収穫祭の朝

土の季節後期月、三週五日。

日の出の鐘が鳴り、青白い光を降らしていた月が、東の空で太陽に替わる。




カウティスは訓練場で剣を下ろし、上がった息を整える。

周りには、カウティスに挑み、叩きのめされた騎士達が転がっている。


日の出の鐘より一刻程早く訓練場に現れたカウティスが、珍しく庭園の方へ行かず、手合わせをしたいと言う。

剣の達人ソードマスターとの手合わせに喜んで参加した面々が、今この有様で倒れているのだった。



「ええい、不甲斐ない。お前達は訓練の内容を見直さねばならんな!」

騎士達の有様に憤慨しているのは、騎士団長のバルシャークだ。

日に焼けた顔を顰め、筋肉の盛り上がった腕を組む。

「今転がっている者は、来週の園遊会の護衛からは外せ」

バルシャークが副団長に命じると、呻くように悲鳴が上がった。


その様子を見て、カウティスは悪いことをしたかと鼻の頭を掻く。

「園遊会があるのか?」

「表向きは園遊会ですが、王太子のお妃選びですな。王太子妃候補の令嬢を集めて行うことになっております」

王太子エルノートの即位まで、三ヶ月半に迫っている。

エルノート本人はあまり頓着していないようだが、後継の事も考えて、王は少しでも早く王太子妃を決めたいのだろう。


「フルデルデ王国の王女もおいでになるので、騎士を護衛に置く予定なのですが、……まったく! 不甲斐なし!」

バルシャークは、立ち上がって後片付けを始めた騎士達を睨んだ。

「フルデルデ王国の王女とは、メイマナ王女か?」

メイマナ王女は今月の終わりに、西部に慰問に訪れる予定だったはずだ。

「そうです。マレリィ様が、お妃にと強く希望されておいでのようです」

「母上が? 初耳だ」

西部に戻る前に、詳しく話を聞いておこうとカウティスが考えていると、バルシャークが腰に手をやってカウティスを横目で見た。

「それにしてもカウティス王子、今朝は一体何に荒れておいでか。手加減なしで手合わせなど、何時ぶりのことやら」

「…………いや、少し頭を冷やしたかっただけだ。訓練の場を乱したなら、すまなかった」

カウティスは狼狽えて見えないように、気を付けて言った。



昨夜セルフィーネは、あの後カウティスから離れ、王城の上空にいると言って姿を隠してしまった。

一人に戻った庭園で、カウティスは泉の縁に項垂れて猛省する。


月明かりが眩しいのをいいことに、深夜を過ぎてセルフィーネを呼び出し、弱っている彼女に強引に魔力干渉してしまった。

彼女は『待って』と言ったのに。

セルフィーネの姿を前にして気持ちに余裕がなかったとはいえ、落ち着いて思い返すと、あまりにも身勝手が過ぎる。


しかし、あの滑らかな肌の感触が、カウティスの理性を飛ばしてしまうのだ。


自責の念と情けなさ、セルフィーネに対する申し訳無さとで、カウティスの頭の中は滅茶苦茶になった。

とにかく頭を冷やそうと訓練場にやってきて、剣を振るった結果がこれだ。

訓練に来た騎士達にとっては、災難でしかなかったろう。





今日は収穫祭の日だ。

王城でも、午前にオルセールス神殿から司祭が登城し、兄妹神と土の精霊、そして水の精霊に感謝を捧げる祭事が行われる。

そして国中の街や町村で、収穫を祝う祭りが開催される。



カウティスは自室で、用意していた平民の兵士の服装に着替える。

聖女のお忍びの護衛なので、騎士服では都合が悪い。


首に細い銀の鎖を掛けようとして、手に持ったままそっと声を掛ける。

「……セルフィーネ」

昨夜月光をあてたとはいえ、セルフィーネ自身の魔力回復が充分でないからか、それとも昨夜のことがあったからか、彼女は姿を現さなかった。

代わりにガラスの小瓶が微かに光を放ち、細い声だけが聞こえた。

「……いる」

「昨夜はすまなかった。……その、止められなくて……」

言って、自分が情けない。

それなのに、小瓶からはとても柔らかな声で返事が返ってきた。

「……嬉しかった。カウティスが、触れてくれて」

カウティスの息が詰まった。

ガラスの小瓶を額に付けて、目を閉じる。

そんな風に言われたら、次の機会を願ってしまうではないか。

「……そなたは、俺を甘やかし過ぎだ」


午前の一の鐘が鳴る。

名残惜しい気分だが、もう行かなければ約束に遅れてしまう。

「行かないと。セルフィーネは王城にいるんだろう?」

カウティスは、鎖を首に掛けて聞く。

彼女は、もう西部に戻るだけの魔力を回復してしまっただろうか。

「……いる。収穫祭の祈りを見ている」

今日は王城で祭事も行われるし、国中で人々が感謝の祈りを捧げるはずだ。

セルフィーネが王城に留まる事にほっとして、小さく笑む。

「そうか。アナリナが、もし会いたいと言ったら呼ぼうか?」

カウティスが愛用の長剣を持って、扉に向かう。


「…………アナリナは、きっと呼ばない」


消え入るような声は、はっきりと聞こえず、カウティスは立ち止まって聞き返したが、ガラスの小瓶からはもう返事がなかった。




カウティスはラードと合流して、馬で城下まで下りる。

収穫祭で人出が多いので、裏通りで馬を降り、オルセールス神殿まで引いて歩いた。


今日は神殿の前広場は開放され、民が自由に感謝の祈りを捧げられるよう、祭壇が設けてあった。

既に、多くの民が祈りに訪れているようだ。

午後にはここで、司祭が祭事を行うのだとか。

神殿内で行う祭事は、聖職者だけのものらしい。

今日は聖職者にとっても忙しい一日のようだ。


収穫祭は国によって様々で、祭事の段取りなども随分と違うのだという。

基本的に、その地に根付いたり、オルセールス神聖王国から派遣されている司祭や神官が行うので、アナリナのような大陸中を巡教して回る聖人や聖女は、祭事を受け持たない。

おかげで今日は、珍しく休日気分で祭りを堪能できるらしい。



カウティスとラードは、神殿の建物を迂回して、孤児院と居住棟のある裏庭の方へ向かった。


居住棟の入り口には、既にアナリナと女神官が待っていた。

アナリナは、以前お忍びで出掛けた時の様に、成人前の平民がよく着る簡素なシャツと短いベストに、裾の広がったズボンを履いている。

帽子はまだ被らずに手に持っていて、後ろで編んだ青銀の髪が陽光を弾いていた。

「カウティス」

カウティス達が来たのを見て、アナリナは嬉しそうに手を振った。


女神官は、この後は祭事で忙しいようで、カウティスに挨拶だけして下がった。

「街に出るのは、カウティスと二人がいいです」

アナリナは挨拶した後、ラードを見上げて笑顔で言った。

はっきりと言われ、ラードがカウティスの方を見る。

カウティスは小さく息を吐いて、頷いた。

確認したところ、今回の護衛はアナリナへの褒賞代わりに、王が請け負ったものだった。

それならば、アナリナの希望に沿うものでなければならない。


ラードは、微妙な顔をしてカウティスとアナリナを見比べ、一礼して下がった。

「行きましょう、カウティス」

満足そうに笑って、アナリナは白い帽子を被る。

カウティスもフードを深く被り直し、アナリナと共に裏門を出た。




神殿から歩いて、城下の中心を通る大通りに出る。

普段は中央を馬車が通るが、収穫祭の今日は、歩行者専用の通りになっている。

中央には露店商が並び、両側の大型の店舗でも店先に出店があった。


通りに入ってすぐ振る舞いの果実酒を渡され、二人して飲みながら歩く。


「もうすぐ、我が国を出ると聞いた」

「ええ。次はフルデルデ王国です」

大規模な救済が必要と判断される国がなければ、聖人聖女は隣の国へ移動することが多い。

以前からアナリナは、次はフルデルデ王国か、ザクバラ国だと予想していた。


「アナリナには、本当に世話になった。改めて礼を言う」

カウティスが畏まった態度を取ろうとするので、アナリナが顔を顰めた。

「もう! せっかくのデートなのに、そういうのは要りませんって!」

「デートって……。そんなものではないだろう」

カウティスが軽く睨むと、アナリナは楽しそうに、あははと笑った。



大きな肉を刺した串焼きの露店を見つけて、確かアナリナの好物だったと思い、カウティスが聞く。

「食べるか?」

「はい! 二本ですよ、二本。カウティスも一緒に食べるんですからね」

嬉しそうに両手を合わせ、目を輝かせるアナリナに、カウティスは苦笑いだ。

店主から二本受け取り、一本をアナリナに渡した。

タレのたっぷりかかった串焼きを、幸せそうに頬張るアナリナを見てから、カウティスもかじりついた。



露店の上に屋根のように渡された、色とりどりの布が、風に煽られてハタハタと音をたてる。

子供の頃に見た光景と変わらない、活気に溢れた通りを見て、カウティスは目を細める。


成人して、フルブレスカ魔法皇国から帰国しても、収穫祭の日には決して城下に近付かなかった。

セルフィーネと見た眩しい光景を、上書きするのが嫌だったからだ。

そして、彼女がいないことを思い知るのも。

しかし、今年は水の精霊セルフィーネが戻った。

人々が改めてそれを喜び、祈りを捧げているのを見ることが出来て嬉しい。



セルフィーネも今、王城で民の喜びを感じているだろうか。

出来ることなら、セルフィーネと一緒にこの光景を見たかった。


人々が幸せそうに歩いて行く通りを、カウティスは黙って見つめた。

その隣で、アナリナは、フードに隠れて見えない彼の横顔を見上げていた。



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