縁談 (前編)
カウティスが、昨夜の西部での顛末を知ったのは翌朝だった。
久しぶりに王城の泉の庭園で鍛練を行った後、泉に佇んで見ていたセルフィーネから話を聞いた。
「それで、そなたは消耗しなかったのか?」
カウティスは、セルフィーネの頬に手を添える。
「大丈夫だ。放出出来なかったからか、特に消耗しなかった」
ひとまず安堵するが、眉を寄せてカウティスが言う。
「それは良かったが、よりによって俺がいない時に……」
「すまない。……怒ったか?」
上目がちに聞くセルフィーネに、カウティスは小さく笑って首を振る。
「まさか。わざと一人の時に試したわけではないだろ。ただ、側にいてやれなかったのが悔しいだけだ」
こんなことなら、やっぱり昨日、西部に帰すのではなかった。
そう考えながらセルフィーネの瞳を見つめ続けていると、見つめられている彼女の頬に少しずつ赤味が差し、瞳が潤んできた。
「セルフィーネ?」
「…………抱き締めて欲しい」
カウティスの心臓が跳ねた。
カウティスが泉の縁に片膝をついて、両腕を広げると、セルフィーネは一歩踏み出して彼の胸に収まった。
白い手を彼の胸に添え、頭を凭せ掛けるセルフィーネが愛おしくて、カウティスの胸が疼いた。
「……昨夜、ザクバラ国のリィドウォル卿と護衛騎士に見られた」
セルフィーネの言葉に、胸の疼きが冷たい動悸に変わる。
「見られた?」
「恐らく、私が光を持ったところを、対岸から見たのだと思う」
カウティスが身体を離し、険しい表情で彼女の顔を見る。
「何もされなかったか!?」
「……? 何も。ザクバラ側の岸際にいて、見ていただけだ」
カウティスは大きく息を吐く。
「セルフィーネ、リィドウォル卿には気を付けろ。絶対に近付かないでくれ」
伯父のことは、正直良く分からない。
少なくとも、
彼にとってのその“自国”が、母の言うように怨恨に囚われたものなのか、それとも変わろうと願っているものなのか分からない。
カウティスに向けた瞳にも、情が見えた気がして、気になっていた。
ただ、
あの目が、昨夜セルフィーネを捉えたのだと思うと、言いようのない苛立ちが込み上げ、カウティスは彼女をもう一度抱き締めた。
王の執務室では、机の上に積み上げられた書類や書簡に、王が盛大な溜め息をついたところだ。
一昨日の皇女を送り出したところから、竜人の来訪に、皇国への抗議状制作にと時間を割かれ、公務が滞っていた。
顰めっ面の王に、宰相セシウムが苦笑しながら代わりに処理できるものを手にしていると、側で仕事をしていた文官が一つの書簡を持って来た。
「陛下、謁見要請がございます」
「謁見? 誰だ?」
「フルデルデ王国の使者です」
王とセシウムが顔を見合せた。
午前の二の鐘が鳴る頃、カウティスはラードと共に、城下のオルセールス神殿に向かう。
昨日帰城し、竜人の行方が分からなくなったことを聞くと、ラードはすぐに城下へ降りて行った。
竜人の行方を知るために、情報を仕入れに行ったらしい。
しかし、人間に馴染みの薄い魔法を使われては、さすがに有力な情報はなかったようだった。
「ただ、客を乗せたはずなのに、どんな客だったか覚えていないと言ってる御者がいたんですよ」
乗り合い馬車の御者が、南部街道の停留所まで行ったことは覚えているが、客がいつ降りたか、どんな客だったか覚えていないという。
金は手元に残っているので、乗せたのは確かだとか。
「それが竜人だと?」
「確実ではないですが、怪しいのはそんなところでした」
もしそれが竜人なのだとしたら、南部街道ということは、南部か東部に向かったのだろうか。
「それから、これは竜人とは関係ありませんが、フルデルデ王国の使者が来ているようですよ」
ラードが微妙な顔でカウティスを見る。
「フルデルデ王国?」
南部エスクト砂漠が国境の隣国だ。
南部では交易が盛んで、馴染み深い国ではあるが、この一、二年でザクバラ国との遣り取りが増えていると聞いていて、何となく警戒心が湧く。
「街の噂では、縁談を持ってきたとか」
「縁談?……誰のだ?」
「それは、まあ、……カウティス王子なのでは?」
ラードが肩を上げて、おどけた顔をする。
カウティスは物凄く嫌そうな顔をした。
王族の結婚は、大々的に国外にも知らせて、結婚式典には他国の王侯貴族が祝賀にも訪れる。
しかし、離縁はわざわざ知らせない。
情報として、様々なところから伝わっていくだけだ。
王太子エルノートの離縁は、既に国内では知れているが、国外にはまだだろう。
伝わっていたとしても、正妃候補の話を持って来るには早過ぎる。
国を跨いでの王族の婚姻は、フルブレスカ魔法皇国の許可がいる。
第三王子セイジェが、ザクバラ国のタージュリヤ王女と婚姻を結ぶことは、休戦協定が結ばれた後、皇国に申請して受理されている。
他国にも既に知れ渡っているだろう。
ならば、残された未婚の王族は……。
「まあ、ザクバラ国牽制の為にも、王子がフルデルデ王族と縁を結んでおくのも良いと思いますけど?」
「ふざけたことを言うな」
半眼で指を突き付けるカウティスに、ラードはからかうように笑った。
セルフィーネを連れていなくて良かった、とカウティスは胸の小瓶を服の上から握る。
自身の婚姻の話など、噂話でも聞かれたくない。
オルセールス神殿に到着して、月光神殿に入る。
聖女アナリナに会いに来たのだが、あいにく不在だった。
東部へ向かう街道沿いの街で、聖女の力を借りたい患者が出たらしく、朝早く太陽神の神官と護衛を連れて出たらしい。
「アナリナに聞きたいことがあったのだが、仕方ないな」
月光神の女神官が姿勢を正して聞く。
「聖女様に、何をお聞きになりたかったのでしょうか」
「ああ、浄化の神聖魔法についてだ」
毒や呪いを浄化するのは、聖人や聖女でなければ出来ないと知っているが、土地の浄化は出来ないのだろうか。
以前、西部に派遣されている太陽神の神官に聞いてみたが、浄化出来ても、どれ程の規模の浄化が出来るのかは、本人に聞いてみなければ分からないと言われたのだ。
「そうですね、聖女様でも広範囲は難しいと思います」
「やはり、そうか。それならば、精霊を鎮めることは?」
カウティスの問いに、女神官は首を捻る。
「どうでしょう……。聞いたことがありません」
やはり、本人でなければ分からないようだ。
セルフィーネの不確実な浄化の光を、あてにしてばかりはいられない。
別の手もないか探ってみようと思っていた。
「後ひとつ聞いてもいいか。……神聖魔法は、人間以外にも使えるのだろうか」
カウティスは、真剣な顔で女神官を見る。
「いえ、エルフや竜人族でも使えないと聞きます」
「種族ではなく……。いや、良い。分かった」
精霊はどうか、と聞きかけて、やめた。
神聖力を持てば、有無を言わさず召喚されるのだ。
人間でない
考えたくもない。
「すまなかったな。今度、収穫祭の時にアナリナに直接聞いてみよう」
カウティスが収穫祭のことを口にすると、女神官は心配そうな顔をしたが、何も言わずに見送った。
深夜、エルノートは目を覚まし、寝台の上で喘いた。
身体の内側から腐っていくような気分の悪さと、意識はあるのに、汚泥に埋まっていくように四肢が動かなくなっていく恐怖。
死の間際に味わったあの感覚を、また夢で見た。
起き上がろうとすると、胃から込み上げて嘔吐しそうになるのを、必死で堪えた。
爪が掌に食い込むほど拳を強く握り、夢だ、現実ではない、もう終わったのだと頭の中で繰り返す。
侍従がエルノートの汗を拭き、着替えを用意していると、別の侍従が薬師と共に薬湯を運んできた。
エルノートは薬湯を一口飲んだが、嘔吐するのを我慢したからか、今日はそれ以上飲み下すことが出来ない。
「……すまぬ、今日はもう良い。下げてくれ」
力なく言って、高く積み上げられたクッションに凭れた。
半分開けた窓から弱く風が入ってきて、寝台の側に置かれた花瓶の花を揺らす。
小さな濃い紫の花が房になっていて、爽やかだが温かみのある香りが流れた。
暫くして、侍従がガラスの器に入った氷を運んできた。
薄い桃色に色付いた、爪の先程の氷の粒が、丸いガラスの器に小山に盛られて、銀のスプーンが添えてある。
「エルノート様、少しだけ、召し上がって下さい。きっと気分が良くなります」
侍従に勧められ、気は進まないが一匙だけ口に運ぶ。
柔らかい甘さの、懐かしい味の氷が、口の中ですうっと溶けた。
「……母上の氷だ」
エルノートが目を瞬く。
幼い頃、調子が悪いとよく吐いていたエルノートに、エレイシア王妃が自ら運んで来てくれた氷の味だった。
『これは魔法の氷ですよ、エルノート。食べると必ず気分が良くなりますからね』
呪文のように、毎回そう言って口に入れてくれた。
そうすると、不思議と吐き気が治まったものだった。
「懐かしいな……。これを、何故?」
「製菓長がレシピを覚えていたそうで、作ってもらったのです」
「そうか……」
母の呪文を思い出したからか、少し気分が良くなった気がした。
甘いものが苦手なエルノートだったが、今夜、その氷は全て食べることが出来た。
「王太子殿下は、召し上がりましたか?」
マレリィの元に報告に来たエルノートの侍従が、喜色を浮かべて頷く。
「はい、マレリィ様。全てお召し上がりになり、今は眠っておられます」
マレリィは両手を胸の上で握り、目を閉じる。
「……ああ、エレイシア様、ありがとうございます」
あの氷の事を覚えていたのは、マレリィだ。
何とかエルノートを楽にしてやりたいと、子供達が幼かった頃の様に、用意してみた。
僅かでもエルノートが慰められたのなら、それはエレイシアのお陰だと思った。
エルノートの中で続く苦しみを、マレリィは気付いていた。
エルノートが、誰にも知られたくないと思っていることも。
マレリィは棚に積まれた身上書に目を遣る。
身分が高く、見目良く教養のある娘達ばかりだ。
だが、エルノート王太子に今添うべき娘を選ぶのに、一番重要なのはそういったことではない気がする。
「エレイシア様……」
マレリィは亡き友の名を呟いた。
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