想い人

カウティスが王城に戻り、セルフィーネは西部の空に留まっていた。

心の中には、カウティスの言った言葉が渦を巻いている。


『そなたは自分を軽んじ過ぎる。俺は、それが辛い』


彼に辛い思いをさせたくなくて、光を求めたのに、何故あんな顔をさせることになったのか。


軽んじるとは、一体どういう事だろう。

カウティスやマルクが心配をしてくれる時、自分を思ってくれることを嬉しく感じる。

しかし、どれ程消耗しても人間のように痛みがあるわけでもなく、時間をかければ回復するのが精霊だ。

それ程心配されるようなことは、ないはずなのだ。



そんな思いに囚われていたからなのか、美しく浄化されたベリウム川周辺も、国内の別の場所も、何も見ていなかった。

精霊の時間軸は、人間のそれとは違う。

セルフィーネが意識して人間に合わせようとしていなければ、飛ぶように過ぎてしまう。


セルフィーネは、カウティスが呼ぶ声で顔を上げた。


日の出の鐘が鳴る前の、早朝鍛練の時間だ。

王城の庭園の泉で、カウティスが呼ぶ。

会いたくてすぐに行こうと思うのに、思うように動けず、彼女はベリウム川に落ちた。

訳が分からず、空を見上げると、月は雲に覆われて影しか見えない。

魔力の回復が出来ていないのだと気付き、せめて王城を見ようと思うのに、何も見えなかった。




「水の精霊様、大丈夫ですか!?」

動揺しているセルフィーネの下に来たのはマルクだ。

マルクは上空にいるセルフィーネを心配して、今日は何度も川原まで来ていた。

「……マルク、動けないのだ。……何も見えない」

掠れるように小さな声が聞こえ、マルクがゆっくりと言う。

「消耗が激しすぎたのです。充分に回復するまでは、動けないでしょう」

「そんなことは……」

消耗が激しくて動けないなど、そんなことは今まで一度もない。

マルクが栗毛の眉を下げて、悲しそうな顔をする。

「……水の精霊様、お気付きでないのですか。月光神の介入がなければ、消耗し過ぎて、消えるところだったのですよ?」


セルフィーネは目を瞬いた。

ベリウム川に姿を現そうとしたが、足元の水面は少しも盛り上がらなかった。

改めて自分を確認するように見渡す。

国の空を覆う魔力さえも、薄い。

まさか、そんな。

その霞のような魔力に初めて気付き、セルフィーネは愕然とした。





土の季節、後期月三週三日。


カウティスは、予定していた三週四日より早く帰城したため、その分休めと言われた。

しかし、西部からの通信も多く、せっかく王や王太子と直接話す機会があるのだからと、今後の事を相談したり、打ち合わせたりしている内に、一日などすぐに過ぎた。


西部からの通信では、リィドウォルがカウティスに面会を求めたようだが、帰城していて不在だと、ラードが対応したということだった。

やはりザクバラ国も、国境地帯の変わり様に多くが混乱し、聖職者達が押し寄せて、神の御業だと騒いでいるようだ。


幸いなのは、予想通り魔獣の出現が止まったことだ。

暫くの間は警戒を解かないようだが、魔術士達が見ても明らかな魔力の正常化に、混乱が収まれば作業員や職人達を呼び戻し、復興にあたりたいという。

カウティスが西部に戻り次第、三回目の話し合いの機会を持つことになったそうだ。




日の入りの鐘が鳴る。


カウティスは泉の庭園にやって来た。

しかし、今夜は昨日以上に厚い雲に覆われて、魔術ランプを持たなければ、奥まった位置にある小さな庭園には踏み込めなかった。



この小さな庭園には、オイル式のランプも、魔術ランプも設置されていない。

花壇の小道を出て庭園に入る所と、泉の側に、ランプを掛けるための細い支柱が二本あるだけだ。

アブハスト王が、セルフィーネを囲う為に作ったという、隠された庭園だ。

彼がいない時に、庭園に明かりを灯すつもりがなかったのかもしれない。


作られた当初がどういう物だったにしろ、今はカウティスとセルフィーネにとって大事な場所だ。

今度、セルフィーネに魔術ランプを設置したいか、聞いてみようか。

そんなことを考えながら、カウティスは魔術ランプを支柱に掛ける。

ランプの光で、支柱の蔦と葉の彫刻が影を付けた。

噴水が光の粒を散らす。


「セルフィーネ」

月が全く見えない闇だ。

魔力の回復が進んでいないことは分かっているのに、ここならば会えるのではないかと、足を運んでしまった。

「少しでいいから、姿を見せてくれないか」

カウティスの言葉に、チャプと小さな水音がして、透き通った水面が僅かに揺れた。

しかし、やはり水柱は立たない。

姿を現せるほどの魔力が回復出来ていないのだろう。

それとも、姿を見せたくないのだろうか?


一昨日の夜に別れた時の、霞のようなセルフィーネを思い出す。

狼狽えて、背けた横顔。

西部の為に魔力を使い切るところだった彼女に、もっと違う言い方は出来なかったのだろうかと、今になって後悔する。

「会いたい……」

カウティスが呟いた一言は、闇に吸い込まれた。




泉の庭園から居住区に戻る途中、侍従を連れたセイジェに会った。


「セイジェ、こんな時間に何処へ行っていたのだ?」

今日のような闇夜に、庭園の散策でもないだろう。

「本を借りに、薬師館に行っていたのです。兄上こそ何処へ……ああ、泉ですか?」

「まあな……」

歯切れの悪いカウティスの返事で、会えなかったのだと気付いて、セイジェが眉を上げる。

「当分の間は魔力回復に努めるのだと、兄上が言っていたではないですか」

呆れ気味に言うセイジェに、カウティスはバツが悪そうに目線を逸らした。



部屋に戻るセイジェに、お茶でもと誘われて、一緒に居住区へ戻る。

朝晩は随分涼しくなったが、セイジェの部屋はまだ窓は開けず、魔術具で涼風を流していた。

カウチの側には、様々な本が積まれた机がある。

「最近は、薬学まで学び始めたのか?」

薬学関係の本が多いことに気付いて、カウティスが聞いた。

「ええ。興味を持って読み始めると、学びがいがあって。それに、ザクバラ国に行くならば、学んでおいて損はないと思うのです」

「……そうか」


ザクバラ国は、古くから薬草の栽培に力を入れている国だ。

養蜂が盛んであることも、それに通じる。

王太子エルノートの毒殺未遂があってから分かった事だが、ザクバラ国はフルブレスカ魔法皇国の薬師館で、高職に付いている薬師が多いらしい。

皇立学園で薬学の講師を努めているのも、ザクバラ国出身者が多いのだとか。


「知っているのと知らないのとでは、心構えも違ってきますから。……薬は使いようによって、毒にも成り得ますし」

ネイクーン王城へ、猛毒になり得る物を持ち込んだ国だ。

柔らかく笑うセイジェだが、彼なりにザクバラ国の中央へ入っていく為の備えが始まっているのだろう。

その笑顔に、カウティスは、弟の静かな決意を見る。

「……西部の変化で、少しでも両国の関係が良くなれば良いが」

そうすれば、セイジェの立ち位置も困難が減るかもしれない。



侍従がお茶を注ぐ間、カウティスが窓の外を気にしているのを見て、セイジェが小さく笑う。

「今夜は月は出ないでしょう。兄上、そんなに心配しなくても、セルフィーネは精霊なのですから、その内に回復しますよ」

「分かっている。……分かってはいるが」

カウティスは無意識に、騎士服の上からガラスの小瓶に触れる。


そんな兄を見て、セイジェは蜂蜜色の眉を下げて苦笑する。

「兄上も、難しい相手を好きになったものですね。セルフィーネが想い人では、何もかも思うようにはいかないでしょう」

カウティスは顔を上げて薄く笑む。

「そうは思わない。私はむしろ、恵まれていると思う」

「え?」

思いもよらなかった兄の返答に、セイジェは驚いて目を瞬く。


「セルフィーネが精霊だから、触れ合うことも出来ないと言われるが、人間同士でも焦がれる相手に触れられるとは限らない」

身分の差が大きければ、声も掛けられない場合だってある。

ラードが以前言っていた、“手の届かない相手”とは、そういう相手だったのではないかと、カウティスは思っている。

「王族や高位貴族なら、婚姻を自分の気持ちでは決められないだろう。兄上のように、成人前に婚約が決まることもあれば、そなたのように、政略婚で他国へ行くこともある。私の未婚が許されているのは、相手が水の精霊セルフィーネだからだ」


カウティスは、胸の小瓶の感触を確かめる。

「呼べば応えてくれ、共に辺境へ行き、側にいられる。とても恵まれている関係だろう」

やせ我慢でなく、本気でそう思っている様子の兄を見て、セイジェは小さく息を吐く。

「今夜は呼んでも、応えてくれなかったようですが?」

「うっ……」

笑い含みにセイジェに言われ、カウティスは言葉に詰まって顔を顰めた。



「……私も、カウティス兄上のようになりたいです」

薄く微笑んで、セイジェはカウティスを見た。

「……タージュリヤ王女が、そなたにとって良い伴侶になると良いな」


ザクバラ国のタージュリヤ王女がどのような女性なのか、あまり情報はない。

肖像画では、ザクバラ国民特有の黒髪黒眼で、肌の白い細面の、知的な雰囲気を持った女性だった。

カウティスには、セイジェが彼女と良い関係を築き、ザクバラ国での暮らしが平穏なものになるよう祈ることしか出来ない。

だが、セイジェは眉を下げて笑う。

「そういう事ではないのですが……。いえ、良いのです」

怪訝そうな目を向けるカウティスに、セイジェは軽く手を振った。



兄はいつでも、真っ直ぐだ。

その瞳と同じ、内側から溢れる澄んだ輝きに、セイジェは憧れるのだ。



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