西部国境の奇跡 (後編)
西部国境地帯のザクバラ国側では、ザクバラ拠点より少し下流、川より少し内地に入った所で、リィドウォルが魔獣を焼こうとしていた。
ここ数日は、小物の魔獣が出現する。
討伐は比較的簡単だが、度々出現するので手を焼いていた。
しかも遺体を魔術の火で焼かねばならない為、魔術士達の仕事が増え、消耗させられる。
中央から送られた増援部隊は、最初こそ国境地帯の状況を楽観視していたが、その魔獣出現率に、数日で態度を変えていた。
これで少しは中央が国境地帯に求めるものを改めてくれたら良いがと思い、魔獣を焼く為の火の魔術を発現しようと、リィドウォルが手を上げた時だった。
青味を帯びた輝く白い光が、滑るように足元に流れ込んだ。
「これは……!」
魔術素質のない護衛騎士のイルウェンでさえも、地面を見て顔を引き攣らせた。
リィドウォルが光が流れて来た方を見れば、波が打ち寄せるように青白い光が何層にも流れてくる。
その光に水色と薄い紫が混じるのを見て取り、リィドウォルは光が流れて来る方を目指して走り出した。
木々の間からベリウム川が見えてくると、対岸の光の塊が目に入った。
白く眩しい巨大な光体が、光の波を放出している。
川面に漂っていた濁った魔力は嘘のように消え失せ、美しい黄色と緑の魔力が、薄い帯のようになって光体を囲んでいる。
「……精霊が浄化されている」
上がる息を整え、リィドウォルが呟くと同時に、イルウェンが追い付いた。
「あれは何ですか?」
足元に流れてくる光に、太い眉を寄せたままイルウェンが尋ねた。
しかし、その声はリィドウォルの耳には入らず、彼は黙って光体を凝視していた。
セルフィーネは祈り続ける。
王城の王族達、街の人々、孤児院の子供達、復興を目指す西部の、両国の人達。
全ての人々が笑って暮らせるように。
そして、きっとそれが、カウティスの笑顔にも繋がると信じて。
ああ、どうか、私の光よ、この地を鎮めて。
月光神様、微力な私に御力をお貸し下さい。
セルフィーネは、既に精霊達の嘆きが消えたことに気付かず、光を放出し続ける。
天空に輝く月が、彼女の切なる祈りに惹かれるように、青銀の粒を降らせ始めた。
王城で、魔術師長ミルガンが魔力の異変に気付き、外へ出て空を見上げた。
魔術素質の高い者が続々と出てきて、空を指差す。
水の精霊の美しい魔力の層に、青銀の魔力が混ざっていく。
そしてそれが、西の空へ引き寄せられるように流れて行く。
昨夜と同じように、オルセールス神殿の前庭で伸びをしていた聖女アナリナは、その空の異変に眉根を寄せた。
西の空を睨み、唸る。
「……駄目よセルフィーネ、全て
神聖魔法の媒体は、術者の生命力。
一度に使い過ぎれば、命に関わる。
セルフィーネの生命力、それは
「もういい! やめろ!」
カウティスは叫んだ。
しかし、その叫びはセルフィーネに届かない。
彼女の中から溢れ出る光は、止まることなく辺りを覆い尽くす。
黄色と緑の光の筋が、空から降る青銀の粒と共にセルフィーネの姿に纏わり付いた。
セルフィーネと繋がっているからなのか、魔術素質のないカウティスにも、その魔力がはっきりと見えた。
その色で、光の筋が風の精霊と土の精霊だと気付く。
精霊達が、セルフィーネの
「やめろ、触れるな!」
カウティスは左手で、その光を払おうとするが、擦り抜けて何の意味もなかった。
何とかこの光の放出を止めなければ。
そう思うのに、どれ程力を込めても右掌を剥がす事が出来ない。
このままでは消耗し続け、セルフィーネが消えてしまう。
焦燥感に駆られるカウティスを笑うかのように、完璧な聖紋が目の前に浮き上がって見えた。
完璧な聖紋でなくせばいい。
そうすれば、放出は止められる。
カウティスは、咄嗟に左手で、腰の長剣を鞘から引き抜いた。
逆手に持ったまま、己の右掌に突き立てようと振り上げる。
刃が光を弾き、鋭い切っ先が輝く。
そして、軋むように固まった。
その切っ先が向く先は、セルフィーネの右胸だ。
己の右掌を突こうとすれば、まず、彼女の胸を突かねばならない。
カウティスは息を止め、眉根を強く寄せた。
「セルフィーネ! 行くな! 目を覚ましてくれ!」
« 水の精霊よ »
土の精霊の声が聞こえる。
« 解放された 礼を言う »
ああ、同胞を鎮めることが出来たのだ、とセルフィーネは安堵した。
« 同胞達よ
« 水の精霊よ 我等と共に行こう »
セルフィーネの言葉に続き、風の精霊が言った。
精霊達が、セルフィーネを引き上げようとするのが分かり、彼女は首を振った。
« 行けない この国を出れば 消えてしまう »
« 消えればいい そうすれば解放だ
契約を終わらせ 我等と共にあろう
個を消して 元の水の精霊に戻ろう »
契約から解放されて、同胞と共に在る。
遥か昔のように、世界を支える精霊の一部に戻る。
どれ程願ったことだろう。
それが叶うというのか。
« 今なら 引き上げられる
月光神様も 御力を貸して下さる »
青銀の光が、細かな粒のように周囲を取り巻いている。
« 行こう
精霊達がセルフィーネを引き上げる。
『やめろ、触れるな!』
カウティスの声が聞こえて、セルフィーネは振り返る。
既に上空に登ろうとしていて、自分の
カウティスは左手で剣を引き抜き、己の右掌に突き立てようとしたが、彼女の胸に切っ先を差し込むことが出来ず、軋むように固まった。
『セルフィーネ! 行くな! 目を覚ましてくれ!』
その悲痛な叫びに、セルフィーネは首を振って、同胞の手を振り解いた。
« 行けない »
« 水の精霊よ 再び機会はない
行こう 我等と共にあろう »
セルフィーネは大きく首を振る。
騎士の利き手を迷わず傷付けようとするのに、セルフィーネの
« 私は 行かない 私は 彼と共にある »
«
ただ消えることになっても良いのか »
セルフィーネは同胞に微笑み、反転した。
« 例え消えても カウティスと共にある »
「セルフィーネ!」
カウティスの何度目かの叫びと同時に、突然右掌が離れ、腕が自由になった。
同時に、セルフィーネが崩れ落ちる様に膝を折る。
カウティスは咄嗟に剣を落として膝をつき、彼女を抱き止めた。
その腕に、魔力干渉の時と同じ、ひやりと滑らかな彼女の肌が触れた感触がある。
光の放出は止まった。
しかし二人の周りには、依然として光が漂い、霧のような青銀の細かな粒が取り巻いている。
セルフィーネが、長いまつ毛を揺らしてゆっくりと瞬く。
紫水晶の潤んだ瞳が、カウティスを映した。
「セルフィーネ……、セルフィーネ、分かるか?」
セルフィーネの白い腕が持ち上がり、カウティスの頬を細い指が撫でる。
触れられた確かな感触に、カウティスが震える手でその手を握った。
「…………大丈夫、側にいる」
セルフィーネを失うかもしれないという恐怖に、自分でも気付かない内に、カウティスは震えていた。
「ずっと、カウティスの側にいる」
セルフィーネの声は小さかったが、はっきりと耳に届いた。
カウティスの目が潤み、顔が歪む。
セルフィーネは両腕で彼の頭を胸に抱き、カウティスは彼女にしがみ付く様に掻き抱いた。
薄闇に紛れ、国境を越えようとしていた竜人ハドシュが、呆然と空を見上げる。
「この魔力は何だ……」
水の精霊の魔力が、ネイクーン王国の空を覆っているだけでも不可解だというのに、今、その空には、月光神の青銀の魔力が混ざろうとしている。
まるで月光神が、水の精霊の変化を後押ししているかのようだ。
「……有り得ない」
口ではそう言葉に出しても、実際に目の前に広がる光景に、ただ驚愕した。
『世界は兄妹神が望んでいるように、それぞれが進化し続けているんだから』
聖女の言葉が頭を
まさか、そんなことが?
兄妹神が望んでいるのは、竜人族が導く進化ではなかったのか。
青銀の光が、霧のように広がりながら消えてゆく。
立ち尽くすハドシュの頭上に、水色と薄紫色の魔力が、星のように青銀の粒を散りばめて揺蕩っていた。
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