、ラードと待ち合わせた時間より早く着いた。

駐在所で休憩している騎士と話していると、午後の二の鐘が鳴る。


「あれ、王子。もう来てたんですか」

ラードが駐在所に来たのは、鐘が鳴って半刻も経っていない頃だ。

待ち合わせは夕の鐘だったのだから、ラードも早い。

「随分早かったんですね。……聖女と何かありました?」

含みのある視線でカウティスを見て笑うラードに、カウティスは半眼になる。

「何もない。……そなた、もしかして知っていたのか?」

「何をです?」

「何って……」

知らぬふりをしながら、聞き耳を立てている騎士達に気付いて、カウティスはラードの足を蹴ってから歩き出す。

足を押さえて大仰に痛がって見せてから、ラードが後に続いた。


二人は馬を預けてあった、駐在所の厩舎に行く。

「ラードも祭りを楽しんでいたのか?」

「ええ、まあ。美女に酒を汲んでもらったりはしましたけどね。……って、何ですか、別に悪い事じゃないでしょうが」

何か言いた気に、横目で見るカウティスに、ラードが苦笑いして腰に手をやる。

「情報屋ですよ。城下に来る時には活用するんです」

活用と言うあたり、ラードが情を寄せる相手ではなさそうだ。


「何か有用な情報が?」

「まあ、噂話としては色々と。あと、竜人は国外に出たようです。北部国境で目撃情報があったので、恐らくは皇国に戻ったのではないかと思いますが」

「……やはり会って話をするのは無理だったか」

カウティスが小さく溜め息をつくと、ラードは難しい顔をした。

「会えたとしても、話が通じるような相手ではないかもしれませんよ」

「そう思うような何かがあったか?」

「ここ数年、皇国と北部の国々が、度々揉めていたでしょう。それで、つい最近、竜人が出向いて力で抑えつけたって話です」

カウティスは眉根を寄せる。

北部の国々には、姉のフレイアが嫁いだフォーラス王国も含まれている。



フルブレスカ魔法皇国と、大陸北部の国々とは、近年関係悪化が懸念されてきた。

通常、竜人族は皇国から出ず、他国とのことは皇帝と貴族院から成る人間の執行機関で取り計らわれる。

竜人がわざわざ出向くということは、それ程の大事だということだ。


そして、それはまた、ネイクーン王国に竜人ハドシュが出向いた事にも当てはまる。


竜人族奴等が出てきた時点で、話し合うつもりがないという、意思表示なんじゃないですかね」

ラードが言って、口をへの字に曲げた。





カウティスとラードは王城へ戻り、聖女の護衛を無事終えたことを王に報告する。


城下は夜通し賑わうが、王城の住居区では、祭事を終えて静かなものだ。

使用人棟の方は、今夜は宴会場を設けてあるらしい。

王が毎年許可し、食事や酒が厨房から振る舞われて、使用人達が歌ったり踊ったりして一晩祭りを楽しむのだとか。

そういえば子供の頃、収穫祭の日の夜は、侍女達が王子達を早く寝かそうとしていたような気がする。



夕食を終えて大食堂を出ると、追うようにセイジェが出て来て声を掛けた。


「兄上、午後にセルフィーネと、何か話されましたか?」

突然の質問に、心臓が跳ねる。

「なっ……は、話したが、それがどうかしたか?」

彼女の声を思い出してドギマギしながら、耳を赤くして辛うじて答えたカウティスに、セイジェは残念そうな顔をした。


困惑するカウティスを見て、セイジェは苦笑いして肩を竦める。

「いえ、セルフィーネを戒めておいたのですけど……、思ったようにはならなかったようですね」

「戒め? セイジェ、セルフィーネに何をした」

語気を強め、詰め寄る勢いのカウティスに、セイジェの護衛騎士が反応する。

ラードも動こうとするので、セイジェが軽く両腕を広げて、両者を止めた。

「何も。ただ話しただけです。内容は、セルフィーネに直接聞いて下さい」

セイジェは憤りを含んだカウティスを見て、はあと溜め息をつく。

「……そんな顔をしないで下さい、兄上。私は、兄上に辛い思いをして欲しくないだけです」

「それならば、セルフィーネに酷く接しないでくれ」

「セルフィーネは……世界を支える精霊魔力ですよ、兄上」

カウティスはセイジェと真正面に向き合う。

「それでも、私にとっては唯一人の女性ひとだ」

言い切るカウティスに、周りの護衛騎士や侍従達が息を呑んで二人を見守る。

セイジェが蜂蜜色の眉を下げ、寂し気に笑った。

「……平行線ですね」


兄を辛い目に合わせるなと、セルフィーネに覚悟を促したかったのは確かだ。

だが、それ以上に、出来ることなら引き離したかった。

兄と水の精霊が、強く結び付けば結び付く程、事が大きくなっていく気がする。

それが災異でなければ良いが、セイジェには悪い予感にしか感じられなかった。





今夜は日の入りの鐘から、月が明るく輝き、青白い光は普段よりも温かく、柔らかく感じる。

城下は幸せで楽し気な声が溢れ、温かな明かりが揺れる。

おそらくは国中がそんな夜を過ごしていて、月がそれを喜んでいるかのようだった。


鐘が鳴る前から、庭園の泉の縁に腰掛けていたカウティスは、鐘が鳴ると立ち上がった。

月光が降りてくると共に姿を現したセルフィーネは、朧気で弱々しい姿だ。

しかし、流れる細い髪も、揺れるドレスの襞も優美だった。

白い肌に薄く桃色が広がり、紫水晶の瞳が開くと、カウティスは名を呼ぶ前に彼女の薄い唇に口付けた。



「アナリナの気持ちを、知っていたのか?」

顔を近付けたまま、カウティスが尋ねる。

「…………知っていた」

「俺が、アナリナを選ぶとでも思ったのか、セルフィーネ」

青空色の瞳の奥に激しい熱を感じ、思わずセルフィーネは首を強く振った。

「そうではない。でも……アナリナと行った方が、人間カウティスには幸せなのかと……」

「セルフィーネ!」

「もう絶対に思わない!……もう、我慢しない。カウティスの側には、私だけがいたい」

懇願するように、セルフィーネがカウティスの胸に額を付けた。


『誰のものにもならないで……』

あの言葉が、セルフィーネの決意なのだと気付いた。

「そうだ。俺の側には、そなただけがいてくれ、セルフィーネ」

カウティスは彼女を抱き締め、胸に収めた。



「セイジェに何を言われたのだ?」

「……竜人バドシュから受けた忠告を、カウティスに言わなかった事を怒っていた。カウティスを苦しめるなと……」

カウティスが少し身体を離す。

「竜人が、何か忠告を?」

セルフィーネは躊躇いつつも、竜人の言ったことを話した。

「それでも、どうしても精霊を鎮めたかった。そなたに黙っていて……すまない」

「大丈夫だ。もう謝るな」


西部で起きたことは、セルフィーネが竜人ハドシュの忠告を聞かなかったことになるのだろうか。

そうだとすれば、次に竜人はどうするつもりだろう。



カウティスはセルフィーネを抱き締めたまま、空に輝く月を見上げる。

さっきまで温かく見えた月光は、ただ清廉と青白い輝きを放っていた。



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