聖女二人
「ネイクーン王国の収穫祭は、活気があって、皆楽しそうですね」
口の中の肉を飲み込み、アナリナが言った。
賑やかな祭りの光景に、目を細めて笑う。
妬みのようなものの一切混じらない視線に、カウティスは疑問を投げ掛ける。
「アナリナは、ネイクーン王国を略奪者だと思っていないのか?」
驚いて目を見開いたアナリナが、カウティスの方を向いた。
「略奪者? ああ、昔語りの」
彼女は視線を戻して、もう一口串焼きをかじる。
「……そうですね、ザクバラ国はネイクーン王国のことをそう教えますけど、辺境の子供にとっては、ただの昔語りです。長い紛争の歴史も、英雄とお姫様の物語と同列でした。毎日の穏やかな暮らしが一番大事で、同じように暮らしている対岸の村や町を奪い返せなんて、恐ろしいだけの話でしたよ」
アナリナは、ザクバラ国出身の聖女だ。
国境地帯の、ベリウム川に近い村に住んでいたと聞いた。
彼女は唇に付いたタレを舐めて、うーんと小さく唸って考える。
「ザクバラ城下の収穫祭に、一度だけ連れて行ってもらったことがありますけど、田舎娘にはドキドキするだけで、露店の商品ひとつ怖くて触れなかった覚えがあります」
「怖い?」
カウティスが眉を寄せると、アナリナは肩を竦める。
「ええ。ザクバラ国の城下は、貴族と、平民でも富裕層が暮らす所ですから。ネイクーン王国の城下とは、雰囲気も全く違いますよ」
彼女は最後の一口を頬張る。
「ネイクーン王国を略奪者だと言い続けているのは、あそこに住んでいる人達なんじゃないかな……」
ザクバラ国が身分を重要視するのは知っているが、中央の様子は
カウティスは眉間のシワを深めた。
アナリナは食べ終わった串焼きの串を、油紙でくるくると巻きながら、懐かしそうに微笑む。
「村の祭りは温かくて、楽しいものでしたよ。神殿はないので、村の広場に祭壇を作るんです。毎年子供達が、土の精霊像を粘土で作って、皆で収穫した作物やご馳走を供えて。朝から晩まで、皆が笑っていて……」
アナリナは暫くの間、黙って口を引き結んだ。
ベリウム川の氾濫に続く両国の紛争で、彼女の村は失われた。
その痛みを、思い出しているのだろうか。
「……カウティス達が、国境地帯の復興に力を尽くしてくれて、本当に嬉しいんです。いつかまた、あそこに人が住めるようになったら、きっと村の皆は帰ってくるだろうから」
アナリナはカウティスに笑顔を向ける。
「そうしたら、私の帰る場所も出来るでしょう?」
アナリナは、月光神の試練を果たし、いつか生まれ故郷に帰ることを切望している。
それを叶える為にも、カウティスが西部で行っていることは意味があるはずだ。
「そうだな。そうなるように、これからも力を尽くすよ」
笑顔を返すカウティスに、アナリナが頷いた。
アナリナは通りの露店や出店を覗き、時には店主や客と笑って会話する。
カウティスは周囲に気を配りつつ、彼女が行きたい方へ進むまま、ついて行った。
通りの突き当りになる、中央広場に出た。
ちょうど昼の鐘が鳴った頃で、たくさんの露店で賑わっている広場は、人でいっぱいだ。
広場の中央には一段高い台があり、四方に向かって四体の精霊像が立っている。
剛健な火の精霊の男像。
ふくよかな土の精霊の男像。
涼やかな風の精霊の女像。
そして、優しげな水の精霊の女像。
中央広場の外周から、精霊像を見ていたアナリナが、口を尖らせる。
「水の精霊像、あれ、造り変えないんですか?」
「何故、アナリナがそんなに不満気なんだ」
カウティスが不思議そうにアナリナを見た。
「たって、自分達の国の水の精霊が、本当はもっと美しいって、皆に教えてあげたいじゃないですか」
口を尖らせたままのアナリナを見て、カウティスはフイと顔を反らす。
「俺は教えたくない」
カウティスの様子を見て、子供みたい、とアナリナは呆れた。
広場から離れながら、アナリナはちらりと水の精霊像を見遣る。
「セルフィーネ、大丈夫ですか?」
「……大丈夫、とは?」
「魔力を使い切るところだったでしょう?」
カウティスは驚いてアナリナの方を向く。
「どうしても精霊を鎮めたかったんですね」
「……どういう事だ?」
カウティスが立ち止まった。
「立ち止まったら邪魔になります。向こうに行きましょう」
アナリナがカウティスを促し、一本裏の通りに入る。
ここも人は多いが、大通り程ではない。
「神聖力を使いたいって言うから、少し前に祈り方を教えたんです。セルフィーネは、限界まで祈ることをやめなかったんですね」
アナリナがふうと小さく息を吐く。
カウティスが俯いて額を押さえた。
「どうせなら、程々で止めるってことも教えて欲しかったよ……」
「国境地帯は物凄く美しい場所になっているって聞きました。月光神が降りる様は、壮観だったでしょうね。見たかったな」
花屋の前を通り過ぎたアナリナが、ついて来ないカウティスを振り返った。
少し手前で、カウティスが立ち止まってアナリナの方を見ている。
「降りた……?」
「ええ。あれはもう、神降ろしでしょう?」
セルフィーネの祈りは、精霊を浄化することが目的だったはずだ。
しかし実際は、月光神の御力を呼び降ろし、国境地帯を全て清らかな地に変えた。
「いくらセルフィーネの魔力が人間より多いからって、あの広大な土地をまとめて浄化なんてありえません。彼女は月光神を降ろしたんです。……聖女になったんですよ」
アナリナの前で、色とりどりの花が揺れる。
カウティスは衝撃に立ち尽くす。
精霊のセルフィーネが、聖女?
彼女の中に刻まれた聖紋が頭を過る。
それが正しければ、オルセールス神聖王国は気付くのだろうか。
神託によって、セルフィーネの神聖力が知られたら、精霊だろうと黙っていないのではないか。
「聖女二人に想われるなんて、カウティスもすごい運命の持ち主ですね」
頭が混乱して、思いに耽っていたカウティスには、言葉の意味が理解できるまでに間があった。
アナリナは屈んで、桶に差された花を見比べている。
「……聖女、二人に……何だって?」
「セルフィーネと、私。二人から想われてるって言ったんです」
彼女は身体を起こし、立ち尽くしたままのカウティスを正面に見て微笑む。
「私、カウティスが好きなんです」
王城では、祭事の為の苑地に祭壇が設けられ、実りを祝い感謝する祭事が行われていた。
セルフィーネは王城の上空で、王城や城下から感じる人々の祈りを受け、目を閉じた。
この日を迎えられた事を、皆が心から喜んでいる。
だが、共に喜びを感じながらも、セルフィーネの心は落ち着かなかった。
胸の奥がザワザワと毛羽立つ気がする。
今、カウティスとアナリナは二人で城下を歩いているはずだ。
セルフィーネは堪らず顔を覆う。
彼等は人間だ。
共に流れる時間は同じ。
セルフィーネがカウティスのことをどれ程好きでも、同じ流れの中で、同じように歳を取って生きていくことは出来ない。
アナリナには、それが出来る。
セルフィーネが人間でなくてもいいと、カウティスは言う。
しかし、共に生きていけば、彼はいつか一人で逝かねばならないだろう。
年老いた時、側に寄り添う妻も子もおらず、姿の変わらない精霊がいるだけ。
その時もし、カウティスが後悔したら?
そう思うと、セルフィーネは動けなくなるのだった。
ネイクーン王国には、今は未成人の王族がいないので、皆が祭事に参加している。
昼の鐘と同時に司祭が儀式を終え、第三王子セイジェが顔を上げると、側にいた魔術師長ミルガンが、細い目を更に細めて空を見ている。
「どうした?」
セイジェが声を掛けると、ミルガンは祭事用のローブから腕を出し、空を指す。
「今日は水の精霊様がいらっしゃるようです。久し振りの収穫祭を、王城からご覧なのでしょうか」
「こちらに戻っているのか」
魔術素質のないセイジェには、空を見上げても分からない。
いつもと変わらない空を見上げ、セイジェは暫く考えてから、ミルガンに言った。
「ミルガン、魔術士館の水盆を少し使わせてくれないか」
セルフィーネは、名を呼ばれて顔を上げる。
魔術士館の水盆から呼んでいるのは、セイジェの声だ。
セイジェが水盆で水の精霊を呼ぶのは初めてのことだ。
セルフィーネは空から降りた。
魔術士館の最奥には魔術師長室があり、窓際には、王の執務室に置いてある水盆より、一回り小さな造りの銀の水盆が置いてある。
セルフィーネが水盆に姿を現すと、部屋にはセイジェだけで、侍従すら一人もいなかった。
どうやら人払いしてあるようだ。
セイジェは儀式が終わってすぐに魔術士館に来たようで、金糸の縁取りがされたクリーム色の礼服のままだった。
セイジェは、水盆に現れた小さなセルフィーネを見て、僅かに眉を寄せた。
彼女の
「セイジェ王子が呼び出すとは、珍しい。何か用が?」
セルフィーネの言葉に、セイジェは一度深く息を吐いてから、口を開いた。
〘 忠告、消滅、変化、禁止 〙
セイジェの口から出た竜人語に、セルフィーネは目を見開いて、固まった。
「あの時、竜人が言ったのはそんな言葉だったな。『忠告する。消滅したくなければ、変化をするな』と、そういう意味ではないのか?」
セイジェが、静かに問うた。
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